谷崎潤一郎『細雪』を読む

 

下巻

 

 


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.1.26
今日は、「下巻」一(585p)まで。

▼下巻は雪子の久しぶりの見合いから始まる。
▼この時代の女性は大変だったなあとつくづく思う。雪子はまだ30歳なのに、完全に「行き遅れ」た女として扱われ、妙子の「不行跡」の影響もあるらしいとはいえ、見合いの相手はこんども「四四五歳」で、先妻に先立たれた「二人か三人」の子持ちの男。この男の家柄は、雪子の家とは「格段の相違」があるのだが(雪子の方が下)、それならなんで格下の雪子との見合いを望むのかと、幸子も貞之助の疑うわけで、まあとにかく、世間の目とか、家柄とか、格が上だ下だと、シチメンドクサイことばかり。しかし、こうしたメンドクサイ当時の世の中の事情が手に取るように分かるだけでも、この小説を読む価値はある。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.1.27
今日は、「下巻」四(607p)まで。

それでも家を出た時分には人顔がぼんやり見分けられる程度であったが、蛍が出るという小川のほとりへ行き着いた頃から急激に夜が落ちて来て、………小川といっても、畑の中にある溝の少し大きいくらいな平凡な川がひとすじ流れ、両岸には一面に茫のような草が長く生い茂っているのが、水が見えないくらい川面に覆いかぶさっていて、最初は一丁ほど先に土橋のあるのだけが分っていたが、………蛍というものは人声や光るものを嫌うということで、遠くから懐中電灯を照らさぬようにし、話声も立てぬようにして近づいたのであったが、すぐ川のほとりへ来てもそれらしいものが見えないので、今日は出ないのでしょうかとひそひそ声で囁くと、たくさん出ています、こっちへいらっしゃいと云われて、ずっと川の縁の叢の中へはいり込んでみると、ちょうどあたりが僅かに残る明るさから刻々と墨一色の暗さに移る微妙な時に、両岸の叢から蛍がすいすいと、すすきと同じような低い弧を描きつつ真ん中の川に向って飛ぶのが見えた。………見渡す限り、ひとすじの川の縁に沿うて、どこまでもどこまでも、果てしもなく両岸から飛び交わすのが見えた。………それが今まで見えなかったのは、草が丈高く伸びていたのと、その間から飛び立つ蛍が、上の方へ舞い上らずに、水を慕って低く揺曳するせいであった。………が、その、真の闇になる寸刻前、落ち凹んだ川面から濃い暗黒が這い上って来つつありながら、まだもやもやと近くの草の揺れ動くけはいが視覚に感じられる時に、遠く、遠く、川のつづく限り、幾筋とない線を引いて両側から入り乱れつつ点減していた、幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曳いているようで、眼をつぶってもありありと見える。………ほんとうに、今夜じゅうで一番印象の深かったのはあの一刻であった。あれを味わっただけ蛍狩に来た甲斐はあった。………なるほど蛍狩というものは、お花見のような絵画的なものではなくて、冥想的な、………とでも云ったらよいのであろうか。それでいてお伽噺の世界じみた、子供っぽいところもあるが。………あの世界は絵にするよりは音楽にすべきものかも知れない。お琴かピアノかに、あの感じを作曲したものがあってもよいが。………
 彼女は、自分がこうして寝床の中で眼をつぶっているこの真夜中にも、あの小川のほとりではあれらの蛍が一と晩じゅう音もなく明減し、数限りもなく飛び交うているのだと思うと、云いようもない浪漫的な心地に誘い込まれるのであった。何か、自分の魂があくがれ出して、あの蛍の群に交って、水の面を高く低く、揺られて行くような、………そういえばあの小川は、蛍を追って行くと、随分長く、一直線に、どこまでもつづいている川であった。〈600p〉

▼雪子の見合いが本当の目的だったが、名目上は「蛍狩り」に招かれたということで、幸子の義兄の姉が縁づいている大垣在の豪農菅野家に赴き、蛍狩りをする場面。
▼今まで読んできた『細雪』の中でも屈指の美しい描写だ。現実の光景が、いつの間にか、幸子の「思い出」の中の光景に写っているところなどは、ほんとうにいい。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.1.28
今日は、「下巻」六(628p)まで。

今日は手料理というけれども、膳の上の色どりは、大垣あたりの仕出し屋から取り寄せたらしいものが大部分を占めていた。幸子は実は、暑い時分のことではあり、こういう風な生物の多い、しかも田舎の割烹店で作るお定まりの会席料理などよりは、この家の台所で持える新鮮な蔬菜(そさい)の煮付けの方が食べたかったのであるが、試みに鯛の刺身に箸を着けてみると、果して口の中でぐにゃりとなるように身が柔らかい。鯛について特別に神経質な彼女は、慌ててそれを一杯の酒と一緒に飲み下して、それきりしばらく箸を置いた。見渡したところ、彼女の食慾をそそるものは若鮎の塩焼だけであるが、これはさっき、未亡人が礼を云っていたところから察すると、沢崎が氷詰めにして土産に持って来たものを、この家で焼いて出したので、仕出し屋の料理とは違うらしい。〈611p〉
▼雪子と沢崎の見合いの場面。出される料理で、すべてが分かるということだろう。
▼鯛の味かあ。う〜ん、ぼくにはよく分かんない。好きなことは好きだけど、「違い」がね。
▼鮎の塩焼きは旨いなあ。
▼引用はここだけだが、蛍狩りで捕まえた蛍をカンに入れて悦子は持ち帰ろうとするのだが、列車の中で逃げ出してしまい、おまけにカンの中からクモまで出てくるというドタバタがあったり、同じ車両に乗り合わせた若い士官が、ドイツの歌曲「野バラ」なんかを一人で恥ずかしそうに歌い出し(なぜ歌ったのかは不明のまま)、やがて車両の人がそれにあわせて合唱するなんていうシーンがあったり、雪子が最初に見合いして断った男が偶然同じ車両に乗り合わせて、不思議そうに雪子を見つめていたというシーンもあって、結構この辺は賑やかである。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.1.30
今日は、「下巻」八(643p)まで。

大正十四年の十二月に五十四歳で脳溢血で斃(たお)れた父も短命と云えないことはないが、母は大正六年に三十七歳の若さで亡くなったのであった、と、そう思ってみて幸子は、自分が今年その母の歳になっているのだと心づき、本家の姉がもうあの時の母よりも二つ上であることに考え及んだが、彼女の記憶の中にある母その人は、現在の姉や彼女自身よりも格段に美しい清いものであった。もっともそれには、亡くなった時の周囲の状況や病気の状態などが大いに関係しているので、当時十五歳の少女であった幸子の眼には、母の姿が実際以上にすがすがしく映ったのでもあろう。肺病患者でも病勢が昂進して来ると醜く痩せて顔色が悪くなるのが多いけれども、母はその病気でありながら、臨終の際まで或る種のなまめかしさを失わなかった。顔色も白く透き徹るようになっただけで黝(くろ)ずんでは来なかったし、体も、痩せ細ってはいたものの手足にしまいまで艶々(つやつや)しさが残っていた。(中略)それは、その数日前から降りつづいた秋雨がなおも降り止まず、瀟々(しょうしょう)と病室の縁側の硝子障子に打ち煙っている日であった。障子の外にはささやかな庭があって、そこからだらだらと渓川の縁へ下りられるようになっており、庭からその崖へかけて咲いている萩がもう散りかかってしたたか雨に打たれていた。渓流の水嵩(みずかさ)が増したために山津浪がありはしないかと村の人々が騒いでいるような朝のことで、雨の音よりも凄じい流れの音が耳を聾するように聞え、時々川床の石と石と打つかるたびに、どどん、という地響きが家を揺するので、幸子たちは水が上って来たらどうしようかと怯えながら、母の枕もとに侍っていたのであったが、そういう中で白露が消えるように死んで行く母の、いかにもしずかな、雑念のない顔を見ると、恐いことも忘れられて、すうっとした、洗い浄められたような感情に惹き入れられた。それは悲しみには違いなかったが、一つの美しいものが地上から去って行くのを惜しむような、いわば個人的関係を離れた、一方に音楽的な快さを伴う悲しみであった。幸子たちは、母がどうせこの秋は持ち越せないものと覚悟していたのではあったけれども、あの死顔があんなに美しくなかったならば、あの折の悲しみももっと堪えがたいものだったであろうし、引いてはもっと暗い思い出が長く心に残ったであろう。〈638p〉
▼四姉妹の母の死をまったく改行せずに嫋々と描いて美しい。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.1.31
今日は、「下巻」九(655p)まで。

(お春はマンボウという言葉を使ったが、これは現在関西の一部の人の間にしか通用しない古い方言である。意味はトンネルの短いようなものを指すので、今のガードなどという語がこれに当て嵌まる。もと和蘭陀語のマンプウから出たのだそうで、さように発音する人もあるが、京阪地方では一般に訛って、お春が云ったように云う。阪神国道の西宮市札場筋附近の北側には、省線電車と鉄道の堤防が東西に走っており、その堤防に、ガードというよりは小さい穴のような、人が辛うじて立って歩けるくらいな隧道が一本穿ってあって、それがちょうどそのバスの停留湯の所へ出るようになっている)〈648p〉
▼今でも、京阪地方の人は「マンボウ」という言葉を使うのだろうか。不思議な言葉だ。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.2
今日は、「下巻」十三(691p)まで。

幸子は、季節料理の放送を聴いていたのがいつの間にか謡曲に変ったので、
「こいさん、ラジオ止めてえな」
と云ったが、
「ちょっと、これ見てごらん。」
と、妙子は姉の足もとにいる鈴の方を願で示した。鈴もさっきから暖炉の前にやって来て蹲踞(うずく)まりながら、いい心持そうに眼をつぶってうとうとしていたのであるが、妙子に云われて気が付いて見ると、謡曲の鼓の音がぽんと鳴るたびに、鈴の耳がピンと動く。耳だけがその音響に反射的に動くので、猫自身は何も意識していないかのうに見える。………
「何でやろ、この耳、………」
「けったいなわ、………」
二人はしばらく鼓の音と猫の耳の運動とを物珍しそうに眺めていた。そして、謡曲が終ってから妙子はラジオを切りに立ったが、
「注射どうなん? 少しは利き目あるらしいのん?」
と、席に復(かえ)ると話を戻した。〈680p〉

▼鼓の音に反応する猫の耳の印象が鮮やかだけど、それにしても、この当時のラジオは、謡曲などを日常的に流していたのにびっくりする。『細雪』の世界は、ごく一部の上流階級の話には違いないが、文化的なところでは、世間から孤絶していたわけではないことがわかる。
▼注射の件は、相変わらず雪子の目の縁のシミの件である。ちょっとしたことなのに、どこまでも雪子の縁談に影を残すシミである。不思議といえば不思議である。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.3
今日は、「下巻」十五(711p)まで。

▼雪子の縁談は、今度はまとまりそうな気配だが、どうなるのだろうか。昔読んだことがあるのに、こんな簡単な筋さえ覚えていない。かえってその方がおもしろい。雪子の縁談がどうなるかだけが、この物語の「筋」なのだから。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.4
今日は、「下巻」十六(718p)まで。

もうその時分、街でクキシーを拾うのはむずかしくなって来ていたので、橋寺は電話でどこかのガレージからパッカードを呼んだ。そして中之島の朝日ビルの角まで来ると、いかがです、阪急までお送りしてもよろしいですが、お差支えなかったらちょっとお降りになりませんか、と云うのであった。〈717p〉
▼雪子の見合い相手の橋寺を訪ねていった貞之助は、橋寺の家にあがった。その帰りのこと。パッカードというのは、当時のアメリカの高級車ブランド。今はもうなくなってしまったメーカーとのこと。古いアメリカ映画によく出てくる車だ。それは調べて分かったことだが、「どこかのガレージ」から呼ぶ、というのはどういうことだろうか。ハイヤーのようなものだろうか。こういうことって、時代が変わると分かんなくなるよね。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.5
今日は、「下巻」十八(743p)まで。

▼せっかくいいとこまでいった雪子の見合いだったが、相手の橋寺からの電話での誘いにうまく答えられなかった雪子に、橋寺は腹をたててしまって、破談になってしまった。幸子が雪子のあまりの人見知りに腹を立てるのももっともだ。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.6
今日は、「下巻」二十(764p)まで。

しかしそんなことよりも、ほかに幸子の注意を惹いたものがあった。というのは、長い間風呂に入らないので、全身が垢じみて汚れているのは当然だとして、それとは別に、病人の体には或る種の不潔な感じがあった。まあ云ってみれば、日頃の不品行な行為の結果が、平素は巧みな化粧法で隠されているのだけれども、こういう時に肉体の衰えに乗じて、一種の暗い、淫猥とも云えば云えるような陰翳になって顔や襟頸や手頸などを隈取っているのであった。幸子はそれをそうはっきりと感じたのではないが、でもぐったりと寝床の上に腕を投げ出している病人は、病苦のための窶ればかりではなしに、数年来の無軌道な生活に疲れ切ったという恰好で、行路病者のごとく倒れているのであった。いったい妙子ぐらいの年齢の女が長の息いで寝付いたりすると、十三四歳の少女のように可憐に小さく縮まって、時には清浄な、神々しいような姿にさえなるのだけれども、妙子は反対に、いつもの若々しさを失って実際の歳を剣き出しに、───というよりも、実際以上に老けてしまっていた。それに、奇異なことは、あの近代娘らしいところが全然なくなって、茶屋か料理屋の、───しかもあまり上等でない曖昧茶屋か何かの仲居、といったようなところが出ていた。かねがねこの妹だけは、姉妹たちの中で一人飛び離れて品の悪いところがあったには違いないが、そういってもさすがどこかにお嬢さんらしさがあることは争えなかったのに、その、どんよりと底濁りのした、たるんだ顔の皮膚は、花柳病か何かの病毒が潜んでいるような色をしていて、何となく堕落した階級の女の肌を連想させた。〈755p〉
▼妙子は、やはり赤痢だった。医者がいい加減だったので、かなりの重症。やつれた妙子の姿を見て幸子の感想が述べられる。相手は実の妹なのに、いくらなんでも残酷な印象を受けるが、この辺に谷崎の真骨頂があるのかもしれない。この後に、雪子は、妙子の付き合っている奥畑(啓ぼん)が性病にかかっているという噂を聞いて以来、妙子の後の風呂には絶対に入らなかったということまで書いている。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.7
今日は、「下巻」二十二(783p)まで。

▼妙子の赤痢は、最初の医者が言っていたほど重篤ではなく、快方へ向かった。妙子が赤痢にかかって死ぬということはないと知っていたのに、やはりどうなるのかとハラハラさせる筆致は見事だ。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.8
今日は、「下巻」二十三(795p)まで。

▼妙子と啓ぼんの交際の実態が、「お春どん」の口から詳細に語られる。今までぼんやりとしか分かっていなかった交際の仕方が、次々に明らかになるのを幸子は耳をふさぎたくなる思いで聞くのだった。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.9
今日は、「下巻」二十四(804p)まで。

雪子はその日ちょっと病院へ戻って行き、「レベッカ」を持ってすぐ帰って来て、それから二三日はその本を読んだり、神戸へ映画を見に行ったりして、もっぱら骨休めをした。そして、次の土曜日には貞之助の発議に従って、夫婦、悦子、雪子の四人で一と晩泊りで京都へ行き、ともかくも吉例の花見をしたことであったが、今年は時局への遠慮で花見酒に浮かれる客の少いのが、花を見るにはかえって好都合で、平安神宮の紅枝垂(べにしだれ)の美しさがこんなにしみじみと眺められたことはなく、人々が皆物静かに、衣裳なども努めて着飾らぬようにして、足音を忍ばせながら花下を徘徊する光景は、それこそほんとうに風雅な観桜の気分であった。〈804p〉
▼「レベッカ」は、小説も映画も未見である。昔から名前だけは知っているのに。
▼こういう風情の花見は、近ごろでは絶滅しているなあ。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.10
今日は、「下巻」二十五(816p)まで。

その翌日と翌々日の二日間、夫婦は河口湖畔のフジ・ヴィウ・ホテルに泊ったのであったが、このたびの旧婚旅行は奈良での失敗を償うて餘りあるものであった。二人は暑い東京から逃れて来て、爽やかな山麓の秋の空気を深々と吸い、ときどき湖のほとりの路を逍遙したり、二階の部屋のベッドの上に身を横たえつつ富士の姿を窓越しに眺めたりするだけで、すでに十分満足であった。幸子のように上方に生れて関東の地を踏むことの稀な者が富士山に寄せる好奇心は、外国人がフジヤマを憧憬するのにも似て、東京人の想像も及ばないものがあるので、彼女が特にこホテルを選んだのも、フジ・ヴィウという名に惹かされたわけであったが、いかさま、ここへ来てみると、富士はこのホテルの正面玄関と相対して、眉を壓(あっ)するばかりの距離に迫っていた。幸子は今度のように富士山の傍近くへ来、朝に夕に、時々刻々に変化するその相貌に心ゆくまで親しむことができたのは始めてであった。ホテルは建物が白木の御殿造りである点が奈良ホテルに似ているけれども、ほかの点では何一つ奈良に似ているところはなかった。奈良の建物は白木といっても年代が古く、うす汚れしていて、暗く陰鬱な感じがしたが、ここほ壁や柱の隅々までが真新しく、清々(すがすが)しかった。それは普請してからそう年数がたっていないせいもあろうが、一つにはこの山間の空気の類なく清澄なせいなのである。幸子は着いた翌日の午後、昼の食事のあとで、しばらくベッドヘ仰向けに臥てじっと天井を視詰めていたが、そうしていても、一方の窓からはいじよう富士の頂が、他の一方の窓からは湖水を囲繞(いじょう)する山々の起伏が、彼女の視野にはいって来た。彼女は何ということもなく、まだ行ったこともない瑞西(すいす)あたりの湖畔の景色を空想したり、バイロン卿の「シロンの囚人」の詩を思い浮べたりした。そして、どこか日本の国でない遠い所へ来たような気がしたが、それは眼に訴える山の形や水の色が変っているからというよりは、むしろ触覚に訴える空気の肌ざわりのせいであった。彼女は清冽な湖水の底にでもいるように感じ、炭酸水を喫するような心持であたりの空気を胸いっぱい吸った。空には雲のきれぎれが絶えず流れているらしく、折々日が翳(かげ)ってはぱっと照ることがあったが、そういう時の室内の白壁の明るさは、何か頭の中までが冴え冴えと透き徹るように思えた。〈812p〉
▼このホテルの前に止まった「奈良ホテル」で幸子は南京虫に噛まれ、そのかゆさで旅行が台無しになったことが書かれている。その埋め合わせにと、この富士山の見えるホテルを訪れたのだった。
▼相変わらずこうした描写はさえている。空気の清冽さが肌に感じられる。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.11
今日は、「下巻」二十六(827p)まで。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.12
今日は、「下巻」二十七(839p)まで。

▼妙子のことでゴチャゴチャしていたが、ここへ来て、井谷(何かと縁談を持ってきてくれる人。昔はこういう人が活躍していたんだよなあ。)が、雪子の新しい縁談を持ち込んで来た。いよいよ、終幕へ、ということになりそうだ。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.13
今日は、「下巻」二十九(854p)まで。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.14
今日は、「下巻」三十(864p)まで。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.15
今日は、「下巻」三十一(875p)まで。

部屋まで送って来てくれた井谷が一とくさりおしゃべりをして、「お休みなさい」を云って出て行ってから、幸子が先に入浴し、入れ代って雪子が入浴している時であった。バスルームから出て来た幸子は、妙子が観劇の衣裳のままで羽織も脱がずに、絨毯の上に新聞紙を敷いて横倒しにすわったなり安楽椅子に靠(もた)れかかっているのを見、皆の附合いで帰り路を歩かせられたのがこたえたのであろうと察しはしたが、それにしても、そのくたびれ切ったような姿勢が尋常でない気がしたので、
「こいさん、まだ体が本当でないのんやろけど、どこぞほかにも悪いとこあるのんと違うやろか。帰ったら一遍櫛田さんに診て貰うことやな」
と云うと、
「ふん」
と、云ったきり、やはり大儀そうにしながら、
「診て貰わんかて分ってるねん」
と云うのであった。
「そんなら、どこぞ悪いとこあるのん」
幸子がそう云うと、妙子は安楽椅子の腕の上に横顔を載せ、どろんとした眼を幸子に注いで、
「うち、多分三四箇月らしいねん」
と、いつもの落ち着いた口調で云った。
「え?………」
とたんに息を詰めて、穴の開くほど妙子の顔を視据えていた幸子は、ややしばらく間を置いて、ようよう次の言葉を云うことができた。
「………啓坊(けいぼん)の子かいな?………」
「三好という人のこと、中姉ちゃん婆やさんから聞いてるやろ」
「バアテンダアしてる人かいな」
妙子は黙って点頭してみせてから、
「お医者さんに診て貰うたことはないけど、きっとそうやろ思うねん」
「こいさん、生む気やのん」
「生んで欲しい云うねん。………そないせえへなんだら、啓ちゃんが諦めてくれへんねんわ」
不意に大きな驚きに襲われた時のいつもの癖で、幸子は見る見る手足の先から血が退いて行き、体が激しくふるえて来るのが意識せられた。何よりも彼女は、動悸がこれ以上強まらないようにすることが急務だと感じて、それきり妙子とはものを云わず、天井の明りを消すためによろめきながら壁際へ行ってスイッチを切ってから、枕もとのスクンドをつけてベッドにもぐり込んでしまった。雪子が風呂から出て来た時は、彼女は眼を閉じて寝たふりをしていたが、それから妙子は悠々と身を起して、バスルームヘ行ったらしかった。〈873p〉

▼ようやく雪子の縁談もうまく運びそうになったのに、またまた妙子がとんでもないことを言い出した。物語の最終盤にきて、この事態には驚かされる。妙子の闇は深く、この小説の奥も深い。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.16
今日は、「下巻」三十二(883p)まで。

▼幸子の妙子に対する複雑な気持ちがえんえんと書かれる。この辺の文章の呼吸は、源氏物語そのもの。
▼『細雪』は、そのほとんどが幸子の視点で描かれている。鶴子も、雪子も、妙子も、その内面が直接描かれることはない。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.17
今日は、「下巻」三十四(904p)まで。

▼妙子の妊娠は、雪子の結婚にとって大きな障害となると判断した幸子と貞之助は、妙子を有馬温泉にいわば「幽閉」して、密かにそこで子どもを産ませようとする。今では到底考えられないことだが、そこまでしないと雪子の結婚を成就することができないのだ。周囲のそうした配慮や苦労をよそに、雪子は縁談に対してそれほど喜ばず、「これまでに運んでくれた人の親切を感謝するような言葉などは、間違っても洩らすものではなかった。」とある。いったい雪子っていう人はどうなっているのだろうか。もうすぐ小説は終わろうとしているのに、謎は深まるばかりだ。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.18
今日は、「下巻」三十六(920p)まで。

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2017.2.19
今日は、「下巻」三十七(929p)まで。

▼全巻読了。
▼妙子の出産は結局子どもの死ということになり、雪子は自分の婚礼の衣裳をみながら、「これが婚礼の衣裳でなかったら、と、呟きたくなる」、そして体調がすぐれぬ雪子は、「下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。」というのが、この物語の「末尾」である。なんでこういうラストにしたのか、理解に苦しむところだが、とにかく『細雪』の再読はこれにて終了。
▼巻末の解説を田辺聖子が書いているが、それによると、『細雪』は、「おんな文化」を描いたのだという。雪子に関しては、こんなふうに解説している。

とりわけ谷崎さんは「雪子」なる女性を、上方文化、おんな文化の象徴のように活写していて、上方者がこの「雪子」のくだりを読むときは微笑を禁じ得ないところがある。大阪の女にはこの雪子型がじつに多くて、まさしくこれは大阪女の一典型なのだ。
 「はにかみやで、人前では満足に口が利けない」<せに「見かけによらない所があって、必ずしも忍従一方」ではなく「黙ってて何でも自分の思うこと徹さな措かん人」であり、「見かけによらず出好き」で「内気なようで花やかなことの好き」な女、そして電話ぎらいで縁談相手の男とろくにものもいえず、そのくせ、人の骨折りに対しても、すまなかった、とか、感謝やねぎらいの言葉もいわぬ気位高さ。
 あえかに美しくて、なよなよとして口かず少いが、その湯で主張しないであとで文句をいう。誇りたかく、まわりくどい発想をし、自分の嗜好にきぴしく、ぜいた<好き。
 時間の観念なく、上方中華思想がぬきがたくあって、異文化圏には反撥するが、(身分ちがいということなどに敏感であり、また、東京という土地を見下したりする)そのくせ、明晰な判断力や批評精神があって、〈東京のほうが人はいい〉などというのも雪子である。
 こういう手に負えぬ女のおもしろさをもつ雪子に(小説の中では一見、奔放で大胆な軌跡をみせる妙子のほうが、手に負えぬ女のようにみえるが)谷崎さんはいたく興をそそられ、渾身の力と愛着をこめて描いている。雪子をもう少し俗世風に平衡感覚を与えたのが姉の幸子であるが、幸子という定規があって、はじめて雪子が上方文化、おんな文化の真髄みたいなもの、象徴のようなもの、とわかってくる仕掛けにもなっている。
 雪子に象徴される「おんな文化」は、従来、男たちの文化の中では、黙殺されたり貶しめられたり、看過されたりしてきたものである。また、女流だから「おんな文化」を発揚するとは限らない。むしろ女流文学者は「男文化」の場で男性文学者と肩をならべる、という姿勢をとりやすい。だから、とるに足らぬ蒙昧なもの、と黙殺されてきた「おんな文化」は近代になってはじめて、谷崎さんというすぐれた通訳を得て、まことに雄弁に言い弘められたということもできる。〈932p〉

▼見事な解説である。なんかすっきりと分かったような気がする。

 



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