寂然法門百首 11

2019.9.23

 


 


 

着於如来衣

今更に花の袂(たもと)をぬぎかへてひとへに忍ぶ衣とぞなる

【題出典】『法華経』

如来の衣を着る。

【歌の通釈】

今あらたに、春の衣(迷いの衣)を脱ぎ替えて、ひたすら耐え忍ぶ一重の夏の衣(柔和忍辱の如来の衣)の姿となるよ。

(迷い、執着の衣は身に慣れ親しんで久しい。柔軟、穏やかで忍耐強い如来の衣は今日初めて着るので、まだ経験が「浅い」ことを、「薄い」と掛けて夏の衣になぞらえたのだろう。)

【考】

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

クーラーもなかった昔は、夏の暑さはただ「一重の衣」で耐えるしかなかったわけで、その比喩が「柔和忍辱(にゆうわにんにく)の衣」ということになるのでしょう。こんな衣があったら、涼しそうです。

「柔和忍辱」とは、「仏の教えを心として柔順温和で、外からの恥辱や危害によくたえ忍ぶこと。心優しく、怒らないこと。」(仏教語大辞典)とのこと。

キリスト教の教えが「穏やかじゃない」というわけではないけれど、仏教の教えは、どこか穏やかで美的なところが魅力だなあと思います。


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