18 熟成するのだろうか

2015.1.25


 文章であれ、詩であれ、絵であれ、書であれ、とにかく自分の「作品」というものは、それを作った直後はほんとうにどうしようもない、見るも無惨な「ロクデモナイモノ」である。読むにたえない、見るにたえない、思わず目をそらして、破り捨てたくなる。なんでオレは、こんなものしか書けないのか、描けないのか、と、もだえ苦しむ。といっても、根がバカだから、古今の芸術家のように深刻に「もだえ苦しむ」わけではない。「あ〜、やだやだ。」っていう程度で、別にそれを生業としているわけでもないから、まあ日常生活にはさしたる支障もないわけである。

 ところが、そういう「ロクデモナイモノ」を、数年、あるいは数十年経ってから読んだり見たりすると、え、これってほんとにオレの? って疑いたくなるほど「イイモノ」に見えたりする。下手をすると、感動しかねない。それでほんとうに感動してしまうと、身近にいる家内に「オレって天才かも!」と叫んで、ヒンシュクをかったりするわけである。

 例えば詩。都立高校をやめて栄光学園の教師になったのは、1984年、35歳のときだったが、それを記念したわけでもないが、それまで書きためた詩を集めて自費出版した。題して「夕日のように」。今、奥付を見ると、発行年月日が1984年4月1日になっているから、やっぱり記念出版という意味合いがあったようだ。いや記念というより、区切りだったのかもしれない。

 それまでは、世の中にむかって、「詩人」である、と公言したい気分がたぶんあって、『詩学』という詩の専門雑誌に投稿したりしていた。作品が載るまではいかなったけれど、なんどか名前だけは載った。けれども、その詩集を詩人の安宅夏夫氏に贈呈したところ、(安宅氏とは、旺文社の「入試問題正解」の会議〈そんなバイトもしていました。〉でちょっと面識を得たのだった。)彼からの手紙に、もう少し現代詩の手法を勉強したほうがいい、『詩学』には粘り強く投稿し続けるといい、といったアドバイスが書かれていた。そのアドバイスをきちんと受け止め、粘り強く詩を書きつづければ、それなりの詩が書けるようになったのかもしれないが、それ以上に、その詩集を読むたびに、自分の文学的な才能のなさばかりが痛感されて、結局投稿も5回ぐらいして、名前が載っただけで、もういいやっていう気分になってしまって、詩を書くこともほとんどなくなってしまった。

 300冊ぐらいは作った詩集も、いろいろ配っているうちに、いつの間にか手元に10冊ほどを残すばかりとなった。そうこうしているうちに、60歳に近づこうという時期に始めた書で、現代詩文という分野に深入りすることになり、そうなると素材となる詩やら俳句やらが必要になるわけだが、他人の作品は著作権がらみで問題が多い。それならいっそ自分の詩を書けばいいじゃん、というわけで、何回か使ってみるようになった。

 書いてから、30年以上は経っている詩である。相変わらず、下手だなあと思うけれども、昔ほどの強烈な「自己嫌悪」はない。30年前のことだから「許せる」と思っているのかもしれない。詩全体は、しょうもないけど、一部分なら、「案外いける」というのもある。これは、ぼくの感じ方の変化なのだろうか。それとも「作品」が「熟成」したのだろうか。

 水彩画にもそんなところがある。ここ数ヶ月にわたって、「蔵出し水彩画」なんていって、フェイスブックに昔の絵をアップしているうちに、ブログに載せたもの以外にも大量の絵が引き出しの中に入っていたり、スケッチブックのまま残っていたりすることに改めて驚いた。昔、「山本洋三水彩画展」なんてものをひょんなことから京都でやって、「自信作」のあらかたは売ってしまったと思い込んでいたので、こんなに手元に残っているなんてびっくりした。いや、何も新発見ではない。あることは知っていたのだが、みんな「ロクデモナイ代物」だと思っていたのである。

 ところが、1枚1枚引き出しから出して、写真に撮ってモニターで見ると、「けっこういいじゃん。」って思えるのだ。

 実は書道を始めたころは、自分の水彩画に嫌気がさしていた。何を描いても、結局おんなじような絵にしかならない。描く題材も底をついてしまった。もともとあまり旅行をしないタチだったので、撮りためた写真も描き尽くしてしまい、それなら、外国の絵でも描いてみようかと、プロヴァンスの写真集を見て何枚か描いたとき、あ、もうおしまいだと何となく思ってしまったのだ。これだけはするまいと思っていたことだったからだ。

 父がよく嘆いていた。フランスなんかに行ければ、絵の題材なんてくさるほどあるんだけどなあ、と。父は大の飛行機嫌いだったし、仕事が大変で、金もなかったから、フランスなんかに行けるはずもなかったのだが、友人の絵描きが、ほいほいと外国へ行ってはオシャレな絵を描いているのが羨ましかったのだろうし、悔しかったのだろうし、また逆に、オレは簡単には絵にならないような風景を描くんだという意地のようなものが確かにあったのだと思う。

 そんな意地をぼくが引き継がなくてもいいようなものだが、飛行機嫌いだけは受け継いでしまって、いまだに外国へ行ったことがない始末。でも、それならその意地も引き継ごうという気持ちがどこかで働いていたのかもしれなくて、それなのに、行ったこともないフランスの風景を写真集を見て描くようじゃオレも年貢の納め時だと観念したといったところだろうか。

 まあ、そんなこんなで、水彩画を描く道具も目に付かないところにしまってしまい、もう二度と描かないつもりでいたのに、年頭のエッセイでは、今年は水彩画を描く、というような決意を述べたりもするようになった。

 そして、こんどは、「タンブラー」というサービスに出会い、それこそ片っ端から、昔の水彩画をそこへ放り込み始めた。人が見れば、同じような絵でも、それなりに工夫もした跡が見られたり、昔はなんとも思わなかった「駄作」が、今はちょっと輝いて見えたり、けっこう愛着が湧いてきて、だんだんぼくの「タンブラー」は、グチャグチャのおもちゃ箱化をしつつある。

 それらの絵が「熟成」したのか、それとも一時的にぼくにはこと新しく見えるのかは知らないが、とにかく、そこにほとんどの「旧作」を放り込んでしまったら、新しい絵を描こうと思っているのだが、いやいや、そんなにいっぺんに放り込まずに、ゆっくりやって、新しい絵はそれと平行して描いていけばいいじゃないか、などと囁く声も頭のどこかでするといった有様で、今年も、年頭から落ち着かない日々である。


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