22 よみがえる時間

2015.2.23

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 たぶん7〜800枚のスライドが入っているボール紙の箱が昔からあって、その大部分が父が撮ったカラー写真であることは分かっていたのだが(ぼくが高校時代から大学にかけて撮った写真も混ざっている)、現役の教師をやっていたときは、ヒマな夏休みなどがあったとはいうものの、やはり今にして思えば、それなりに忙しくて心の余裕もなかったのだろう、それらのスライドに何が写っているのかを、一枚一枚確かめることもなく、何度も箱を変えたり、その置き場所を変えたりして今に至ったのだった。

 フェイスブックを始めてから、昔描いた水彩画やら、新しく撮った写真やらを「投稿」(自分のフェイスブックに掲載すること)していたが、手元にあったぼくの幼い頃の古いモノク写真を「懐かし写真館」などと称して投稿したら、案外「うけた」ので、そうだ、あの写真はどこへ行ったんだろう、と探し始めた。まだ、歯の生え始めた頃、ぼくが木製の回転椅子の上に「まっぱだか」で座ってニコニコと笑っている写真である。

 その写真は、昔、ぼくのアルバムに貼ってあったのだが、都立高校の文化祭の催し物で、教師の「おもしろ写真」みたいな企画があって、その時アルバムから剥がして、それを複写して四つ切りぐらいに引き伸ばして展示したような記憶がかすかにあるのだが、その引き伸ばした写真も、また元になったアルバムから剥がした小さな写真も、どちらも行方不明になっていたのだ。

 そこで、モノクロのネガフィルムが大量に入った箱から、ブローニー版(35ミリフィルムより大きいフィルム)のフィルムを数日がかりで丹念にチェックしていったところ、遂に発見したのである。久しぶりの「対面」である。しかし、まだネガであるから、これをちゃんとした白黒の写真にしなければならない。ネットで探せば、そういうことをやってくれる業者はいるだろうが、それよりも自分でフィルムをスキャンすればいい。しかし、フィルムをスキャンできるスキャナーを実は持っていない。

 昔は持っていたのだが、古いもので、時間もかかるので、たしか息子にやってしまい、その後は、プリンターの複合機(スキャナーもついているもの)で間に合わせていたのだ。複合機のスキャナーはチャチなもので、フィルムをスキャンできる機能などなかったが、どうせやることもないだろうと思っていたのだった。

 そういうわけで、大げさにいうと、この「まっぱだか」の写真をデジタル化するために、新しいスキャナーを買ったのである。値段は、約27000円。これを高いとみるのか、安いとみるのかは考え方次第だが、しかし、実際に使ってみると、昔のスキャナーより格段に解像度が高いのに、スキャンスピードが桁違いに速い。しかも値段は昔のスキャナーの半分以下なのである。こういう面から見れば、ものすごく安いとしかいいようがない。

 で、見事に、ぼくの「まっぱだか」の写真は、全容をあらわし、フェイスブックで「絶賛の嵐?」となった次第だが、さて、その後にぼくが目をつけたのは、あの大量の「スライド」だった。

 プリントしてある写真なら、手にとれば何の写真だかすぐに分かるが、スライド(ポジフィルム)となると、小さい上に、光を透かしてみないと何が写っているのやら分からない。昔は家にスライド映写機というのがあって、暗くした部屋で、家族が集まって「スライド上映会」をしたことがあるが、そうでもしないかぎり、ちゃんと見る機会はなかったわけで、だとすると、ここにあるスライドをもしスキャンしたら、それこそ、まったく見たこともない写真ばかりではないのか、という期待に胸が膨らんだわけである。

 そして、それがまさに現実になった。まだ、数枚しかスキャンしていないが、その1枚は、我が家の前から撮った1960年の第31回メーデーのデモ行進の写真、そしてもう1枚が、これもほぼ同時期、我が家の前で撮った、お三の宮のお祭りで大神輿を牛が引いている写真である。いずれも父が撮影したことは間違いない。これらの写真は、ぼくが初めて目にするものだった。懐かしさを通り越して、驚きである。そこに、「時代」というものが、「歴史」というものが、はっきりと形として定着していることへの驚きであり、またこんなにも鮮明にカラー映像が残っていることへに驚きである。

 ここまで来ると、新しく買ったスキャナーは、どうだといわんばかりで部屋の隅で威張っている。これからしばらく、少しずつ、昔の映像の発掘にいそしむことになるだろう。定年後の生活も、結構忙しい。


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