「源氏物語」を読む

 

No.1 桐壺 〜 No.5 若紫

 

 


【1 桐壺】

★『源氏物語』を読む〈1〉2017.2.20
今日は、第1巻「桐壺」(全)

▼今日から、『源氏物語』を読む。「日本古典文学全集12〜17」を読む。一日にどのくらい読むかは決めない。また必ず毎日読むということにもしない。ただ目標としては、今年中に全巻読了を目指したい。
▼『源氏物語』は、大学時代に友人と読書会をもち、約1年半をかけて通読したが、精読とまではいかなかった。その後、学校の授業で、「桐壺」「夕顔」「若紫」などは幾度となく「精読」したが、その他の巻は、ほとんど再読していない。今回は、少なくとも大学時代よりは、「古文の読解力」もついているから(あやしいが)、なるべく「精読」を心がけたいと思っている。
▼今日は、「桐壺」を読んだが、1時間ほどで読了。この半分近くは、暗記できるくらい読んできたので、新鮮味がない。けれども、教科書に載っていない部分は、やはり興味深い。
▼今までの長編読書シリーズは、すべて電子書籍化(自炊)した本をiPadで読んできたわけだが、今回は、「紙の本」。当然、ベッドの中で寝っ転がって読むというわけにはいかない。古語辞典を傍らに置いて、机に向かって読むことになる。まあ、それが当たり前なんだろうけど、なんか新鮮。

 

【2 帚木】

★『源氏物語』を読む〈2〉2017.2.21
今日は、第2巻「帚木(ははきぎ)」(その1)

▼「桐壺」は何回も読んでいるからあっという間に読み終えたが、「帚木」となると、もう大変。全然進まない。急ぐ旅でもなし、ゆっくりとまいろう。
▼「帚木」とあるだけでは、いったいどんなことが書かれているかと思う方のために、あらすじを載せておきます。ついでに「桐壺」の方も。

★『源氏物語』を読む〈3〉2017.2.22
今日は、第2巻「帚木」(その2)

▼いわゆる「雨夜の品定め」は、若い貴公子が、「どんな女がいいか」って、高校生みたいな談義をしていたのかと何となく記憶していたが、実際には、どういう女性が妻としては望ましいかというかなり真面目で、深刻な論議もあった。平安貴族の悩みも、今の男とそれほど変わりはない。こんなことは、高校生や大学生はしみじみ分かりはしないよね。

★『源氏物語』を読む〈4〉2017.2.23
今日は、第2巻「帚木」(その3)

▼「雨夜の品定め」での、左馬頭の経験談。「指食いの女」と「浮気な女」。どんな女性が妻にはいいかということだが、何しろ、複数の女性との関係を前提にしているので、男の勝手な言い分であることは間違いない。「浮気な女」のエピソードで、宮中から退出するときに、偶然同じ車(牛車だろう)に乗り合わせた殿上人が、こともあろうに自分がつきあっている女の所に立ち寄るところを目撃して、その女の格好つけた物言いやら振る舞いに「みちゃいられないなあ」と思っているところなんかの書き方は、なんとも巧みである。
▼その前に出てくる「指食いの女」の方は、しみじみあわれだ。でも、女はただ弱くて哀れというのではなくて、ちゃんと言うべきことは言ってるのだ。わたしだってウダツの上がらないあなたに、そのうち少しは出世するだろうと思って我慢してるのよ、みたいなことで、それじゃ、今の世と同じだ。で、結局、男は、それでもこの女の指に噛みつくほどの嫉妬深さを「直そう」として、わざとつれなくしているうちに、女は悲しみにくれて死んでしまうのだ。(源氏では、強いストレスがあると、割と簡単に死んでしまう。「桐壺更衣」も、「夕顔」も、あっけない。)その後で、男は、ああやっぱり、気を許せたのはあの女だったんだと後悔しているんだから、困ったもんである。
▼いったい何回で読了するのかが分からなくなるから、〈 〉で、何回目の読書か示すようにした。あくまで自分用です。

★『源氏物語』を読む〈5〉2017.2.24
今日は、第2巻「帚木」(その4)

★『源氏物語』を読む〈6〉2017.2.25
今日は、第2巻「帚木」(読了)

▼今日は、腰痛のため寝っ転がっているしかないので、こっちの読書は進んだ。ただ、寝っ転がって読むには、「古典文学全集」は重いし大きいので、同じ底本を使っている新潮社版「新潮日本古典集成」で読んだ。これは、口語訳が傍注でついているので、読みやすいのだが、いちおう意味を把握した上で、もう一度原文だけ読みたいと思うと、かえって傍注が邪魔になるという欠点もある。
▼「帚木」の前半は「雨夜の品定め」、そして後半は、「空蝉」の話である。みんなが憧れる源氏に言い寄られて嬉しいのだが、夫のある身であるために源氏を拒むという女性で、その心の葛藤が切実に描かれていてなかなか面白い。

 

【3 空蝉】

★『源氏物語』を読む〈7〉2017.2.26
今日は、第3巻「空蝉」(その1)

▼前巻「帚木」の後半から引き続き、「空蝉」と呼ばれる女とのいきさつを語る。「軒端荻(のきばのおぎ)」と呼ばれる女(空蝉の亭主の妹、つまり義理の妹)と「空蝉」が、囲碁をしているところを源氏は覗き見るのだが、二人の女の対照が妙である。お暇な方は、ゆっくりと読んでみてください。

★『源氏物語』を読む〈8〉2017.2.27
今日は、第3巻「空蝉」(読了)

▼「空蝉」の巻は、短いので、すぐに読了。
▼お目当ての「空蝉」は、源氏の侵入に気づいて、夜着にかけていた単衣をその場に脱ぎ捨てて逃げてしまう。たまたまそこにお泊まりしていた「軒端荻」を「空蝉」と勘違いして抱き寄せた源氏は、「何か違うなあ」と気づいて、あ、あの子だと思うのだが、結局契りを結んでしまう、というお話。それでも、「空蝉」や、源氏の心境が、細かく描かれていて、思わず引き込まれる。
▼とっておけばよかったなあと思っていたら、本棚にちゃんとあった「源氏物語必携」。大学時代に読んだ時、ずいぶんお世話になった本。今回も、お世話になります。

 

【4 夕顔】

★『源氏物語』を読む〈9〉2017.2.28
今日は、第4巻「夕顔」(その1)

▼「夕顔」は、高校の古典の教科書でもお馴染み。「源氏物語」は、長編物語だが、「桐壺」の巻から、最終巻「夢の浮橋」まで、一貫した流れで進むわけではない。紫式部が、「桐壺」から「夢浮橋」までを、その順番通りに書いたとも思われていない。短編がいわばモザイクのように組み合わさって出来ているといってもいいかもしれないのだ。その中でも、たとえば「夕顔」の巻は短編的な性格が強く、つまり、ここだけ読んでもよく分かる、ということで、教科書にもよく採られるわけである。
▼いずれにしても、ここでも「雨夜の品定め」に出てきた「中くらいの階層の女性にいい人がいる」という情報が源氏に影響を与えているわけで、しかも、「夕顔」は、かつて頭中将が付き合ったことのある女であることで、ちょっと「できすぎ」感のある展開だが、この「夕顔」が、あっという間に死んでしまう部分が教科書によく採られる。

★『源氏物語』を読む〈10〉2017.3.1
今日は、第4巻「夕顔」(その2)

▼大学時代の「源氏物語読書会」に、何回か、鈴木一雄先生が参加してくださったことがある。そのうち1回は梅ヶ丘にあった先生のご自宅に伺った。大学がロックアウトされている中、たった3人で、大学近くの喫茶店を渡り歩きながら細々と読書会をつづけているぼくらを「あはれ」と思ったようで、「ぼくも入れてくれ」と言ってくださったのだ。そこで何を話されたのかほとんど記憶にないが、ある時、「源氏はねえ、長い文章がえんえんと続いたあと、突然短い文をポンと入れる。それが絶妙なんだよねえ。」というようなことをおっしゃった。この部分を読みながら、ふとその時の先生の声がよみがえった。
▼「ゆれる女心」といったところだろうか。「空蝉」の心境の描写はすばらしい。源氏は、「空蝉」に心を残しながらも、一方の「軒端荻」にかんしては、夫ができたとしても、あの子は、きっとぼくになびいてくれるからいいや、ってなもんで、彼女の結婚話をきいても、「御心も動かずぞありける」なのだ。勝手だよね。でも、あまり真面目に、道徳的に、こうしたことを捉えると、「頭に来た!」ってことになるので、現代の読者は注意が必要。
▼ところで、今日は、「源氏物語読書会」のメンバー3人で、飲み会。久しぶりに源氏の話題で盛り上がるかもしれない。楽しみ。腰の調子もよくなってきたし。

★『源氏物語』を読む〈11〉2017.3.2
今日は、第4巻「夕顔」(その3)

★『源氏物語』を読む〈12〉2017.3.3
今日は、第4巻「夕顔」(その4)
▼いよいよ教科書でお馴染みの「廃屋」の場面。しかし「廃屋」っていっても、そんなにあばら家じゃなさそう。
▼源氏好みの女性って、もちろん絶世の美女もいるんだけど、「それほどキワだって美人だとか色っぽいとかいうわけじゃないんだけど、なんか心惹かれるんだよなあ。」という女性も多い気がする。この「夕顔」もそうだし、「空蝉」もそうだった。

★『源氏物語』を読む〈13〉2017.3.4
今日は、第4巻「夕顔」(その5)

▼源氏は「夕顔」を、「なにがしの院」(どこだか分からない何とか院、ということ)へ連れていき、そこでゆっくりと過ごそうとするのだが、その夜、「夕顔」は、「物の怪」にとりつかれたのか、あっけなく死んでしまう。この辺の描写がスリリングで分かりやすいので、教科書に採られることが多い。「分かりやすい」といっても、一人でスラスラとはとてもいかないことは確か。これだけ読むにも、教室では最低でも5時間はかかりそう。

★『源氏物語』を読む〈14〉2017.3.5
今日は、第4巻「夕顔」(その6)

▼「夕顔」はあっけなく死んでしまうのだが、いったん家に帰った源氏は、諦めきれずに「夕顔」の死に顔を見に出かけていく。教科書では、「夕顔」が死んだところで終わってしまうが、その後がまた余韻があってすばらしい。

★『源氏物語』を読む〈15〉2017.3.6
今日は、第4巻「夕顔」(読了)

▼「夕顔」が死んだあと、それがかつての頭中将が付き合っていた女性だということが分かる。しかも、女の子もいるのだ。けれど、源氏は頭中将には言わない。この女の子は後でまた「玉鬘(たまかずら)」として登場してくる。

 

【5 若紫】

★『源氏物語』を読む〈16〉2017.3.7
今日は、第5巻「若紫」(その1)

▼この「若紫」の巻は、冒頭部が教科書の定番といっていい。もう何十回と読んできているので、あっさり読める。しかし、あっさり読めるというのも考えもので、それだけ、深く心にとどまらないということでもある。いや、とどまりすぎているのか?
▼今いうところの「かいまみる」というのは「垣間見る」ということで、「垣根の隙間から覗き見る」という意味。「覗き」は今ではヘタをすれば犯罪だが、「源氏物語」では、この「垣間見」が重要な場面であることが多いので、教科書でも、カラーで載せている。昔の教科書からすれば、信じられない豪華さだ。
▼それにしても、「若紫」の何というカワイイ登場のしかただろう。その子を見て、「なんでこんなにこの子にオレは惹かれるのか?」と自問して、「藤壺」の面影があるからなんだと気づいて、思わず泣いちゃう源氏の、何という純情さ。これだけ女遊びをしているのに、憎めないのは、この純情さゆえなのだろうか。

★『源氏物語』を読む〈17〉2017.3.8
今日は、第5巻「若紫」(その2)

★『源氏物語』を読む〈18〉2017.3.9
今日は、第5巻「若紫」(その3)

▼「葵上」は、何から何まできっちりしていて、それが気詰まりだと源氏は思って疎まれる。源氏がたまに訪れても、何から何までばっちり決めているのに、顔を見せない。源氏が寝室に入っても、「葵上」は入ってこない。源氏は、それで、「若紫」のことを思って、あの子を手に入れて、自分好みの女性に育てたいなんて思うのである。と書くと、なんじゃそりゃってなっちゃうんだけどねえ。
▼当時は「世の中」=「男女の仲」という意味なんだけど、「世の中」はままならぬというのは、昔も今も同じであるようだ。それも、たぶん、男が悪い。ほとんど、そう。

★『源氏物語』を読む〈19〉2017.3.10
今日は、第5巻「若紫」(その4)

▼手紙などの書き方、仮名の連綿などのことが出てきていて、興味深い。手紙をきちんと包まないのが、センスいいとか、当時の美意識もおもしろい。
▼さて、次回から、いよいよ源氏と藤壺の密会の場。


★『源氏物語』を読む〈20〉2017.3.11
今日は、第5巻「若紫」(その5)

▼「藤壺」との禁断の密会の場面は、あっけないくらいに短い。源氏の生涯を貫く苦悩の根源なのに、え、これしか書いてないの? っていうくらい短い。

★『源氏物語』を読む〈21〉2017.3.12
今日は、第5巻「若紫」(その6)

▼「若紫」が忘れられない源氏は、病気の尼君の元を訪れて、「若紫」に会わせてくれと頼むのだが、その折も折、奥の方から「若紫」がやってくる音がして、「源氏の君がいらしているのですって。」と尼君に話しかける声が聞こえる。もう、ほんとに、うまい

★『源氏物語』を読む〈22〉2017.3.13
今日は、第5巻「若紫」(その7)

▼尼君は亡くなり、その尼君を恋したって泣く「若紫」に、「これからは、私があなたを可愛がるからね。」なんて言って、きれいな髪などを撫でている自分を、源氏はわれながら「異常だ」と思いつつ、その思いはどうにもならない。こうした場面はドキドキするほどスリリングだ。こうした場面は、さすがに教科書には載せられない。載せれば、生徒もけっこうのってくると思うんだけど、まあ、無理か。普通に(?)に授業してても、「先生はエロい」ってよく言われたしなあ。

★『源氏物語』を読む〈23〉2017.3.14
今日は、第5巻「若紫」(読了)

▼とうとう源氏は「若紫」を自分の屋敷に「拉致」してきてしまう。この時、源氏は18歳、「若紫」は10歳。いくら何でも非常識な話で、授業で「若紫」を読んで、「その後」を話すと、生徒も呆れてしまう。しかし、この「拉致」は非常識であっても、源氏の「若紫」への思いは、もちろん「ロリコン」なんていうレベルに収斂するわけではない。けれども、単純化するとそうなってしまうので、高校生相手の授業も楽じゃないわけである。
▼それにしても、いくら源氏の地位が高いからといって、自分の娘をそうやすやすと源氏が強引に引き取ってしまうのを父親(兵部卿宮)が許すのはおかしいなあと思っていたのだが(この「若紫」の巻では、まだ、父親は彼女の行方を知らない。)、今回改めて詳しく読んでみると、そもそも「若紫」は、兵部卿宮の正妻の子どもではなく、そのため、正妻からいわば「継子イジメ」にあっていたのだった。「若紫」の母親は彼女が幼いころに亡くなっており、そのため、継母に育てられるよりはと「尼君」(生みの母の母、つまり実の祖母)の元に預けられていたのだ。したがって、父親としても、「若紫」とはそれほどなじんでいるわけではなく、また正妻が嫌がるので、「若紫」を引き取ることをためらっていたという複雑な事情があったことをはっきりと認識できた。
▼いや、源氏はやっぱりすごい。大学生のころに読んで、これを超える文学作品は日本にはないだろうと思ったものだが、その思いは変わらない

 

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