「源氏物語」を読む

 

No.53 手習  No.54 夢浮橋


【53 手習】

 

★『源氏物語』を読む〈365〉2018.4.5
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その1)

▼「そのころ横川(よかは)に、なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みけり。八十(やそぢ)あまりの母、五十(いそぢ)ばかりの妹ありけり。古き願ありて、初瀬(はつせ)に詣でたり。
▼【口語訳】そのころ、横川になにがし僧都とかいって、まことに尊い僧侶が住んでいたのであった。八十歳あまりの母と、五十歳ばかりの妹とがいたのである。この二人の尼君が昔から願をかけていて、初瀬に参詣したのだった。
▼「手習」の巻の冒頭である。「そのころ」で始まる巻は、他にも、「橋姫」「宿木」などがあり、物語の一つの型である。漠然とした時間設定だが、この後を読んでいくと、浮舟の失踪のころと時が重なっていることがわかる。
▼「横川」というのは、比叡山三塔の一つで、根本中堂の北約1里のところにあるそうだ。宇治の地名ではないので注意したい。
▼その横川の僧都の老母が、僧都の妹と一緒に、初瀬詣でに出かけ、その帰りに、老母の具合が悪くなってしまって、宇治にあったさる邸にしばらく逗留することとなった。老母の病をしった僧都は、山からは降りないと堅く誓っていたのだが、母が死んでしまうのではないかと心配して、宇治へとやってきた。
▼こういう段取りが手際よくあって、浮舟の「発見」へと展開する。
▼老母が逗留することになった邸は、荒れ放題で、その邸の奥は森のようになっていた。その森の木の根元に、なにやらあやしい人のようなものがうずくまっている。
▼「森かと見ゆる木の下を、疎ましげのわたりやと見入れたるに、白き物のひろごりたるぞ見ゆる。『かれは何ぞ』と、立ちとまりて、灯を明(あか)くなして見れば、もののゐたる姿なり。『狐の変化(へんげ)したる。憎し。見あらわさむ。」とて、独りはいますこし歩みよる。いま一人は、「あな用な。よからぬ物ららむ」と言ひて、さようの物退くべき印を作りつつ、さすがになほまもる。頭(かした)の髪あらば太りぬべき心地するに、この灯(ひ)点(とも)したる大徳、憚りもなく、奥(あう)なきさまにて、近く寄りてそのさまを見れば、髪は長く艶々(つやつや)として、大きなる木の根のいと荒々しきに寄りゐて、いみじう泣く。」
▼【口語訳】森かと見えるような木陰を、いかにも気味のわるいあたりよと思って、見つめると、白い物のひろがっているのが目に入る。「あれはなんだ」と、そこに立ちどまって灯を明るくして見ると、何かがうずくまっている姿である。「狐が化けたのだ。憎いやつ。正体をあばいてやるぞ」と言って、一人の僧はもう少し近くに歩み寄ってみる。もう一人は、「そんな、おやめなされ。よからぬ魔性のものであろう」と言って、そのような魔物を退散させるための印を結んでは、それでもやはりじっと見つめている。もしも僧たちに頭髪があったら太く逆立つにちがいないほど恐ろしい心地がするけれど、この灯をともしている大徳がなんの恐れるふうもなく無頓着にずかずかと近寄ってその様子を見ると、髪の毛は長くつやつやと美しくて、大きな木の根元のひどくごつごつしたところに身を寄せたままはげしく泣いている。
▼これが浮舟だった。もちろん、後で分かることだが。
▼「狐だ」「いやそうじゃない」などと、正体を見極めることのできない僧たちもどうしてよいか分からず、そのまま、見守りながら夜明けを待つが、雨も降りだしそうになる。もしこれが人間だったら、このままにしておけば死んでしまうと思った僧都は、邸に引き入れ、妹や母が懸命に手当をしているうちに、ようやく言葉を発する。
▼「『なほいささかもののたまへ』と言ひつづくれど、からうじて、「生き出でたりとも、あやしき不用の人なり。人に見せで、夜、この川に落とし入れたまひてよ」と息の下に言ふ。「まれまれもののたまふをうれしと思ふに、あないみじや。いかなればかくはのたまふぞ。いかにして、さる所にはおはしつるぞ。」と問へども、ものも言はずなりぬ。身にもし疵(きず)などやあらんとて見れど、ここはと見ゆるところなくうつくしければ、あさましくかなしく、まことに、人の心まどはさむとて、出で来たる仮の物にやと疑ふ。」
▼【口語訳】やはり何か一言でもおっしゃってください」と言い続けるけれど、ようやくのこと、「生き返りましても、見苦しい、生きがいもない者なのです。誰にも見られないようにして、夜の間にこの川に投げ入れてくださいまし」と、声も絶え絶えに言う。尼君は、「たまたま何かおっしゃるのを、やれうれしやと思えば、まあなんという恐ろしいことを。どうしてそんなことをおっしゃるのです。いったいどんなわけがあってああした所にいらっしゃったのです」と尋ねるけれども、もう何も言わなくなった。もしや体にどこぞととのわぬところでもあるのではなかろうかと調べて見るけれども、べつにこれと思われる疵もなくきれいなので、嘆かわしくもありいたわしくもあり、本当にこれは人の心をたぶらかそうとして立ち現れた変化のものではなかろうかと疑わしくなる。
▼この記述を見るかぎり、浮舟はどうも川に身を投げてはいないようだ。体には傷はないというし、第一着物が濡れているということもないし、髪もつやつやとして美しい。体からはいい匂いもするとも書いてある。とすれば、身投げしようと思いつつ、それができずにあたりをさまよっているうちにこの「森」のあたりで、精魂尽きたというところだろうか。

 

★『源氏物語』を読む〈366〉2018.4.7
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その2)

▼僧都のところへやってきた下人が、八の宮の娘のところに薫大将が通ってきていたが、その娘が、とくに病気だったいうのでもないのに、突然いなくなり、昨晩はその葬儀ということで、忙しくてこちらに伺えませんでした、と言う。
▼僧都は、その人の魂を鬼が取って、この女の姿にして持ってきたのだろうかと思うにつけても、目の前の女はこの世のものとも思えない。人々は、女二の宮という妻をさしおいて、薫がそんな女のところに通うはずがあるだろうか、などと噂している。薫のマジメぶりは、みな周知のことらしい。
▼僧都の母親もだいぶ回復したので、都に帰ることになったが、このえたいの知れない女を残していくには忍びない。そこで、僧都は、浮舟を連れて都に戻り、母と妹に託して(彼女らは、比叡山の麓の坂本に邸に住んでいる。)自分はまた横川に戻る。
▼妹は、一生懸命に浮舟の看病をするが、発した言葉は「川に投げ込んでほしい」ということだけで、その後はまったくしゃべらず、ただぼんやりしている。
▼六月になった。浮舟の自殺未遂は、3月末のことだから、すでに2ヶ月がたったことになる。それでも、ちっとも回復せず、かといって、死んでしまうこともない浮舟を心配した妹が、お兄さん、どうか山から下りてきて、この人のために加持祈祷をお願いしますよ。何も都へ出ろといってるんじゃありません。お山のすぐ下の坂本じゃありませんか、いいでしょう、そのぐらいなら、と、懇願するので、僧都も、今までその女が生きながらえているというのも何かの因縁だろうと、何とか力を尽くして助けよう、それでもダメならそれは「業」というものだというので、山を下りた。
▼朝廷からの召し出しにも応ぜずに山に籠もっていたのに、その僧都が、どこからか女を拾ってきて、その女のために加持祈祷をするなんてという非難がましい噂がたっては大変だと、弟子達は反対するが、僧都は、オレは破戒僧だが(もちろん謙遜)、こと女のことで間違いを犯したことはない。まして六十にもなって、そんなそしりを受けるとしたら、それこそ前世の因縁というもの、それはそれでかまわぬ、と言い放つ。弟子はそれでも、変な噂でもたったら仏教の恥ですと文句を言うが、構わず祈祷を始める。
▼すると、浮舟に憑いていた物の怪が現れ、オレは昔修行を積んだ僧だが、この世にうらみを抱いて死んで、成仏できずにあたりをさまよっていたところ、高貴な女がたくさん住んでいる宇治にたどりつき、そこの一人の女は取り殺したが(大君のこと。大君の死は、物の怪に取り殺されたという記述はない。)、もうひとりの女(浮舟)が夜昼死にたいと言っているので、ある暗い夜にひとりでいたのに取り憑いて、わがものとしたのだ。だが、この女は初瀬の観音が大事に守っていて、その上、横川の僧都が出てきたので、オレの負けだ、もう退散すると、大声で言う。
▼浮舟は、気分もさっぱりして、意識を取り戻した。
▼この横川の僧都という人はなかなか立派だ。帝のいうことも聞かないのに、この浮舟を助けるためには、世間の非難もものともしないなんて、見上げたものである。
▼助けてもらったほうの浮舟は、意識は戻り、自分が川へ身を投げようとしたことまでは覚えているけれど、その後のことがちっとも思い出せない。ただ、せっかく身を投げて死のうとしたのに、こうやって見ず知らずの人の世話で助かってしまったことが、かえって辛い。みっともない姿をさんざん見られただろうと思えば身も縮むほど恥ずかしく、意識不明のときは食事も食べていたのに、意識がもどった今は薬湯さえ飲もうとしない。

 

★『源氏物語』を読む〈367〉2018.4.8
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その3)

▼意識の戻った浮舟は、どうしてこうなったのかをかすかに思い出す。その部分を詳しく引用しておきたい。
▼「ありし世のこと思ひ出づれど、住みけむ所、誰といひし人とだにたしかにはかばかしうもおぼえず。ただ、我は限りとて身を投げし人ぞかし、いづくに来にたるにかとせめて思ひ出づれば、いといみじとものを思ひ嘆きて、皆人(みなひと)の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風ははげしう、川波も荒う聞こえしを、独りもの恐ろしかりしかば、来し方行く末もおぼえで、簀子(すのこ)の端に足をさし下ろしながら、行くべき方もまどはれて、帰り入らむも中空にて、心強く、この世に亡(う)せなんと思ひたりしを、をこがましう人に見つけられむよりは鬼も何も食ひて失ひてよと言ひつつつくづくとゐたりしを、いときよげなる男の寄り来て、いざたまへ、おのがもとへ、と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のしたまふとおぼえしほどより心地まどひにけるなめり、知らぬ所に据ゑおきて、この男は消え失(う)せぬと見しを、つひに、かく、本意(ほい)のこともせずなりぬると思ひつつ、いみじう泣くと思ひしほどに、その後のことは、絶えていかにもおぼえず、人の言ふを聞けば、多くの日ごろも経にけり、いかにうきさまを、知らぬ人にあつかわれ見えつらん、と恥づかしうう、つひにかく生きかへりぬるかと思ふも口惜しければ、いみじうおぼえて、なかなか、沈みたまへりつる日ごろは、うつし心もなきさまにて、ものいささかもまゐるをりもありつるを、つゆばかりの湯をだにまゐらず。」
▼【口語訳】ただ自分はこれ限りの命と思って身投げをした者なのだ。それがいったいどこへ来てしまっているのか」と一心に思いたどってみると、「自分はなんだかひどくつらい気持になっていて、皆が寝てしまったあと、妻戸を開けて外に出たところ、風がはげしく吹いていて川波の音も荒々しく聞えていたので、一人きりでそら恐ろしくなったものだから、あとさきの見境もつかなくなり、簀子の端に足をおろしたまま、これからどちらのほうに行ったらよいのかも分らないし、かといっていまさら部屋に引き返すのもどちらつかずの気持なので、思い切ってこの世から失せてしまおうと決心したものを、愚かしくも誰かに見つけられたりするよりは、鬼でもなんでもよいからわたしを食い殺してしまっておくれと言い言い、じっと思いつめていたところ、ほんとにきれいな男が近寄ってきて、さあいらっしゃいわたしのところへ、と言って自分を抱いてくれるような気がしたのを、宮と申しあげた人がそうなさるのだと思われた、そのあたりから正気を失くしてしまったものらしい。どこか分らない所に自分をすわらせておいたまま、その男は消えてしまったと思われたが、とうとうこんなことになって、決心していたことも果さずじまいになってしまったと思い思い、ひどく泣いていたことは覚えているが、そのあとのことは何ひとついくら思い出そうとしても思い出せない。尼君たちの話しているのを聞くと、あれから多くの日数もたっているのだった。どんなにか情けない姿を見ず知らずの人の目にさらされながら介抱されていたことだろう」とそれが恥ずかしく、とうとうこうして自分は生き返ってしまったのかと思うにつけても不本意で、ひどく悲しく思わないではいられず、これまで重くわずらっていらっしゃったころは人心地もない有様のまま何か少しは召しあがる折もあったのだが、今はかえってほんの少しの薬湯をさえお摂りにならない。
▼浮舟は、辛い気持ちになって、みんなが寝てしまった後、廊下に出て、「簀子の端に足をさし下ろしながら」考えた、とある。縁側に座って、足をおろしている姫君の姿なんていうのは、源氏物語では、見たことがない。ここに初めて出てくる姿だ。こんなことは、高貴な姫君は絶対にしないわけで、それだけに、この時の浮舟の精神の異常性が際立っている。
▼一種の精神錯乱である。その中で、浮舟を死を決意するのだが、幻覚が生じて、匂宮に抱かれているような気分になり、そのまま意識を失ってしまったらしいというのだ。そのあと、ふと意識が戻ったときは、ああ、自分は死に損なったと思って泣いたが、その後のことはまた何ひとつ覚えていない。
▼はげしい風の音、とどろきわたる川波の音、それらが、浮舟の精神を錯乱させていく。そして、男の幻があらわれる。それも視覚的というよりは、「抱かれているような気分」という触覚・嗅覚的な感覚にそまったエロチックな幻想。見事なものだ。
▼意識不明のときは、食事ができたのに、意識が戻ると薬湯さえ飲めないという体と精神の不思議も、またリアルである。
▼そんな浮舟を見て、妹尼(横川僧都の妹)は、せっかく熱もさがってうれしく思っているのに、どうしてそんなにたよりないの? しっかりしてね、と、かいがいしく介抱するのだが、浮舟は、何とかして死にたいと思うばかりなのだ。けれども、あれほどの重体だったのに命を取り留めた人だけあって芯が強く、自分の思いに反して、浮舟はだんだん元気になっていってしまう。死にたいと思うのに、浮舟の内なる生命力がそれを許さないのだ。
▼薫と匂宮の愛に引き裂かれた浮舟は、こんどは、みずからの精神と肉体に引き裂かれている、といったらいいだろうか。
▼それで、浮舟は、せめて尼にしてほしいと妹尼に懇願する。そうすれば、何とか生きていくことができるかもしれないと言うのだが、妹尼は、浮舟の美しさを惜しんで、とてもそんなことできませんと断る。
▼けれども、妹尼は、浮舟の頭の髪のてっぺんだけを削いで、「五戒」だけを授ける。「五戒」というのは在家の守るべき五つの戒めである。それだけでは、出家したことにならないから、浮舟は不満だが、それ以上は無理を言えない。
▼横川僧都は、妹尼にそれだけさせて、あとは、ゆっくり面倒をみてあげなさいと言い残して、山に戻っていく。

 

★『源氏物語』を読む〈368〉2018.4.9
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その4)

▼妹尼は、思いがけない人のお世話をするようになったものだと、喜ぶ。
▼「夢のやうなる人を見たてまつるかなと尼君はよろこびて、せめて起こし据ゑつつ、御髪(みぐし)手づから梳(けづ)りたまふ。さばかりあさましう引き結(ゆ)ひてうりやりたりつれど、いたうも乱れず、ときはてたれば艶々(つやつや)とけうらなり。一年(ひととせ)たらぬつくも髪多かる所にて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふも、あやうき心地すれど、……」
▼【口語訳】尼君は、夢のお告げさながらの人をお世話することになったものよと喜んで、無理に起しすわらせては手ずから御髪を梳いておあげになる。あれほど見苦しい格好に引き束ね放っておいたのだったけれど、ひどく乱れるでもなく、梳き終ってみるとつやつやと清らかな美しさである。百年に一年足らぬ白髪頭の老女ばかりたくさんいるところなので、目もまばゆいくらいにみごとな天女が天降ってきたのを見ているような心地がするにつけても、いつ飛び去るかと不安に思われもするけれど、
▼浮舟はまるで天人が天降ってきたようだと尼君は感じる。だから、いつ、天に戻っていってしまうか不安にもなるというわけで、ここで、「竹取物語」をベースにしていることがはっきりと示されている。
▼さらに、浮舟は素性を問われてもちっとも答えないので、尼君は「かくや姫を見つけたりけん竹取の翁ようりもめづらしき心地する」(かぐや姫を見つけたという竹取の翁よりもさらに珍しい心地がする)と書かれている。
▼つまり、浮舟は「かぐや姫」で、尼君が「オジイサン」、妹尼が「オバアサン」という役割になっているのである。
▼この尼君は、実は、高貴な方だった。その娘の妹尼には娘がいたのだが、良家の子弟を婿にして大切に面倒を見ていたのに、娘ははかなく死んでしまい、それを悲しむあまり、尼になって山里に住むようになったのだった。それでも悲しみは癒えることなく、どこかに、娘の形見に思えるような人がいないものかと探していたところに、思いがけなく娘とは比べようもなく美しい浮舟が現れたというわけである。
▼つまり、「かぐや姫」の出現だったのだ。だから、妹尼は、浮舟のお世話をするのがうれしくてたまらないのだ。
▼この山里は、宇治よりはずっと穏やかな環境である。秋の風情ただよう中で、尼たちは、琴や琵琶などを弾いたりしているが、浮舟は、田舎育ちなので、そういうたしなみがない。それで、「手習」などして時を過ごす。「手習」というのは、ここでは、暇つぶしに紙に文字を書くことをいう。この語がなんども出てくるので、この巻の名前となっている。
▼そんな山里の邸に、妹尼の婿である中将が訪れる。浮舟は、自分の存在がどこからか漏れてしまうのを恐れて絶対に人前に出ないようにしていたのだが、几帳の隙間からはみ出した着物の裾を中将が見て、興味を抱く。
▼妹尼は、浮舟が亡き娘の再来とも思うから、この中将との関係は望むところなのだが、浮舟には、その気持ちがまったくない。一度死んだ浮舟には、もうこの世で生きるすべがないのだ。求婚する貴公子たちを次々に袖にして、月の世界に帰って行くかぐや姫との相似がここにも見られるようである。

 

★『源氏物語』を読む〈369〉2018.4.10
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その5)

▼浮舟の姿を(裾だけだけど)チラリと見た中将は、横川の僧都の所へ行ったついでに、あれはいったい誰ですかと聞くが、僧都は詳しく語らない。
▼それで、横川からの帰り道、中将は再び小野(ここに尼君たちが住んでいる)に立ち寄り、浮舟の歌を詠みかける。もちろん、直接にではなくて、妹尼を介するわけだが、浮舟は返事を書こうとしない。
▼妹尼は、浮舟が何を悩んでいるのかさっぱり分からないわけだが、ひょっとしたら、誰か好きな人がいるのかもしれないとは思うけれど、浮舟は頑として素性を明かさない。いくら返事を書いたらどうかと勧めるのだが、それにも応じないので、仕方がないから、自分で返歌を作って中将に渡すのだが、中将はもちろん不満だ。
▼その後も、中将は鷹狩りにかこつけたりして、小野を訪ね、浮舟に言い寄るのだが、ちっともラチがあかない。中将が業を煮やして帰ってしまおうとするのを、尼君が引き留めたりしているうちに、中将が笛を吹き、妹尼が琴を奏でたりしている所に、大尼君(妹尼の母)が奥から起きて出てきて、得意になって和琴をかき鳴らして深夜の大宴会になったりするドタバタもある。
▼うちにいる姫君は、こんなこともしないで、ひきこもっているんですよ、などと調子に乗って大笑いして話す大尼君に、妹尼はハラハラするのだった。
▼浮舟は、中将が言い寄ってくるのを、ああ男というものはいつもこうだ、いつもこんなに一途に言い寄ってくるのだ、と匂宮のことも思い出し、もうそんな色恋はこりごりだと思う。そして、どうかして尼になりたいと、経を読んでは仏に願う日々。
▼そんな浮舟を見て、妹尼はこんなふうに思う。
▼「かく、よろづにつけて世の中を思ひ棄つれば、若き人とてをかしやかなることになく、むすぼほれたる本性なめりと思ふ。容貌(かたち)の見るかひありうつくしきに、よろづの咎(とが)見ゆるして、明け暮れの見ものにしたり。すこしうち笑ひたまふをりは、めづらしくめでたきものに思へり。」
▼【口語訳】このように、何かにつけて世の中のことを思いあきらめているので、若い女の身ながら風流めいたことを特に求めるではなく、もともと暗く内気な性分なのであろう、とはたの者は思っている。けれども、顔だちが見る目にもたのしいほど見栄えがしていかにもかわいらしいので、ほかのすべての不満は大目に見て、明け暮れの慰めにして眺めている。たまさか女君が笑顔をお見せになると、珍しくありがたいことと喜んでいる。
▼浮舟の類い稀な美しさは、どんな欠点をもカバーしてしまう。源氏についても、そういうことがよくあった。源氏の好色な行いも、源氏の「美」が帳消しにしてしまうようなケースは数え切れない。「美」こそがすべてに優先するかのような価値観は、「源氏物語」の特徴だといっていいだろう。日本文化において、どれほど「美」が重要であったか、いつかじっくり考えてみたいものだ。
▼さて、そんな折、尼君は、初瀬の観音に御礼参りに出かけることにする。亡き娘の形見ともいうべき浮舟との出会いを感謝するためだ。妹尼は、浮舟に、一緒に行きましょうというけれど、浮舟は、前にも母に連れられてお参りにつれていかれたけれど、結局何の効き目もなかったばかりか、死ぬことすらできないじゃないのと思うから、体の具合が悪いからという口実を作って同行しない。
▼この浮舟の思いもおもしろい。あんなにお参りにいったのに、ちっとも効き目がなかったんだもの、もう行きたくない、なんて、ちょっと現代的だね。

 

★『源氏物語』を読む〈370〉2018.4.11
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その6)

▼初瀬詣でを断り、邸に残った浮舟のところに、中将から手紙が来るが、浮舟は見ようともしない。退屈しのぎに、妹尼の女房である少将は、碁を打ちましょうと言い出す。
▼浮舟は、とてもヘタだったんですけど、といいながらも、打ってみようと思う。少将は、てっきり浮舟は弱いんだと思って、浮舟に先手(黒)を打たせたら、ぜんぜん歯が立たない。浮舟は強いのだ。浮舟は、実は碁の名手だったのかもしれない。この辺、面白いね。
▼何ごとにもやる気を失って、ただただ出家したいとしか思っていない浮舟が、メチャクチャ碁が強いというのだ。少将はびっくりしてしまって、はやく妹尼が帰ってくればいいのに、あなたの碁を見せたいわ。だって、妹尼は、とても碁が強いんですよ。お兄様の横川の僧都は、とても碁が強いんですけど、妹尼と三番勝負をしたら二敗しちゃったんですよ。あなたなら、僧都に勝てますよ、まあ素敵! って大喜びだけど、浮舟は、メンドクサイことに手を出してしまったなあと思って、気分が悪いから寝るわといって横になってしまった。
▼浮舟って、どうも捉えどころのない人だが、ひょっとしたら大物なんじゃないかと、こんな所をよむとふと思う。囲碁というものは、ぼくも一時手を出したから、少しは知っているが、相当頭がよくないと強くなれない。だから当然のことながら、頭の悪いぼくは、5年近くやったけれど、初段にもなれずに放り出してしまった。浮舟が、碁が強いというのは、ぼくにとっては相当インパクトがある。なんだか捉えようにない、「浮舟」みたいな女性に見えるが、実は、極めて知性的で、頭のいい人に違いないと、ぼくには思える。ただ、恋には疎いということなのかもしれない。
▼そんなところに、中将がやってくる。浮舟はあわてて奥の方へ引っ込んでしまう。中将は歌を読みかけるが、返事をするどころか、奥の奥、母尼のいる部屋のほうへ逃げてしまう。
▼母尼の部屋には、おつきの女房もいるが、これまた老女で、みんなでイビキの大合唱だ。この辺は妙にユーモラス。
▼「姫君は、いとむつかしとのみ聞く老人(おいびと)のあたりにうつぶし臥して、寝(い)も寝られず。宵まどひは、えもいはずおどろおどろしきいびきしつつ、前にも、うちすがひたる尼ども二人臥して、劣らじといびきあはせたり。いと恐ろしう、今宵この人々にや食はれなんと思ふも、惜しからぬ身なれど、例の心弱さは、一つ橋危うがりて帰り来たりけん者のやうに、わびしくおぼゆ。」
▼【口語訳】女君は、話に聞いてはただ気味わるくばかり思っている老尼君の近くにうつぶせに臥して、眠ることもできずにいる。宵のうちから寝入っている老尼君は、なんとも言いようのない大げさないびきをかき続けて、そのそばにはまた、それに劣らず年老いた尼たちが二人、我劣らじといっしょにいびきをかいている。女君はじつに恐ろしくて、今夜この人たちに食い殺されてしまうのではないか、と思うにつけても、いまさら惜しまれる身ではないけれど、例の気弱な性分から、丸木橋を怖がって戻ってきたとかいう人のように、心細くやるせない気持である。
▼ぼくも昔、教職員の慰安旅行で温泉に泊まったとき、三人の老教師と相部屋になってしまい、その三人のすさまじいイビキに往生したことがあるが、まあ、さすがに「食われる」とは思わなかったけれど、なんともやるせない気分だった。
▼更に、夜中の描写。まるで、芥川の「羅生門」みたいだ。
▼「夜半(よなか)ばかりにやなりぬらんと思ふほどに、尼君しはぶきおぼほれて起きにたり。灯影(ほかげ)に、頭(かしら)つきはいと白きに、黒きものをかづきて、この君の臥したまへるをあやしがりて、鼬(いたち)とかいふなるものがさるわざする、額に手を当てて、「あやし。これは誰(たれ)ぞ」と執念(しふね)げなる声にて見おこせたる、さらに、ただ今食ひてむとするとぞおぼゆる。鬼のとりもて来けんほどは、ものおぼえざりければ、なかなか心やすし、いかさまにせんとおぼゆるむつかしさにも、いみじきさまにて生き返り、人になりて、また、ありしいろいろのうきことを思ひ乱れ、むつかしとも恐ろしとも、ものを思ふよ、死なましかば、これよりも恐ろしげなるものの中にこそはあらましか、と思ひやらる。」
▼【口語訳】もう夜中になっていようかと思われるころに、老尼君が咳をしながらねぼけて起き出してきた。灯影に見る頭髪は真っ白で、黒いものをかぶっていて、この女君が臥せっておられるのをいぶかしがって、鼬とかいうものがそういうしぐさをするそうだが、額に手を当てて、「おかしな。これはどなた」と、からみつくような声をかけてこちらを見ているのは、まったく今にも取って食おうとするのだという気がする。自分が鬼にさらわれてきたあのときのことは、正気も失せていたのだからかえって気が楽であった、今はどうしたらよかろう、と思う無気味さにつけても、あられもない姿でこの世に生き返り、人並に回復したばかりに、またしても昔の疎ましかったあれこれのことを思い出しては心も乱れ、さらにわずらわしいこと、恐ろしいことに心を砕くことよ、あのときに死んでしまっていたら、地獄に堕ちてこれよりもっと恐ろしい姿をした鬼どものなかにいたことだろうに、と想像せずにはいられない。
▼かわいそうに、浮舟は、せっかく逃げ込んだ老尼の部屋で、恐怖の一夜を過ごすことになってしまう。
▼寝られぬままに、浮舟は、自分の人生の不幸をつくづくと思うのだが、その眼目は、もともと不幸な身の上だったのをようやく薫のおかげで幸せになれると思ったその矢先に、匂宮との恋に身を過ってしまったことへの悔いだった。こんなふうに生きながらえていることを、もし薫が知ったらと思うと、身も縮む思いだが、同時に、生きていれば、いつかは薫の姿を遠くからでもみるチャンスがくるかもしれないとふと思い、いやいやそんな見苦しい料簡は捨てなければ、などとひとり思いつづけて、夜を明かしたのだった。
▼夜が明ける。気分はよくないが、「いびきの人」(つまり老尼たち)は、はやくから起き出して、粥など食べろと勧める。浮舟は、気分が悪いからと断るけれども、そんなこといわずに、どうぞどうぞと無理に勧めるのも気が利かないことだ、とある。

 

★『源氏物語』を読む〈371〉2018.4.12
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その7)

▼横川の僧都が、急に山を下りてきた。明石中宮の娘、女一の宮が体調を崩し、その祈祷に呼ばれたのである。
▼妹尼は、初瀬詣でに出かけていないので、絶好のチャンスとばかり、浮舟は、僧都に出家を願い出ようと思う。妹尼がいれば、絶対に反対するに決まっている、このチャンスを逃すことはできないと思ったのだ。
▼僧都がやってくる前、浮舟は、自分の髪をなでながら感慨にふける。
▼「例の方におはして、紙は尼君のみ梳(けづ)りたまふを、別人(ことひと)に手触れさせんもうたておぼゆるに、手づから、はた、えせぬことなれば、ただすこしとき下(くだ)して、親にいま一たびかうながらのさまを見えずなりなむこそ、人やりならずいと悲しけれ。いたうわづらひしけにや、髪もすこし落ち細りにたる心地すれど、何ばかりもおとろへず、いと多くて、六尺ばかりなる末などぞうつくしかりける。筋なども、いとこまかにうつくしげなり。
▼【口語訳】女君はご自分の部屋にお帰りになって、これまで御髪はいつも尼君だけが梳いてくださっているので、ほかの誰にも手を触れさせるのは気がすすまないが、といってご自身ではできないことなので、ほんのわずか梳きおろして、母君にもう一度このままの姿でお目にかかりたいけれど、それもついにかなえられなくなったことが、自ら望んだこととはいえ、まことに悲しくてならない。ひどくわずらったせいか、髪も少し抜け細ってしまった感じであるけれど、どれほど衰えたということもなくじつにふさふさとしていて六尺ぐらいもあるその髪の裾などがまことに美しいのであった。毛筋などもまるで隙間もなくみごとな感じである。
▼髪は、やはり女の命なのだとつくづく思う。尼になるには、この髪を下ろすわけだが、今のように全部剃ってしまうわけではなく、肩のあたりで切りそろえる。これを「尼削ぎ」という。
▼浮舟が僧都に会って、どうしても出家したいというのだが、僧都は、浮舟があまりに若いので、将来を危惧して簡単には承知しない。けれども、あまりに熱心に懇願する浮舟に、とうとう折れて出家させることにする。
▼髪を切るのは、僧都の弟子の僧侶二人で、この二人は、浮舟が意識不明のとき、祈祷をした僧侶である。
▼この僧侶が御簾の中に入って髪を切るのかと思ったら、そうではなかった。
▼「鋏(はさみ)とりて、櫛の箱の蓋さし出でたれば、『いづら大徳(だいとこ)たち、ここに』と呼ぶ。はじめ見つけたてまつりし、二人ながら供にありければ、呼び入れて、『御髪(みぐし)おろしたてまつれ』と言ふ。げにいみじかりし人の御ありさまなれば、うつし人にては、世におはせんもうたてこそあらめと、この阿闍梨もことはりに思ふに、几帳の帷子(かたびら)の綻(ほころ)びより、御髪をかき出だしたまへるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし鋏をもてやすらひける。」
▼【口語訳】鋏を取り出して、櫛の箱の蓋をさし出すと、僧都は、「さあ大徳たち、こちらへおいでなされ」と声をかける。最初に女君をお見つけ申した僧が二人ともお供をしてきていたので、呼び入れて、「御髪を下ろしてさしあげよ」と言う。いかにもあのように大変なめにあっておられたお方のことだから、そのまま俗人として生きておられるのも情けなくお思いなのだろうと、この阿闍梨も女君の発心を無理からぬことと思っているが、さて几帳の帷子の隙間から御髪をかき寄せてこちらへお出しになっているのがまったくもったいないくらいに美しいので、しばらくは鋏を持ったままためらっているのであった。
▼几帳の隙間から、髪だけ出して、それを僧侶が切るわけだ。だから、当然のことながら、あまりきれいに切りそろえられないから、僧都は、あとで妹尼などにきれいに切ってもらいなさいと言う。こういうところが非情にリアルでおもしろいね。
▼妹尼の女房の少将は、邸に残っていたのだが、まさか、こんなときに浮舟が出家してしまうなどと想像もしていなかったから、油断して、僧都と一緒に山を下りてきたお付きの者たちをもてなしていた。浮舟の側にいたのは、「こもき」という女童だけ。彼女はびっくりして、少将に、浮舟が出家してしまいましたと伝えるので、少将はあわてて浮舟の部屋にやってくると、浮舟は僧都の袈裟などをかけられていて、もう尼になってしまっている。
▼どうして、こんな軽はずみなことをなさるのですか。尼君(妹尼)さまが帰ってこられたら、どんなに叱られるかわかりませんよと言うのだが、浮舟は、どうせ反対されて無理だろうと思っていたけど、とうとうやったわ! とさっぱりした気分だ。
▼翌朝、浮舟は、しみじみとした感慨にふける。
▼髪のすそも、なんかバサバサした感じで、誰かこの髪を整えてくれる人がいないかしらと思いながら、自分の心境を手習いして過ごしていると、そこへ中将からの手紙が届く。
▼浮舟は、自分はもう出家してしまったのだと伝えると、中将はがっかりして、ぼくも出家したい気分ですなんて歌をおくってくる。浮舟は珍しくそんな手紙を手にとって、手習いの紙を少将に渡し、それをあなた書き直して送ってねというけれど、少将は、書き写し間違えと困りますからといって、そのままその手習いの紙を中将へおくる。
▼中将は、初めてみる浮舟の筆跡に、いいようもない悲しみを感じるのだった。

 

★『源氏物語』を読む〈372〉2018.4.13
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その8)

▼初瀬詣でに行っていた妹尼が帰ってきて、浮舟の出家に驚愕する。
▼私も尼の身の上ですから、宗教的には出家を勧めるべき道理ですけど、まだ若い姫はどうやってこれから過ごしいくというの? 私なんか今日明日もしれぬ身ですから、姫君が安心してこれから暮らしていけるようにと観音様にもお願いしてきたのに、なんで出家なんかさせたの、お兄さん! と、身をよじって泣き伏す。
▼それでも、もうどうしようもないので、浮舟のために、袈裟などの着のを仕立てるのだが、それにしても、こんな寂しい山里の暮らしの中での希望の光だったのにねえ、まったくお兄さんは、なんてことしてくれたのだろうと、女房たちと兄貴の悪口を言い合っている。
▼一品の宮(明石中宮の娘)の病気も、僧都の祈りのかいあってか、快方に向かったが、物の怪の名残が恐ろしいというので、僧都はしばらく宮中にとどまった。
▼ある夜、中宮からのお召しがあって、僧都は「夜居(よゐ)」(終夜寝所の近くで加持すること)を仰せつかった。その折り、おしゃべりの僧都は、宇治での出来事を語る。
▼中宮はその話を聞いて恐ろしくなり、一品の宮の看病で疲れて寝ていた女房たちを起こした。その女房の中に、薫の愛人の小宰相もいたのだが、その僧都の語る浮舟の話を聞いて、ひょっとして宇治で失踪した女がいたという噂を聞いたけど、その人のことかしらと思う。中宮も、宇治の一件は聞いているので、その人かもしれないと思い、薫に知らせたいとは思うのだが、確かな話ではないので、あの気の置ける薫に話すのはやめておこうと思いそのままになってしまった。
▼僧都は、宮中から下がり、山に戻る途中、小野をたずねると、もう妹からさんざんになじられる。拙僧が生きているかぎりは、あなたの面倒はみるから心配めさるな。世間に執着している間は、窮屈な思いをするが、いったん世を捨ててしまえばスッキリするというもの。「このあらむ命は、葉の薄きがごとし」などと、浮舟に説教すると、浮舟は、ああいいお話だわと、ありがたく聞くのだった。
▼そこへ、例の中将がやってくる。浮舟の出家をしってガックリきた中将だが、なお忘れがたく、紅葉を見にきましたなんていって、様子を見にきたのだった。
▼中将になんとか浮舟と会わせろと言われた、お付きの少将尼は、まあ無理よねえとは思いつつ、浮舟の様子を見に部屋にやってくる。この時、少将尼の目に入った浮舟の姿がとても印象的だ。
▼「入りて見るに、ことさらに人に見せまほしきさますてぞおはする。薄鈍色の綾、中には萱草(かんざう)など澄みたる色を着て、いとささやかに、様体(やうだい)をかしく、いまめきたる容貌(かたち)に、髪は五重(いつへ)の扇を広げたるやうにこちたき末つきなり。こまかにうつくしき面様(おもやう)の、化粧(けさう)をいみじくしたらむやうに、赤くにほひたり。行ひなどをしたまふも、なほ数珠(ずず)は近き几帳にうち懸けて、経に心を入れて読みたまへるさま、絵にも描かまほし。」
▼【口語訳】少将の尼が、部屋に入って見ると、女君はわざわざでも人に見せてやりたくなるほど美しい姿をしておられる。薄鈍色の綾の表着、その下に萱草色などの落ち着いた色のものを着て、まことに小柄で、姿かたちも美しくはなやかな顔だちに、髪は五重の扇をひろげたかのように、うるさいほど豊かな裾の風情である。きめこまやかでかわいらしい面ざしが、まるで念入りに化粧したように、赤くつややかである。勤行などをなさるにも、やはり数珠はそば近くの几帳にうちかけて、一心にお経を読誦していらっしゃるお姿は、絵にも描きたいくらいである。
▼「扇」のような髪型は、肩で切りそろえた尼削ぎの髪型だが、また少女の髪型でもある。いわゆる「おかっぱ」で、少女時代の紫の上を源氏が初めて垣間見たときの描写が有名だ。長く伸ばした髪ばかりを見ていると、こうしたショートカットの髪型には、何ともいえない魅力があったのだろう。
▼そんな浮舟の姿を見て少将尼は思わず涙を流すが、そうだ、この姿を中将にお見せしようと、中将を障子の陰につれていく。美しい浮舟の尼姿を垣間見た中将は、たとえ尼であれ、なんとか自分のものにしたいと思い、浮舟にさんざん言い寄るのだが、浮舟の心はピクリとも動かない。
▼「思ひよらずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし、すべて朽木などのやうにて、人にも捨てられてやみなむ、ともてなしたまぶ。」
▼【口語訳】女君は、思いもよらぬ情けないこと(匂宮との件)をも経験した身の上なのだから、中将の訴えもほんとに厭わしく、自分はすっかり朽木などのような有様で誰からも見捨てられたまま一生を終ろうと、そのようにふるまっていらっしゃる。
▼色恋沙汰は二度とゴメンだと、その決意はかたい浮舟だ。尼になったことで、気持ちも晴れて、妹尼とも冗談を言い合ったり、碁を打ったりして、勤行にもいそしみ、法華経やその他の経典なども多く読むというのが、浮舟の日常だった。
▼浮舟というのは、ずいぶん知的な女性なんだなあと改めて思う。
▼こんな物語の最後の最後に突然登場してくる中将も、結局、この浮舟の堅い決意を際立たせるためのアイテムでしかないようだ。もう、物語に新しい展開はないのである。

 

★『源氏物語』を読む〈373〉2018.4.14
今日は、第53巻「手習(てならひ」(その9・読了)

▼「年も返りぬ。春のしるしも見えず、氷りわたれる水の音せぬさへ心細くて、『君にぞまどふ』とのたまひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、なほそのをりなどのことは忘れず、〈かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき〉など、例の、慰めの手習を、行ひの隙(ひま)にはしたまふ。我世になくて年隔たりぬるを、思ひ出づる人もあらむかしなど、思ひ出づる時も多かり。」
▼【口語訳】年も改まった。小野の山里ではあたりに春のきざしも見えず、凍りつめた谷川の流れが音をたてないことまでも心細く思われて、(浮舟は)あの「君にぞまどふ」とおっしゃったお方(匂宮)のことは、すっかり厭わしい気持になっているけれど、それでもやはり、その折のことなどは忘れないで〈空も暗く降りしきる野山の雪を眺めるにつけても、過ぎ去った昔のことが今日も悲しく思い出されてくる。〉などと、例によって慰めの手すさびを勤行の合間には書いておられる。世間から姿を消して年も改まってしまったが、この自分を思い出してくれる人もあるにちがいない、などと昔のことを思いうかべる時もしばしばである。
▼妹尼とも歌のやりとりなどをするが、尼になってしまった浮舟を見るにつけ、妹尼は悲しくてならない。
▼そんなところへ、大尼君の孫の紀伊の守という男が訪ねてきた。この男は、何と、薫に仕えている男で、妹尼に、近ごろの薫の動静をペラペラと話す。そして、こんど浮舟の一周忌の法要をいとなむこととなり、そのお布施の着物を自分も用意しなければならないので、調達してほしいと尼たちに頼む。家来にも、お布施のノルマがあるのだ。そうか、私の一周忌なんだと思う浮舟は、激しく動揺するが、気取られないようにふるまう。
▼それでも、紀伊の守の話では、薫はまだ失踪してしまった女のことを悲しんでいるらしいと知って、浮舟は、あの人は私のことを忘れてはいないんだとうれしくも思うのだった。
▼尼たちが用意したお布施の着物を、妹尼が浮舟に、素敵でしょ、と見せるのだが、自分の一周忌のお布施だから、手に取る気にもなれず、気分が悪いからといって寝てしまう。
▼そんな浮舟を見て、妹尼は、どうしてそんなに私に隠し立てするのですか、誰か好きな人がいたんじゃないですか、と聞くのだが、浮舟は最後まで心を開いて語ることはなかった。
▼浮舟の一周忌をとりおこなった薫は、中宮のところは行って、世間話のついでに、浮舟のことに言及する。もちろん、具体的なことはあいまいにしか語らないが、中宮は、だいたいの察しがついているので、どうしてあの方はなくなったの? と聞くと、薫は、大君のことか、それとも浮舟のことかと思いつつ、詳しくは答えない。
▼中宮は、浮舟の件では、我が子の匂宮が関わっていることも知っているので、自分としても親としての責任も感じて、それ以上口を出すことははばかられた。
▼それでも、中宮は、薫の愛人である小宰相を後で呼んで、薫に浮舟のことを話してくれないかと頼むのだが、小宰相は、中宮様が言えないことを、どうして私が言えましょうと断るけれど、でもねえ、私からは言えないのよと言う中宮の気持ちも小宰相も察するのだった。
▼それで、小宰相は、薫のところへ行って、実は浮舟が生きていて、尼になったらしいと告げる。薫はびっくりして、ああ、中宮様がさっき聞いたことも、浮舟のことだったんだと思い、いろいろと小宰相に聞くと、やっぱりその女は浮舟に違いないと思う。
▼薫は、さっそく出かけていって、事の真相を聞きたい思いにかられるが、しかし、そんなことが噂になれば、あの匂宮もきっと聞きつけることだろう。そうしたら、また匂宮がなんやかやとちょっかいを出すことになるのは目に見えているし、そうなれば、せっかく尼になり仏道に励んでいる浮舟を邪魔することにもなる。ここは、浮舟は死んだということで通してしまおう。浮舟を我が物にしようなどとはもう二度と思うまいと決心する。
▼ただ、それでほんとうにいいのかどうか、中宮のご意向を聞きたいと思った薫は、中宮のところに出向き、事情を詳しく話す。その上で、この件につきましては、万一匂宮に知れると、また馬鹿なことが起きてしまいますから、私としましては、絶対に浮舟が生きているということは知らないということでこれからも過ごしていきたいと思いますが、いかがでしょうか、と、中宮にも匂宮には言わないでほしいと匂わす。
▼中宮は、あの子にこんな話を聞かせては大変ですよ、何しろあの子は、どうしようもない不届き者だと世間でも評判なのですらかね。私はほんとうに情けないと思っているのです、ときっぱり。
▼中宮はとても慎重なお方だから、絶対に匂宮に漏らすことはないだろうと確信した薫は、一度横川の僧都に会って、浮舟の様子だけでも聞こうと思って、僧都をたずねていくのだった。
▼「住むらん山里はいづこにかあらむ、いかにして、さまあしからず尋ね寄らむ、僧都にあひてこそは、たしかなるありさまも聞きあはせなどして、ともかくも問ふべかめれ、なそ、ただ、このことを起き臥し思す。月ごとの八日は、かならず尊きわざせさせたまへば、薬師仏に寄せたてまつるにもてなしたまへるたよりに、中堂には、時々参りたまひけり。それより、やがて横川におはせんと思して、かのせうとの童なる率(ゐ)ておはす。その人々には、とみに知らせじ、ありさまにぞ従はんと思せど、うち見む夢の心地にも、あはれをも加へむとにやありけん。さすがに、その人とは見つけながら、あやしきさまに、容貌(かたち)ことなる人の中にて、うきことを聞きつけたらんこそいみじかるべけれと、よろづに道すがら思し乱れけるにや。」
▼【口語訳】大将(薫)は、「女君の住んでいるという山里はどこなのだろう。どうしたら世間体も見苦しくないようにして訪ねていくことができるだろう。僧都に会って確かな事情をも聞き合せなどして、何にしてもまず訪ねてみるのがよさそうだ」などと、ただそのことを寝ても覚めても考えていらっしゃる。大将は、毎月八日には、必ず尊い薬師如来の供養をおさせになるので、そのご寄進をなさるために、中堂にときどき参詣なさるのだった。そこからそのまま横川におまわりになろうとのおつもりで、女君の弟のまだ童であるのを連れておいでになる。その家族たちには、急いで知らせることもあるまい、そのときの様子しだいということにしよう、とお思いになるけれど、それも、いきなり再会したときは夢のような心地になるだろうが、加えて一入の感慨を、というおつもりだったのだろうか。それでもやはり、逢ってみてそれが当人と分ってみたところで、もし見苦しい姿をして尼といっしょに暮していて、そこでまた情けない話を聞きつけるようなことになったら、どんなにやりきれない思いをさせられるだろうと、あれこれと道々思案に乱れていらっしゃったことであろうか。
▼これが「手習」の末尾である。
▼横川の僧都を尋ねていく道中の薫の思案を描いて、そのまま終わる。余韻を残した素晴らしい末尾である。
▼薫は、今度こそ匂宮を完全にシャッタアウトして、自分だけで、浮舟に会おうとする。しかも、匂宮の母である中宮にまで厳しく口止めをするという用意周到さである。それは、自分がこんどこそ浮舟を独占しようとしてのことではなく、浮舟の出家を静かに見守りたいという思いなのだろうか。けれども、それでも、浮舟の尼になった姿に幻滅しないだろうかと、思い惑う薫は、極めて人間的だ。
▼と、ぼくは思うのだが、「全集」の注は、もっと薫に厳しい。以下引用しておきたい。
▼「浮舟の変貌に対して、ここに登場する薫は依然としてもともままの彼である。その聡明とはいえ人目をはばかってばかりいる世俗的な処世術や浅薄な浮舟観、中途半端な恋愛態度は、せつない浮舟の生きざまとは対照的である。いったん絶たれた薫と浮舟との縁が再びつながるかにみえながら、その心の位相は遠く隔たっている。二人に今後再会の日は来るのか。読者をいぶかしがらせたまま、物語はいよいよ次の最終巻に移る。」
▼そうかもしれない、とも思うけれど、浮舟は、そんなに変貌したのだろうか、「世俗的」な薫とそんなに対照的だろうか。つまり、そんなに浮舟は宗教的、脱俗的だろうか。浮舟の出家も、宗教的というよりは、なにもかも嫌になったというだけの、半分やけっぱちの、ある意味では世俗的なものではなかったか。
▼薫には世俗的な処世術しかないというが、匂宮を排除する薫には、これ以上浮舟を男女関係の渦に巻き込みたくないという宗教的思いがあるのではないか。いやそれは口実で、やっぱり薫は浮舟を独占したいのだ、という反論が妥当なのだろうか。
▼いずれにしても、次の巻「夢の浮橋」を読んでみないと分からないだろう。読んでも分からないような気もするけれど。
▼さあ、あと、ほんの少し。ゴールはもう見えている。

 

【54 夢浮橋】

 

★『源氏物語』を読む〈374〉2018.4.15
今日は、第54巻「夢浮橋」(その1・読了)

▼横川の僧都から薫は詳しい事情を聞き出すことができた。それなら浮舟に間違いないと確信した薫は、僧都に小野への案内を頼むが断られる。薫を連れていって、そこで、せっかく尼になった浮舟と何かあったりしたら大変だと思うのだ。僧都はめんどうに巻き込まれたくないのだ。つまり、薫の言葉や態度から、浮気な気持ちが十分に読み取れたということだろう。
▼でも、薫は諦めない。幼いころから道心が深かったことを強調して、自分に不埒な気持ちなどあるわけがないと力説して、とうとう僧都に使いの者に持たせる紹介状を書かせる。
▼使者には、小君という浮舟の弟が選ばれた。年齢は分からないが、おそらく10代。まだ子どもである。
▼横川からの帰途、小野の近くを通り過ぎる薫の一行を見る浮舟の描写。
▼「小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて、紛るることなく、遣水(やりみず)の蛍ばかりを昔おぼゆる慰めにてながめゐたまへるに、例の、遙かに見やらるる谷の軒端より、前駆(さき)心ことに追ひて、いと多うともしたる灯(ひ)ののどからならぬ光りを見るとて、尼君たちも端に出でゐたり。『誰がおはするにかあるらん。御前などいと多くこそ見ゆれ」「昼、あなたにひきぼし奉れたりつる返り事に、大将殿おはしまして、御饗(おほむあるじ)のことにはかにするを、いとよきをりとこそありつれ」「大将殿とは、この女二の宮の御夫にやおはしつらむ」など言ふも、いとこの世遠く、田舎びたりにや。まことにさにやあらん、時々かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて聞こゆ。月日の過ぎゆくままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、今は何にすべきことぞと心憂ければ、阿弥陀仏に思ひ紛らはして、いとどものも言はでゐたり。」
▼【口語訳】小野の里では、女君(浮舟)が深々と生い茂った青葉の山に向って、気持の紛れようもなく、遣水に飛ぶ蛍ぐらいを昔を思い出す慰めとして思いに虚けていらっしゃると、軒端からいつも遠くまで見やられる谷あいに、特に注意して前駆を追う声がして、ほんとに数多くともした松明の灯のものものしい光が見えるとあって、尼君たちも端に出てすわっている。「どなたがお通りになるのでしょう。御前駆などがじつに大勢見えますこと」、「昼間、お山にひきぼしを持たせてあげた返事に、大将殿(薫)がおいであそばして、急にご接待をするので、ほんとにちょうどよい折です、とのことでした」、「その大将殿とは、今上の女二の宮のご夫君でいらっしゃいましたかしら」などと言っているのも、まったく世間離れして田舎びた様子ではないか。じっさいそうにちがいなかろう、大将殿がときどき、ここと同じような山道を分けて宇治にお越しになったときの、まさしくそれと思われた随身の声も、ふと中にまじって聞えてくる。月日の過ぎていくのにつれて、忘れてしまうはずの昔のことがこうして忘れられないでいるにつけても、いまさらどうなるものでもないと情けなく思わずにはいられないので、女君は、阿弥陀仏を念ずることに気をまぎらわし、いつにもましてものも言わずにいる。
▼青葉、遣水、蛍、前駆の持つ灯火、前駆の声、なんとも美しい情景だ。その情景が、浮舟の心には、宇治の情景と重なり夢のように浮かんでいる。
▼その日は、薫は素通りするが、翌日、小君を遣わして、僧都と自分の手紙を渡し、返事を求める。
▼尼妹は、どうか返事を書いてくださいと言うけれど、浮舟は、「昔のこと思ひ出づれど、さらにおぼゆることもなく、あやしう、いあかなりける夢にかとのみ、心も得ずなむ。」【昔のことを思い出そうにも、まるで何も心に思いうかばず、夢のような出来事と仰せられてもどうしたことか、どんな夢であったのかと合点がゆかないのでございます。】と言うばかりで、返事をかくことを拒むのだった。
▼薫は、むなしく帰ってきた小君にがっかりして、あれこれ思案をめぐらす。
▼「いつしかと待ちおはするに、かくたどたどくて帰り来たれば、すさまじく、なかなかなりと思すことさまざまにして、人の隠しすゑたるにやあらん、わが御心の、思ひ寄らぬ隈(くま)なく落としおきたまへりしならひにとぞ、本にはべめる。」
▼【口語訳】大将が今か今かとお待ちになっていらっしゃるところへ、こうして不確かなことで小君が帰ってきたので、おもしろからぬお気持になられて、なまじ使者をやらなければよかったと、あれやこれや気をおまわしになり、誰かが人目につかぬよう女君を隠し住まわせているのだろうかと、ご自分がかつて捨てておおきになったご経験から、あらゆる場合をご想像になられて……と、もとの本にございますそうな。
▼これが「夢浮橋」の末尾であり、「源氏物語」の末尾でもある。
▼最後の「本にはべめる」というのは、写本の筆者が、原本にはこうありましたとする注記だが、物語の最後に使う常套句だったらしい。
▼こうしてみると、前回引用した「全集」の注は、やはり的を射ているといえるだろう。薫は、まだ、浮舟とやり直せないかと思っているらしく、浮舟の「拒絶の真意」が分からない。それで、どうしたのかなあ、誰かが隠してしまったのかなあなどと思いを巡らしているのである。それに比べて、浮舟は、薫の手紙に涙を流しながらも、自分の生き方を貫こうとする。浮舟の出家も、決してやけっぱちのものではなく、深い絶望からのものだと考えるほうが妥当だろう。
▼世俗にどっぷりとつかっている男たちの中で、その男たちとの関係によってしか生きられない女が、こうした決然として生き方を選ぶことができたということは、たとえ物語の中のこととはいえ、当時としては驚異的なことであったろう。
▼というわけで、これで、「源氏物語」全巻読了となった。まずはめでたいことだ。
▼「桐壺」の巻を読み始めたのが、去年の2月20日だから、日数でいうと、役1年2ヶ月、回数では374回。まあ、よく続いたものである。今後、全巻通読はしないと思うが、折りに触れて、拾い読みをしていきたい。
▼FBに定期的にアップしてきた「読書」は、こうした形では、一端終了とします。長いこと、ご愛読ありがとうございました。「いいね」やコメントに励まされ、ここまで続けることができました。心より感謝申し上げます。



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