100 悲しき体育祭

2003.10


 教師をやっていると、毎年運動会とか体育祭とかいった行事にどうしてもつきあわされることになる。若者が元気に動き回るのを見るのは、それだけで若返る気がするから、歓迎すべきことではあるのだが、教師も参加しなければならないことになっているのが困りものだ。ぼくの学校では担任が参加させられる。なぜ担任なのかというと、クラスの生徒が喜ぶかららしい。本当に喜んでいるのか一度調査してみるべきだと思うのだが、誰もそんなことはしない。

 前に担任をしていたときは、一人100メートル走るリレーという、まるで死ねというも同然の苛酷なレースで、もちろんぼくは出場しなかった。どうせ死ぬならもう少し気の利いたことで死にたいものだ。

 去年は担任もなく、おまけに風邪をひいてしまい、体育祭に欠席という異例の事態になったが、噂に聞くと、一つ所でグルグル回ってから走るという、苛酷というより残酷なレースだったらしく、グルグル回ったあとそのまま倒れて走れなかった教師もいたという。なんとオソロシイ学校なのであろうと、聞くだに身の毛もよだつ思い。

 で、今年は担任。それも悪いことに中学1年の担任である。出ないわけにはいかない。今年はさらに残酷度アップかと恐れていたら、団扇の上にゴムボールを載せて50メートル走り、先にゴールに着いた者がクイズに答えるという比較的穏当なもの。50メートルというのが許せない気がしたが(10メートルでいい!)、まあ団扇にボールを載せて走るんだから、みんなそんなにスピードも出ないだろうと安心して出場した。

 まず中1担任4人が並ぶ。ぼく以外はみな若手教師だ。問題。「今年の野球部の全国大会の初戦の相手校はどこだったか?」さあスタート。団扇の上のボールを確かめ、走り出した。

 びっくりした。何と他の3人はもうはるか前方にいるではないか。何という馬鹿げたスピードであろう。ボールも落とさずガムシャラに走っている。ぼくはといえば、ボールは落ちるは息は切れるはの大苦戦。クイズに答えるどころの騒ぎではない。

 キミタチには先輩教師に対する気遣いというものがないのか、わざと転んでオレを待つぐらいのことがなぜできないのかといきり立っても「勝負ですから」とツレナイお返事。

 クラスの生徒は「先生遅いよ!」と非難ゴウゴウ。「少し運動したほうがいいですよ。」と真顔で忠告する生徒までいて、それもそうだなあと思わず突き出た腹をなでるのであった。


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