寂然法門百首 41

2021.3.7

 


 


 

青々翠竹総是法身


色かへぬもとの悟りをたづぬれば竹のみどりも浅からぬかな


半紙

【題出典】『真言宗教時義』一

【題意】  青々たる翠竹は総じて是れ法身

青々とした竹はすべて法身(真理の身体)である。

【歌の通釈】

  色を変えることのない(常住の)本覚と見れば、竹の緑も深く見えることだよ。

【寂然の左注・通釈】

一切の草木にいたるまで、すべて仏の本性を備えているという心である。その中でも竹の緑の色は、永遠不動の真理の色で、それが眼前に現れて、永遠の仏の本性が心の中に芽生える。この翠竹は、心中の仏の本性が現われるように導いてくれるものだ。(翠竹は、白楽天がいったように)本当に「私の友」というべきだ。「あさからず」と詠んだのはこの意味ではないか。「もとのさとり」というのは本覚の道理のことである。本覚とは真理の身体のことだ。

【考】

常緑の竹は、常住の真理そのものに他ならないという、いわゆる天台本覚思想を詠んだもの。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


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