谷崎潤一郎『細雪』を読む

 

上巻

 

 


 

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.14
今日は、「上巻」二(17p)まで。

▼今日から『細雪』を読む。今回は「精読」「味読」したいので、1日にあまりたくさん読まないようにしたい。

「こいさん、頼むわ。──」
 鏡の中で、廊下からうしろへはいって来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、そちらは見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。〈7p〉

▼『細雪』の冒頭。『吾輩は猫である』や『雪国』や『夜明け前』などの冒頭部はあまりにも有名だが、この『細雪』の冒頭を覚えている人は少ないだろう。ぼくも再読なのだが、まったく記憶になかった。それにしても、この会話を二つ入れての一文のなんという見事さ。まるで映画のようだ。4人姉妹のうち3人の名前がここに全部出てくる。幸子は、鏡の前に坐って、鏡の中に映る自分の顔を「他人の顔のように」見ている。妙子は、その鏡の中に「はいって来る」。雪子は「下」にいるらしい。神業だ。市川崑の『細雪』が大好きなのだが、冒頭はどうなっているのか確かめたくなった。
▼教養に乏しいぼくは「抜き衣紋」の意味を今調べて初めて知った。そうか、襟を見せるように着る着方なんだ。映画で何回も見ているのに、それが「抜き衣紋」たあ知らなかった。
▼それにしても、幸子はなぜ「他人の顔のように」自分の顔を「見据える」のだろうか。こうした意味のよくわからないところが、あとで「きいてくる」ということもある。

姉の襟頸(えりくび)から両肩へかけて、妙子は鮮かな刷毛目をつけてお白粉を引いていた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆(うずたか)く盛り上っている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面ヘ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える。〈8p〉
▼健康的な色気。この幸子の肌の描写は、映画でも、絵画でも、表現できない。「秋晴れの明かりがさしている色つや」なんて、幻想的ですらある。それにしても、「三十を過ぎた人のようでもなく」とは。「25歳はお肌の曲がり角」だっけ? そんなコピーも思い出される。きびしいなあ。

〈「そやった、あたし『B足らん』やねん。こいさん下へ行って、注射器消毒するように云うといてんか」〉
▼脚気は阪神地方の風土病であるともいうから、そんなせいかも知れないけれども、ここの家では主人夫婦を始め、ことし小学校の一年生である悦子までが、毎年夏から秋へかけて脚気に罹り罹りするので、ヴィタミンBの注射をするのが癖になってしまって、近頃では医者へ行くまでもなく、強カペクキシンの注射薬を備えておいて、家族が互いに、何でもないようなことにもすぐ注射し合った。そして、少し体の調子が悪いと、ヴィタミンB?乏のせいにしたが、誰が云い出したのかそのことを『B足らん』と名づけていた。〉11p
▼「脚気」が阪神地方の風土病だなんて聞いたことなかった。ほんとうだろうか。家族の中でビタミン剤を「注射しあう」というのも今ではあまりない光景。この没落しかかった「蒔岡家」に、「脚気」は、微妙な陰影を落としている。「B足らん」という言い方も関西らしくておもしろい。これに似た言い方は関東にはないような気がする。
▼それはそうと、ぼくも、ビタミンB欠乏気味で、昔から「眠い」とか「口内炎」とかに悩まされてきた。だkら、注射はしないけど、「チョコラBB」は必需品である。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.15
今日は、「上巻」四(33p)まで。

しかし当人はどう思っているにしても、姉妹の順で行かなければならないことだし、妙子の方はもうきまっているようなものだとすると、なおさら雪子の縁談を急ぐ必要があった。が、ざっと以上のような事情が彼女の婚期を後らせた原因になったほかに、もう一つ雪子を不仕合せにしたのは、彼女が未年の生れであることであった。一般に丙午をこそ嫌うけれども未年の生れを嫌う迷信は、関東あたりにはないことなので、東京の人たちは奇異に感じるであろうが、関西では、未年の女は運が悪い、縁遠いなどと云い、ことに町人の女房には忌んだ方がよいとされているらしく、「未年の女は門(かど)に立つな」という諺まであって、町人の多い大阪では昔から嫌う風があるので、ほんに雪子ちゃんの縁遠いのもそのせいかも知れないなどと、本家の姉は云い云いした。〈27p〉
▼「婚期を逸した」と言われる雪子は、30歳。まあ、今の感覚とはほど遠い。「未年」の生まれが関西ではそんなに嫌われていたとはこれまた意外なこと。さすがに、今では、こんな迷信は払拭されていると思うけど、いったいこうした迷信はどこから出てくるのだろうか。

「なあ、こいさん、──」
と、幸子は、引っかけてみた衣裳が気に入らないで、長襦袢の上をばっと脱ぎすてて別な畳紙(たとう)を解きかけていたが、ひとしきり止んでいたピアノの音が再び階下から聞えて来たのに心付くと、また思い出したように云った。
「実はそのことで、難儀してるねん」
「そのことて、何のこと」
「今、出かける前に、井谷さんに何とか電話で云うとかんならん」
「何で」〈31p〉

▼雪子が婚期を逸した理由をのべ、世話焼きの「井谷さん」が雪子の縁談をもってきてせっかちに見合いを勧めてくる経緯を述べたあと、ふと、また「鏡の前」に場面が戻る。このあたりの「地の文」の息の長い文章と、関西弁の短い会話のバランスが絶妙だ。そして、その文章の流れには、『源氏物語』の影響が色濃く感じられる。
▼それにしても、ここから2ページほど続く会話の何という心地よさ。うっとりする


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.16
今日は、「上巻」六(45p)まで。

「中姉(なかあん)ちゃん、その帯締めて行くのん」
と、姉のうしろで妙子が帯を結んでやっているのを見ると、雪子は云った。
「その帯、───あれ、いつやったか、この前ピアノの会の時にも締めて行ったやろ」
「ふん、締めて行った」
「あの時隣に腰掛けてたら、中姉ちゃんが息するとその袋帯がお腹のところでキュウ、キュウ、云うて鳴るねんが」
「そやったかしらん」
「それが、微(かす)かな音やねんけど、キュウ、キュウ、云うて、息するたびに耳について難儀したことがあるねんわ、そんで、その帯、音楽会にはあかん思うたわ」
「そんなら、どれにしょう。───」
そう云うとまた箪笥の開きをあけて、幾つかの畳紙を引き出してはそこら辺へいっばいに並べて解き始めたが、
「これにしなさい」
と、妙子が観世水の模様のを選び出した。〈33p〉

▼雪子の締めていく帯を選ぶ場面に、いろいろな帯の柄が出てくる。こういうのを、ぼくはまったく知らない。調べてみると、なるほど、こういうのかと面白い。「観世水」がダメなので、こんどは「露芝」にする。それでも、「キュウ、キュウ」音がするので、「帯袋」がいけないんじゃないかと雪子がいうが、妙子は、新しい帯だから鳴るのだと言って、「古うなって、地がくたびれている」帯を選んで問題解決。それまでの間に「注射」をする場面がある。

雪子は毎度のことなので、馴れた手つきでベクキシンのアンプールを鑢(やすり)で切って、液を注射器に吸い上げると、まだ鏡の前に立ってお太鼓に背負(しょ)い上げを入れさせている幸子の左の腕をとらえて、肩の辺までまくり上げた。そしてアルコールを染(し)ました脱脂綿で二の腕をゴシゴシ擦(こす)ってから、器用に注射の針を入れた。
「あ、痛い」
「今日はちょっと痛いかも知れん、時間ないよってにそないゆっくりしてられへん」
 一瞬間、ヴィタミンBの強い匂いが部屋じゅうに満ちた。雪子が絆創膏を貼った上からぴたぴた*叩いて肉を揉んでやっていると、
「こっちも済んだで」
と、妙子が云った。〈37p〉【*二度目の「ぴた」は繰り返し記号】

▼なんということもない描写だが、幸子の「二の腕」、「ヴィタミンBの強い匂い」、「ぴたぴた」叩かれ揉まれる「肉」などが、妙に官能的だ。幸子の白い二の腕に、銀色に光る注射針がすっと入っていく映像が眼にうかぶ。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.17
今日は、「上巻」八(57p)まで。

そして似ているという点から云えば、幸子と妙子とは父親似なので、大体同じ型の、ばっと明るい容貌の持ち主で、雪子だけが一人違っていたが、そういう雪子も、見たところ淋しい顔立ちでいながら、不思議に着物などは花やかな友禅縮緬の、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物などはまるきり似合わないたちであった。〈50p〉
▼「東京風の渋い縞物」というのは、何となくイメージできるが、ここにも「関西風」と「東京風」とが対比されている。着物の好みも、西と東では違うらしい。こういう感覚は、今更身に付けようがないのが残念。

悦子が綴方に書いたのはこの兎のことなのであった。雪子は毎朝、悦子を起して朝飯の世話をしてやり、鞄の中を調べた上で学校へ送り出してやってから、もう一度寝床へはいって温(ぬく)まるのであるが、その日は晩秋の寒さが泌みる朝だったので、寝間着の上に羽二重のナイトガウンを羽織り、鞐(こはぜ)も掛けずに足袋を穿いたまま玄関まで送って出ると、悦子がしきりに兎の一方の耳を持って立てようとしていた。そして、いくら立ててもそちらの耳が立たないので、「姉ちゃん、やってみてえな」と云った。雪子は悦子を遅刻させないために、早く手伝って立ててやろうと思ったけれども、そのぷよぷよした物に手を触れるのが何となく無気味だったので、足袋を穿いている足を上げて拇(おやゆび【原文では、足へんに母の字】)の股に耳の先を挟んで摘み上げた。が、足を放すと、すぐまた。パタリと兎の横顔の上へその耳が垂れて来るのであった。〈56p〉
▼悦子は、雪子の姉の幸子の子。雪子は悦子の世話をするのが楽しくてならない。ある時、犬と猫の他に、兎を飼いはじめた。その兎の耳の片方がある朝、立たないのを悦子が何とかして立てようとするのだが、うまく行かない。それで、雪子がこんなことをしたのだが、それを悦子が学校の作文にそのまま書いてしまったという、ささいな「事件」を巡る記述。「鞐も掛けない足袋」の「おやゆびの股」に「兎の耳を挟む」というイメージは、めったにおめにかからない。足袋をはいた足で兎の耳を挟んだなんて作文に書かれたのをみつけたのだから、雪子としては、恥ずかしいからその文章を直して悦子に渡したのだが、その恥ずかしさは、「お行儀の悪さ」というより、どこかフェティッシュな、どこか艶めかしい感じを伴っているからだったのではなかろうか。それにしても、兎って、こんなふに片方の耳が立たなくなるなんてことがあるんだなあ。不思議。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.18
今日は、「上巻」十(75p)まで。

離れの書斎に逃げ込んでいた貞之助は、四時が過ぎてもまだ女たちの支度が済まないらしいので、そろそろ時間を気にしていたが、ふと、前栽(せんざい)の八つ手の葉の乾いた上にパサリと物の落ちる音がしたので、机に凭(よ)ったなり手を伸ばして眼の前の障子を開けて見ると、ついさっきまで晴れていた空がしぐれて来て、かすかな雨の脚が軒先にすいすいと疎(まば)らな線を引き始めていた。
「おい、雨やで」
と、貞之助は母家へ駈け込んで、階段の途中から怒鳴りながら化粧部屋へはいった。
「ほんに、降って来たわ。───」
と、幸子も窓の外を覗きながら、
「時雨やよってに、じき止むわ、きっと。───青いとこが見えてまっしゃないか」
 が、そう云ううちに見る見る窓の外の瓦屋根が一面に濡れて、ざあッという本降りらしい音に変って来た。〈67p〉

▼貞之助は幸子の亭主。雪子の見合いの当日、着物選びに時間をくっているうちに雨が降ってきた。美しい描写だ。
▼「時雨(しぐれ)」は、実は、関東にはない。この言葉を、JapanKnowlegeでは、詳しく説明しているので、引用しておく。
▼以下引用【秋の終わりから冬の初めにかけて、すなわち11月初旬の立冬の前後は雨が少ないように思われがちだが、日本海側や京都盆地、岐阜、長野、福島などの山間部では突然、空がかげったかと思うとハラハラと降りだし、短時間でサッとあがり、また降り出すといった雨にみまわれることがよくある。これが時雨である。この時期は大陸性高気圧が勢力を増し、北西の季節風が吹き始める。これが「木枯し」となるわけだが、この風が中央脊梁山脈にあたって吹き上げ、冷やされた空気が雲をつくり降雨する。これの残りの湿った空気が風で山越えしてくるときに降る急雨が時雨なのである。したがって江戸の昔から、一時的に軽い雨脚で降り過ぎていく雨を時雨といったりしてきたが(「深川は月も時雨るる夜風かな」杉風)、本来の意味では関東平野に時雨はない。しかし京都盆地を中心としたごく狭い地域でのローカルな気象現象にもかかわらず、和歌、俳句にとどまらず広い範囲の日本の文芸に時雨は初冬の象徴的な景物として広く取り上げられてきた。】引用終わり。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.19
今日は、「上巻」十二(93p)まで。

雪子自身も、内々瀬越の飲みっ振りを見て意を強くもし、自分ももっと朗らかになりたいという気もあって、目立たぬように折々口をつけていたが、雨に濡れた足袋の端がいまだにしっとりと湿っているのが気持が悪く、酔が頭の方へばかり上って、うまい工合に陶然となって来ないのであった。〈76p〉
▼雪子の見合い相手が瀬越。瀬越がかなり行けるほうだということに、雪子も幸子もほっとして、雪子も勧められるままに、白葡萄酒を飲むのだが、なんだか、足袋の端が濡れているのが気になって、うまく酔えない、というのだ。こういうちょっとしたことが気になって、「のれない」という感じは、いろいろな場面であるような気がする。
▼この見合いの後で、雪子の目蓋にときどき現れる小さな「シミ」のことが問題になるのだが、この「足袋の端が濡れている」ことの延長にあるような気もする。
▼見合い中の、立ち会いの井谷たちの会話に、電車の中で女性が「コンパクト」をあけて、ぱたぱたやると、クシャミが出るけど、あれは、コンパクトの白粉のせいだろうかという話題が出てくる。してみると、戦前から、女性が電車の中で化粧することはあったのだ。意外。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.20
今日は、「上巻」十四(107p)まで。

遠くで悦子の「ルミーさん、いらっしゃい」と云う声が聞えて、二人の少女が芝生の上をこちらへ駈けて来るのを見ながら、幸子は調子を落して云った。
「ま、委しいことは後で云うけど、それだけ耳に入れとくわな」
「お帰り、姉ちゃん」
と、悦子がテラスを駈け上って、洋間の入口の硝子戸の外に立ち止ると、後から来たローゼマリーもその横に肩を揃えて立った。クリーム色の毛織のソックスを穿いた可愛らしい脚が四本列んだ。
「悦ちゃん、今日は中でお遊び、風が寒いよってに。」
と、雪子は立って行って、硝子戸を中から開けてやって、
「さあ、ルミーさんもはいって頂戴」
と、いつもと変りのない声で云った。

▼雪子の見合いは、今度は順調に話が進むと思われたが、最終的には瀬越の姉の病気が発覚してまとまらなかった。その結果を幸子が雪子に伝えると、雪子は「ふん」とだけ言って特別の反応を示さなかった。その直後の光景。
▼二人の少女の描き方がおもしろい。二人の顔の表情を描かずに「クリーム色の毛織のソックスを穿いた可愛らしい脚が四本列んだ。」とする。これは雪子の視点なのかもしれない。見合いがダメになって寂しい思いでいる雪子の視線は、おのずと下を向く。けれども、雪子の声は「いつもと変わりのない声」なのだ、ということだろうか。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む  2016.12.21
今日は、「上巻」十六(125p)まで。

この「やしょめ、やしょめ」という文句や、トントンチリリン、トンチリリンの三味線の手に合せて唄う「とんとんちりめん、とんちりめん」という文句などが面白くて、子供の時分に幸子たちはこれを口癖のように唄ったので、この地唄だけはいまだに忘れないのであるが、今もそうして唄っていると、二十年前の船場の家の記憶が鮮かに甦って来、なつかしい父母の面影が髣髴として来るのであった。妙子はその時分も舞を習わせられていて、正月にはよく母や姉の三味線で、この「万歳」を舞ったものなので、「正月三日、寅の一天(いてん)に、ツンテン、まします若夷(わかえびす)………」と、可愛い右の人差指をまっすぐに立てて天を指さした頑是ない姿なども、つい昨日のことのようにはっきりと眼に残っているのに、自分の前で今舞扇をかざしているこの妹がその人なのか、(───そして、この妹も上の妹も、まだ二人ながら「娘(とう)ちゃん」でいる有様を、両親たちは草葉の蔭からどのように眺めておいでか)と思うと、幸子は妙にたまらなくなって涙がいっぱい浮かんで来たが、
「こいさん、お正月はいつ帰って来る」
と、強いてその涙を隠そうともしないで云った。〈116p〉

▼いわゆる邦楽にはめっぽう弱くて、「地唄」だの「端唄」だの「小唄」だのの区別がさっぱりつかず、一時はそういうものの入ったCDを買って、なんとか理解したいと思ったけれど、そのときも、よく分からないままで終わった。CDなんかで聞いたって分かりゃしない。こういう日常の中で、自然と身についたものでなくちゃ、ダメだよな。そういう意味で、この方面はほとんど諦めている。
▼妙子の幼い頃の姿を姉の幸子が思い出してホロリとするところ、いいいなあ。それにしても、この当時、女性にとって「嫁に行く」ことがどれだけ世間的なプレッシャーとなっていたかが感じられて、せつない。


谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.22
今日は、「上巻」十八(148p)まで。

〈そんなことから、最初は真面目でよばれに行く気はなかったのだけれども、妙子の話でだんだん好奇心が募って来たのと、先方から再三招待があって断りにくくなったのとで、とうとうキリレンコの家へ出かけて行ったのは、春とは云ってもお水取りの最中の冴え返った日のことであった。」125p
▼妙子と最近仲良くなったロシア人、キリレンコの家に招かれて、幸子夫妻と妙子が出かけた。「春とは云ってもお水取りの最中の冴え返った日」という表現は、関東を舞台にしたら絶対に出てこないところ。こういう風土や文化に根ざした季節感というものは、外国語に訳すとき、どうするのだろうか。日本語で読んでさえ、関東に育ったものには、正直いってピンとこないわけだからなあ。

手にある写真を持てあつかって、違い棚の上に置くと、廊下の欄干のところへ出て行ってぼんやり庭を見おろしている雪子の、後姿に向って幸子はつづけた。
「今のとこ、雪子ちゃんは何も考えんかてええねん。気イ進まんかったら、こんな話聞かなんだことにしときなさい。せっかく云うて来てくれはったよってに調べてみよう思うてるけど。───」
「中姉(なかあん)ちゃん、───」
 雪子は何と思ったか、しずかにこちらを向き直りながら、努めて口もとに微笑を浮かべるようにして云った。
「───緑談の話やったら、云うてほしいねんわ。あたしかて、そんな話がまるきりないのんより、何かかか云うてもろてる方が、張合いがあるような気イするよってに。───」
「そうか」
「ただ見合いだけは、よう調べてからにしてほしいねん。ほかのことはそんなにむずかしゅう考えてくれんかてええねんわ」
「そうかいな。そない云うてくれると、あたしかてほんまに骨折りがいがあるねん」
 幸子は身支度をしてしまうと、そんならちょっと、晩の御飯までに帰って来るよってに、と云いおいてひとりで出かけたが、雪子は姉が脱ぎ捨てて行った不断着を衣紋竹(えもんだけ)にかけ、帯や帯締めを一と纏めにして片寄せてから、なおしばらくは手すりに靠(もた)れて庭を見ていた。

▼「手にある写真」とは、瀬越との見合いが破談になったあと、世話焼きの井谷がもってきた見合い写真のこと。相手の男は再婚で、しかもジジクサく、明らかに瀬越より劣る、と幸子は感じ、そんなところがあなたのところにはお似合いなのよという井谷の意地悪い意図さえ幸子は感じ、その写真を雪子に見せるのをためらっていたが、その写真を手紙で受け取ったところを雪子に感づかれているんじゃないか、それなら隠すのはなお雪子を傷つけることになるんじゃないかと細かく気遣いした幸子が、またお見合いの写真が来ていると雪子にそれとなく白状する。その直後の場面がここ。
▼「持てあつかう」とは、「もてあます・扱いに困る」の意。あまり目にしたことのない言葉だ。
▼幸子の心のうちは、かなり細かく書かれているが、雪子の心のうちは説明されない。三人称の小説だが、このあたりは幸子の視点で書かれているようだ。そのために、読者は、雪子の内面がよくわからず、その行動から推測するしかない。それが、また、この小説を読んでいく楽しみにもなっているようだ。この「視点」は、今後どのように推移していくのか、注目したいところ。
▼幸子が、普段着を「脱ぎ捨てて行く」ところに、幸子の性格が顔を出していて興味深い。雪子に細かい気遣いをみせるのに、こういうところは当たり前のように妹に始末をさせている。
▼それにしても、雪子の内面というのは、はかりしれない。そのぼんやりモヤがかかったような心のありようが、物語の「核」となっていくのだろうか。昔読んだのに、それすらはっきり覚えていない。市川崑の映画では、雪子役は、吉永小百合だったわけだが、今、もしまた作るとしたら、いったいこの役を演じられるのは誰だろう? そう考えるだけでも楽しい。というより、まったく思いつかない。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.23
今日は、「上巻」十九(157p)まで。

幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行った時に、箱根の旅館で食い物の好き嫌いの話が出、君は魚では何が一番好きかと聞かれたので、「鯛やわ」と答えて貞之助におかしがられたことがあった。貞之助が笑ったのは、鯛とはあまり月並過ぎるからであったが、しかし彼女の説によると、形から云っても、味から云っても、鯛こそは最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであった。彼女のそういう心の中には、自分の生れた上方こそは、日本で鯛の最も美味な地方、従って、日本の中で最も日本的な地方であるという誇りが潜んでいるのであったが、同様に彼女は、花では何が一番好きかと問われれば、躊躇なく桜と答えるのであった。〈148p〉
▼昔読んで、ここだけはよく覚えている。それいらい「鯛」への見方がかわった。しかし、今回読んで、「上方」が、「日本で鯛の最も美味な地方」というところを覚えていなかったことが判明した。ぼくが幼いころは、鯛はお正月に焼いたものをあんまりおいしくないと思いながら食べたものだし、マグロの刺身もうまくなかったし、カツオの煮付けなんて堅くて大嫌いだった。ようするに、横浜の下町のどん詰まりでは、魚など、うまいと思ったことはなかったのだ。
▼この文章の後につづくのは、「京都のお花見」であり、この「十九」全体を引用したくなるほど、素晴らしい場面が続出する。ゆっくり読むと、この3人の美人姉妹と一緒に、京都の桜を見て回っているような錯覚にとらわれる。

明くる日の朝は、まず廣沢の池のほとりへ行って、水に枝をさしかけた一本の桜の樹の下に、幸子、悦子、雪子、妙子、という順に列んだ姿を、遍照寺山を背景に入れて貞之助がライカに収めた。この桜には一つの思い出があるというのは、或る年の春、この池のほとりへ来た時に、写真機を持った一人の見知らぬ紳士が、ぜひあなた方を撮らして下さいと懇望するままに、二三枚撮って貰ったところ、紳士は慇懃に礼を述べて、もしよく映っておりましたらお送りいたしますからと、所番地を控えて別れたが、旬日の後、約束を違えず送って来てくれた中に素晴らしいのが一枚あった。それはこの桜の樹の下に、幸子と悦子とが佇(原本は「行く」の旁の字)みながら池の面に見入っている後姿を、さざ波立った水を背景に撮ったもので、何気なく眺めている母子の恍惚とした様子、悦子の友禅の袂の模様に散りかかる花の風情までが、逝く春を詠歎する心持を工(たく)まずに現わしていた。〈151p
▼せっかくだから、一部だけ引用してみた。ここは、見知らぬ紳士が撮ってくれた写真、という形で、幸子と悦子の「恍惚とした姿」を定着してみせている。素晴らしい文章技術だ。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.24
今日は、「上巻」二十一(179p)まで。

〈幸子はこの三人がああいう進物を持って来たりして、夕飯を呼ばれる心づもりでいるらしいことはおおよそ察しがついたけれども、これから夕飯の時刻までまだ二時間ぐらいあると思うと、最初の豫想に反して、とてもその間を勤めるのが辛い気がした。彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女も阪神間の奥さんたちの間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こういう夫人の前へ出ると、何となく気が引けて───というよりは、何か東京弁というものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、かえって土地の言葉を出すようにした。それにまた、そういえば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。なるほど丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校が東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日の夫人はいつものおっとりしたところがまるでなく、眼の使いよう、唇の曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、───東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄がにわかに悪くなったように思えた。〈168p
▼「黄疸」にかかって、具合の悪い幸子のところへ、丹生夫人という女友達が、相良、下妻というふたりの夫人をつれてやってきた。幸子は無理して相手をしている、その場面がここ。
▼ぼくは、横浜に生まれて横浜に育ち、一度も他の土地に住んだことがないから、この「東京弁」と「大阪弁」の醸し出す雰囲気の違いにこれほど敏感ではない。「東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れない」というところなんか、へえ〜って思う。単に言葉だけの問題ではなくて、生活態度や考え方の問題でもあるらしい。この後で、物語は、夫の転勤のために「一遍も離れたことのない大阪」を37歳で離れることになりそうな、一番上の姉の境遇にふれることになる。

姉に云わせると、親戚や夫の同僚の誰彼など皆御栄転でおめでたいと云って祝ってくれる人たちばかりで、自分の心持を分ってくれる者が一人もない、たまに一端を洩らしてみても、今時そんな奮弊なことをと、誰も一笑に附して真面目に取り合ってくれない。ほんとうに、その人たちの云う通り、これが遠い外国とか、交通不便な片田舎へ遣られでもすることか、東京のまん中の丸の内へ勤務することになって、もったいなくも天子様のお膝もとへ移住するというのに、何が悲しいことがあろうと、自分でもそう思い、われとわが胸に云い含めているのだけれども、住み馴れた大阪の土地に別れを告げるということが、たわいもなく悲しくて、涙さえ出て来る始末なので、子供たちにまでおかしがられているのだと云う。そう聞かされると、幸子もやはりおかしくなって来るのであるが、一面には姉のその心持が理解できないでもなかった。〈171p〉
▼東京が「天子様のお膝元」というのも時代だが、やはり住み慣れた土地を離れることは、悲しいことなのだろう。それにしても、この幸子の姉(ここではまだ名前が出てこない)は、「三十七歳にもなっていて一度も東京を見たことがない」そうで、それは「不思議な話」ではあるが、「もっとも大阪では、家庭の女が東京の女のように旅行などに出歩かないのが普通であって」と続く。東京の女は旅行に行くけれど、「大阪の女は旅行などには出歩かないのが普通」というのも、おもしろいなあ。どうしてなんだろう。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.25
今日は、「上巻」二十三(198p)まで。

〈暦の上では秋にはいっているのだけれども、この二三日暑さがぶり返して、土用のうちと変らない熱気の籠った、風通しの悪い室内に、珍しく雪子はジョウゼットのワンピースを着ていた。彼女はあまりにも華奢な自分の体が洋服に似合わないことを知っているので、大概な暑さにはきちんと帯を締めているのであるが、一と夏に十日ぐらいは、どうにも辛抱しきれないでこういう身なりをする日があった。と云っても、日中から夕方までの間、家族の者たちの前でだけで、貞之助にさえそういう姿を見られることを厭うのであるが、それでも貞之助は、どうかした拍子に見ることがあると、今日はよほど暑いんだなと、心づいた。そして、濃い紺色のジョウゼットの下に肩胛骨(けんこうこつ)の透いている、傷々しいほど痩せた、骨細な肩や腕の、ぞうっと寒気を催させる肌の色の白さを見ると、にわかに汗が引っ込むような心地もして、当人は知らぬことだけれども、端の者には確かに一種の清涼剤になる眺めだとも、思い思いした。
「───明日にも帰って来て、皆と一緒に立ってほしい、云うてはるねんけんど、───」
 雪子は黙って項垂(うなだれ)れたまま、裸体にされた日本人形のように両腕をだらりと側面に沿うて垂らして、寝台の下にころがっていた悦子の玩具の、フートボール用の大きなゴム毬に素足を載せながら、時々足の蹠(うら)が熱くなると毬を廻して別な所を蹈(ふ)んでいた。〉184p

▼四人姉妹のうち長女が「鶴子」、次女が「幸子」、三女が「雪子」、四女が「妙子」。このネーミングは考え抜かれている。その中でもやっぱり「雪子」は別格で、この描写をみても、その神秘的なまでの魅力がわかろうというもの。市川崑の映画では、「鶴子=岸惠子」、「幸子=佐久間良子」、「雪子=吉永小百合」、「妙子=古手川祐子」だった。今思えば、これ以上はないキャストだったと思う。ちなみに、1959年。島耕二監督の映画では、「鶴子=轟夕起子」、「幸子=京マチ子」、「雪子=山本富士子」、「妙子=叶順子」となっているが、轟夕起子と叶順子は、ぱっと顔が浮かばない。
▼ファッションに関してもきわめて無知なので、「ジョウゼットのワンピース」ってどんなものか分からなかったが、調べてみて、納得。こういうことがひとつひとつ分かっていくだけでも楽しい。
▼「裸体にされた日本人形のように」という比喩は実にエロティック。雪子の足裏の熱さも、皮膚感覚として伝わってくる。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.26
今日は、「上巻」二十五(216p)まで。

東京をよく知らない幸子には、渋谷とか道玄坂附近とか云われても実感が湧いて来ないので、山手電車の窓から見た覚えのある郊外方面の町々、───谷や、丘陵や、雑木林の多い入り組んだ地形の間に断続している家々の遠景、そのうしろにひろがっている、見るからに寒々とした冴えた空の色など、大阪辺とはまるで違う環境を思い浮かべて、勝手な想像をするよりほかはなかったが、「背中に水を浴びせられるような」とか「筆を持つ手も凍える」とかいう文句を読むにつけ、万事に??式な本家では、大阪時代から冬もほとんど暖炉を使っていなかったことを思い出した。〈212p
▼『細雪』は、昭和11年から16年までを扱っているのだが、その頃の「東京」は、こんなふうだったのだと思うと、しみじみしてしまう。そういえば、ぼくが子どもの頃も、火鉢だけの暖房の部屋で、「鉛筆を持つ手も凍える」思いをしたことがあった。それどころか、暖房のない中学校で、指がかじかんで、試験の答案も書けないという経験までしたことがある。ぼくが生まれたのは昭和24年だから、そんなに時間が隔たっているわけではないのだ。

〈東京というところは冬が取り分けしのぎにくいと聞いていましたが一日として名物のから風が吹かぬ日はなく寒に入ってからの寒さはまことに生れて始めてのことにて今朝などは手拭が凍って棒のようになりバリバリ音がするのですが、こんなことは大阪では経験がありません、東京も??市内だといくらかしのぎよいそうですがこの辺は高台で郊外に近いので一層寒いのだそうです、お蔭で家内中順々に風邪を引き女中たちまで倒れる始末ですが私と雪子ちゃんだけはどうやら鼻風邪の程度で済んでいます、しかしこちらは大阪に比べると埃が少く空気の清潔なことは事実にて、その証拠には着物の裾がよごれません、こちらで十日ばかり一つ着物を着通していましたけれども、わりに汚れませんでした。兄さんのワイシャツが大阪では三日で汚れますが、こちらでは四日間は大丈夫です〉210p
▼「空気」についてのこんな記述もある。渋谷の本家に落ち着いた鶴子が幸子に出した手紙の一節。東京の空気がきれいだなんて、夢のよう。変われば変わるものだ。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.27
今日は、「上巻」二十六(228p)まで。

「悦ちゃん、自分でかけなさい」
「ふん」
と云うと、悦子は電話口へ飛んで行って松濤アパートを呼び出した。
「………ふん、そうやねん、やっばり今日やってん。………こいちゃん早う帰って来なさい。………『つばめ』やないねん、『かもめ』やねん。………大阪までお春が迎いに行くねん。………」
幸子は内裏雛の女雛の頭へ瓔珞(ようらく)の附いた金冠を着せながら、悦子の甲高い声がひびいて来るのを聞いていたが、
「悦ちゃん」
と、電話口の方へ怒鳴った。
「───こいさんになあ、暇やったら姉ちゃん迎いに行ったげ、云いなさい」
「あのなあ、お母ちゃんがなあ、こいちゃん暇やったら迎いに行ったげなさいて。………ふん、ふん、………大阪九時頃やわ。………こいちゃん行く?………そんならお春(はあ)どん行かんかてええなあ?………」〈219p

▼本家について東京に行っていた雪子が、やっと蘆屋の幸子の家に帰ってくることになった。この「二十六」の冒頭は、「ケフカモメデクツ』ユキコ」という電報で始まる。ここは、雪子が帰ってくることに興奮した悦子(雪子の姪)が妙子に電話している場面。
▼「つばめ」ではなくて「かもめ」で帰ってくるということに注目。「かもめ」に関するWikiの説明はこんなふうに書かれている。
*引用【特急「?」】1937年7月1日から東京駅─神戸駅間で運行を開始した。「櫻」よりも30分先行する時刻で運行されていたが、東京駅は午後に発車、神戸駅は午前に発車し所要時間は「燕」より20分ほど長く、同区間を走っていた「燕」や、同時間帯を走る「富士」と「櫻」の補助的性格が強い列車であった。列車は、一・二・三等各車両と洋食堂車で編成されていた。展望車は1939年3月まで連結が見送られ、利用率次第ではすぐに臨時列車へ格下げする予定であったといわれている。この「?」の設定された頃が、戦前の鉄道の最盛期であった。しかしながら同列車の設定された6日後の7日に盧溝橋事件が起こって日中戦争が勃発し、日本は次第に戦時体制に突入して行き、鉄道を取り巻く環境も変化していくことになり、1943年2月に戦況の悪化に伴い廃止された。
▼つまり、特急列車によっても時代の背景がわかるわけであり、とても興味深い。特急「かもめ」は、1953〜75には京都─博多間の特急の、1976年からは長崎本線の特急の名前となり現在に至っているようである。

 

★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.28
今日は、「上巻」二十八(250p)まで。

貞之助は何となく不愉快さが込み上げて来るのを、顔に現わさないようにするのに骨が折れた。今日は幸子が体の支障を堪え忍んで、多少危険を冒しつつ出席するのであることは、昨日から通告してあるのだし、さっきからたびたびそれを匂わしているのに、陣場夫婦はそう聞かされながら、一言半句も見舞や同情の言葉を吐かないのが、何より貞之助は不満であった。もっとも今日は緑起を担いでわざとそのことに触れないでいるのかも知れないが、それにしても、蔭で幸子を労わるという心持を示してくれてもよさそうなものだのに、あまりにも気が利かな過ぎる。あるいはそんな風に思うのはこちらの身勝手というもので、陣場夫婦の気持では、自分たちの方こそ、今までに何回も延期々々で引っ張られて来たのだから、ここへ来てそのくらいな犠牲を払ってくれるのは当り前だ、という腹があるのであろうか。ましてこれは誰のためでもない、こちらの妹のためであって、陣場夫婦は親切ずくでしているだけのことなのだから、向うにすれば、姉が妹の見合いのために体の故障を忍ぶぐらいが何であろう、それを自分たちに恩にでも着せるように云うのはお門違いである、と思っているのであろうか。貞之助は、こちらの僻みかも知れないけれども、この夫婦にもやはり井谷と同じような考え、───婚期におくれて困っている娘を自分たちが世話をしてやるのだ、といった考えがあって、彼らこそそれを恩に着せる気味合いがあるのではなかろうか、という風にも感じた。が、幸子の話だと、陣場という男は浜田丈吉が社長をしている関西電車の電力課長であるというから、社長に忠義立てをするために野村の意を迎えようとして一生懸命になり過ぎ、ついほかのことに気が廻らなくなっているのだと解釈するのが、一番当っているかも知れない。それで野村と雪子とを一つ車へ乗せようというのが、陣場夫人の忠義立てから思い付いた案なのか、野村の意を受けての提議なのかは明らかでないが、何にしても今の場合少し非常識で、貞之助は馬鹿にされているような気がした。〈241p
▼雪子の見合いの前に、幸子は何となく気づいていた妊娠をきちんと確かめずに、バスでの旅行に行ったために、流産してしまう。そのことで体調がすぐれず、見合いの日取りをなんどか延期するのだが、どうしてもある日、幸子の体調が本調子にならないのに、雪子の見合いが行われる。この見合いの仲立ちをする陣場夫婦の幸子への同情心のなさに、幸子の夫の貞之助は腹をたてる。このあたりの改行なしで、くどくどと書かれる文章は、見事というほかはない。
▼「野村と雪子とを一つ車へ乗せよう」という提案は、見合い会場からの帰り、見合い相手の野村の家に立ち寄ったらどうかという話が出て、そこまで行く車に、野村と雪子を同乗させようという陣場の提案である。雪子はともかく、幸子はまだ流産の後の出血がとまっていない体なので、一刻もやはく家に帰りたいのだが、そんなことにはお構いなしに、「寄り道」しようというわけである。こういうやりとりを読んでいくと、いたたまれない思いを味わう。しかも野村は、雪子と並ぶと親子と間違われかねない、すでに頭の白い、さえないオヤジなのである。雪子にその気がないのは、いうまでもないことだが、浮き世の義理で、簡単には見合いも断れない。まったく、メンドクサイ世の中である。


★谷崎潤一郎『細雪』を読む 2016.12.29
今日は、「上巻」二十九(260p)まで。

東京へはあの明くる日に、見合いが済んだことだけを臥(ね)ながら一筆走らせてやったが、姉からは何の返事もなかった。幸子はお彼岸の間じゅう臥たり起きたりして暮したが、或る日の朝、一遍に春らしくなった空の色に惹かれて、病室の縁側まで座布団を持ち出して日光浴をしていると、ふと、階下のテラスから芝生の方へ降りて行く雪子の姿を見つけた。彼女はすぐ、雪子ちゃん、と、呼んでみようかと思ったけれども、悦子を学校へ送り出したあとの、静かな午前中の一時を庭で憩おうとしているのだと察して、硝子戸越しに黙って見ていると、花壇の周りを一と廻りして、池の汀のライラックや小手毬(こでまり)の枝を検(しら)べてみたりしてから、そこへ駈けて来た鈴を抱き上げて、圓<刈り込んである梔子(くちなし)の樹のところにしゃがんだ。二階から見おろしているので、猫に頬ずりをするたびに襟頸の俯向くのが見えるだけで、どんな顔つきをしているものとも分らないのであるが、でも幸子には、今雪子のお腹の中にある思いがどういうことであるのか、明らかに読めるのであった。〈253p
▼結局、見合いは、またしても雪子が断ってしまう。見合いを口実に、雪子は蘆屋の家に来ていたのだが、こうなってしまっては、また渋谷の姉のところに戻らなくてはならない。そのことを雪子は悲しんでいるのだと、幸子は思いやるのである。幸子の視点から、光景が目に浮かぶように描かれている。「二階から見おろしているので、猫に頬ずりをするたびに襟頸の俯向くのが見えるだけで、どんな顔つきをしているものとも分らない」あたり、柔らかい春の光の陰影が、まるで美しい日本画を見るかのようだ。
▼雪子はおとなしく内気だが、自分の意志はしっかり通す気性で、東京からお花見用の着物をちゃんと持ってきていた。それで、京都のお花見は、ちゃんと見て、それから、東京へたっていった。
▼その雪子の出発をさりげなく書いて、「上巻」は終わる。


 

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