寂然法門百首 45
2021.5.18
種智還年
過ぎきにし昔も今もかへりけり悟りの門を開くしるしに
半紙
【題出典】『法華文句記』九・中
【題意】 種智還年
(父ははるか昔に)仏の智恵により年月が戻る(薬を服し、父は老いているが若い。)
【歌の通釈】
過ごしてきた昔も今に戻るのだよ。悟りの門を開いた効験として。
【左注】
一切種智の門(かど)を開きつれば、過去遠々の昔の時もかへりて、さらに常寂光の都に住むなり。水はかへる夕べながき恨みもなく、花はふたゝび春にあへるよろこびぞあるべき。(仏の智恵の門を開くと、遠い過去の時間も今に戻り、さらに永遠絶対の浄土に住むのだ。(水は夕べに戻ることなく、花は一年に二度咲くことはないというが、)水は夕べに憂いもなく戻り、花はもう一度春に会い咲く喜びがあるはずなのだ。)
【考】
『法華経』従地湧出において、大地から湧き出た菩薩たちは、久遠の昔に仏が教化したものであることを明かす。そのたとえとして、「譬えば、小壮き人の年始めて二十五なるもの、人に、百歳の子の髪白くして、面皺めるを示して「これ等は、わが生める所なり」子も亦「これ父なり」と説かんに、父は小(わか)くして、子は老いたれば、世を挙げて信ぜざる所ならんが如く、世尊も亦、かくの如し。」と説かれる。『法華文句記』の題文の前後はこの箇所の注釈。その中で、父はなぜ若いのか、それは仏の智恵により過去の時間が戻る薬を飲んだからだ、とするのが題文である。(中略)悟りを開けば悠久の過去の時間が戻り、また永遠の都に住むことができるという。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)