セブン・イヤーズ・イン・チベット

監督:ジャン=ジャック・アノー


 途方もない映画だ。チベットでの撮影ができないから、アルゼンチンに巨大なセットを作り、100人もの本物のチベット僧や、インドから集めたチベット人のエキストラをアルゼンチンにまで連れていって作ったというのだから。それだけで、おどろく。映画がまだそのような情熱の対象となっていることに改めて感激してしまう。

 全体をゆっくりとながれるリズムがいい。ブラッド・ピット演ずるハインリヒが、ゆるやかに魂の成長をとげていくさま、チベットの文化が中国共産党によって蹂躙されていくさまなどが、十分な説得力をもって語られていく。ゆったりしているが退屈さはまるでない。

 中国共産党の将軍が、チベット僧たちが精魂込めて作った砂の曼陀羅をこともなく足で踏みにじる場面には息をのむほどの迫力がある。文化の蹂躙というのはこういうことをいうのだということが本当に説得力をもって迫ってくる。それは、それまでに十分に時間をかけて、チベットの人々の暮らしぶり、考え方、そして宗教のあり方を描いてきたからだ。だから、その将軍の行為が許せないものとして鮮やかに心に刻まれるのだ。将軍が吐き捨てるように言う「宗教は毒だ」という言葉は、「いいや、そうじゃないんだ」という観客の反応を必然的に生みだす。

 こうした描き方は、当然中国の反発をかうだろう。中国の描き方には一片の同情もない。こんなにも善玉・悪玉がはっきりと分かれてしまうというのは、やはり、ちょっと待てよという気持ちもなくはない。しかし、中国の侵攻によって100万人のチベット人が死んだという事実は重い。

 そうした政治的な問題が実はいちばんこの映画で興味深かった点なのだが、それはそれとして、もう一つ感動したのは、若いダライ・ラマを演じた少年の素晴らしさだ。あんなにも素直な好奇心が本来人間にはあったのだなあとつくづく感じ入った。ぼくが教師をしているからだろうが、あの澄んだ瞳の中にある「学ぶことへの欲求」の10分の1でも、現代の日本の高校生がもっていたらなあと思わずにはいられなかった。もちろん彼は情報のまったく閉ざされた場所で育ってきたのだから当然だという理屈はある。しかし、どんなに情報にあふれていても、「学ぶ」ことは常に新鮮であるはずなのだ。

 莫大な金をかけて再現されたチベットの心、その衣装だけでも見るに値する。まだご覧になっていない人には是非お勧めしたい映画だ。