徳田秋声「新所帯」を読む 20〜32

 

 

 


 

徳田秋声『新所帯』 20 冷たい心   2019.4.3

 二人っきりで酒を飲んでいるうちに、何やらアヤシイ雰囲気になってきた新吉とお国だが、新吉は、ふとお国に「不快感」を感じる。お国の真意をはかりかねるからだ。

 で、新吉は話題を転じる。今は監獄にいるお国の亭主、小野のことを持ち出したのだ。

 

「小野さんも、この春は酒が飲めねえで、弱っているだろう。」と新吉はふと言い出した。
 それから二人の間には、小野の風評(うわさ)が始まった。お国はあの人と知っているのは、もう二、三年前からのことで、これまでにも随分いい加減な嘘を聞かされた。そのころは自分もまだ一向初(うぶ)である若い書生肌の男と一緒に東京へ出て来た。宅(うち)は田舎で百姓をしている。その男が意気地がなかったので、長い間苦労をさせられた。それから間もなく小野と懇意になった。会社員だという触込みであったが、覩(み)ると聴くとは大違いで、一緒に世帯を持って見ると、いろいろの襤褸(ぼろ)が見えて来た。金は時たま三十四十と攫(つか)んでは来るが、表面(うわべ)に見せているほど、内面は気楽でなかった。才は働くし、弁口もあるし、附いていれば、まさかのめって死ぬようなこともあるまいけれど、何だか不安でならなかった。着物も着せてくれるし、芝居も見せてくれるが、それはその場きりで、前途(さき)の見越しがつかぬから、それだけで満足の出来よう道理がない……とお国はシンミリした調子で、柄にないジミな話をし始めた。
「私真実(ほんとう)にそう思うわ。明けるともう二十五になるんだから、これを汐に綺麗に別れてしまおうかと……。」
 新吉は黙っていた。聞いているうちに、何だか女というものの心持が、いくらか胸に染みるようにも思われた。

 

 ここで、初めてお国と小野の関係があきらかになる。もちろん夫婦だということは最初から明かされているわけだが、お国については、小野にどんな女に見えるかと聞かれて、「解んねえな。どうせ素人じゃあるめえ。莫迦に意気な風だぜ、と言って、芸者にしちゃどこか渋皮の剥けねえところもあるし……。」と新吉が答えると、「『そんな代物じゃねえ。』と小野は目を逸(そら)して笑った。」とある。

 素人じゃないが、芸者にしてはイマイチといった感想を漏らす新吉に「そんな代物じゃねえ」と目を逸らした小野の真意はあいまいだったが、ここまで読むと、芸者ではなかったようだ。お国にもお国の苦労があったのだ。男についていくしかない女というものに、新吉は「いくらか胸に染みるようにも思われた」というのだが、それはいいとしても、「これを汐に綺麗に別れてしまおうかと……。」というお国の言葉が、新吉との関係を迫る言葉だとは思わなかったのだろうか。新吉はただ女って哀れなものだとか思って、「胸に染みる」思いをするが、それで終わってしまって、場面は次へ移っていく。

 

 正月になってから、新吉は一度お作を田舎に訪ねた。
 町が寂れているので、ここは春らしい感じもしなかった。通り路は、どこを見ても、皆窓の戸を鎖して寝ているかと思う宅ばかりで、北風に白く晒された路のそこここに、凍てついたような子守や子供の影が、ちらほら見えた。低い軒がどれもこれもよろけているようである。呉服屋の店には、色の褪めたような寄片(よせぎれ)が看るから手薄に並べてある。埃深(ほこりぶか)い唐物屋(とうぶつや)や古着屋の店なども、年々衰えてゆく町の哀れさを思わせている。ふといつか飛び込んだことのある小料理屋が目に入った。怪しげなそこの門を入って、庭から離房(はなれ)めいた粗末な座敷へ通され、腐ったような刺身で、悪い酒を飲んで、お作一家の内状を捜(さぐ)った時は、自分ながら莫迦莫迦しいほど真面目であった。新吉は外方(そっぽう)を向いて通り過ぎた。
 こういう町に育ったお作の身の上が、何だか哀れなように思われてならなかった。この寂れた淋しい町に、もう二月の以上も、大きい腹を抱えて、土臭い人たちと一緒にいることを思うと、それも可哀そうであった。ショボショボしたような目、カッ詰ったような顔、蒼白い皮膚の色、ザラザラする掌(て)や足、それがもう目に着くようであった。何だか済まないような気もしたが、行って顔を見るのが厭なような心持もした。

 

 ようやく新吉はお作のところへ出かけていく。田舎といっても、「八王子のずっと手前」で、今でいえば、国分寺とか、三鷹とか、そんなあたりだろうか。

 この町の寂れ方は尋常じゃない。「年々衰えてゆく町の哀れさ」というあたり、東京郊外の疲弊が目に見えるように描かれている。この小説が書かれたのは明治41年。花袋の『田舎教師』がその翌年。それを考えると、この時代というのは、「田舎」がほんとうに貧しかったのだということが実感される。田舎が貧しければ、都会だって貧しいはずだ。日露戦争の勝利に酔っている間にも、貧困はますますその度合いを強めていったのだろう。

 こんな寂れた町に育ち、今また身重な体を抱えてここに過ごしているお作のことを、新吉は哀れにも可哀そうにも思うのだが、お作の容姿を思い出すと、「何だか済まないような気もしたが、行って顔を見るのが厭なような心持もした。」とある。

 ひどいヤツである。冷たい男である。お作に対する愛情のかけらも感じられない。自分の子どもを宿している妻が、こんな寂しいところによんどころなく住んでいるというのに、「行って顔を見るもの嫌なような気がした」とは何事であろうか。

 しかし、これが新吉のリアルな心情なのだ。家で差し向かいで飲んだお国の色っぽさと比べると、お作には何の魅力もない。そのうえ、やっかいな子どもまではらんでいる。しかも、お作の周囲には「土臭い」人間ばかりだ。いったいオレはなんでこんな女と結婚したのだろう、という後悔が新吉にはあるのだから始末が悪い。

 

 一里半ばかり、鼻のもげるような吹曝(ふきさら)しの寒い田圃道を、腕車(くるま)でノロノロやって来たので、梶棒と一緒に店頭(みせさき)へ降されたとき、ちょっとは歩けないくらい足が硬張(こわば)っていた。
 車夫(くるまや)に賃銀を払っていると、「マア!」と言ってお作が障子の蔭から出て来た。新吉が新調のインバネスを着て、紺がかった色気の中折を目深に冠った横顔が、見違えるほど綺麗に見え、うつむいて蟇口から銭を出している様子が、何だか一段も二段も人品が上ったように思えた。
「よく来られましたね。寒かったでしょう。」とお作は帽子やインバネスを脱がせて、先へ奥に入ると、
「阿母(おっか)さん、宅(うち)でいらっしゃいましたよ。」と声をかけた。
 新吉が薄暗い茶の室(ま)の火鉢の側に坐ると、寝ぼけたような顔をして、納戸のような次の室から母親が出て来た。リュウマチが持病なので、寒くなると炬燵にばかり潜り込んでいると聞いたが、いつか見た時よりは肥(ふと)っている。気のせいか蒼脹(あおぶく)れたようにも見える。目の性が悪いと見えて、縁が赭(あか)く、爛れ気味であった。
 母親は長々と挨拶をした。新吉が歳暮の砂糖袋と、年玉の手拭とを一緒に断わって出すと、それにも二、三度叮寧にお辞儀をした。
 しばらくすると、嫂(あによめ)も裏から上って来て、これも莫迦叮寧に挨拶した。兄貴はと訊くと、今日は隣村の弟の養家先へ行ったとかで、宅(うち)には男片(おとこぎれ)が見えなかった。

 

 新吉からすれば「顔も見るのも嫌な気のする」お作だが、そのお作からすると、人力車から降り立った新吉は美しく、人間もぐっと立派になったように見える。「新吉が新調のインバネスを着て、紺がかった色気の中折を目深に冠った横顔が、見違えるほど綺麗に見え、うつむいて蟇口から銭を出している様子が、何だか一段も二段も人品が上ったように思えた。」という描写は、お作の目に映った新吉を鮮やかに描いて見事だ。

 一方、新吉の目にうつるお作の母親や嫂は、同情を排した冷酷な筆で、徹底的に侮蔑的に描かれる。それは、彼女らへのどうしようもない侮蔑の念が新吉の心の中に渦巻いているからなのだ。

 こんなにも、人間に対する暖かみのない視線を、つまりは新吉の冷たい心を描くことのできる秋声の筆力にはただただ驚かされるばかりである。

 

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 21 「主人」という言葉   2019.4.7

 

 新吉の、お作とその家族への冷たい視線は、なおも続く。

 

 嫂というのも、どこかこの近在の人で、口が一向に無調法な女であった。額の抜け上った姿(なり)も恰好もない、ひょろりとした体勢(からだつき)である。これまでにも二度ばかり見たが、顔の印象が残らなかった。先もそうであったらしい。今日こそは一ツ、お作の自慢の婿さんの顔をよく見てやろう……といった風でジロジロと見ていた。お作はベッタリ新吉の側へくっついて坐って、相変らずニヤニヤと笑っていた。
「サア、ここは悒鬱(むさくる)しくていけません。お作や、奥へお連れ申して……何はなくとも、春初めだから、お酒を一口……。」
「イヤ、そうもしていられません。」と新吉は頭を掻いた。「留守が誠に不安心でね……。」
「いいじゃありませんか。」お作は自分の実家(さと)だけに、甘えたような、浮ずったような調子で言う。
「サア、あちらへいらっしゃいよ。」
 新吉は奥へ通った。お作が母親や嫂に口を利くのを聞いていると、良人の新吉のことを、主人か何かのように言っている。嫂に対してはそれが一層激しい。「あまり御酒(ごしゅ)は召し食(あが)りませんのですから。」とか、「宅(うち)は真実(ほんとう)にせかせかした質(たち)でいらっしゃるんですから……。」とかいう風で……が、嫂の耳には格別それが異様にも響かぬらしい。「ヘエ、さいですか。」と新吉の顔ばかり見ている。新吉はこそばゆいような気がした。

 

 嫂の描写も身も蓋もないもので、「抜け上がった額」「ひょろりとした体勢」ばかりが印象に残るが、「顔」の印象がないっていうのもヒドイ話だ。しかし、嫂のほうからしても、新吉の顔の印象がないということらしく、ジロジロと見る。

 この「ジロジロ」とか、その後の「ベッタリ」とか「ニヤニヤ」とか、通俗的なオノマトペを多用することで、表現が一層侮蔑的になることを作者は計算し尽くしているのだ。

 お作は、実家にいることで、新吉のところにいた時よりも遠慮がない。お作の居場所は、やはり実家なのだ。その自分の居場所に新吉が来た。その新吉のことがお作は自慢なのだ。それがこうした馴れ馴れしい態度として表れるわけで、いじらしい。

 ところで、「お作が母親や嫂に口を利くのを聞いていると、良人の新吉のことを、主人か何かのように言っている。」というところがひっかかる。

 「良人」とは「夫」のことだ。その「夫」のことを「主人か何かのように言っている」というのからには、当時は「夫=主人」ではなかったということになる。もちろん、「主人」というのは、「他人を従属または隷属させている者。他人を使用している者。領主、首領、雇い主など。」(『日本国語大辞典』)の意味だから、もともと「夫」の意味を持っていたわけではなかった。この「雇い主」の意味の言葉を「夫」の別称として使い始めたのはいったいいつの頃からだったのだろうか。『日本国語大辞典』には、「妻が他人に対して夫のことをさしていう。」の意の用例として、1962年の庄野潤三の『道』という小説の「初めて主人が家出をしたことに気が附きました」という部分を挙げている。『日本国語大辞典』の用例は、原則として、もっとも古い用例を挙げているから、これ以前の用例はなかったことになる。ほんとだろうか。

 ちなみに、漱石の『それから』『明暗』などで、「主人」の用例を探してみたが、どれも大量に出てくるものの、いずれも「妻が他人に対して夫のことをさしていう」の意での「主人」ではないようだ。

 とすれば、妻が夫のことを「主人」と言うようになったのは、つい最近(と言っても50年も前だが)のことだということになる。ちょっと調べただけなので、確かなことは言えないが、もしそうだとしたら、おもしろい。もう少し詳しく調べてみたいものだ。

 「あまり御酒(ごしゅ)は召し食(あが)りませんのですから。」というような言い方は、当時では、妻が夫については言わなかったことは確かなようで、それにもかかわらず、「嫂の耳には格別それが異様にも響かぬらしい」としているのは、嫂が上の空だったからか、それとも、田舎では妻というものは、「夫」を「主人」として「仕える」のが当たり前だったということだろうか。

 それではまた、当時、妻は夫について語るとき、どんなふうに言っていたのだろうか。その辺も、他の小説で調べてみたいところである。

 

 しばらくすると、お作と二人きりになった。藁灰のフカフカした瀬戸物の火鉢に、炭をカンカン起して、ならんで当っていた。お作はいつの間にか、小紋の羽織に着替えていた。が東京にいた時より、顔がいくらか水々している。水ッぽいような目のうちにも一種の光があった。腹も思ったほど大きくもなかったが、それでも肩で息をしていた。気が重いのか、口の利き方も鈍かった。差し向いになると黙ってうつむいてしまうのであるが、折々媚びるような素振りをして、そっと男の顔を見上げていた。新吉は外方(そっぽう)を向いて、壁にかかった東郷大将の石版摺りの硝子張りの額など見ていた。床の鏡餅に、大きな串柿が載せてあって、花瓶に梅が挿してあった。

 

 実家に帰ってから、東京での緊張感がとけたのか、お作には生気が戻っている。「折々媚びるような素振りをして、そっと男の顔を見上げ」るが、新吉はお作を見ないで、部屋の中を見る。その部屋の飾り物が、いちいち印象的だ。新吉にとっては、もはやお作は、やっかいなお荷物となっているのだろうか。


「今日はお泊りなすってもいいんでしょう。」お作は何かのついでに言い出した。
「イヤ、そうは行かねえ。日一杯に帰るつもりで来たんだから。」新吉は素気(そっけ)もない言い方をする。
 しばらく経ってから、「このごろ、小野さんのお内儀(かみ)さんが来ているんですって……。」
「ア、お国か、来ている。」と新吉はどういうものか大きく出た。

 

 痛いところを突かれた新吉は、「どういうものか大きく出た」とある。つまり、居直りである。「ア、お国か、来ている。」という簡単な言葉が「大きく出た」とされるのは、内心やましいところのある新吉が、お国が来ていることを即座に肯定するのはなかなか勇気のいることだったからだ。「大きく」ではなくて、「普通に」出るなら、「お国か、まあ、ときどき顔を出すぜ。」ぐらいだろうか。あるいは、もうちょっとドギマギしたら、「お国か、まあ、たまに顔を出すことはあるが、それがどうした?」となるかもしれない。それを「ア、お国か、来ている。」と真っ向から肯定したわけだ。それでガタガタ言われるなら、お作とは別れたっていいぐらいの気持ちがあったのかもしれない。

 当然お作は不安だし、不満だ。

 

 お作はうつむいて灰を弄(いじ)っていた。またしばらく経ってから、「あの方、ずっといるつもりなんですか。」
「サア、どういう気だか……彼女(あれ)も何だか変な女だ。」新吉は投げ出すように言った。
「でも、ずるずるべったりにいられでもしたら困るでしょう。」お作は気の毒そうに、赤い顔をして言った。

 

 「気の毒そうに」というのは、ほんとうにお作が新吉のことを「気の毒」に思ったということではないだろう。「困るでしょう」という言葉が「気の毒がっている」意味だということで、お作の気持ちは「赤い顔をして言った」の方にある。気の毒がっているような言葉を使いながら実は嫉妬している自分を恥じているのだろう。

 

 新吉は黙っている。
「今のうち、断わっちまうわけには行かないんですの。」
「そうもいかないさ。お国だって、さしあたり行くところがないんだからね。」と新吉は胡散(うさん)くさい目容(めつき)をして、「それに宅(うち)だって、まるきり女手がなくちゃやりきれやしない。人を傭うとなると、これまたちょっと億劫なんです。だからこっちも別に損の行く話じゃねえし……。」と独りで頷(うなず)いて見せた。

 

 面倒なことにならないうちに断れないのか、というのはお作の嫉妬だ。新吉は、そういうわけにもいかない事情を、お国の「行く所ところがない」ことと、ただで働いてくれているんだから「別に損の行く話じゃねえ」ということに求めて自分で納得しようとする。もちろん、後ろめたいからだ。

 お作は、ますます不安になる。自分が捨てられるのではないかという不安だ。

 

 お作は一層不安そうな顔をした。
「でもこの間、和泉屋さんが行った時、あの方が一人で宅(うち)を切り廻していたとか……何だかそんなようなお話を、小石川の叔父さんにしていたそうですよ。」とお作はおずおず言った。「それに、あなたは少しも来て下さらないし、気分でも少し悪いと、私何だか心細くなって……何だってこんなところへ引っ込んだろうと、つくづくそう思うわ。」
「お前の方で引き取ったのじゃないか。親兄弟の側で産ませれば、何につけ安心だからというんで、小石川の叔母さんが来て連れて行ったんだろう。」と新吉は邪慳そうに言った。
「それはそうですけれど。」
「その時私がちゃんと小遣いまで配(あてが)って、それから何分お願い申しますと、叔母っ子に頼んだくらいじゃないか。」と新吉の語気は少し急になって来た。
「己(おれ)はすることだけはちゃんとしているんだ。お前に不足を言われるところはねえつもりだ。小野なんぞのすること見ねえ、あの内儀さんと一緒になってから、もう大分になるけれど、今に人の宅(うち)の部屋借りなんぞしてる始末だ。いろいろ聞いて見ると随分内儀さんを困らしておくそうだ。そのあげくに今度の事件だろう。内儀さんは裸になってしまったよ。いるところもなけれア、喰うことも出来やしない。その癖あの内儀さんと来たら、なかなか伎倆(はたらき)もんなんだ。客の応対ぶりだって、立派なもんだし、宅もキチンキチンとする方だし……どうしてお前なんざ、とても脚下(あしもと)へも追っ着きゃしねえ。」
 お作は赤い顔をしてうつむいていた。
「私(あっし)なんざ、内儀さんにはよくする方なんだ。これで不足を言われちゃ埋(うま)らないや。」
「不足を言うわけじゃないんですけれど……。」お作はあちらの部屋へ聞えでもするかと独りではらはらしていた。
「真実(ほんと)に……。」と鼻頭(はなさき)で笑って、「和泉屋の野郎、よけいなことばかり弁(しゃべ)りやがって、彼奴(あいつ)に私(あっし)が何の厄介になった。干渉される謂(い)われはねえ。」と新吉はブツブツ言っていた。
「そうじゃないんですけれどね……。」お作はドギマギして来た。

 

 お作のおずおずと口にする不満と不安に、短気な新吉は、だんだん激してきて、つい本音が出てしまう。

 小野にくらべればオレはどれだけマシか考えてみろ、お前をちゃんと食わせてやっているだろうというだけならまだしも、お国に比べたらお前なんか足もとにも及ばないとまで言われては、お作も浮かばれない。気の強い女なら、ただじゃ済まないところだが、お作はドギマギするばかりだ。

 

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 22 それでも帰ってしまう   2019.4.11

 

 前回、「主人」という言葉が、妻から夫を指す意味で使われた最初の例が、1960年代だと書いたが、その後の調べて、そんなことはなくて、1910年の鴎外の『青年』にもすでに用例があることが分かった。『日本国語大辞典』の用例は、古い順に並んでいるという思い込みがなせる間違いだった。「用例の古い順」は、あくまで古語に限ったことらしく、近代では、そこまで調べきれていないということだろう。改めて、ここに訂正致します。ただし、もっとも古い用例はどこか、引き続き調べていきたいとおもっております。

 さて、お国が家に居着いていることに不満を漏らしたお作だが、新吉に居直られてしまってドギマギするばかり。それを察して、お作の母親が割ってはいる。

 

「マア一口……。」と言って、初手に甘ッたるい屠蘇を飲まされた。それから黒塗りの膳が運ばれた。膳には仕出し屋から取ったらしい赤い刺身や椀や、鯔(いな)の塩焼きなどがならべてあった。
「サア、お作や、お前お酌をしてあげておくれ。あいにくお相をする者がおりませんでね……。」
 お作は無器用な手容(てつき)で、大きな銚子から酒を注いだ。新吉は刺身をペロペロと食って、けろりとしているかと思うと、思い出したように猪口を口へ持ってゆく。
「阿母(おっか)さん、一つどうですな。」とやがて母親へ差した。
「さようでございますかね。それでは……。」と母親は似而非笑(えせわら)いをして、両手で猪口を受け取った。そうしてお作に少しばかり注がせて、じきに飲み干して返した。

 

 甘ったるい屠蘇に赤い刺身や鯔(ボラの幼魚のこと)の塩焼き。どうにも旨そうな感じがしない書きぶり。それは、「新吉は刺身をペロペロと食って、けろりとしているかと思うと、思い出したように猪口を口へ持ってゆく。」という描写でも同じ。この「けろりとしている」というのは、「何事もなかったかのように平然としている」(『日本国語大辞典』)という意味で、面白い言葉だ。江戸時代から使われている言葉で、明治になると、「状態が前とすっかり変わったりするさまを表わす語。」の意味でも使われるようになる。ここではもちろん前者の意味で、刺身を食っても、何の感動もみせない、つまりはたいしてうまくないわけである。

 まあ、それでも新吉は義理の母に、いちおうはお愛想を言う。母親の「似而非笑(えせわら)い」も興ざめ。続いて母親の口説き。

 

「これも久しく東京へ出ていたせいでござりますか、大変に田舎を寂しがりまして……それに、だんだん産月(うみづき)も近づいて参りますと、気が鬱(ふさ)ぐと見えまして、もう自分で穴掘って入(へえ)るようなことばかり言っておるでござります。」とそれからお作が亭主や家思(うちおも)いの、気立ての至って優しいものだということを説き出した。前(ぜん)に奉公していた邸(やしき)で、ことのほか惜しまれたということ、稚(ちいさ)い時分から、親や兄に、口答え一つしたことのない素直な性質だということも話した。生来(うまれつき)体が弱いから、お産が重くでもあったら、さぞ応えるであろうと思って、朝晩に気をつけて大事にしていること、牛乳を一合ずつ飲まして、血の補いをつけておることなども話した。産れる子の初着などを、お作に持って来さして、お産の経験などをくどくどと話した。
 新吉は「ハ、ハ。」と空返辞(からへんじ)ばかりしていたが、その時はもう酒が大分廻って来た。

 

 お作の精神状態が非常に悪いことを母親は訴える。そして、お作の長所も力説する。ところが、新吉にはそのことがほとんど心に響かない。その話は「くどくどと」と感じられるばかりだ。

 「くどくどと話した。」という表現は、作者の客観的な描写ではなくて、あくまで新吉にそう感じられたということである。ちなみに『日本国語大辞典』では、「くどくど」は、「しつこく繰り返して言うさま、うるさく長々としゃべるさまを表わす語。」とある。これも1620年には使われている由緒正しい言葉だ。

 「くどくどと話した。」というのは「繰り返し話した。」というだけではなく、「『うるさいなあ、くどいなあ、いつまでしゃべってるんだ』とうんざりするように話した。」という意味で、したがって、新吉の気持ちを反映していると考えるべきなのだ。

 母親の言葉がちっとも心に沁みない新吉は、「空返事」をするばかり。

 

「お店の方も、追い追い御繁昌で、誠に結構でござります。」母親は話を変えた。
「お蔭でまアどうかこうか……。」と新吉は大概肴を荒してしまって、今度は莨を喫い出した。そうして気忙しそうに時計を引き出して、「もう四時だ。」
「マア、あなたようござりましょう。春初めだからもっと御ゆっくりなすって……そのうちには兄も帰ってまいります。」と母親は銚子を替えに立った。
 二人とも黙ってうつむいてしまった。障子の日が、もう蔭ってしまって、部屋には夕気(ゆうけ)づいたような幽暗(ほのぐら)い影が漂うていた。風も静まったと見えて、外はひっそとしていた。
「今日は、真実(ほんとう)にいいんでしょう。」お作はおずおず言い出した。
「商人が家(うち)を明けてどうするもんか。」と新吉は冷たい酒をグッと一ト口に飲んだ。
 それからかれこれ一時間も引き留められたが、暇(いとま)を告げる時、お作は低声(こごえ)で、「お産の時、きっと来て下さいよ。」と幾度も頼んだ。
 店頭(みせさき)へ送って出る時、目に涙が一杯溜っていた。


 話題を変えようがなにしようが、いっこう興味を示さずに、さっさと食事を終えて(「大概肴を荒らしてしまって」の表現も、新吉のがさつな食べ方を表していて見事)、タバコをふかしながら、「気忙しそうに時計を引き出して、『もう四時だ。』」と呟く新吉には、母親への同情はおろか、お作への気遣いすらない。

 「時計を見る」ことほど、同席の者に失礼なことはない。こちらが一生懸命に話していても、相手がちらっと時計を見たとたん、ほんとうにがっかりするものだ。これは今でもごく当たり前に経験することだ。

 母親が「銚子を替えに立った」後の、描写が見事。「ひっそ」は誤植ではない。「ひっそり」と同じ意味で使われていたらしい。二葉亭の『浮雲』にも用例が見える。1500年ごろの用例がある。(いずれも『日本国語大辞典』による)今ではまったく使われなくなったわけだが、こういう言葉の変化はいったいどうして起きるのだろうか。

 懸命に新吉を引き留めようとするお作の心がいじらしい。それでも新吉は帰ってしまう。店頭でのお作の涙に、思わず目頭があつくなる。

 

 

徳田秋声『新所帯』 23  リアリズムの神髄   2019.4.15

 

 別れ際、お産のときはきっと来てくださいよと、目に一杯涙をためて小声で言ったお作のことが、東京への電車の中、新吉の頭によみがえる。

 

 腕車(くるま)がステーションへ着くころ、灯がそこここの森蔭から見えていた。前の濁醪屋(どぶろくや)では、暖(あった)かそうな煮物のいい匂いが洩れて、濁声(だみごえ)で談笑している労働者の影も見えた。寒い広場に、子守が四、五人集まって、哀れな調子の唄を謳(うた)っているのを聞くと、自分が田舎で貧しく育った昔のことが想い出される。新吉はふと自分の影が寂しいように思って、「己の親戚(みうち)と言っちゃ、まアお作の家だけなんだから……。」と独り言を言っていた。
 汽車は間もなく出た。新吉は硬いクッションの上に縮かまって横になると、じきに目を瞑(つぶ)った。中野あたりまでとりとめもなくお作のことを考えていた。あまり可愛いと思ったこともないが、何だか深く胸に刻み込まれてしまったようにも思えた。そのうちに、ウトウトと眠ったかと思うと、東京へ入るに従って、客車が追い追い雑踏して来るのに気がついた。
 飯田町のステーションを出るころは、酔いがもうすっかり醒めていた。新吉は何かに唆(そその)かされるような心持で、月の冴えた広い大道をフラフラと歩いて行った。

 

 新吉はお作の家族のことを田舎者として軽蔑するが、自分だって田舎者なのだ。お作のところほど貧しくはないが、都会の金持ちじゃない。まあ五十歩百歩といったところ。それだけに、お作やその家族への近親憎悪的な侮蔑に念が強い。

 階級というのは不思議なもので、金持ちの家に生まれた者は、鷹揚に育つためか、かえって差別感が希薄だったりする。中途半端なに貧しかったり、田舎者だったりすると、ちょっとでも自分よりも「下」に見えると露骨に差別感が剥き出しになるものだ。

 お作の家族を、田舎くさい、土くさいと軽蔑しながら、ふと、我が身を省みて、「ふと自分の影が寂しいように」思う新吉は、お作の家が、結局のところ自分にとっての唯一の「親戚(みうち)」なのだと気づくのだ。そのことで寂しい「自分の影」が少しは明るくなるわけではない。むしろますます色濃く暗くなっていくのだが、それでも、「みうち」という観念は、新吉の慰めにならないわけでもないのだ。

 三鷹あたりから乗ったのだろうか、新吉の頭には「中野あたり」まで、お作の面影がちらつく。「あまり可愛いと思ったこともないが、何だか深く胸に刻み込まれてしまったようにも思えた。」──冷たい新吉の心にも、いつの間にかお作の「可愛くない」面影や姿や言動が、「深く刻み込まれてしまった」ような気がするというのだ。なんだかちょっとほっとする。

 列車が東京にちかくなるにつれて混んでくる。今の中央線の様子と比べても、基本的には変わらないのが面白い。飯田町駅は、当時の中央線の起点。今では、当時の牛込駅と統合されて飯田橋駅となっている。こうした鉄道事情も詳しく調べると面白そう。

 

 店では二人の小僧が帳場で講釈本を読んでいた。黙って奥へ通ると、茶の室(ま)には湯の沸(たぎ)る音ばかりが耳に立って、その隅ッこの押入れの側で、蒲団を延べて、按摩に腰を揉ましながら、グッタリとお国が正体もなく眠っていた。後向きになった銀杏返しの首が、ダラリと枕から落ちそうになって、体が斜めに俯伏(うつぶ)しになっていた。立ち働く時のキリリとしたお国とは思えぬくらいであった。貧相な男按摩は、薄気味の悪い白眼を剥き出して、折々灯の方を瞶(みつ)めていた。
 坐って鉄瓶を下す時の新吉の顔色は変っていた。煙管を二、三度、火鉢の縁に敲(たた)きつけると、疎(うと)ましそうに女の姿を見やって、スパスパと莨を喫(す)った。するうちお国は目を覚ました。
「お帰りなさい。」と舌のだらけたような調子で声かけた。「少し御免なさいよ。あまり肩が凝ったもんですから……あなたもお疲れでしょう。後で揉んでおもらいなすってはどうです。」
 新吉は何とも言わなかった。
 しばらくすると、お国は懈(だる)そうに、うつむいたまま顔を半分こっちへ向けた。
「どうでした、お作さんは……。」
「イヤ、別に変りはないようです。」新吉は空を向いていた。
 お国はまだ何やら、寝ぼけ声で話しかけたが、後は呻吟(うめ)くように細い声が聞えて、じきにウトウトと眠りに陥ちてしまう。
 新吉は茶を二、三杯飲むと、ツト帳場へ出た。大きな帳面を拡げて、今日の附揚(つけあ)げをしようとしたが、妙に気がイライラして、落ち着かなかった。おそろしい自堕落な女の本性が、初めて見えて来たようにも思われた。
「莫迦にしてやがる。もう明日からお断わりだ。」


 

 実家でいじらしいまでに甲斐甲斐しかったお作の面影がまだ頭の中に残っている新吉には、家で按摩に腰を揉ませながらぐったりとして寝ているお国の姿が「自堕落な女」として映る。対照の妙である。

 このシーンの描写は、ほんとうに見事という他はない。茶の間の隅に蒲団を敷いて按摩に腰を揉ませているお国の姿は、「立ち働く時のキリリとしたお国」との対照もあって実にリアルに感じられる。リアリズムの神髄といっていい。

 新吉の心の動きも手に取るように伝わってくる。「煙管で莨を喫う」という行為がこんなにも人間の心理を的確に表現できるなんて驚異的だ。そういえば、歌舞伎なんかでも、煙管は欠かせないなあ。タバコが映画にも登場しにくくなっている昨今では、演出もさぞ困ることだろう。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 24  省略の美学   2019.4.22

 

 お作のところから帰ってきた新吉は、お国の「自堕落」な姿に幻滅する。腹のなかでは、もうこの女とは縁を切ろうと思っているが、それをそのまま言うわけでもない。当然、ふたりは気まずくなるわけである。

 

 療治が済むと、お国は自分の財布から金をくれて按摩を返した。近所ではもうパタパタ戸が閉るころである。
 お国はいつまでも、ぽつねんと火鉢の前に坐っていたが、新吉も十一時過ぎまで帳場にへばり着いていた。
 寝支度に取りかかる時、二人はまた不快(まず)い顔を合わした。新吉はもう愛想がつきたという顔で、ろくろく口も利かず、蒲団のなかへ潜(もぐ)り込んだ。お国は洋燈を降したり、火を消したり、茶道具を洗ったり、いつもの通り働いていたが、これも気のない顔をしていた。
 寝しなに、ランプの火で煙草を喫(ふか)しながら、気がくさくさするような調子で、「アア、何だか厭になってしまった。」と溜息を吐(つ)いた。「もうどっちでもいいから、早く決まってくれればいい。裁判が決まらないうちは、どうすることも出来やしない。ね、新さん、どうしたんでしょうね。」
 新吉は寝た振りをして聴いていたが、この時ちょっと身動きをした。
「解んねえ。けど、まア入るものと決めておいて、自分の体の振り方をつけた方がよかないかね。私(あっし)あそう思うがね。」と声が半分蒲団に籠っていた。「そうして出て来るのを待つんですね。」
「ですけど、私だって、そう気長に構えてもいられませんからね。」と寝衣姿(ねまきすがた)のまま自分の枕頭(まくらもと)に蹲跪(つくば)って、煙管をポンポン敲いた。「あの人の体だって、出て来てからどうなるか解りゃしない。」
 新吉はもう黙っていた。

 

 「近所ではもうパタパタ戸が閉るころ」という時間の表し方が当時の住宅の風情を伝える。おそらく雨戸を閉めているのだろう。こうした隣近所の「音」が、生活を彩っているわけで、昨今の機密性の高い住宅では、味わえない風情だ。

 ぼくが幼い頃、お三の宮の夏の祭礼のときなど、家の前にまで夜店がたちならび、そこをガヤガヤ話ながら通る人たちの下駄の音が楽しく響いたものだ。雨戸の音も木の音、下駄の音も木の音だ。

 「ぽつねんと」火鉢の前に座るお国と、帳場に「へばり着いている」新吉。「ぽつねんと」とは「ひとりだけで何もせずにさびしくいるさまを表わす語。」(日本国語大辞典)で、最近はめっきり見なくなった言葉。「へばりつく」は「?べったりと物がくっつく。こびりつく。ねばりつく。?ずっとある物のそばにいる。いつもある人に寄り添う。くっつく。」(日本国語大辞典)の意だが、ここではもちろん?の意味だが、?の意味の雰囲気も併せ持つ。帳場にいるしかない新吉の心境がよく伝わってくる。

 お国は「くさくさするような調子」で話す。この「くさくさする」がいい。「腹をたてたり憂鬱(ゆううつ)だったりして、心がはればれしないさまを表わす語。くしゃくしゃ。むしゃくしゃ。」(日本国語大辞典)の意だが、今は「むしゃくしゃする」の方が一般的だろうが、「くさくさする」と「むしゃくしゃする」では微妙に違うような気がする。「むしゃくしゃする」より、「くさくさする」ほうがより内面的で、より女性的な感じがする。男はあんまり「くさくさ」しないのではなかろうか。

 この「くさくさする」という言葉を聞くと、ぼくの頭にはなぜか杉村春子の顔が思い浮かぶ。たぶん、溝口健二の映画『赤線地帯』あたりに登場する杉村のセリフにあったのだろう。この言葉から立ち上がる気分、そしてその気分を醸し出す環境は、今では映画の中にしかないようだ。

 この辺の、地の文と会話のつなぎかたも絶妙だ。「あの人の体だって、出て来てからどうなるか解りゃしない。」とある後に、改行して、「新吉はもう黙っていた。」とだけ書く。この「間」あるいは「省略」がすばらしい。小説のお手本だ。

 

 翌日(あした)目を覚まして見ると、お国はまだ寝ていた。戸を開けて、顔を洗っているうちに、ようやく起きて出た。
 朝飯が済んでしまうと、お国は金盥(かなだらい)に湯を取って、顔や手を洗い、お作の鏡台を取り出して来て、お扮飾(つくり)をしはじめた。それが済むと、余所行(よそゆ)きに着替えて、スッと店頭(みせさき)へ出て来た。
「私ちょいと出かけますから……。」と帳場の前に膝を突いて、どこへ行くとも言わず出てしまった。
 新吉はどこか気がかりのように思ったが、黙って出してやった。小僧連は、一様に軽蔑するような目容(めつき)で出て行く姿を見送った。
 お国は昼になっても、晩になっても帰らなかった。新吉は一日不快そうな顔をしていた。晩に一杯飲みながら、新吉は女の噂をし始めた。
「どうせ彼奴(あいつ)は帰って来る気遣いないんだから、明朝(あした)から皆で交り番こに飯をたくんだぞ。」
 小僧はてんでに女の悪口(あっこう)を言い出した。内儀さん気取りでいたとか、お客分のつもりでいるのが小面憎(こづらにく)いとか、あれはただの女じゃあるまいなどと言い出した。
 新吉はただ苦笑いしていた。

 

 いつまでも寝ている、ということは、「自堕落」な印象を与えるものかもしれないが、ここでの「印象」は、あくまで新吉の目から見た「印象」だろう。「ようやく起きて出た。」という表現には、新吉の心情がこもっている。

 「戸を開けて、顔を洗っているうちに、ようやく起きて出た。」という、一切主語を省略する表現にも注目したい。「新吉が戸を開けて、新吉が顔を洗っているうちに、お国はようやく起きてきた。」と書けば正確だが、そういうのは日本語じゃない。前後関係でわかり切ったことは、主語は省く。『源氏物語』以来ちっとも日本語は変わっていないようだ。

 お国がすっと出て行ってしまい、夜になっても帰らないという展開は、前夜から予想されたところだが、お国の心理の描写を一切せずに、お国の気持ちを見事に表現している。お国自身の気持ちを直接に描かず、その周囲の反応から浮き上がらせているところもうまいものだ。

 お国は、別に自堕落な女であるわけではなかろう。もちろん、新吉とできることなら疎ってみたいという気持ちはあったろうが、それも控えめで、露骨に誘惑したわけでもない。誰かに添わねば生きていけない女というものに、さすがの新吉もあわれを感じたこともあるのだ。

 蓮っ葉だけれど、それでもどこか内向的なお国の姿は鮮やかで、深く印象に残る。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』  25 新吉の「苦悩」   2019.4.27

 

 話はここで急展開する。お作の流産である。なんとなく予感はあったが、陰惨なことである。

 

 二月の末──お作が流産をしたという報知(しらせ)があってからしばらく経って、新吉が見舞いに行った時には、お作はまだ蒼い顔をしていた。小鼻も目肉(めじし)も落ちて、髪もいくらか抜けていた。腰蒲団など当てて、足がまだよろつくようであった。
 胎児は綺麗な男の子であったとかいうことである。少し重い物──行李を棚から卸(おろ)した時、手を伸ばしたのが悪かったか知らぬが、その中には別に重いというほどの物もなければ、棚がさほど高いというほどでもない。が何しろ身体がひ弱いところへ、今年は別して寒(かん)じが強いのと、今一つはお作が苦労性で、いろいろの取越し苦労をしたり、今の身の上を心細がったり、表町の宅(うち)のことが気にかかったり、それやこれやで、あまりに神経を使い過ぎたせいだろう……というのがいいわけのような愚痴のような母親の言い分であった。
 お作は流産してから、じきに気が遠くなり、そこらが暗くなって、このまま死ぬのじゃないかと思った、その前後の心持を、母親の説明の間々へ、喙(くち)を容(い)れて話した。そうしてもう暗いところへやってしまったその子が不憫でならぬと言って泣き出した。いくら何でも自分の血を分けた子だのに、顔を見に来てくれなかったのは、私はとにかく、死んだ子が可哀そうだと怨んだ。
 新吉も詳しい話を訊いてみると、何だか自分ながらおそろしいような気もした。そういう薄情なつもりではなかったが、言われて見ると自分の心はいかにも冷たかったと、つくづくそう思った。
「私(あっし)はまた、どうせ死んでるんだから、なまじい顔でも見ちゃ、かえっていい心持がしねえだろうから、見ない方が優(まし)だという考えで……それにあのころは、小野の公判があるんで、東京から是非もう一人弁護士を差し向けてほしいという、当人の希望(のぞみ)だったもんだから、お国と二人で、そっちこっち奔走していたんで……友達の義理でどうもしかたがなかったんだ。」といいわけをした。
「それならせめて初七日にでもいらして下されば……。」とお作は目に涙を一杯溜めて怨んだ。「それにあなたは、お国さんのことと言うと、家のことはうっちゃっても……。」と口の中でブツブツ言った。

 

 新吉は、改めて自分の「冷たい心」に驚いている。自分ではそんなに薄情なつもりはなかったが、お作の詳しい事情を聞いてみると、なるほどこれはやっぱり薄情というしかないか、という新吉の「気づき」は、それでもどこか他人事だ。自分が「薄情である」ことを認識はするが、それについての「道義的」な判断がない。「薄情な自分」が「おそろしい」ような気もするが、それはそういう自分を否定する契機にはならない。新吉は何があっても「変わらない」のだ。

 この氷の塊のように新吉という人間の中でどっかと腰を据えている「心」の正体はいったい何なのだろうか。それはいったいどこから来るのだろうか。「どうせ死んでるんだから、なまじい顔でも見ちゃ、かえっていい心持がしねえだろうから、見ない方が優(まし)だ」という考えは、新吉によって「薄情」だと認識されているが、そのこと自体を新吉は否定していないのが不気味だ。

 これを酷薄なエゴイズムといってしまえばそれまでだけど、どこかに「時代」の空気を反映しているような気もするのだ。というのも、これとまったく同じようなセリフを、岩野泡鳴の小説の中で読んだことがあるからだ。泡鳴の場合は、流産ではなくて、幼子の死だが、やはり死んだ子どもへの哀惜の念が皆無なのだ。どうせ死んだんだ、そんなものを見てどうする、という冷たさは、この新吉や、泡鳴だけのものではなかったのではなかろうか。

 当時は乳幼児死亡率が非常に高く、子どもをたくさん産んでも全部が生き延びるわけではなかった。そういう環境の中で、子どもの死は、とくに父親にとってはいちいち悲しむべきものとは思われていなかったのかもしれない。

 けれども、母親にとっては大事な子どもだ。新吉の薄情さは許せるものではない。思わず新吉をなじる言葉が口をついて出る。お国のことだ。


 これが新吉の耳には際立って鋭く響く。むろんお国は今でも宅へ入り浸っている。一度二度喧嘩して逐(お)い出したこともあるが、初めの時はこっちが宥(なだ)めて連れて帰り、二度目の時は、女の方から黙って帰って来た。連れて来たその晩には、京橋で一緒に天麩羅屋へ入って、飯を食って、電車で帰った。表町の角まで来ると、自分は一町ほど先へ歩いて、明るい自分の店へ別々に入った。何の意味もなかったが、ただそうしなければ気が済まぬように思った。それからのお国は、以前よりは素直であった。自分も初めて女というものの、暖かいある物につつまれているように感じた。
 それから二、三日は、また仲をよく暮らすのであるが、後からじきに些細な葛藤が起きる。それでお国が出てゆくと、新吉は妙にその行く先などが気に引っかかって、一日腹立たしいような、胸苦しいような思いでいなければならぬのが、いかにも苦しかった。

 

 ここで初めて、お国はまだ新吉の家に入り浸っていることが明らかになる。新吉は愛想をつかしたのだが、なんだかんだいって、新吉もお国を諦め切れていないのだ。そこをお作につかれて、新吉は腹を立てる。

 

「莫迦を言っちゃいけねえ。」新吉はわざと笑いつけた。「お国と己(おれ)とが、どうかしてるとでも思ってるんだろう。」
「いいえ、そういうわけじゃありませんけれどね、子供が死んでも来て下さらないところを見れば、あなたは私のことなんぞ、もう何とも思っていらっしゃらないんだわ。」
 新吉は横を向いて黙っていた。むろんお作の流産のことを想い出すと、病気に取り着かれるようであった。彼奴(やつ)も可哀そうだ、一度は行って見てやらなければ……という気はあっても、さて踏み出して行く決心が出来なかった。明日(あす)は明日はと思いながら、つい延引(のびのび)になってしまった。頭脳(あたま)が三方四方へ褫(と)られているようで、この一月ばかりの新吉の胸の悩ましさというものは、口にも辞(ことば)にも出せぬほどであった。その苦しい思いが、何でお作に解ろう。お作はとてもそういうことを打ち明ける相手ではないと、そう決めていた。
「それで、私が帰れば、お国さんは出てしまうんですの。」お作はおずおず訊いた。
 新吉は、口のうちで何やら曖昧なことを言っていた。
「義理だから、己から出て行けと言うわけにも行かないが、いずれお国にも考えがあるだろう……。それでお前はいつごろ帰って来られるね。」
「もう一週間も経てば、大概いいだろうと思うですがね……でも、お国さんがいては、私何だかいやだわ。阿母(おっか)さんもそう言うんですわ。小石川の叔母さんだけは、それならばなおのこと、速く癒(なお)って帰らなければいけないと言うんですけれど……。」
 新吉は、二人の間(なか)が、もうそういう危機に迫っているのかと、胸がはらはらするようであった。
「どちらにしても、お前が速く癒ってくれなければ……。」と気休めを言っていたが、そうテキパキ事情の決まるのが、何だかいやなような気がした。

 

 いくら冷たい心の新吉とはいえ、やはり流産のことはこたえていたのだ。並々ならぬ苦悩を味わったけれど、その苦悩をお作に話す気にはなれなかった。「お作はとてもそういうことを打ち明ける相手ではないと、そう決めていた。」とあるわけだが、なぜ「そう決めていた」ということになるのだろうか。流産をしたお作を哀れにも思い、見舞いに行こうと思いつつ、それでも足を運べなかったのはなぜなのか。ああでもないこうでもないと新吉はなにを一月も苦しい思いをしたのか。その辺がどうも判然としない。

 お作は自分の苦悩を打ち明ける相手ではない、と決めたというのは、お作を妻として扱っていないということになる。苦しみを分かち合う相手でないとしたら、それは妻とはいえないだろう。結局のところ、新吉は、お作との結婚に満足していないばかりか、後悔しているのだ。流産のことを考えると、病気になりそうなくらい苦しいけれど、お作は自分の何倍も苦しいだろうということに思い至らない。苦しんでいるのは自分ばかりではなくて、お作こそ苦悩の真ん中にいて、その苦悩をこそ二人は分かち合わなければならないはずなのに、新吉の思いは「自分の苦悩」にだけ向いている。そして、お作は、そんな苦悩を理解できる人間ではないと、新吉は見くびっているのだ。

 お作は苦しんでいる。だから可愛そうだ。だが、オレはお作より、もっと高度な苦悩を抱えている、そう思っているのかもしれない。そしてその「苦悩」を理解してくれるのは、もっと頭のいい別の女だと考えているのかもしれない。それがお国かどうかは別にしてもだ。

 お作が元気を取り戻して家に戻ってくることを、新吉は恐れている。それはお国との別れを決定的なものにするだろうからだ。かといって、お作と離縁して、お国と一緒になる決心もついていない。「テキパキ事情の決まるのが、何だかいやなような気がした。」という表現は、そんな中途半端な新吉の気分をよく表している。


徳田秋声『新所帯』  26 映画みたいだね   2019.5.4

 

 お作が快癒して、家に帰ってくることが、何だかいやな気のする新吉だったが、お作は十日後に家に帰ってきた。

 

 新吉と別れてから、十日目にお作は嫂に連れられて、表町へ帰って来た。ちょうどそれが朝の十時ごろで、三月と言っても、まだ余寒のきびしい、七、八日ごろのことであった。腕車(くるま)が町の入口へ入って来ると、お作は何とはなし気が詰るような思いであった。町の様子は出て行った時そのままで、寂れた床屋の前を通る時には、そこの肥った禿頭の親方が、細い目を瞠(みは)って、自分の姿を物珍らしそうに眺めた。蕎麦屋も荒物屋も、向うの塩煎餅屋の店頭(みせさき)に孫を膝に載せて坐っている耳の遠い爺さんの姿も、何となくなつかしかった。
 腕車を降りると、お作はちょいと嫂を振り顧って躊躇した。
「姉さん……。」と顔を赧(あか)らめて、嫂から先へ入らせた。

 

 日付けは必ずしも必要ないのに、きちんと記されている。「別れてから十日目」「朝の十時ごろ」「三月」「七、八日ごろ」と数字が列挙されている。「朝の十時ごろ」と正確に特定しないのはいいとして、「七、八日ごろ」とあいまいにするのはなぜだろう。ここでちょっとピントをずらすことで、これがドキュメンタリーではなくて小説だという感じがよく出ているような気もするが。

 人力車が町の入口から入ったあたりから、視点がお作に移る。つまりカメラがお作の目になるわけで、「床屋のハゲた親父」「蕎麦屋」「荒物屋」「煎餅屋の耳の遠い爺さん」などが、画面をゆっくり流れる。実に映画的だ。

 人力車をお作が降りる場面では、カメラは普通の位置(客観的視点)に戻り、「ちょいと嫂を振り顧って躊躇した。」と書く。顔を赤くして自分は兄嫁の後から入るお作の描写が、彼女の気持ちを痛いほど伝える。

 

 店には増蔵が一人いるきりで、新吉の姿が見えなかった。奥へ通ると、水口の方で、蓮葉(はすは)なような口を利いている女の声がする。相手は魚屋の若い衆らしい。干物のおいしいのを持って来て欲しいとか、この間の鮭(しゃけ)は不味(まず)かったとか、そういうようなことを言っている。お前さんとこの親方は威勢がいいばかりで、肴は一向新しくないとか、刺身の作り方が拙(まず)くてしようがないとかいう小言もあった。
 お作は嫂と一緒に、お客にでも来たように、火鉢を一尺も離れて、キチンと坐って聞いていた。
「それじゃね、晩にお刺身を一人前……いいかえ。」と言って、お国は台所の棚へ何やら収(しま)い込んでから、茶の室(ま)へ入って来た。軟かものの羽織を引っ被(か)けて、丸髷に桃色の手絡(てがら)をかけていた。生え際がクッキリしていて、お作も美しい女だと思った。

 

 お作が奥へ入ると、こんどは、お作の「耳」が聞いた音(声)の描写になる。音だから、カメラとは言えないし、「視点」というのも変だから「聴点」とでもいうしかないが、実に見事なテクニックである。

 しかも、話しているのはお国に決まっているのに、「蓮葉なような口を利いている女の声がする」と、あえてぼかす。それがリアルだ。魚屋の若い衆を相手に、ポンポンと歯切れのいい言葉を発するお国は魅力的で、お作の心はひるむばかりだ。

 まるでお客のようにかしこまって座っているところへ、魚屋に指図をして、何かをしまう音がして、茶の間に入ってくるお国。小津映画をみるおもいがする。

 そのお国が美しい。その「美しさ」をお作の目から描く。

 

 お国は、キチンと手を膝に突いている二人の姿を見ると、
「オヤ。」とびっくりしたような風をして、
「何てえんでしょう、私ちっとも知りませんでしたよ。それでも、もうそんなに快(よ)くおなんなすって。汽車に乗ってもいいんですか。」と火鉢の前に座を占めて、鉄瓶を持ちあげて、火を直した。
「え、もう……。」とお作は淋しい笑顔を挙げて、「まだ十分というわけには行きませんけれど……。」と嫂の方を向いて、「姉さん、この方が小野さんのお内儀(かみ)さん……。」
「さようでございますか。」と姉が挨拶しようとすると、お国はジロジロその様子を眺めて、少し横の方へ出て、洒々(しゃあしゃあ)した風で挨拶した。そうして菓子を出したり、茶をいれたりした。
「あなたも流産なすったんですってね。私一度お見舞いに上ろうと思いながら……何(なん)しろ手が足りないんでしょう。」
 お作は嫂と顔を見合わしてうつむいた。
「暮だって、お正月だって、私一人きりですもの。それに新さんと来たら、なかなかむずかしいんですからね……。マアこれでやっと安心です。人様の家を預かる気苦労というものはなかなか大抵じゃありませんね。」
「真実(ほんとう)にね。」とお作は赤い顔をして、気の毒そうに言った。「どうも永々済みませんでした。」
 お作はしばらくすると、着物を着替えて、それから台所へ出た。お国は、取っておいた鯵(あじ)に、塩を少しばかり撒(ふ)って、鉄灸(てっきゅう)で焼いてくれとか、漬物は下の方から出してくれとか、火鉢の側から指図がましく声かけた。お作は勝手なれぬ、人の家にいるような心持で、ドギマギしながら、昼飯(ひる)の支度にかかった。 

 

 お作と兄嫁に対するお国。そのやりとりは、精密な銅版画のように、くっきりと描かれる。このままシナリオとして映画が撮れそうだ。
「火鉢の前に座を占めて、鉄瓶を持ちあげて、火を直」すお国。こういう役、誰がやったらいいかなあ。昔なら、淡島千景かなあ、今なら誰だろう、いないなあ、なんて想像するのも楽しい。

 姉の挨拶もまたずに、「さようでございますか」とシャアシャアとした挨拶をするお国。「ジロジロ眺める」その目つきが、またリアル。やっぱり淡島千景で見たい。

 そうなるとお作は誰がいい? ってことになるけど、美人じゃないとなるとなかなか難しい。昔の女優はみんな美人だからなあ。美人女優にやらせて、それが美人じゃないように見えたら、スゴイことだけど。

 まあ、それはさておき、せっかく自分の家に帰ってきたというのに、まるで女中のようにお国にこき使われるお作の哀れさというものが身にしみる。

 「鉄灸」というのは、「火の上にかけ渡して魚などをあぶるのに用いる、細い鉄の棒。また、細い鉄線を格子状に編んだもの。」(デジタル大辞泉)今で言う「焼き網」のこと。

 

徳田秋声『新所帯』  27 土に落ちる涙   2019.5.6

 

 

 流産をして、なかなか体調が戻らないお作だが、それでもせっかく自分の家に戻ったというのに、そこにはお国がどっかと腰を据えていて、自分の居場所もない。その図々しいお国の容貌を「美しい」と感じてしまうお作が哀れだ。

 お国は、美しいかもしれないが、その根性はどこまでも意地悪で、人間的な同情心がない。こういうタイプの女性を書かせたら、たぶん秋声にかなう者はいないのではなかろうか。

 

 飯時分に新吉が帰って来た。新吉はお作の顔を見ると、「ホ……。」と言ったきりで、話をしかけるでもなかった。飯の時、お作はお国の次に坐って、わが家の飯を砂を噛むような思いで食った。

 

 この新吉という男の心根も、どこかに暗い影がある。いったいこの気まずい状況をどうしようというのか。いや、なんとかしようという気持ち自体がないのだ。

 久しぶりに自宅に戻ってきた妻だというのに、一言もない。これ以上残酷な仕打ちはないだろう。その上、お作はお国の「次」に座っている。それに対しても、見て見ぬふりだ。

 お作が「わが家の飯を砂を噛むような思いで食った」その辛さは、想像を絶するものがあっただろう。

 

 それでも、嫂のいるうちは、いくらか話が持てた。そうして家が賑やかであった。日の暮れ方になると、嫂は急に気を変えて、これから小石川へもちょっと寄らなければならぬからと言って、暇を告げようとした。お作は、にわかに寂しそうな顔をした。
 お作は嫂を台所へ呼び出して、水口の方へ連れて行って、何やら密談(ないしょばなし)をし始めた。
「お国さんは、まったく変ですよ。私何だか厭で厭で、しようがないわ。」と顔を顰(しか)めた。
「真実(ほんとう)に勝手の強そうな、厭な女だね。」と嫂も心(しん)から憎そうに言った。「でも、いつまでもいるわけじゃないでしょう。私でも帰ったら、あの人も帰るでしょう。かまわないから、テキパキきめつけてやるといい。」
「でも、宅(うち)はどういう気なんでしょう。」
「サア、新さんが柔和(おとな)しいからね。」と嫂も曖昧なことを言った。そうして溜息を吐(つ)いた。その顔を見ると、何だか望みが少なそうに見える。「お前さんは、よっぽどしっかりしなくちゃ駄目だよ。」と言っているようにも見えるし、「あの女にゃ、どうせ敵(かな)やしない。」と失望しているようにも見える。
 三、四十分、顔を突き合わしていたが、別にどうという話も纏(まと)まらない。いずれその内にはお国が帰るだろうからとか、新さんだってまさか、あの人をどうしようという気でもあるまいから、しばらく辛抱おしなさいとか、そのくらいであった。
 お作は嫂の口から、そのことをよく新吉に話してくれということを頼んだ。
「姉さんから、宅の人の料簡を訊いて見て下さいよ。」と言った。
「それはお作さんから訊く方がいいわ。私がそれを訊くと、何だか物に角が立って、かえって拙(まず)かないかね。」
「そうね。」とお作は困ったような顔をする。
 台所から出て来た時、お国は店にいた。新吉も店にいた。お作と嫂の茶の室(ま)へ入って来る気勢(けはい)がすると一緒に、お国も茶の室へ入って来た。それを機(きっかけ)に、嫂が、「どうもお邪魔を致しました……。」と暇を告げる。
「オヤ、もうお帰り。マアいいじゃありませんか。」お国は空々しいような言い方をした。

 

 兄嫁も、深入りを避けたい一心だ。お作の境遇に親身になって寄り添わない。新吉の了見を聞いて欲しいとお作がいっても、「私がそれを訊くと角がたってかえってまずい」というばかり。このセリフ、今でもよく耳にするような気がする。というか、自分自身も使ったような気がする。

 「角が立つ」ことを嫌い、何事も穏便に、つまりはナアナアですませたい。そういう気持ちが日本人には特に大きいのではなかろうか。兄嫁が恐れている「角が立つ」事態というのは、お国が怒るということだろう。「あんたに言われるスジはない。余計な口を挟まないでおくれ。」って言われることだろう。しかし、それならお作が「出て行ってくれ」と言ったら角が立たないかといえば、そんなことはない。もっと角が立つのである。「そもそもあんたがだらしないからだろう。」ぐらいのことは平気でいう女である。

 「角が立つ」というのは「理屈っぽい言動によって他人との間が穏やかでなくなる。」ということだが、どうして兄嫁が口を出すことが「理屈っぽい言動」になってしまうのか。兄嫁は当事者じゃないということで、この事態の打開策を提案することが排斥されてしまうのなら、いったいどこで他人との関係を調整すればよいのか。

 言動というものは、どんなものであれ、「理屈っぽい」に決まっている。それはなにがしかの「論理」を含むだろうからだ。「角が立つ」からやめるというのは、そういう「論理」を人間関係に持ち込まないということで、あとに残るのは、感情的な融和か、あるいは弱者・強者のどうしようもない関係でしかない。

 兄嫁は、「論理」による介入を忌避し、結局は、「あの女にゃ、どうせ敵(かな)やしない。」という諦めをお作に押しつけることしかできないのである。

 お国はあきらかに強者で、お作のことをてんから見下している。お作は、自分の力ではとてもこの事態を打開することができないことを身にしみて感じている。打開できるのは新吉だけだ。新吉だけが、お作が女房なのだから、そのお作がこの家に居場所がないような状況はあってはならないという「論理」を、角が立とうが立たなかろうが、正面切って持ち出さなければダメだのだ。それなのに、それをしない。それをしないで、事態の推移を見守っているだけだ。なんとずるい男だろう。


 嫂を送り出して、奥へ入って来ると、まだ灯(あかり)の点(つ)かぬ部屋には夕方の色が漂うていた。お作は台所の入口の柱に凭(よ)りかかって、何を思うともなく、物思いに沈んでいた。裏手の貧乏長屋で、力のない赤子の啼き声が聞えて、乳が乏しくて、脾弛(ひだる)いような嗄(か)れた声である。四下(あたり)はひっそとして、他に何の音も響きも聞えない。お作は亡くなった子供の声を聞くように感ぜられて、何とも言えぬ悲しい思いが胸に迫って来た。冷たい土の底に、まだ死にきれずに泣いているような気もした。冷たい涙がポロポロと頬に伝わった。


「夕方の色」が漂う部屋に、「力のない赤子の啼き声」が聞こえてくる。その啼き声に、お作は死んだ子供の声を重ねる。冷たい土にポロポロ落ちる涙は、土の底で泣いている我が子の頬に届くだろうか。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』  28 「その晩」のこと   2019.5.14

 

 いやはや小説の読解というのはむずかしい。センター試験なんかでも、小説の問題というのは、どれが正解かよく分からないものが多くて苦労する。

 この秋声の小説も、これだけゆっくりじっくり読んできたのに、実はちっとも読み取れていないことが分かった。

 先日、このシリーズを熱心に読んでくれている古い友人から、「わざとちょっとだけ間をおいて、ばらばらに家に入っていく、って夜の場面」だけど、家に入ったあとの夜、新吉とお国は肉体関係をもったんじゃないの? そこをきちんと書くべきじゃないの? というようなメールをもらった。

 あ、あそこかあ、と、とっさに思って、確かに、あそこは気になったけど、触れずにすっとばしたなあと思って、あわててその箇所を読み直してみた。ここである。

 

「それならせめて初七日にでもいらして下されば……。」とお作は目に涙を一杯溜めて怨んだ。「それにあなたは、お国さんのことと言うと、家のことはうっちゃっても……。」と口の中でブツブツ言った。
 これが新吉の耳には際立って鋭く響く。むろんお国は今でも宅へ入り浸っている。一度二度喧嘩して逐(お)い出したこともあるが、初めの時はこっちが宥(なだ)めて連れて帰り、二度目の時は、女の方から黙って帰って来た。連れて来たその晩には、京橋で一緒に天麩羅屋へ入って、飯を食って、電車で帰った。表町の角まで来ると、自分は一町ほど先へ歩いて、明るい自分の店へ別々に入った。何の意味もなかったが、ただそうしなければ気が済まぬように思った。それからのお国は、以前よりは素直であった。自分も初めて女というものの、暖かいある物につつまれているように感じた。

 

 新吉が、初めてお作を見舞いに訪れた場面で、お作がお国に焼き餅をやくところだ。お作に痛いところを突かれて、新吉はお国とのこれまでを回想するわけだが、友人が「わざとちょっとだけ間をおいて、ばらばらに家に入っていく」というのは、「表町の角まで来ると、自分は一町ほど先へ歩いて、明るい自分の店へ別々に入った。」というところだ。

 このあたりは、秋声にしては珍しく分かりにくい叙述で、「初めの時」は、新吉が宥めて「連れ帰った」。「二度目の時」は、「女の方から黙って帰って来た。」──となると、天麩羅屋で飯を食って、電車で帰ってきた晩というのは「連れて来たその晩」つまりは「初めの時」ということになる。ややこしい。

 で、喧嘩して追い出した「初めの時」には、新吉が連れ戻しに行き、天麩羅屋で飯を食い、電車で帰り、家に近くまでくるとわざと時間をずらして店に入ったというわけである。その時の新吉の気持ちは「何の意味もなかったが、ただそうしなければ気が済まぬように思った。」とある。「そうしなければ気がすまない」のは、一緒に店に入ったのでは、まるで夫婦きどりじゃないかと番頭などに思われると気遣ったというよりは、なんとなく女房のお作に申し訳ないような気がしたということだろう。つまりは、ここですでに、「後ろめたい」ということになる。

 まあ、女房のいない家、しかもその女房が流産して里で苦しんでいるのに、お国がべったり家にいることを容認していること自体「後ろめたい」ことのはずだが、それにもまして、喧嘩して追い出したお国を、自分からわざわざ迎えにいって、その上、天麩羅まで一緒に食って、家に連れて帰ってきたというのは、それはいったい何のため? って考えれば、もう答は一つしかないわけだ。

 だから、小説の読み巧者なら、いちもにもなく、ああ、ここは、そういうことなのね、って気づくはずだ。でも、ぼくみたいな人生についても小説についてもウブなヤツは、気づかないで素通りしちゃう。

 余談になるが、かつて現場にいたころ、センター試験の小説が全問不正解となった理系の天才児がいた。あまりのことに、どうして? って聞いたら、登場人物の男女が恋愛関係にあることに気づかなかったというのだ。なんでだよ、恋人同士にきまってるじゃん、って言ったら、だって、年が20も離れてるんですよ! 親子かと思いました、って言うので、お前、愛があれば年の差なんて、って言葉知らないのか! って叱るように言ったけど、今さらながら、そんなふうに言えた義理じゃなかったわけで、猛省している。

 さて、そういう状況から、ふたりがその晩「できた」ことは間違いなさそうだが、それではその後の描写はどうなっているか。「ただそうしなければ気が済まぬように思った。」の直後は、なんの描写もなく、いきなり「それからのお国は、以前よりは素直であった。」とある。『源氏物語』以来の「大省略」の伝統である。

 「それからのお国」という言い方は、「肉体関係を持ってからのお国」と言い換えれば分かりやすい。そう言い換えずに、そのままにしておくと、なにがなんだかぜんぜんつながらない。別々に家に入らなければ気が済まないような気がして家に入ったその晩、はじめてお国と肉体関係を持って以来、お国は素直になった。ということならスッキリと理解できるわけである。

 ただ、通常は、わざわざ言い換えなくても、そんなことは先刻承知ということで、読み進めることになるわけで、それができることが、小説の読み巧者たる資格なのだ。

 お国が「素直になった」と同時に、新吉も「自分も初めて女というものの、暖かいある物につつまれているように感じた。」というのだが、このなんかもってまわった言い方も、肉体交渉を持った女性との温かい関係性のことを言っているとしか考えられないわけである。この晩、新吉とお国は肉体関係を持った。そのことへの「後ろめたさ」があればこそ、引用冒頭近くの部分の、「これが新吉の耳には際立って鋭く響く。」が生きてくるのだ。

 しかし、先日ここを読んだときに、「うん?」って思って、何だろうねえこれ? って思ったまま、深く考えずに終わってしまった。そこを、友人に指摘されたわけで、あらためて、小説読解の難しさを痛感した次第である。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』  29 秋声の目   2019.5.18

 

 さて、家に帰ってきたお作は、お国が居座っている自分の家で、ただただ涙を流すしかなかった、というところまで読んだわけだが、ちょっと戻って、新吉とお国に肉体関係がすでにあることは明らかになった。けれども、だからといってお作が追い出されるわけでもなく、三人の奇妙な「同居」になりそうな気配だ。これはお作にしてみればたまらない。

 

 部屋へ入って来ると、お国がせッせとそこいらを掃き出していた。「ぼんやりした内儀さんだね。」と言いそうな顔をしている。
「あの、ランプは。」とお作がランプを出しに行こうとすると、「よござんすよ。あなたは御病人だから。」と大きな声で言って、埃(ごみ)を掃き出してしまい、箒を台所の壁のところへかけて、座蒲団を火鉢の前へ敷いた。「サア、お坐んなさい。」
 お作はランプを点けてから背が低いので、それをお国にかけてもらって、「へ、へ。」と人のよさそうな笑い方をして、その片膝を立てて坐った。

 

 お国のテキパキとした行動と、お作のどこかのろまな言動とが相変わらず対照的に描かれる。「『よござんすよ。あなたは御病人だから。』と大きな声で言って」なんてあたりは、ほんとにお作からすればいたたまれない物言いだ。言葉が意味するところと、言葉を発する人間の行動がまるで逆。「いじわる」の典型である。

 それに比べてお作は、「人のよさそうな笑い方をして」いるばかり。ランプを点けても、背の低いお作はそれをかけることができずに、お国にやってもらっている。そのことの屈辱を感じているのかいないのか、「へ、へ。」なんて笑い方をする。

 

 晩飯の時、お国の話ばかり出た。小野の公判が今日あるはずだが、結果がどうだろうかと、新吉が言い出した。もし長く入るようだったら、私はもう破れかぶれだ……ということをお国が言っていた。
「それなれア気楽なもんだ。女一人くらい、どこへどう転がったって、まさか日干しになるようなことはありゃしませんからね。」と棄て鉢を言った。
 お作は惘(あき)れたような顔をした。
「お前なんざ幸福(しあわせ)ものだよ。」と新吉はお作に言いかけた。「お国さんを御覧、添って二年になるかならぬにこの始末だろう。己なんざ、たといどんなことがあったって、一日も女房を困らすようなことをしておきゃしねえ。拝んでいてもいいくらいのもんだ。まったくだぜ。」
 お作はニヤニヤと笑っていた。

 

 「お作はニヤニヤと笑っていた。」とあるが、ほんとうは笑っている場合ではない。この新吉の言葉ほどヒドイ言葉もないではないか。おれは「一日も女房を困らすようなこと」はしないと言うが、それはあくまで金のことだ。アタシは金なんかどうだっていんだ、この女がここにいて、どうしてアタシが「困らない」って言えるのさって、啖呵切らなきゃいけないところ。けれどもそれはお作にはできないことなのだ。お作は、欺瞞に満ちた新吉の言葉と行動を、ただ「ニヤニヤ笑って」受け入れることしかできない女なのだ。そういう女として、描かれている。

 それがいいとか悪いとかではない。そういう女がいた、ということだ。そういう女がどんな目にあったか、そういう女を男はどう扱ったか、それを秋声は描いている。しかも、そういう女を肯定も否定もせずに、離れたところからじっと見つめて描いているのだ。


 飯が済んでから、お作が台所へ出ていると、新吉とお国が火鉢に差し向いでベチャクチャと何か話していた。お国が帰ると言うのを新吉が止めているようにも聞えるし、またその反対で、お国が出て行くまいと言って、話がごてつくようにも聞えるが、その話は大分込み入っているらしい。いろんな情実が絡み合っているようにも思える。お作は洗うものを洗ってから、手も拭かずに、しばらく考え込んでいた。と、新吉は何かぷりぷりして、ふいと店へ出てしまったらしい。お作が入って来た時、お国は長煙管で、スパスパと莨を喫(ふか)していた。

 

 この辺りは、お作の耳に入ってくる声をたよりに書かれている。「…ようにも聞こえる」「…ようにも思える。」と続いて、「大分込み入っているらしい。」という推測がくる。お作はしばらく考え込んでいた、と客観的描写をしてから、「店へ出てしまったらしい。」とまた推測がくる。そうして、お作が部屋に入ると、お国が「長煙管で、スパスパと莨を喫(ふか)していた。」と書く。なかなか見事なものだ。

 

 その晩三人は妙な工合であった。お作はランプの下で、仕事を始めようとしたが、何だか気が落ち着かなかった。それにしばらくうつむいていると、血の加減か、じきに頭脳(あたま)がフラフラして来る。お国に何か話しかけられても、不思議に返辞をするのが億劫であった。新吉は湯に行くと言って出かけたきり、近所で油を売っていると見えて、いつまでも帰って来なかった。
 十一時過ぎに、お作は床に就いても、やっぱり気が落ち着かなかった。それでウトウトするかと思うと、厭な夢に魘(うな)されなどしていた。新吉とお国と枕をならべて寝ているところを、夢に見た。側へ寄って、引き起そうとすると、二人はお作の顔を瞶(みつ)めて、ゲラゲラと笑っていた。目を覚まして見ると、お国は独り離れて店の入口に寝ていた。

 

 三人が「妙な具合」であることは当たり前だ。というか、あり得ない。

 お国は、何がなんでもお作を追い出し、新吉を奪おうなんて思っているわけではない。他に行き場がないわけでもない。それなのに、新吉のところにべったり居座って、あまつさえ体の関係まで出来てしまっている。そのことになんの痛痒も感じていない。お作に申し訳ないとすら思わない。

 新吉は、新吉でまたお作を追い出してお国と一緒になろうと思っているわけでもない。それなのに、お国と関係してしまった。そのことに罪の意識を感じることもない。ただ何となく後ろめたいだけだ。けれどもお国とのことが、どれほどお作を苦しめているかまったく考えようともしない。

 お作はこうした状況のなかで、苦しんではいるが、自分からその状況を変えようと動くことはない。動くことができない。あるいは「動く」という選択肢の存在を知らない。

 三人は、誰一人として、自分の中にはっきりとした「行動規範」のようなものを持たず、したがって意志的な行動を起こすことがない。秋声は、こうした三人の姿を、生き方を、批判することなく、断罪することなく、ただじっと見つめている。

 

 

徳田秋声『新所帯』  30 暖かい日差し   2019.5.21


 まったく人間というものは、やっかいなものである。新吉、お作、お国の三人の奇妙な同居だが、三人の間の感情のもつれが、単純なようでいて、実に複雑で、どこをどうすればスッキリするのか皆目分からない。どこをどうしても、結局のところスッキリしないというのが人生なのだろうか。というか、もともと「スッキリした人生」というものが幻想にすぎず、ぼくらの人生は、こんなおかしな形をとらなくても、どこかスッキリしないものを抱えて行かねばならぬ運命にあるのではなかろうか。

 

 小野の刑期が、二年と決まった通知が来てから、お国の様子が、一層不穏になった。時とすると、小野のために、こんなにひどい目に逢わされたのがくやしいと言って、小野を呪うて見たり、こうなれば、私は腕一つでやり通すと言って、鼻息を荒くすることもあった。
 お国にのさばられるのが、新吉にとっては、もう不愉快でたまらくなって来た。どうかすると、お国の心持がよく解ったような気がして、シミジミ同情を表することもあったが、後からはじきに、お国のわがままが癪に触って、憎い女のように思われた。お作が愚痴を零し出すと、新吉はいつでも鼻で遇(あしら)って、相手にならなかったが、自分の胸には、お作以上の不平も鬱積していた。
 三人は、毎日不快(まず)い顔を突き合わして暮した。お作は、お国さえ除(の)けば、それで事は済むように思った。が、新吉はそうも思わなかった。
「どうするですね、やっぱり当分田舎へでも帰ったらどうかね。」と新吉はある日の午後お国に切り出した。
 お国はその時、少し風邪の心地で、蟀谷(こめかみ)のところに即効紙など貼って、取り散(みだ)した風をしていた。
「それでなけア、東京でどこか奉公にでも入るか……。」と新吉はいつにない冷やかな態度で、「私(あっし)のところにいるのは、いつまでいても、それは一向かまわないようなもんだがね。小野さんなんぞと違って、宅は商売屋だもんだで、何だかわけの解らない女がいるなんぞと思われても、あまり体裁がよくねえしね……。」
 新吉はいつからか、言おうと思っていることをさらけ出そうとした。
 ずっと離れて、薄暗いところで、針仕事をしていたお作は、折々目を挙げて、二人の顔を見た。
 お国は嶮相(けんそう)な蒼い顔をして、火鉢の側に坐っていたが、しばらくすると、「え、それは私だって考えているんです。」
 新吉は、まだ一つ二つ自分の方の都合をならべた。お国はじっと考え込んでいたが、大分経ってから、莨を喫し出すと一緒に、
「御心配入りません。私のことはどっちへ転んだって、体一つですから……。」と淋しく笑った。
「そうなんだ。……女てものは重宝なもんだからね。その代りどこへ行くということが決まれば、私もそれは出来るだけのことはするつもりだから。」
 お国は黙って、釵(かんざし)で、自棄(やけ)に頭を掻いていた。晩方飯が済むと、お国は急に押入れを開けて、行李の中を掻き廻していたが、帯を締め直して、羽織を着替えると、二人に、更まった挨拶をして、出て行こうとした。
 その様子が、ひどく落ち着き払っていたので、新吉も多少不安を感じ出した。
「どこへ行くね。」と訊いて見たが、お国は、「え、ちょいと。」と言ったきり、ふいと出て行った。
 新吉もお作も、後で口も利かなかった。

 

 新吉とお国は、体の関係を持ったからといって、親密な仲になったわけでもない。体のことはただなりゆきでそうなっただけのことで、それが二人の関係を決定的なものにするわけでもなかった。

 新吉は、もともとお国に惚れたわけではなかった。そればかりか、嫌悪も感じていたのだ。という言い方もおかしなもので、惚れた相手に嫌悪を感じることだって多々あること。好きになったり嫌いになったり、それが男女の関係というものだろう。

 ただ、お国に対する新吉の感情は、基本は嫌悪のようだ。容姿や肉体に惹かれるものの、お国の図々しさ、我が儘にはうんざりしてもいたのだ。それがここへ来て吹き出す。

 自分は商売人だから、家に変な女がいるって思われるのも体裁が悪い、というのが新吉の「言おうと思っていたこと」だという。新吉にとっては、商売が何よりの優先事項で、それには体裁が大事だというわけだ。しかし、「わけの解らない女がいる」なんてことは、とっくに町内の噂になっているだろう。ほんとに体裁が大事なら、とっくに追い出していなければおかしい。

 結局のところ、新吉はあくまで自分の家の君主でいたいだけで、その領地を荒らされるのが嫌なのだ。自分の言うことをハイハイと聞いて、テキパキと働いて家業を助ける女を求めているのだ。それにはお作はダメ、またお国もダメなのだ。

 お作は、お国にさえいなくなれば平穏な生活が戻ってくると思うのだが、それもまた幻想だった。新吉は、お国を憎みながらも、また惹かれていたからだ。

 それにしても、この辺のお国の描き方は実に水際立っている。コメカミに「即効紙(薬を塗った一種の紙。頭痛などの時、患部に貼って使うもの。)〈日本国語大辞典〉」を貼ったお国がツンツンしてタバコをすっているところなどは、やっぱり杉村春子にやらせたい。

 いざとなれば、どっちへ転んだって体一つだという潔さは女ならではのものだろうが、それを新吉は「女てものは重宝なもんだからね。」と揶揄する。お国は答えない。そして「ひどく落ち着き払った」態度で家を出ていく。そうなると新吉は不安になってくる。川に身でも投げるのではと思ったのだろうか。お国はそんなヤワな女じゃないだろうけど、男ってものは、そういう女のことが結局分からない。


 高ッ調子のお国がいなくなると、宅は水の退いたようにケソリとして来た。お作は場所塞(ばしょふさ)げの厄介物を攘(はら)った気でいたが、新吉は何となく寂しそうな顔をしていた。お作に対する物の言いぶりにも、妙に角が立って来た。お国の行き先について、多少の不安もあったので、帰って来るのを、心待ちに待ちもした。
 が、翌日も、お国は帰らなかった。新吉は帳場にばかり坐り込んで、往来に差す人の影に、鋭い目を配っていた。たまに奥へ入って来ても、不愉快そうに顔を顰めて、ろくろく坐りもしなかった。
 お作も急に張合いがなくなって来た。新吉の顔を見るのも切ないようで、出来るだけ側に寄らぬようにした。昼飯の時も、黙って給仕をして、黙って不味(まず)ッぽらしく箸を取った。新吉がふいと起ってしまうと、何ということなし、ただ涙が出て来た。二時ごろに、お作はちょくちょく着に着替えて、出にくそうに店へ出て来た。
「あの、ちょっと小石川へ行って来てもようございますか。」とおずおず言うと、新吉はジロリとその姿を見た。
「何か用かね。」
 お作ははっきり返辞も出来なかった。

 

 お国がいなくなると、新吉はいっそう機嫌が悪くなる。お国の帰りを待ってばかりいる。そんな新吉を見るのも辛い。そしてまた、お作自身、「急に張合いがなくなって来た」というのだから人間って複雑だ。

 お国の存在は、お作にとっては悩みの種だったことは確かだが、それが日常になってしまうと、お国の存在は自分のアイデンティティにとって欠かせないものとなった、と言っては大げさだが、お国と自分なりに対抗することで、自分の心を確かめてきたという面があるのではなかろうか。

 お作はお国に面と向かって対抗してきたわけではないが、それでも、何かの折には、新吉が、お国よりやっぱりオマエだ、って言ってくれる日が来ることを楽しみにして辛い日常を耐えてきたのではなかろうか。

 その「張り合い」がなくなったとき、お作はどうするか。「過去」へ戻っていくのである。

 出にくそうに家を出るお作を「ジロリと見る」新吉の冷たさにお作ならずとも身も凍る思いがする。

 

 出ては見たが、何となく足が重かった。叔父に厭なことを聞かすのも、気が進まない。叔父にいろいろ訊かれるのも、厭であった。叔父のところへ行けないとすると、さしあたりどこへ行くという的(あて)もない。お作はただフラフラと歩いた。
 表町を離れると、そこは激しい往来であった。外は大分春らしい陽気になって、日の光も目眩(まぶ)しいくらいであった。お作の目には、坂を降りて行く、幾組かの女学生の姿が、いかにも快活そうに見えた。何を考えるともなく、歩(あし)が自然(ひとりで)に反対の方向に嚮(む)いていたことに気がつくと、急に四辻の角に立ち停って四下(あたり)を見廻した。
 何だか、もと奉公していた家がなつかしいような気がした。始終拭き掃除をしていた部屋部屋のちんまりした様子や、手がけた台所の模様が、目に浮んだ。どこかに中国訛りのある、優しい夫人の声や目が憶い出された。出る時、赤子であった男の子も、もう大きくなったろうと思うと、その成人ぶりも見たくなった。
 お作は柳町まで来て、最中(もなか)の折を一つ買った。そうしてそれを風呂敷に包んで一端(いっぱし)何か酬(むく)いられたような心持で、元気よく行(ある)き出した。
 西片町界隈は、古いお馴染みの町である。この区域の空気は一体に明るいような気がする。お作はかなめの垣根際を行(ある)いている幼稚園の生徒の姿にも、一種のなつかしさを覚えた。ここの桜の散るころの、やるせないような思いも、胸に湧いて来た。
 家は松木といって、通りを少し左へ入ったところである。門からじきに格子戸で、庭には低い立ち木の頂が、スクスクと新しい塀越しに見られる。お作は以前愛された旧主の門まで来て、ちょっと躊躇した。

 

 もと奉公していた家ではお作はずいぶん可愛がられた。かつて愛情を注いでくれた家の人々。それが、お作の心の支えなのだ。冷酷な感情の支配する場面が続いたあと、このシーンを読むと、とても気持ちが和らぐ。風景も明るく、風も暖かい。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』  31 女と男   2019.5.24

 

 懐かしい元の奉公先の家の前で、胸がいっぱいになったお作だったが、その家もお作を暖かく迎えてくれたわけではなかった。お作が奉公していたころと比べると、「どこか豊かそうに見えた」その家は、豊かになった分だけ、お作への同情心が薄れたとでもいうかのようだ。

 

 門のうちに、綺麗な腕車(くるま)が一台供待(ともま)ちをしていた。
 お作はこんもりした杜松(ひば)の陰を脱けて、湯殿の横からコークス殻を敷いた水口へ出た。障子の蔭からそっと台所を窺(のぞ)くと、誰もいなかったが、台所の模様はいくらか変っていた。瓦斯など引いて、西洋料理の道具などもコテコテ並べてあった。自分のいたころから見ると、どこか豊かそうに見えた。
 奥から子供を愛(あや)している女中の声が洩れて来た。夫人が誰かと話している声も聞えた。客は女らしい、華やかな笑い声もするようである。
 しばらくすると、束髪に花簪を挿して、きちんとした姿(なり)をした十八、九の女が、ツカツカと出て来た。赤い盆を手に持っていたが、お作の姿を見ると、丸い目をクルクルさせて、「どなた?」と低声(こごえ)で訊いた。
「奥様いらっしゃいますか。」とお作は赤い顔をして言った。
「え、いらっしゃいますけれど……。」
「別に用はないんですけれど、前(ぜん)におりましたお作が伺ったと、そうおっしゃって……。」
「ハ、さよでございますか。」と女中はジロジロお作の様子を見たが、盆を拭いて、それに小さいコップを二つ載せて、奥へ引っ込んだ。
 しばらくすると、二歳(ふたつ)になる子が、片言交りに何やら言う声がする。咲(え)み割れるような、今の女中の笑い声が揺れて来る。その笑い声には、何の濁りも蟠(わだかま)りもなかった。お作はこの暖かい邸で過した、三年の静かな生活を憶い出した。
 奥様は急に出て来なかった。大分経ってから、女中が出て来て、「あの、こっちへお上んなさいな。」
 お作は女中部屋へ上った。女中部屋の窓の障子のところに、でこぼこの鏡が立てかけてあった。白い前垂や羽織が壁にかかっている。しばらくすると、夫人がちょっと顔を出した。痩せぎすな、顔の淋しい女で、このごろことに毛が抜け上ったように思う。お作は平たくなってお辞儀をした。
「このごろはどうですね。商売屋じゃ、なかなか気骨が折れるだろうね。それに、お前何だか顔色が悪いようじゃないか。病気でもおしかい。」と夫人は詞(ことば)をかけた。
「え……。」と言ってお作は早産のことなど話そうとしたが、夫人は気忙しそうに、「マアゆっくり遊んでおいで。」と言い棄てて奥へ入った。
 しばらく女中と二人で、子供をあっちへ取りこっちへ取りして、愛(あや)していた。子供は乳色の顔をして、よく肥っていた。先月中小田原の方へ行っていて、自分も伴をしていたことなぞ、お竹は気爽(きさく)に話し出した。話は罪のないことばかりで、小田原の海がどうだったとか、梅園がこうだとか、どこのお嬢さまが遊びに来て面白かったとか……お作は浮(うわ)の空で聞いていた。
 外へ出ると、そこらの庭の木立ちに、夕靄が被(かか)っていた。お作は新坂をトボトボと小石川の方へ降りて行った。

 

 かつてはお作を暖かく遇してくれた家だったが、夫人はゆっくりとお作の話を聞こうともしない。みんな自分のことで精一杯で、お作の心に寄り添う余裕もない。というか、いくら奉公人に優しいといったところで、どこまでも親身になるほどお作を愛していたわけではなかったのだ。お作の顔色の悪いことには気づいても、夫人はそれ以上深入りはしてこない。面倒を避けたいという気持ちがどこかで働くのだ。

 何のわだかまりもない笑い声は、お作を懐かしい気持ちにはさせても、お作を慰めるものではなかった。夕靄の中を、トボトボ家路を辿るお作の姿が哀れである。

 家に帰ると、なんだか酔っ払いが騒いでいる。お国と新吉の別れの場面となり、そして急速にこの小説は終幕へと向かうのだ。

 

 帰って見ると、店が何だか紛擾(ごたごた)していた。いつもよく来る、赭(あか)ちゃけた髪の毛の長く伸びた、目の小さい、鼻のひしゃげた汚い男が、跣足のまま突っ立って、コップ酒を呷(あお)りながら、何やら大声で怒鳴っていた。小僧たちの顔を見ると、一様に不安そうな目色をして、酔漢(よっぱらい)を見守っている。奥の方でも何だかごてついているらしい。上り口に蓮葉な脱ぎ方をしてある、籐表(とうおもて)の下駄は、お国のであった。
「お国さんが帰って?」と小僧に訊くと、小僧は「今帰りましたよ。」と胡散くさい目容(めつき)でお作を見た。
 そっと上って見ると、新吉は長火鉢のところに立て膝をして莨を吸っていた。お国は奥の押入れの前に、行李の蓋を取って、これも片膝を立てて、目に殺気を帯びていた。お作の影が差しても、二人は見て見ぬ振りをしている。

 

 お国が「蓮葉な脱ぎ方」をした下駄が、お国の心の荒れ具合を表している。お国と新吉は、なぜだか喧嘩腰でいがみあっている。お国は行李の蓋をとって、中の荷物を取り出しているのだろうか。二人とも「片膝を立てて」いるのが、事態のただならぬことを物語る。目に殺気を帯びているお国がおそろしい。

 これだけの描写をしておいて、会話に入るそのタイミングも絶妙で、最後までこの小説の「映画みたい」な魅力は失われていない。

 

 新吉はポンポンと煙管を敲(はた)いて、「小野さんに、それじゃ私(あっし)が済まねえがね……。」と溜息を吐(つ)いた。
「新さんの知ったことじゃないわ。」とお国は赤い胴着のような物を畳んでいた。髪が昨日よりも一層強(きつ)い紊(みだ)れ方で、立てた膝のあたりから、友禅の腰巻きなどが媚(なま)めかしく零れていた。
「私ゃ私の行きどころへ行くんですもの。誰が何と言うもんですか。」と凄じい鼻息であった。
 お作はぼんやり入口に突っ立っていた。
「それも、東京の内なら、私(あっし)も文句は言わねえが、何も千葉くんだりへ行かねえだって……。」と新吉も少し激したような調子で、「千葉は何だね。」
「何だか、私も知らないんですがね、私ゃとても、東京で堅気の奉公なんざ出来やしませんから……。」
「それじゃ千葉の方は、お茶屋ででもあるのかね。」
 お国は黙っている。新吉も黙って見ていた。
「私の体なんか、どこへどう流れてどうなるか解りゃしませんよ。一つ体を沈めてしまう気になれア、気楽なもんでさ。」とお国は投げ出すように言い出した。
「だけど、何も、それほどまでにせんでも……。」と新吉はオドついたような調子で、「そう棄て鉢になることもねえわけだがね。」と同じようなことを繰り返した。
「それア、私だって、何も自分で棄て鉢になりたかないんですわ。だけど、どういうもんだか、私アそうなるんですのさ。小野と一緒になる時なぞも、もうちゃんと締るつもりで……。」とお国は口の中で何やら言っていたが、急に溜息を吐いて、「真実(ほんとう)にうっちゃっておいて下さいよ。小野のところから訊いて来たら、どこへ行ったか解らない、とそう言ってやって下さい。この先はどうなるんだか、私にも解らないんですから。」
「じゃ、マア、行くんなら行くとして、今夜に限ったこともあるまい。」
 店がにわかにドヤドヤして来た。酔漢(よっぱらい)は、咽喉を絞るような声で唄い出した。

 

 どうやらお国は新吉の家にいられなくなって、千葉に行ってどうやら身を売ることになったようだ。新吉は慌てるが、お国の決意はかたい。どうしてこういうことになったのか、詳しい事情は分からないが、もつれにもつれた挙げ句の別れだろう。

 新吉との別れというよりも、お国はとうとうやけっぱちになって、この中途半端な生活に見切りをつけたといったところだろうか。いざとなれば身一つ、どうにでもなるというお国の思いは、新吉には捨て鉢にしか見えない。お国にしても、捨て鉢にはなりたくないけれど、自分はどこまで行ってもそんな生き方しかできないという諦めがあり、やはり哀れである。気が強いだけに哀れさもまたひとしおだ。

 新吉はこういうお国の「開き直り」に、まごついて、意味もなく引き留めにかかる。引き留めたところで、事態が改善するわけもないのに、「行くんなら行くとして、今夜に限ったこともあるまい」というようなことを言う新吉は、現実を目の当たりにしてそれに正面からぶつかっていく気概に欠ける情けない男の典型だろう。

 新吉のグズグズぶりに比べて、お国のある意味での潔さは、女というものの強さを感じさせる。それは、「女てものは重宝なもんだからね」という新吉の下卑たセリフとはどこか違ったところにある強さだ。男だってその気になればどんなことしたって生きていけるはずなのだが、どうにも男にはそういう強さがない。いつも、誰かに寄りかかっていないと生きていけない。そんな気がするのだ。

 お国が出て行くことは仕方ないとしても、「今夜」じゃなくてもいいだろう、という言い分には、現実の回避しかない。いつまでも決定を先延ばしにして、いわばモラトリアムの中でウダウダしていたいというどうにも軟弱な精神は、女のどこをどう叩いても出てこないような気がするのだ。

 もっとも、こういう感想は、男女関係のなんたるかもわきまえない、酸いも甘いもかみ分けられないぼくみたいな人間が言ったところで何の説得力もないのだが。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』  32  ぼくらの上には空がある   2019.5.26

 

 とうとう最終回。小説としては終わるが、中の人物たちの人生は少しも終わらない。新吉もお作もお国も、みずからの中に形成されたシコリをこじらせたまま、それを抱え、あるいはそれを増殖させて、これから生きていかねばならないのだ。いったい何という人生だろうか。

 

  しばらくすると、食卓(ちゃぶだい)がランプの下に立てられた。新吉はしきりに興奮したような調子で、「酒をつけろ酒をつけろ。」とお作に呶鳴った。
「それじゃお別れに一つ頂きましょう。」お国も素直に言って、そこへ来て坐った。髪を撫でつけて、キチンとした風をしていた。お作はこの場の心持が、よく呑み込めなかった。お国がどこへ何しに行くかもよく解らなかった。新吉に叱られて、無意識に酒の酌などして、傍に畏(かしこ)まっていた。
 お国は嶮しい目を光らせながら、グイグイ酒を飲んだ。飲めば飲むほど、顔が蒼くなった。外眦(めじり)が少し釣り上って、蟀谷(こめかみ)のところに脈が打っていた。唇が美しい潤いをもって、頬が削(こ)けていた。
 新吉は赤い顔をして、うつむきがちであった。お国が千葉のお茶屋へ行って、今夜のように酒など引っ被って、棄て鉢を言っている様子が、ありあり目に浮んで来た。頭脳(あたま)がガンガン鳴って、心臓の鼓動も激しかった。が、胸の底には、冷たいある物が流れていた。

 

 新吉はお作に「酒をつけろ」と怒鳴る。お作は、何がなんだか分からず相変わらずドギマギしながら「無意識に」酌をする。お国は顔を蒼くして酒をグイグイ飲んでいる。

 新吉はこの目の前で酒をあおるお国の行く末に、頭が痛くなり心臓もバクバクする思いを味わうが、「胸の底には、冷たいある物が流れていた。」という。

 新吉という男の心の底に流れるこの「冷たいある物」の正体はいったい何だろう。お国が千葉にいって苦界に身を沈めようとしているのに、表面上ではそれを押しとどめようとはしても、心の底では舌を出して「ざまあみろ」とでもいいかねない冷たさ。それはいったいどこから来るのだろう。

 新吉のこの「冷たさ」は、この小説を読んでいる間中ずっと頭から離れなかった。それについて書くまえに、まずは、この小説の終幕を見ておこう。

 

「新さん、じゃ私これでおつもりよ。」とお国は猪口を干して渡した。
 お作が黙ってお酌をした。
「お作さんにも、大変お世話になりましたね。」とお国は言い出した。
「いいえ。」とお作はオドついたような調子で言う。
「あちらへ行ったら、ちっとお遊びにいらして下さい……と言いたいんですけれどね、実は私は姿を見られるのもきまりが悪いくらいのところへ行くんですの。これッきり、もうどなたにもお目にかからないつもりですからね。」
 お作はその顔を見あげた。
 酔漢はもう出たと見えて、店が森(しん)としていた。生温いような風が吹く晩で、じっとしていると、澄みきった耳の底へ、遠くで打っている警鐘の音が聞えるような気がする。かと思うと、それが裏長屋の話し声で消されてしまう。
「ア、酔った!」とお国は燃えている腹の底から出るような息を吐いて、「じゃ新さん、これで綺麗にお別れにしましょう。酔った勢いでもって……。」と帯の折れていたところを、キュと仕扱(しご)いてポンと敲(たた)いた。
「じゃ、今夜立つかね。」新吉は女の目を瞶(みつ)めて、「私(あっし)送ってもいいんだが……。」
「いいえ。そうして頂いちゃかえって……。」お国はもう一度猪口を取りあげて無意識に飲んだ。
 お国は腕車で発った。
 新吉はランプの下に大の字になって、しばらく寝ていた。お国がまだいるのやらいないのやら、解らなかった。持って行きどころのない体が曠野(あれの)の真中に横たわっているような気がした。
 大分経ってから、掻巻きを被(き)せてくれるお作の顔を、ジロリと見た。
 新吉は引き寄せて、その頬にキッスしようとした。お作の頬は氷のように冷たかった。

                       *     *     *

「開業三周年を祝して……」と新吉の店に菰冠(こもかぶ)りが積み上げられた、その秋の末、お作はまた身重(みおも)になった。

 

 

 この別れは、お作でなくともよく分からない。喧嘩別れでもないようだ。お互いにどこか未練を残しつつ、それでもこのままじゃどうしようもない、といった諦めが生んだ別れのようだ。「帯の折れていたところを、キュと仕扱(しご)いてポンと敲(たた)いた」お国は、蓮っ葉だけど、その気っぷの良さは魅力的だ。新吉の未練たらしさもよく分かる。しかし、ひとりその場から取り残されたようなお作には、明るい人生は待っていない。

 「お作の頬は氷のように冷たかった。」というのは、お作の死を暗示する。「* * *」として省略された月日の果てに、お作はまた妊娠するのだが、それがお作の命取りになるだろう。

 そんなことは書いてないが、しかし、この小説のモデルとなった夫婦は、妻が産後の肥立ちが悪くて死んでしまうのだ。しかし、秋声はそこまで書かずに、こういう形で小説を終えた。

 それは、お作の死を書くことよりも残忍な気もする。どんな形であれ、死はひとつの浄化だ。敢えていえば救いだ。しかし、「身重になった」ということで、その先に死が予感されるとなると、どこにも救いがない。読者は、お作の生涯を見届けることなく、お作の不幸をずっと抱え込まなければならない。それが残忍だということの意味である。

 お国が出て行ったあと、新吉は「持って行きどころのない体が曠野(あれの)の真中に横たわっているような気がした。」とある。

 新吉が宿痾のように心の中に抱え込んでいた「冷たさ」。それと、ランプの下で新吉が味わったこの「曠野の真中に横たわっているような気分」は一続きだ。そして、それは実は、新吉だけではなく、お国もお作も抱えていた宿痾なのだと今は思える。

 その宿痾を「神なき人間の悲惨」と言ってみる。

 ここでいう「神」とは、別に特定の宗教における神では必ずしもない。何やら「人間を超える存在」といった曖昧なものでいい。あるいは「存在」ですらない、「美」とか「善」とか、あるいは「無常観」というような観念でもいい。とにかく、人間の幸福感というものは、そのような「人間を超えるもの」とのつながりから生まれてくるのではないかということだ。そうした「人間を超えるもの」とのつながりがまったくない人間は、幸福感を抱くことはできない。それがぼくの直感だ。

 人間というものは、どんなに幸福を望んでも、それが成就することはない。それは人間がいつかは必ず死ぬ存在だからだ。どんなに激しい恋をしても、その恋は永続することはない。死によってそれが終わるということもあるが、それよりも、様々な人間的な軋轢は、恋をいつかはさましてしまう。ぼくらが人間関係の中に、幸福をみつけることができたとしても、それは結局いつかは醒める夢にすぎないだろう。

 ぼくらの幸福というものは、人間関係を「通して」得られるものが多いけれども、その人間関係を通して、その喜びを通して、「なにか分からないが人間を超えるもの」との接触を感じることで、その幸福は永遠に接続するものとなりうる。

 たとえば、恋人と肩を並べて見た星空。その時感じた「あるもの」。それは、その恋人と別れたあとも、消えずに残る。幸福は、「人間を超えるもの」とのつながりから生まれるというのは、そういうことだ。

 この『新所帯』という小説に出て来る人間は、一人としてこうした「人間を超えるもの」とのつながりを持っていないようにみえる。たとえていえば、「二次元」の世界の住人である。二次元の世界の住人が「迷路」で迷うと、なかなか脱出できない。垂直の次元がないから、上に動いて「壁を越える」ことができないのだ。

 新吉もお作もお国も、みな二次元の迷路のなかで迷っている。そして出口が見つからない。彼らは永久に幸福にはなれないだろう。

 「曠野(あれの)の真中に横たわっているような気がした」新吉の真上には、実は巨大な空が広がっている。その空とつながることで、新吉は自分の存在の意味を知ることができるかもしれない。お作も、その「空」とつながることで、新吉とお国しかいない狭い世界から脱出できるかもしれない。お国も、その「空」とつながることで、「千葉で身を落とす」以外の生き方を知ることができるかもしれないのだ。

 けれども、秋声はそうした道筋を彼らに与えようとしない。「人間関係」のもつれの中で出口のない生き方しかできない人間の姿をじっと見つめているのだ。

 ぼくらはそうした「悲惨な人間」の姿を知れば知るほど、人間をとりまく「別の次元」に気づかされる。人間は、人間だけで生きているわけではないこと。人間は自然の中で生きているということ。人間はひょっとしたら「人間ではないもの」「人間を超えるもの」に愛されているのかもしれないということ。つまりは、ぼくらの上には空があるということ。それが分かれば、迷路は抜け出せるはずだということ。そういうことに気づかされるのである。

 

 何の気なしに読み始めた『新所帯』だが、思いがけず長丁場になってしまった。

 今から20年以上も前にこの小説を初めて読んだのだが、その時は、あまりの救いのなさに驚き呆れ、なんというひどい小説だろうとしか思わなかった。明治の女性がどんなにひどい扱いをされたかは、この小説を読めば分かるとさえ思った。

 今回改めてゆっくりと読んでみて、徳田秋声の文章の見事さに感嘆した。と同時に、悲惨なのはお作だけではなく、新吉もお国もみな悲惨だと思った。この悲惨さはどこから来るのかを考えた。いちおうの結論めいたことは書いてみたけれど、これが最終結論であるということではなく、あくまで、今の時点でこう思ったということに過ぎない。

 秋声の小説が読むに値することは、はっきり分かったので、この後も続けて読んでいきたい。しかし、このシリーズでは、趣向を変えて、次回からは、志賀直哉の代表作『暗夜行路』を読むことにしたい。この傑作とも失敗作とも言われる巨大な小説に、どういう形で取り組んでいくかは、目下思案中である。きっと暗闇の中に行き惑うことになるだろうが。

 

 

 

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