98 「100のエッセイ」のはじまり

2016.9.23


 1998年の3月から書き始めた「100のエッセイ」の通算1000編達成が目前に迫った。あと3つである。

 このあと3つを、ダダッと書いて、いちおうの「ゴール」にしてしまいたいので、これまでの経過を辿り、今後の展望を考えることでゴールしたい。

 そもそものはじまりは、第1番目のエッセイ「はじまり」に簡単に書いたとおり、別役実の「戯曲100本」に触発されたわけだが、その根本的な動機は、せっかくホームページを作ったのだから、何か継続的にアップしていきたいということだった。そして、あまり文章を書くことが得意ではなかったので、何とかして文章力を身に付けたいと思ったのである。

 1000ものエッセイを書いていながら、文章を書くのが得意じゃないなんていうのは、イヤミじゃないかと思われるかもしれないが、ぼくは幼い頃から生き物が好きで、中学入学と同時に生物部に入り、以後高校を卒業するまで生物部に在籍、しかも高校1年までは、将来は生物学者になるのだと心にかたく決めていたのである。中3の1年間、昆虫採集に熱中した後、虫を殺すことがちょっと嫌になって、生態写真家になりたいなんて思った時期もあるが、いずれにしても理系の大学に進学できると思っていた。

 ところが、いざ大学受験を目の前にした高校2年になる直前、自分の成績が、数学、物理、化学において、まったくダメだということに今更ながら愕然とした。いくら虫や草が好きだって、これでは理系の大学に進学できるわけがないと思い込み、突然「文転」したのだった。

 けれども当時のぼくの周囲には根っからの「文学少年」たちがたくさんいた。ぼくが何を書いても、何を読んでも、彼らからすれば、幼稚きわまるものでしかなかった。それでも「文転少年」は、けなげにも懸命に詩を書いたり小説を読んだりしたのだが、悲しいかな、彼らはいつまで経っても遙かかなたの高みにいたのだった。ぼくの高校時代は、そんなコンプレックスとの戦いだったといっていい。幸いにも大学の国文科に入学できたものの、やはりその状態に変わりはなかった。

 そういうわけで、「文学コンプレックス」「文章コンプレックス」は、その後、国語教師となっても抜けることはなく、いつも、「国語は得意じゃないなあ。」とか「文学ってよく分かんないなあ。」とか、「文章を書くの自信ないなあ。」とか、思い続けてきたのだった。

 そういう状態を何とか打破すべく試みたのが「100のエッセイ」の連載だった。毎週1回ぐらい、800字〜1000字の文章を書くことを自分に課せば、少しはましな文章が書けるようになるかもしれないと思った次第だが、それが100も書けるとは思っていなかった。

 エッセイの中で、何度も書いたことだが、ぼくの中学生のころからの悩みは、「気が散る」「気が多い」「熱しやすく飽きっぽい」というような類いのことで、毎日コツコツというのがとにかく苦手だったのだから、毎週1回ずつ、100回もエッセイを書くなどということは、まず無理だと思っていた。

 途中頓挫は必至と思っていたが、その危機は、書き始めて数回目にやってきた。何回目かは忘れたが、さぼって1週とばしたことがあった。ところが、ぼくのホームページを見ていた当時の教え子が、「センセイ、もうサボるんですか! そうやって、更新をさぼっているうちに、腐っていくホームページが山ほどあるんですよ!」とすごい剣幕で言ってきた。ぼくは、震撼した。まだ10回も書いていないうちに、もうサボってしまったという自分の情けなさもさることながら、そうやって、ちゃんと読んでくれている人間がいたということに震撼したのだ。

 それ以来、ぼくは、2度と更新を怠ることはなかった。きちんと調べたわけではないが、あの震災の年までは、1回たりとも更新を怠ったことはなかったはずだ。飽きっぽいのがオレだという自己認識は、サボるための口実に過ぎなかったのではないかと、その時気づいたのかもしれない。

 1998年の3月というと、ぼくが48歳のときであり、それはまことに「遅い目覚め」だったといえるだろう。

 何も教訓めいたことを言うつもりはないのだが、人間というものは、おうおうにして、「自分はこういう人間だ。」と思い込んで生きているものだ。そしてそれは、けっこうあたっていることが多いから始末におえないのだが、しかし、あまり決めつけないほうがいいとも思うのだ。ぼくの場合でいえば、数字が分からないとか、人の名前を覚えられないとか、大事なことをすぐに忘れてしまうとか、そういったことは、ほとんど病気ともいえるレベルで、いまさらどうしようもないことだが、それと同じくらいどうしようもないと思っていた「飽きっぽい」という性質は、案外そうでもないと、50歳近くになって自覚されたと言えるだろう。そういうこともあるのが人生だということは、若い人は覚えておいて損はないと思う。

 「100のエッセイ」は、100書いたら終わりのつもりでつけた名前、つまりは「目標」としてつけた名前だったのだが、予想に反して完結したとき、急に、「続き」を書きたくなった。それで、「100のエッセイ 第2期」として続けることにした。けれども、その時でも、まさか、第10期まで続くとは、ぼくも、また周囲の人間も夢にだに思わなかったことだったのだ。

 


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