96 『海街diary』あるいは「見ること」の難しさについて

2016.9.8


 見ること、読むこと、聞くこと、いずれも簡単そうで難しい。この中では、「読むこと」がいちばん難しいと一般には思われている。学校教育の「国語」では、その大半を「読解」に力を入れているが、それでもなかなか思うように成果が上がらないのは、「読むこと」が難しいからだろう。だからこそ、毎年のようにコムズカシイ「読解問題」が、入学試験で学生を悩ませているわけである。

 その反動というわけでもないだろうが、「見ること」「聞くこと」は、それほどまでの「難解感」を伴わない。巷でよく言われるのは、読書というのは想像力を働かせなければならないから能動的な行為だが、テレビや映画を見るというのは、映像が既に示されていて想像力を働かせる余地もないから受動的な行為だ、というような典型的な俗説で、例えば、もう30年近くも前のことだが、向井敏は「サラリーマンの知的生活の敵」として3つをあげている。1つ目は、「仲間とのつき合い」、2つ目は「テレビ」、そして3つ目には「映画・演劇・音楽」。3つ目が「敵」である理由を「これらはみな向こうから流れてくるもので、何の努力もいらないからダメ」なんて言っている。近頃ではさすがにこうした馬鹿げたことは誰もまともに受け取らないだろうが、案外、無意識のうちにこうした俗説が潜んでいるかもしれないから注意が必要だ。

 「読むこと」が難しいことに今も昔もかわりはない。意味不明な文章が難しいというのではなくて、ごく簡単な短い文章でも難しいということは、たとえば、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の十七文字の「読解」ひとつとっても、それが何を意味しているのか、作者はどういう気持ちでこう書いたのか、イメージはどうななのか、池の広さはどれくらいか、蛙は何蛙か、蛙は一匹なのか複数匹なのか、などこれをめぐる疑問は次から次へとわき出てくる始末で、短くてすぐ読めるから楽だ、なんてとうてい言えない。

 しかし、「見ること」「聞くこと」は、それ以上に難しいと言わなければならない。「聞くこと」はこの際さておいて「見ること」の難しさだ。

 特に映画の場合、人は「ああ、その映画見た。」って簡単に言うけれど、それは、映画館なりリビングなりで、その映画の映像を「目にした」ということであって、ほんとうに「見た」とはいえないケースがほとんだ。映画館で見た場合と、リビングでテレビ画面で見た場合では、また全然「見た」内容が違ってしまうということはさておいても、映画館で見た場合も、やっぱりぼくらが映画を「見る」ことは本当に難しい。

 それはそうなのだ。作る側は、何ヶ月も、場合によっては何年もかけて作った映画を、たった一度スクリーンでぼくらが見ただけで、その「すべて」を受け取るなんてことができるわけがない。目はスクリーンに釘付けになっていても、ぼくらはほとんどを見落としている。いや、「ぼくら」なんて言っては失礼だから「ぼくは」と言い換えよう。

 先日、是枝裕和監督の『海街diary』を、鎌倉芸術館で見た。ミニコミ誌『鎌倉朝日』の450号記念行事として鎌倉では初めての上映会があったのだ。その上映会で、映画の後、是枝監督のトークがあったのだが、そのお話を聞いて、やっぱりちゃんと見てなかったなあという実感を持ったのだった。

 ぼくはこの映画は初見だったのだが、日頃見慣れている鎌倉の風景の中に展開される心あたたまる物語に魅了された。この映画の制作中に、極楽寺近辺で植物や江ノ電の写真を撮っているときに、撮影現場に遭遇したことがあった。その時は、何の映画の撮影だろうと思って、俳優の姿を探したが見当たらなかった。もっと熱心に探せばナマ綾瀬はるかを見ることができたのにと悔しい思いをしたのは、その後極楽寺に住んでいる知人に「あれ何の映画?」って聞いたときだった。後悔先に立たずだ。(これは余談だが、監督によれば、朝早く、極楽寺の橋の上で綾瀬はるかが一人たたずむシーンを撮ったとき、橋の上には、江ノ電を撮りに来ていたテッチャンがたくさんいたが、すぐそばに「綾瀬はるか」がいるのに、彼らは「まったく興味を示さなかった。」のだそうだ。ぼくも相当なテッチャンだが、そういう「偏狭な」テッチャンではないことをここで声を大にして言っておきたい。)

 それはそれとして、是枝監督の話にこんなことが出てきた。

 映画に出てくる木造二階建ての家は、実際に北鎌倉で見つけた家で、その家を季節ごとにまるごと借り切って、住人の方にはその時期はウイークリーマンションの住んでいただいた。セットではないので、窓の外の庭に風が吹く様子もよく撮れた。ある場面では、人物の背後に蝶が飛んでいくシーンも撮れたんですと監督は嬉しそうに語った。

 ああ、その風もきっと見ていたんだろうけど、風が吹いてるなあと思って見ていなかった。蝶にもまったく気づかなかった。

 また監督は、ラストシーンについてこんなことを語った。

 ラストで4人が海岸を歩いていくわけですけど、その日は曇っていてどんよりしていたわけですが、ほんとうにもうフィルムがもう少しで終わってしまうという頃になって、明るくなってきたんです、ああ、終わるなよ、終わるなよって思っているうちに、フィルムが終わりそうになると鳴るカタカタという音が聞こえてきたのですが、フィルムが終わる直前に、日が差して波が一瞬キラキラって光ったんです。そしてフィルムがカタッと終わってしまったんですが、ちゃんとそのキラキラも映っていたのでとても嬉しかったです。

 ああ、見てなかった。ぼくは、4姉妹の姿ばかり見ていて、画面がだんだん明るくなってきて、波が光り始めたなんて、ぜんぜん気がつかなかったなあと、ため息ついた。

 その上映会のお手伝いをした関係で、その夜、監督を囲む宴会に参加するという幸運に恵まれ、たまたま隣に座った監督に、いろいろ質問することができた。トークの中で気になっていたので、どうしてフィルムで撮ったのかと聞いてみた。「やっぱり画質ですか?」という問に、そうですと答えて、まあ今時フィルムで撮ってる監督さんは4〜5人だと思いますけど、やっぱりフィルムの画質が魅力的なので。それに、フィルムが終わる時なるカタカタっという音が好きなんです。デジタルで撮ればそんなことはないんですけどね。いろいろな調整なども、デジタルで撮れば後でどうにでもなりますから、仕事がどうしても、先送りになる。電信柱が気になっても、後でデジタル処理すればいいやっていうことで、現場の作業が雑になる。それがどうも嫌でね。まあ、フィルムで撮っても、デジタルに落とすわけですから、後処理もできるわけですがね。

 同席した人が質問した。「映画作りの中で、どの作業が一番好きですか?」監督は、わりとすぐに「編集ですね。」と答えた。

 意外だった。そういえば、この映画は、監督、脚本、編集がいずれも是枝裕和だった。「編集」は普通は監督がしませんよねよ言うと、ええ、でも編集作業がとても好きなんですと目を輝かせた。監督は、ドキュメンタリー映画の作家でもあったので、編集は自分でするということが自然だったということでもあるらしい。

 また同席していた別の人が聞いた。「監督は、映画を作るとき、どのようなことを大切にされていますか。」監督は、しばらく黙って考えていたが、「先日、アニメの監督の細田守さんと対談をしたんですが、その時、細田さんが『ぼくは、見た後に、ああ、生きていたくないなあ、と観客が思うような映画だけは作りたくない。』っておっしゃったのですが、ぼくもまったく同じです。(註)」と静かにきっぱりと答えた。

 「生きる勇気を与えるような映画」とか「心があたたかくなるような映画」とか言わず、否定形で語るところに、細田守監督、そして是枝裕和監督の誠意を感じたのだった。

 「見ること」は難しい。でも難しいからこそ、よく見なければならない、あるいは何度でも見なければならない。言い方をかえれば、何度でも繰り返し見たくなる映画、それが、その人にとっての「大切な映画」ということになるだろう。そういう意味で『海街diary』はぼくにとっての大切な映画になった。そんな映画をこれから何本手に入れることができるだろうか。まだまだ楽しみである。


(註)

上の紫字の部分は、酔っ払って聞いていたぼくの勘違いでした。あやしいなと思ったので、対談の載っている「SWITCH」2016年9月号を買い求めて調べたところ、細田監督の言葉に対して是枝さんがこう答えています。

「ぼくも自分で映画を作っていて、観た人が人間であることが嫌になるようなものだけは作るまいと思っています。」

これに対して、細田さんは、「でも表現としてはあり得るんですよね。」と発言。それに対して、是枝さんは、こう答えています。

「あり得ます。あってもいいと思うんです。でも自分が作るものはそれではない。それは自分の中にある倫理観なのかもしれません。それがおそらく僕が細田さんの作品にシンパシーを感じる一番の大きな理由なのかなとも思います。人間に対する肯定感。その根拠みたいなものが今日お話をして少し解けたような気がしました。」

 


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