徳田秋声「新所帯」を読む 1〜9

 

 

 


 

徳田秋声『新所帯』 1   2019.1.17

 

 「作者」と「作品」をめぐっては、まだ書きたいことはたくさんあるんだが、このシリーズは、あくまで「日本近代文学を読む」ことが中心なので、いちおう本筋にもどる。といって、田山花袋にいつまでもとどまる気もないので、新鮮なところで、徳田秋声を読むことにする。

 「新鮮」といっても、徳田秋声ほどこの言葉のイメージから遠い作家もないだろう。その代表作といわれる『黴』とか『爛』といった小説の題名が災いしてか、どこか煤をかぶってくすんだような、地味で陰気でジジクサイ印象しかないのかもしれない。それでも、そういった印象があればまだましで、今や、若い人たちにとっては、「誰それ?」ってところだろう。

 そこへいくと、田山花袋のほうは、『蒲団』の「衝撃的ラスト」のおかげで、「変態」の烙印は残念だが、名前だけはけっこう「ああ、あの、蒲団にもぐって女の匂いを嗅いだ人ね」レベルで知られている。それが幸いなのかどうかわからないが、まあ、いまだ「有名」だということは、花袋もあの世で喜んでいるのかもしれない。

 かつて高校の国語の授業でも、真面目に文学史が扱われていた時代には、「自然主義」の説明のあとに、その作家として、徳田秋声の名前はかならず出てきて、読んだことはないけれど、名前だけは知っているという世代の人も少なくはなかったはずだ。

 そもそも日本の近代文学者の中で「名前だけは知っている」以上の知られ方、つまり、「ちょっと読んだことある」程度の作家っていうのがどれくらいいるものなのだろうか。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、志賀直哉、ときて、あとは、、、どうもおぼつかない。今、名前を挙げた4人の共通点は、ほとんどの国語の教科書に載っているということであって、このことがなければ、彼らだって、どれだけの知名度を獲得できていたかしれたものではない。

 話はそれるが、今、一部でちょっとした話題となっているのは、高校の国語で、古文は必要かどうかということだ。古文なんて、大人になって何の役にも立たないんだから、高校で必修にする必要なんかない。やりたいなら選択にすればいい、という人がたくさんいるらしいのだ。そのことをめぐって、先頃、シンポジウムも開催されたようで、そこでどういうことが議論されたのか、興味津々ではあるのだが、いずれにしても、もし古文を「必修」からはずしたら、それこそ、『源氏物語』はおろか、『平家物語』も、『徒然草』も、『奥の細道』も、何もかも一切合切まとめて「知られなくなる」ことは目に見えている。

 あのシチメンドクサイ古文を、「ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり」なんて意味不明な音の羅列を子守歌として聞いた経験もなくなれば、高校時代の「苦痛」は半減するに違いないが、生涯で二度とそういう「幸福な」時間を味わうこともないだろう。

 それはそれとしても、授業で扱う、ということの意味は、将来それが「役に立つ」かどうかというセコい観点から早急に論じるべきものではないとうことだけはとりあえず言っておきたい。

 「自然主義」がそもそもどういうものかよく分からないまま、言葉だけ覚えて、その作家として、とうてい読む気になれそうもない『黴』とか『爛』とかいう小説を書いたらしい「徳田秋声」という名前も頭の片隅にしまいこんだまま忘れてしまっても、たまたま金沢へ新幹線で観光旅行にやってきて、道を歩いていたら「徳田秋声記念館」なんてものがあって、あ、そんな人たしかいたなあ、と思うのは、「授業でやった」からこそだ。それがなければ、徳田秋声は、五木ひろしみたいな北陸の歌手だと思われてしまうかもしれない。

 「ちょっとでも知っている」ということは、それだけでは何の役にも立たないようだけれど、実は、とても大事なことで、いわば「引き出し」のようなものだ。「知らない」ということは、名前も知らないシャッターのおりた商店のようなもので、中に入っていきようがない。「ちょっとでも知っている」ということは、シャッターが上がっていて、入ろうと思えば入れる商店で、しかも、その店の名前に聞き覚えがあるとなると、更に入りやすくなる。入ってみると、実に素敵な商品が並んでいる、かもしれない。がっかりするかもしれないけど、「素通り」するよりマシである。

 もし、古文どころか、高校の国語の授業から、漢文も、現代小説も、みんな姿を消して、履歴書の書き方とか、始末書の書き方とか、条例の読み方とか、クレーム対応の仕方とかしかなくなってしまったら、大人になって生活には困らないかもしれないけれど、シャッターがみんな降りた商店街を歩くような実にアジケナイ人生になってしまうに違いない。

 こんなことばかり書いていたら、いつになっても、「徳田秋声店」に入れないので、とにかく扉をあけて中に入ってみよう。あいにく、自動扉じゃなくて、かなりさびた重い扉だけど。

 

 新吉がお作を迎えたのは、新吉が二十五、お作が二十の時、今からちょうど四年前の冬であった。
 十四の時豪商の立志伝や何かで、少年の過敏な頭脳(あたま)を刺戟され、東京へ飛び出してから十一年間、新川の酒問屋で、傍目もふらず滅茶苦茶に働いた。表町(おもてちょう)で小さい家を借りて、酒に醤油、薪に炭、塩などの新店を出した時も、飯喰う隙が惜しいくらい、クルクルと働き詰めでいた。始終襷がけの足袋跣のままで、店頭(みせさき)に腰かけて、モクモクと気忙(きぜわ)しそうに飯を掻ッ込んでいた。
 新吉はちょっといい縹致(きりょう)である。面長の色白で、鼻筋の通った、口元の優しい男である。ビジネスカットとかいうのに刈り込んで、襟の深い毛糸のシャツを着て、前垂がけで立ち働いている姿にすら、どことなく品があった。雪の深い水の清い山国育ちということが、皮膚の色沢(いろつや)の優れて美しいのでも解る。


 徳田秋声の『新所帯』の冒頭である。一読、スッキリした印象を受ける文章である。主人公と思われる「新吉」について過不足なく、書かれている。花袋の『田舎教師』も、こうした客観的な記述から始まるけれど、こちらの方は、感傷性がそぎ落とされている感じがして、文章に透明感がある。

 数字もきちんとあっていて、気持ちがいい。新吉と小作の年齢も明示され、14+11=25というのもすがすがしい。なんでそんなふうに感じるのかというと、これまで読んできた泡鳴も花袋も、数字が明示されないために、いつもどこかで、あれ、この時この人何歳だっけ? これ何年前のことだっけ? と、ただでさえ数字に弱いぼくは、いらつくことが多かったような気がするからだ。そこへきて、このように、数字がピタリとあった記述を読むと、あ、この作家って頭いいんだな、と、ぼくのような頭の悪い人間は思うわけだ。

 新吉の故郷がどこであるかは書かれてないが、「雪の深い水の清い山国」とあって、秋声の故郷である金沢あたり、あるいは北陸のどこかを頭においているのだろう。ちなみに、この小説は『蒲団』や『泡鳴五部作』などとは違って、自分のことをナマに書いているのではなく、秋声の家の近くの酒屋の夫婦がモデルになっていて、その夫婦の生活ぶりに、自分の生活を投影しているのだということだが、それはおいおい分かってくるだろう。

 新吉の「縹致(きりょう)」がいいというのが印象的。明治41年の作だが、当時「ビジネスカット」というのがあったというのが驚きだ。どういう髪型なのかわからないが、「刈り込んで」とあるので、いわゆる「角刈り」みたいなのだろうか。関西風に言うと「シュッとした」男ということになるだろう。

 その新吉に結婚話が持ち上がる。恋をしたのではなくて、「そろそろ結婚してはどうか」と、話を持ちかけた者がいたのだ。

 

 お作を周旋したのは、同じ酒屋仲間の和泉屋(いずみや)という男であった。
「内儀(かみ)さんを一人世話しましょう。いいのがありますぜ。」と和泉屋は、新吉の店がどうか成り立ちそうだという目論見のついた時分に口を切った。

 

 「いいのがありますぜ。」という口ぶりが、ザラっとした印象を与える。明治41年ごろの「結婚」の実態の一端がここにすでに見え隠れしているのだ。題名は『新所帯』、つまり「新婚家庭」ということで、新吉、お作の、「新婚生活」の内情が語られるというのが、この小説だということになる。

 


 

徳田秋声『新所帯』 2 荒涼とした新婚生活への予感   2019.1.19

 

 酒屋仲間の和泉屋の言葉に、新吉はすぐには乗らなかった。不安だったからである。


 新吉はすぐには話に乗らなかった。
「まだ海のものとも山のものとも知れねいんだからね。これなら大丈夫屋台骨が張って行けるという見越しがつかんことにゃ、私(あっし)ア不安心で、とても嚊(かかあ)など持つ気になれやしない。嚊アを持ちゃ、子供が生れるものと覚悟せんけアなんねえしね。」とその淋しい顔に、不安らしい笑みを浮べた。


 「雪深い山国育ち」の割には、話す言葉は江戸っ子っぽい。

 ここで気になるのは「淋しい顔」という表現だ。この後、何度か出て来るのだが、ここまでの記述を見るかぎり、田舎から出てきて、一生懸命働いてきた若い新吉に「淋しい顔」というのは、しっくりこない。その「淋しさ」はどこからくるのだろうか。注目したいところだ。

 新吉は不安だったが、、やっぱり女房をもらう「必要」があると考えた。


 けれども新吉は、その必要は感じていた。注文取りに歩いている時でも、洗湯(せんとう)へ行っている間でも、小僧ばかりでは片時も安心が出来なかった。帳合いや、三度三度の飯も、自分の手と頭とを使わなければならなかった。新吉は、内儀(かみ)さんを貰うと貰わないとの経済上の得失などを、深く綿密に考えていた。一々算盤珠(そろばんだま)を弾いて、口が一つ殖(ふ)えればどう、二年経って子供が一人産れればどうなるということまで、出来るだけ詳しく積って見た。一年の店の利益、貯金の額、利子なども最少額に見積って、間違いのないところを、ほぼ見極めをつけて、幾年目にどれだけの資本(もと)が出来るという勘定をすることぐらい、新吉にとって興味のある仕事はなかった。
 三月ばかり、内儀さんの問題で、頭脳(あたま)を悩ましていたが、やっぱり貰わずにはいられなかった。
 お作はそのころ本郷西片町の、ある官吏の屋敷に奉公していた。
 産れは八王子のずっと手前の、ある小さい町で、叔父が伝通院(でんずういん)前にかなりな鰹節屋(かつぶしや)を出していた。新吉は、ある日わざわざ汽車で乗り出して女の産れ在所へ身元調べに行った。


 その「必要」はどこにあったのかが、きちんと書かれている。要するに手が足りなかったのだ。懸命に働くばかりで、女郎買いなどしている様子もみえないから、そっちの「必要」ではなさそうだ。

 それにしても、いろんな人間がいるものだ。この新吉という男は、どこまでも、計算ずくで、まず結婚の経済上の特質を綿密に考えたとうのだから、驚く。

 驚く、というのは、ぼくが結婚したのは、新吉とほぼ同じ23歳のときだったが、そういうことは「いっさい」考えなかったからだ。新吉と違って「恋愛結婚」だったからと言ってしまえばそれまでだが、「一々算盤珠を弾いて、口が一つ殖(ふ)えればどう、二年経って子供が一人産れればどうなるということまで、出来るだけ詳しく積って見た。」というようなことは、まったく考えも及ばないところだった。

 「貧乏人のお坊ちゃん」と言われたぼくだとしても、少しは、「経済」のことも考えるべきだったのだろうが、一年教師を務めただけで、ほとんど貯金もないのに、結婚生活を始めてしまった。やっぱりいつも父が「オマエは極楽とんぼだ」と嘆いていたのも宜なるかな、である。

 新吉は違う。こういう人こそ「苦労人」というのだろう。何から何まで、自分で考え、先の先まで計算する。「一年の店の利益、貯金の額、利子なども最少額に見積って、間違いのないところを、ほぼ見極めをつけて、幾年目にどれだけの資本(もと)が出来るという勘定をすることぐらい、新吉にとって興味のある仕事はなかった。」というあたりを読んで、ああ、こういう仕事への興味の持ち方もあるのか、社会に出て、会社を興すとかいった人たちの関心はこういうところにあったのかと今さらながら納得した。

 新吉のような「苦労人」にとっては、結婚もまた愛だの恋だのという問題ではない。経済優先だ。いつも「金」が頭をいっぱいにしている。結婚するからには、相手の方の経済状態やら家柄が気になる。普通なら仲人役の和泉屋が調べてくるのだろうが、新吉は自ら身元調査に出かけるのだ。

 「八王子のずっと手前の、ある小さい町」とあるが、いったいどこだったのだろう。日野とか豊田とかいったあたりだろうか。

 

 お作の宅(うち)は、その町のかなり大きな荒物屋であった。鍋、桶、瀬戸物、シャボン、塵紙、草履といった物をコテコテとならべて、老舗と見えて、黝(くろず)んだ太い柱がツルツルと光っていた。
 新吉はすぐ近所の、怪しげな暗い飲食店へ飛び込んで、チビチビと酒を呑みながら、女を捉えて、荒物屋の身上(しんしょう)、家族の人柄、土地の風評などを、抜け目なく訊き糺(ただ)した。女は油くさい島田の首を突き出しては、酌をしていたが、知っているだけのことは話してくれた。田地が少しばかりに、小さい物置同様の、倉のあることも話した。兄が百姓をしていて、弟が土地で養子に行っていることも話した。養蚕時には養蚕もするし、そっちこっちへ金の時貸しなどをしていることも弁(しゃべ)った。
 新吉自身の家柄との権衡(けんこう)から言えば、あまりドッとした縁辺(えんぺん)でもなかった。新吉の家(うち)は、今はすっかり零落しているけれど、村では筋目正しい家(いえ)の一ツであった。新吉は七、八歳までは、お坊ちゃんで育った。親戚にも家柄の家(うち)がたくさんある。物は亡くしても、家の格はさまで低くなかった。
 けれど、新吉はそんなことにはあまり頓着もしなかった。自分の今の分際では、それで十分だと考えた。

 

 「権衡」とか「縁辺」とか、聞いたこともない言葉が出て来る。「権衡」とは「はかり」のことで、つまりは「つりあい」ということだ。「縁辺」とは、「婚姻による縁続きの間柄。親族。」という意味。「ドッとした」というのも耳馴れないが、「たいした」ぐらいの意味だろう。

 新吉としてみれば、自分の家柄はたいしたものじゃないけれど、それでも「筋目正しい家」だというプライドがある。だから、八王子の方の田舎の荒物屋が、多少の財産めいたものがあったにしても、「家の格」からすれば、釣り合いがとれないというわけだ。

 けれども、新吉は、そんなことには頓着しなかった。自分は裸一貫家を飛び出してここまできたが、「家の格」なんてことをいえた「分際」ではないと自覚しているわけだ。それで、いわば、妥協したのである。

 それにしても、新吉がお作のことを「怪しげな暗い飲食店」で「チビチビ酒を呑みながら」細かいことまで聞き出す姿というのは、なんとも嫌な感じである。

 この「嫌な感じ」というのはどこから来るのだろうかと考えてみると、どうも作者の書きぶりからくるのだと思い当たる。「チビチビ酒を呑む」というのは、新吉が大酒飲みではないことを意味する以上に、新吉のケチ、辛気くささを意味するように思える。一合ほどの酒を頼んで、最低限のつまみで(つまみもなかったかもしれない)、ちょっとずつ呑んで時間をかせぎ、その間に、女から「抜け目なく」聞き出す。この「抜け目なく」も嫌な感じ。

 そして、お作の出自やら、家の経済状態やらを把握したうえで、まあ、これぐらいがオレにはお似合いだと考える思考回路が、なんというか、自己肯定感が低さを示していて、それが新吉の「淋しさ」の原因なのかもしれない。

 見た目はシュッとしたイケメンなのに、心根は、ケチくさく、抜け目ない新吉。働きものだけど、金のこと、商売のことで頭がいっぱいの新吉。嫁をもらうにしても、その嫁を、働き手であと同時に、経済的な損失のリスクを伴う存在、さらには、それ以上の経済的なリスク(つまり子ども)を生み出す可能性のある存在として意識する新吉。

 徳田秋声は、そんなふうにこのたった25歳の淋しげな若者を描き出してみせる。読んでいて、心が躍らない。ワクワクしない。これに比べたら花袋の『田舎教師』なんて、心は躍らないけど、どこかロマンチックな夢にあふれている。その夢がはかなく破れていくけれど、そこには「青春」の片鱗がある。『蒲団』にしても、背徳的だけれど、女弟子に夢中になってしまう中年男の妄想には、それなりの「夢」がある。しかし、この徳田秋声が描く若者には、「夢」のかけらもない。あるのは、ただ、どこか荒涼とした「生活」ばかりである。この二人の「新婚生活」とはいかなるものであろうか。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 3 「視点」の問題   2019.1.22

 

 お作の身元を調べた新吉は、まあ、飛びつくような縁談でもないけど、これくらいが自分の分際では十分だと思ったが、いちおう同じ村から出ている友達に相談して、見合いをすることにした。


 そのことを、同じ村から出ている友達に相談してから、新吉はようやく談(はなし)を進めた。見合いは近間の寄席ですることにした。新吉はその友達と一緒に、和泉屋に連れられて、不断着のままでヒョコヒョコと出かけた。お作は薄ッぺらな小紋縮緬(こもんちりめん)のような白ッぽい羽織のうえに、ショールを着て、叔父と田舎から出ている兄との真中に、少し顔を斜(はす)にして坐っていた。叔父は毛むくじゃらのような顔をして、古い二重廻しを着ていた。兄は菱なりのような顔の口の大きい男で、これも綿ネルのシャツなど着て、土くさい様子をしていた。横向きであったので、新吉は女の顔をよく見得なかった。色の白い、丸ぽちゃだということだけは解った。お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていたが、新吉は胸がワクワクして、頭脳(あたま)が酔ったようになっていた。
 寄席を出るとき、新吉は出てゆくお作の姿をチラリと見た。お作も振り顧(かえ)って、正面から男の立ち姿を二、三度熟視した。お作は小柄の女で、歩く様子などは、坐っているよりもいくらかいいように思われた。
 そこを出ると、和泉屋は不恰好な長い二重廻しの袖をヒラヒラさせて、一足先にお作の仲間と一緒に帰った。
「どうだい、どんな女だい。」と新吉はそっと友達に訊いた。
 何だか頭脳がボッとしていた。叔父や兄貴の百姓百姓した風体が、何となく気にかかった。でも厭でたまらぬというほどでもなかった。


 見合いの場所が「近間の寄席」だったというところがおもしろい。当時は、東京中のあちこちに寄席があって、そこが見合いの場所として使われることもあったというようなことは、今では考えられないことだが、この頃の小説には、歌舞伎などの芝居見物が、同時に見合いの場でもあるというようなことはよく出て来る。確か、泡鳴の小説に、見合いではないが、そんなふうな場面が出てきたような気がするが、忘れてしまった。

 その寄席に、お作と、その叔父と兄が来ているわけだが、彼らの描写に注目したい。

 「分析批評」では、「視点」ということがよく言われて、ぼくも、授業では何度もその「視点」のことを話してきた。それをここで簡単に説明しておくと、「視点」というのは、小説の文章をどの位置から書くかということで、大ざっぱにいうと、「全知視点(神の視点)」と「一人称視点」(この名称でよかったのか、記憶があやふやですが、いちおうこうしておきます。)の二つがある。「全知視点」で書く場合は、作者は、登場人物すべての心の中を知っているという前提で書く。一方、「一人称視点」で書く場合は、作者は、登場人物のうちのただ一人(大抵は主人公)の心の中は知っているが、それ以外の人物の心の中には入ることができず、その主人公の目からみた、あるいは主人公の感じた範囲でしか描けない、という前提で書くことになる。

 例えば、「男は女をチラリとみて、不快だと思ったが、女の方は、なんて素敵な人なんだと思った。」と書くのは「全知視点」だが、「男は女を見て、不快だと思ったが、女は急に顔を赤らめて俯いてしまった。」なんて書くのは「一人称視点」だということになる。

 「全知視点」で書かれた文章は、「客観的」な文章になるだろうし、「一人称視点」で書かれた文章は「主観的」な文章になるだろう。もちろん、厳密にいえば、そう簡単には言えないわけだが、まあ、そうしておく。

 補足しておくが、この「全知視点」と「一人称視点」のどちらか一方だけで小説が書かれているということではない。片方の視点を厳密に守って書かれた小説もあるけれど、多くの小説は、必要に応じて、まぜこぜで書かれているといっていいだろう。

 で、この見合いの場面での、お作とその叔父、兄の描写は、「全知視点」なのか「一人称視点」なのかを考えてみよう。

 一見この文章は、「客観的」に書かれているように見える。「見合いは近間の寄席ですることにした。新吉はその友達と一緒に、和泉屋に連れられて、不断着のままでヒョコヒョコと出かけた。」と書くとき、作者の位置は、新吉や友達の「外側」にいて、彼らの行動を「客観的」に書いていると考えてもいいだろう。けれども、次の、「お作は薄ッぺらな小紋縮緬(こもんちりめん)のような白ッぽい羽織のうえに、ショールを着て、叔父と田舎から出ている兄との真中に、少し顔を斜(はす)にして坐っていた。」となると、どうか。ここだって「客観的」じゃないかというかもしれないが、最後の「少し顔を斜(はす)にして坐っていた。」というところに注目すると、あきらかに新吉に「視点」があることがわかる。新吉から見ると、「顔が斜」になるわけだ。つまり、新吉からは、顔の全体がちゃんと見えない。だから、どんな女なのかよく分からないということだ。つまり、ここは厳密にいうと「一人称視点」になっていると言える。

 もう少し言えば、「薄ッぺらな」「白ッぽい」という言葉が、お作を「見下した」感じを与える。「ぺら」「ぽい」といった響きが揶揄的だからだろう。ここも、新吉がそう「感じた」ということになるのか、あるいは作者の「意図」なのか、判然とせず、むずかしいところだ。

 その次はどうか。「叔父は毛むくじゃらのような顔をして、古い二重廻しを着ていた。兄は菱なりのような顔の口の大きい男で、これも綿ネルのシャツなど着て、土くさい様子をしていた。」これも、「客観的」なようでいて、微妙な表現だ。「毛むくじゃらのような顔」「菱なりのような顔の口の大きい男」という表現は、たぶんに揶揄的で、馬鹿にしているようなニュアンスがある。「毛むくじゃら」というのは、「毛深いこと」の意だが、それに「ような」がついているのが不可解。辞書には載っていないが、「毛むくじゃら」で、「毛深い動物」のような意味があったのかもしれないし、作者の頭の中にそんなイメージがあったのかもしれない。いずれにしても、純粋に「客観的」に書くなら、「毛深い顔で」とすればいい。「毛むくじゃらのような」と書くことで、その叔父の品のなさを強調するような結果となっている。つまりは、ここには新吉の「印象」が紛れ込んでいるのか、あるいは、作者の「主観」が入りこんでいると考えることができるだろう。

 「菱なりのような顔」も、同じだ。「菱なり」は「菱形」のことだが、顔が「菱形みたいだ」というのは、戯画化である。そんな極端な顔はないが、そう書くことで、「変な顔」を印象づける。その変な形の顔に大きな口がついているのだから、余計に変な顔になってしまう。

 更に最後の「土くさい様子」が決定的で、ここは、新吉の印象(あるいは作者の主観)以外の何ものでもない。「様子」が「土くさい」かどうかは、見るものの「主観」の問題で、「毛深い」のとはわけが違う。「土くさい」という表現には、「田舎」を侮蔑するニュアンスがあきらかにある。

 ここで、もうちょっとこだわれば、「毛深い顔」というのも、本当は「純粋に客観的」とは言えないだろう。この叔父の顔を描写するにあたって、ことさら顔にはえている毛に注目すること自体「客観的」とはいえない。毛のことなんか無視して、「鋭い目をした顔」と書いたっていいのに、わざわざ「毛深い顔」と書くのは、「毛深い」=「田舎くさい」という連想のなかで、書かれているからである。

 こんなふうに「分析」してくると、文章を書くということは、めんどくさいことだなあとつくづく思い知らされる。報告などの文章を書くときには、「客観的」に書きなさいなどと作文指導をするけれど、自分の「主観」を離れてどんな文章が書けるだろうと一度でも考えてみれば、その困難さに愕然とするはずだ。

 で、話は戻って、こんどは新吉とお作の描写だ。「横向きであったので、新吉は女の顔をよく見得なかった。色の白い、丸ぽちゃだということだけは解った。お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていたが、新吉は胸がワクワクして、頭脳(あたま)が酔ったようになっていた。」これをよく読むと、ここはあきらかに「一人称視点」で書かれていることが分かるのは説明を要しないだろう。新吉は「胸がワクワクして、頭脳(あたま)が酔ったようになっていた。」と書かれているのに、お作の心の中は何も書かれていない。「お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていた」と、その外側からみる行動だけが書かれている。

 この後も、お作については、「お作は小柄の女で、歩く様子などは、坐っているよりもいくらかいいように思われた。」と、あくまで新吉の「印象」として書かれているのだ。

 「『どうだい、どんな女だい。』と新吉はそっと友達に訊いた。」と、自分では判断のつきかねる女についての意見を友達に求めつつ、まあ、親族が田舎くさいのは気になるけど、あんなもんか、といったそっけない感想しか新吉は持たなかったのである。

 この女と結婚することになるのかと思うと、「胸がワクワクして、頭脳が酔ったように」なる新吉だが、それは、女への愛情を意味しない。ただ性欲の満足への一時的な期待にすぎず、それを除けば、お作への熱い思いなど起こりようもなかったのだ。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 4  歯切れのよい文体   2019.1.23

 

 さて、見合いの翌日、さっそく和泉屋がやってくる。

 

 明日は朝早く、小僧を注文取りに出して、自分は店頭(みせさき)でせっせと樽を滌(すす)いでいると、まだ日影の薄ら寒い街を、せかせかとこっちへやって来る男がある。柳原もの【*1】の、薄ッぺらな、例の二重廻しを着込んだ和泉屋である。
 和泉屋は、羅紗の硬(こわ)そうな中折帽を脱ぐと、軽く挨拶して、そのまま店頭へ腰かけ、気忙しそうに帯から莨入(たばこい)れを抜いて莨を吸い出した。
 「君の評判は大したもんですぜ。」と和泉屋は突如(だしぬけ)に高声で弁(しゃべ)り出した。「先方(さき)じゃもうすっかり気に入っちゃって、何が何でも一緒にしたいと言うんです。」
「冷評(ひやか)しちゃいけませんよ。」と新吉はやっぱりザクザクやっている。気が気でないような心持もした。
「いやまったくですよ。」と和泉屋は反り身になって、「それで話は早い方がいいからッってんで、今日にでも日取りを決めてくれろと言うんですがね、どうです、女も決して悪いて方じゃないでしょう。」と和泉屋は、それから女の身上持ちのいいこと、気立ての優しいことなどをベラベラと説き立てた。星廻りや相性のことなども弁じて、独りで呑み込んでいた。支度はもとよりあろうはずはないけれど、それでもよかれ悪しかれ、箪笥の一棹ぐらいは持って来るだろう。夜具も一組は持ち込むだろう。とにかく貰って見給え、同じ働くにも、どんなに張合いがあって面白いか。あの女なら請け合って桝新(ますしん)のお釜を興しますと、小汚い歯齦(はぐき)に泡を溜めて説き勧めた。

 

  徳田秋声の文章は、歯切れがよくて、明快だ。泡鳴の意味不明な独善的表現や、花袋の感傷的でたどたどしい文章を読んだあとでは、真水のようにすっきりした感じがする。「店頭」と書いて「みせさき」と読ませたり、「突如」と書いて「だしぬけ」と読ませたりするのは、この泡鳴にも花袋にもあったことで、口語の表記の仕方が未成熟であったことを思わせるが、こういう表記をやめれば、ほとんど今の文章と変わらない。いわゆる「言文一致体」の完成である。

  明治の中頃から始まった言文一致への動きは、ようやく自然主義文学によってその達成をみたということを、昔どこかで習った覚えたあるが、ムベなるかなである。

 この辺の、新吉と和泉屋のやりとりなどは、いきいきとしている。特に、和泉屋の描写がうまい。「まだ日影の薄ら寒い街を、せかせかとこっちへやって来る男」などという表現は、さっと鉛筆でスケッチしたような描写で心地よい。続く「和泉屋は、羅紗の硬(こわ)そうな中折帽を脱ぐと、軽く挨拶して、そのまま店頭へ腰かけ、気忙しそうに帯から莨入(たばこい)れを抜いて莨を吸い出した。」などは、まったく無駄のない言葉遣いで、くっきりと和泉屋の動きを描きだしている。

 それにしても、この和泉屋という男、作者にとっては気に入らないヤツのようで、悪意すら感じる描かれ方だ。その極めつけが、「小汚い歯齦(はぐき)に泡を溜めて説き勧めた」というところ。口に泡をためてしゃべるというのは、どうにも品のない様だが、「小汚い歯齦」とダメ押しされると、和泉屋の卑俗さがこの一言で決定的になる。実にうまい。

 映画だったら、殿山泰司なんかにやらせたい役どころ。そんなことをふと思うのも、この小説を読んでいると、溝口健二あたりの映画のワンシーンのような気がしてくるからだ。ひょっとして映画化されたことがあるんじゃなかろうかと思って調べてみたが、どうも映画化はされてないようだ。映画化されているのは、『甘い秘密』(吉村公三郎監督、佐藤友美 1971)『爛』(増村保造監督、若尾文子 1962)『あらくれ』(成瀬巳喜男監督、高峰秀子 1957)『縮図』(新藤兼人監督、乙羽信子 1953)ぐらいのようだ。それにしても、豪華なラインナップだ。これらの小説を全部読んで、この映画も全部みたいという気持ちになる。

 さて、和泉屋の言葉を聞いて、新吉も、ようやく決心する。

 

 新吉は帳場格子の前のところに腰かけて、何やらもの足りなそうな顔をして聴いていたが、「じゃ貰おうかね。」と首を傾(かし)げながら低声(こごえ)に言った。
「だが、来て見て、びっくりするだろうな。何ぼ何でも、まさかこんな乱暴な宅(うち)だとは思うまい。けど、まあいいや、君に任しておくとしましょう。逃げ出されたら逃げ出された時のことだ。」
「そんなもんじゃありませんよ。物は試し、まあ貰って御覧なさい。」
 和泉屋はほくほくもので帰って行った。

 

 結婚を決めるのに、「じゃ貰おうかね。」と自信なさげな新吉だが、やはり、問題は金ということになる。一生懸命に働いてきたけれど、まだまだ結婚できるほどの身代じゃないと、不安なのだ。

 和泉屋は「ほくほくもので帰って行った」というのだが、なぜ「ほくほくもの」なのだろうか。単に世話好きなだけじゃなくて、なにか、「役得」があるのだろうか。お作の方で乗り気なものだから、なんらかの「成功報酬」を約束されているに違いない。

 

 それから七日ばかり経ったある晩、新吉の宅(うち)には、いろいろの人が多勢集まった。前の朋輩が二人、小野という例の友達が一人──これはことに朝から詰めかけて、部屋の装飾(かざり)や、今夜の料理の指揮(さしず)などしてくれた。障子を張り替えたり、どこからか安い懸け物を買って来てくれなどした。新吉の着るような斜子(ななこ)の羽織と、何やらクタクタの袴を借りて来てくれたのも小野である。小さい口銭(コンミッション)取とりなどして、小才の利きく、世話好きの男である。
 料理の見積りをこの男がしてくれた時、新吉は優しい顔を顰《しか》めた
「どうも困るな、こんな取着(とりつ)き身上(しんしょう)【*2】で、そんな贅沢な真似なんかされちゃ……。何だか知んねえが、その引物とかいう物を廃(よ)そうじゃねえか。」
 小野は怒りもしない。愛嬌のある丸顔に笑みを漂(うか)べて、「そう吝(けち)なことを言いなさんな。一生に一度じゃないか。こんな物を倹約したからって、何ほども違うものじゃありゃしない。第一見すぼらしくていけないよ。」

 

 ずいぶん早い展開である。見合いしてから一週間足らずで、もう婚礼である。この「はやさ」は、落語でよく出て来る婚礼にも見られる。長屋のハッツァンに大屋さんから話が持ち込まれると、もう、その夜には嫁入りだ。いくらなんでも早すぎるよなあと思って聞いてきたが、こういうところを読むと、案外それが実際だったのだと思い知らされる。

 ダメならダメでいいというような投げやりな新吉だったが、いざ婚礼となると、出費が気になって仕方がない。

 小野という男は、新吉と同郷の友達のことらしいが、この男が頼まれもしないのに、婚礼のあれこれを取り仕切るという、これまた世話好きときている。この友達は、なんでこんなに親切なのかというと、「口銭(手数料)」かせぎのだ。ボランティア精神に富んでいるわけじゃなくて、ケチな下心があるわけである。

 下心があるにしろないにしろ、和泉屋とか小野とかいった世話好きな男というものは、今ではどこにもいないような気がする。それとも、ぼくの周辺にいないだけなのか。ぼくの頭に浮かぶのは、せいぜい、町内のバーベキューなんかで、肉を嬉々として焼く男ぐらいのものだ。それとても、映像で見て知っているだけのことで、知り合いにいるわけじゃない。

 そんな「世話好き」な小野は、料理屋の口銭もあるのか、せっせと見積もりをとってくる。それをみて新吉は、そんな贅沢はしたくないと思うのだが、小野はそんな話には耳を貸さない。ケチケチするなよ、一生一度のことだろ、って笑っている。

 まあ、新吉の気持ちも分かるが、小野のいうことももっともだ。ぼくなんかは、金がなくても、こういうときはパッと使ってしまうタチだから、こんなところでケチるのは気に入らない。けれども、商人というものは、きっとこうした心性があるのだろう。ちなみに、ぼくの浪費癖は、職人の家に生まれた故だと思っている。

 

【*1】
【柳原もの】東京都千代田区北部を流れる神田川の万世橋から浅草橋まで十町余(約一・三キロ)の南の岸一帯を、江戸時代に柳原と呼称した。神田川沿いに堤防があり、これを柳原土手と呼び、河岸を柳原河岸と称した。一説に、太田道灌が長禄二年(一四五八)江戸城を整備した際、その鬼門除けとして、この地に柳数株を植樹したのが地名の起りとするが、元和四年(一六一八)秋、神田川の河幅拡張と築堤工事が行われ、土手に柳が植えられたものと思われる。寛永九年(一六三二)刊行の「武州豊島郡江戸庄図」には「ヤナキツゝミ(堤)」と記載されている。この柳は明暦三年(一六五七)の大火で焼け、享保年間(一七一六―三六)徳川吉宗の命により、その地名に因んで柳が植えられ、やがて繁茂して遠近の目印となり、飛鳥山の桜、御殿山のぬるでとともに江戸名勝の一つとなった。江戸時代中期より土手下に古着の店が列び、「柳原物」と呼ばれて昭和の初期まで繁昌した。土手は明治の初年に撤去され、柳原通りと呼ばれた。
『国史大辞典』

【*2】
【取り着き身上】始めたばかりで何事もととのわない世帯。『大辞林』

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 5 ケチと偏屈   2019.1.27

 

 小野は、ケチケチするな、こういうときはパッと使ってそれなりの婚礼にしなきゃみっともないと言うのだが、新吉はそんな気にはぜんぜんなれない。

 

「でも君、私(あっし)アまったくのところ酷工面(ひどくめん)して婚礼するんだからね。何も苦しい思いをして、虚栄(みえ)を張る必要もなかろうじゃねいか。ね、小野君私アそういう主義なんだぜ。君らのように懐手していい銭儲けの出来る人たア少し違うんだからね。」
「理窟は理窟さ。」と小野は笑顔を放さず、
「他の場合と異(ちが)うんだから、少しは世間体ていうことを考えなくちゃ……。いいじゃないか、後でミッチリ二人で稼げば。」
 新吉は黒い指頭(ゆびさき)に、臭い莨を摘んで、真鍮の煙管に詰めて、炭の粉を埋(い)けた鉄瓶の下で火を点けると、思案深い目容(めつき)をして、濃い煙を噴いていた。
 六畳の部屋には、もう総桐の箪笥が一棹据えられてある。新しい鏡台もその上に載せてあった。借りて来た火鉢、黄縞の座蒲団などが、赭(あか)い畳の上に積んであった。ちょうど昼飯を済ましたばかりのところで、耳の遠い傭い婆さんが台所でその後始末をしていた。

 

 新吉の「主義」は、無駄な金は使わないということだ。小野は「懐手していい銭儲けの出来る人」だというのだが、小野が何をやっているのかは、書かれていない。株でもやって儲けているというところだろうか。新吉は、毎日汗水流して、せっせと小銭を稼ぎ貯金してきた。その金をここで使ってしまいたくない、と思うのも、まあ当然といえば当然である。

 「新吉は黒い指頭(ゆびさき)に、臭い莨を摘んで、真鍮の煙管に詰めて、炭の粉を埋(い)けた鉄瓶の下で火を点けると、思案深い目容(めつき)をして、濃い煙を噴いていた。」との描写が見事だ。無駄な言葉を省いて、新吉の生活と心情をくっきりと描いている。「黒い指頭」に、新吉の苦労が見える。落語の「子褒め」にも、「真っ黒になる」というのは、懸命に働くことの象徴として出て来る。「黒」は労働の色なのだ。「臭い莨」も、質の悪い安い莨を意味するだろうし、「炭の粉を埋けた」は倹約の様だろう。まさか、ほんとうの炭の粉じゃ「埋める」こともできないが、粉みたいなクズの炭を使っているということだろう。

 そんな新吉が「思慮深い目容」をしているとあるが、その「思慮」は、「金勘定」に他ならない。「濃い煙を噴く」というのも、安い莨をゆっくりと大事に呑んでいるから、煙も濃くなるわけである。(ほんとにそうなるかは知らないけど。)

 どういう料理の注文をするかで新吉が文句を言っている段階なのに、部屋にはもう「総桐の箪笥」と「鏡台」が置いてある。あっという間に、嫁入り道具が届いているのだ。お作の親族の「乗り気度」が伝わってくる。

 

 新吉はまだ何やらクドクド言っていた。小野の見積り書きを手に取っては、独りで胸算用をしていた。ここへ店を出してから食う物も食わずに、少しずつ溜めた金がもう三、四十もある。それをこの際あらかた噴(は)き出してしまわねばならぬというのは、新吉にとってちょっと苦痛であった。新吉はこうした大業な式を挙げるつもりはなかった。そっと輿入(こしい)れをして、そっと儀式を済ますはずであった。あながち金が惜しいばかりではない。一体が、目に立つように晴れ晴れしいことや、華やかなことが、質素(じみ)な新吉の性に適(あ)わなかった。人の知らないところで働いて、人に見つからないところで金を溜めたいという風であった。どれだけ金を儲けて、どれだけ貯金がしてあるということを、人に気取られるのが、すでにいい心持ではなかった。独立心というような、個人主義というような、妙な偏った一種の考えが、丁稚奉公をしてからこのかた彼の頭脳(あたま)に強く染み込んでいた。小野の干渉は、彼にとっては、あまり心持よくなかった。と言って、この男がなくては、この場合、彼はほとんど手が出なかった。グズグズ言いながら、きっぱり反抗することも出来なかった。


 新吉が、結婚するにしても、「そっと輿入(こしい)れをして、そっと儀式を済ます」レベルにしたいと思っていたのは、ケチなだけじゃなくて、目立つことが嫌いだったからだ、とあるわけだが、「目立つこと」「晴れ晴れしいこと」は、必ず金がかかるわけだから、結局、ケチだというところに落ちつく。金もかけずに目立とうとしたら、それこそ、裸で通りを歩くぐらいのことはしなけりゃならない。

 前回の分を書くとき、「取りつき身上」という言葉を調べている過程で、「引っ越し女房」という言葉を発見した。どういう意味かと思ったら、「他の土地で披露をすませて引っ越してきたかのようによそおって、新所帯を持つ妻。」(デジタル大辞泉)とあった。なぜ、そんなことをするのか事情はいろいろだろうが、婚礼で費用をかけたくないという事情も含まれるのかもしれない。

 婚礼には金がかかる。そんなに金をかけたくないと自分たちは思っても、まわりがそうはさせない。和泉屋や小野みたいに「口銭」狙いのヤツがいるからだ。親戚というのも、こういう際には、何を狙うかわかったもんではない。今では結婚式に呼ばれたら、披露宴のご馳走以上の祝儀をはずむだろうが、祝儀以上のものを食いたいと思うケチくさい親戚縁者だっていないとは限らない。とかく人間とは賤しいものである。

 それはそれとして、「人の知らないところで働いて、人に見つからないところで金を溜めたいという風であった。」という新吉の気性は、なんとも共感できない。そういう人間もいるのかあ、と驚いてしまうほどだ。

 苦労をして稼いだ金ほど大事なものはない。500円の金を使うにも、それを稼ぐのにどれだけの時間と労力が必要だったかを考えると、ちょっと考えてしまう。小売商ともなれば、利ざやは細々としているから、余計に、出費には厳しくなる。商人は必然的にケチになり、(ケチが悪ければ、計算だかいと言い換えればいい)そして必然的に金持ちになる。金持ちになるには、金を使わなければいいのである。

 これが、職人となると、一度に入ってくる金が大きいし(つまり、商人のように、一品売って5円の利益のでる品物を1000個売って5000円稼ぐのではなく、請け負った仕事が終わると、いっぺんに5000円入ってくるという意味。総額の問題ではない。)その上、金が入ってくる時には、たいてい自分の払った苦労なんぞは忘れているから(そんな職人が多いと思う)、金を惜しげもなくパッと使ってしまうことになる。だから、職人は金持ちになれない、あるいは、なりにくい。

 「計算高い」ということは商人にとっては必須の資質だろうが、「計算高い」職人というのは、あんまり見たことがない。たとえいたとしても信用できない。職人というのは、自分の手仕事に熱中してしまうから、これだけやればいくらになるという計算などしているヒマはないし、もともと計算が不得意な者がなる。その結果、多くの職人は、「計算高い」商人のもとでこき使われて、その挙げ句、ちょっと「いい仕事してるねえ」ぐらいの世辞で舞い上がりかねないから、自分の収入が不当に低いことにすら気づかない。

 まあ、もちろんこれは、貧乏職人の家に生まれたぼくの偏見にすぎないが、いずれにしても、新吉の気性は、ぼくとはあわないことだけは確かだ。「人の知らないところで働いて、人に見つからないところで金を溜めたいという風」な男とは、お友達にはなりたくない。

 「若い時の苦労は買ってでもしろ」というぼくの嫌いな言葉があるが、逆に「悪(わる)苦労」という言葉をどこかで聞いたような気がする。辞書で調べても出てこないから、親あたりから直接聞いたのかも知れない。「苦労したことがその人の人格形成上に悪い影響を与えた」ような場合に使う言葉としてぼくは理解してきた。

 長い人生の中で、苦労したことがその人を成長させたという例には事欠かないが、その逆もあるわけだ。あんな苦労をしなければ、もっと素直な人間になれたのに、というようなケースも稀ではない。それどころか、ぼく自身、若い頃の「苦労」(中学受験、大学受験、大学紛争、就職直後のパワハラなどなど)さえなければ、もっと素直ないい人になれたのに、っていつも思っている次第なのだ。

 この新吉の「気性」も、もともとの資質ということもあるだろうが、裸一貫東京へ出てきて、努力してなんとか商売を始めたという「苦労」が、「妙な偏った一種の考え」を形成したといえるだろう。それが「独立心」「個人主義」と呼べるかどうか、はなはだ疑問である。むしろ、「偏屈」な心と言ったほうが当たっているのではなかろうか。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 6 淋しい新吉   2019.1.28

 

 なんだかんだといっているうちに、婚礼の晩となった。新吉は、床屋に行って、それから湯屋に行く。こんなところも、落語を聞いているようだ。こういう一種の生活上のルーティンというのがきちんとあるということはすごく羨ましい。落語を聞いていて心地よいのも、そうしたルーティンを踏まえてリズミカルに話が進んでいくからだろう。

 新吉は貧しくて、ケチだけど、その生活を見てみれば、案外豊かだともいえる。婚礼の晩だから特別なのかもしれないが、床屋に行って、湯に行って、帰ってくると、「婆さん」がいる。婚礼の晩でなくても、「婆さん」はそこにいて、夕食を作ってくれるはず。新吉は長火鉢の前に座って、莨を呑むくらいの余裕はあるのである。現代の男には、そんな余裕はない。下手をすれば、夕食を作ってはもらえても、皿洗いはしなけりゃならないかもしれないし、莨は禁止されているかもしれない。第一どっかと座る長火鉢がない。

 

 三時過ぎになると、彼は床屋に行って、それから湯に入った。帰って来ると、家はもう明りが点(つ)いていた。
 新吉は、「アア。」と言って、長火鉢の前に坐った。小野は自分の花嫁でも来るような晴れ晴れしい顔をして、「どうだ新さん待ち遠しいだろう。茶でも淹れようか。」
「莫迦(ばか)言いたまえ。」新吉は淋しい笑い方をした。

 

 ここにも「淋しい」が出てくる。それは、この婚礼への支出がかさむからではない。もっと、深いところからくる「淋しさ」だ。新吉がもし、大店のボンボンだったら、婚礼の前に「淋しさ」など感じることはないだろう。祝福してくれる親や親戚、友人などに囲まれて、人生でももっとも華やかな時間を過ごすことになるだろう。けれども、せっかくの婚礼なのに、新吉はここで使ってしまう金が惜しくてならない。惜しいというよりは、そんなことを惜しがらねばならない自分が悲しいのに違いない。

 小野にむかって、君とは違うんだと言った新吉の言葉には、そうした悲しさ、悔しさが滲み出ていた。小野には、そんな新吉の気持ちは分かろうはずもなく、自分のほうが浮かれている。

 

 するうち綺麗に磨き立てられた台ランプが二台、狭苦しい座敷に点(とも)され、火鉢や座蒲団もきちんとならべられた。小さい島台や、銚子、盃なども、いつの間にか、浅い床に据えられた。台所から、料理が持ち込まれると、耳の遠い婆さんが、やがて一々叮寧に拭いた膳の上に並べて、それから見事な蝦や蛤を盛った、竹の色の青々した引物の籠をも、ズラリと茶の室(ま)へならべた。小野は新聞紙を引き裂いては、埃の被らぬように、御馳走の上に被せて行(ある)いていた。新吉は気がそわそわして来た。切立ての銘撰の小袖を着込んで、目眩しいような目容(めつき)で、あっちへ行って立ったり、こっちへ来て坐ったりしていた。
「サア、これでこっちの用意はすっかり出来揚(あが)った。何時(なんどき)おいでなすってもさしつかえないんだ。マア一服しよう。」と蜻蛉の眼顆(めだま)のように頭を光らせながら、小野は座敷の真中に坐った。
「イヤ御苦労御苦労。」と新吉もほかの二人と一緒に傍に坐って、頭を掻きながら、「私(あっし)アどうも、こんなことにゃ一向慣れねえもんだからね……。」といいわけしていた。
「なあに、僕だって、何を知ってるもんか、でたらめさ。」と笑った。
「今夜はマア疲れ直しに大いに飲んでくれ給え。君が第一のお客様なんだからね。」
 新吉はこの晴れ晴れしい席に、親戚(みより)の者と言っては、ただの一人もないのを、何だか頼りなくも思った。どうかこうかここまで漕ぎつけて来た、長い年月の苦労を思うと、迂廻(うねり)くねった小径をいろいろに歩いて、広い大道へ出て来たようで、昨日までのことが、夢のように思われた。これからが責任が重いんだという感激もあった。明るい、神々しいような燈火(ともしび)が、風もないのに眼先に揺いで、新吉の眼には涙が浮んで来た。花のような自分の新妻が、不思議の縁の糸に引かれて、天上からでも降りて来るような感じもあった。

 

 新吉の淋しい笑いをよそに、狭い部屋がたちまち宴会場へと変わっていく。テキパキとした描写は、まるで、舞台の転換をみているようだ。小野が新聞紙をご馳走の上にかぶせていく様など、細かいところが実に生き生きと描かれている。その小野が「蜻蛉の眼顆(めだま)のように頭を光らせながら、小野は座敷の真中に坐った。」なんて、それまでの小野の新聞紙をかぶせる姿が、池の面に卵を産み付ける蜻蛉のように見えてきて、笑ってしまう。こんなに見事な文章というのは、そうめったにお目にかかれるものではない。

 ケチで偏屈な新吉だが、このあたりにくると、なんだかいとおしくなってくる。新吉の「淋しさ」は、「この晴れ晴れしい席に、親戚(みより)の者と言っては、ただの一人もない」ことからも来ているのが分かってきて、かわいそうになるからだ。そしてそれ以上に、新吉の思いが切なく胸を打つ。

 ケチであろうが、偏屈であろうが、コツコツと努力して苦労して、曲がりなりにも商売を続けてきた。そして、なんとか、自分の金で婚礼もできるところまでこぎ着けた。こういった長い苦労の上の達成感は、やはり、いつの時代でも胸を打つものがある。昨日優勝した玉鷲のように。

 「花のような自分の新妻が、不思議の縁の糸に引かれて、天上からでも降りて来るような感じもあった。」──新吉は、いっとき、夢をみたのだ。このときばかりは、婚礼費用のことなど、頭のなかからはすっかり消えていたことだろう。

 

 

徳田秋声『新所帯』 7 婚礼の風景   2019.1.31

 

 新妻が天から舞い降りてくるような思いでいた新吉だったが、やがて、その新妻が人力車に乗ってやってきた。


 新吉が胸をワクワクさせている間に、五台の腕車が、店先で梶棒を卸(おろ)した。真先に飛び降りたのは、足の先ばかり白い和泉屋であった。続いて降りたのが、丸髷頭の短い首を据えて、何やら淡色(うすいろ)の紋附を着た和泉屋の内儀(かみ)さんであった。三番目に見栄えのしない小躯(こがら)のお作が、ひょッこりと降りると、その後から、叔父の連合いだという四十ばかりの女が、黒い吾妻コートを着て、「ハイ、御苦労さま。」と軽い東京弁で、若い衆に声かけながら降りた。兄貴は黒い鍔広の中折帽を冠って、殿(しんがり)をしていた。

 

 ときどき妙な漢字の読みがあってとまどうのだが、ここに出てくる「殿」も「しんがり」と読んでいて、何で? って思った。しかし辞書で調べてみると、「殿」は「臀」に通じる文字で、「しり」「うしろ」「しんがり」などの意味があることが判明して、びっくり。

 5台の人力車(「腕車(わんしゃ)」は人力車のこと)が新吉の家の前にとまり、そこからゾロゾロ降りてくる人が活写される。まず、「足の先ばかり白い」和泉屋が「飛び降りる」。真っ黒に日焼けした和泉屋は、白足袋を履いているということだろう。これだけの描写で、和泉屋の「活躍」が目に浮かぶ。

 2番目が和泉屋の女房。「丸髷頭の短い首」がどういう容貌なのかよく分からないが、まあ、「美形」じゃないことぐらいは分かる。着物には長い首が似合うものだ。「何やら淡色の紋附」の「何やら」が、揶揄的。「何だか色味がはっきりしないが、うすい色の紋附」ってことで、「安物感」がよくでている。色無地の紋付きというのは、着物関連のサイトを見ると、色によっては(赤やピンクは年齢が制限される)長く着ることができ、個性も出るが、一方で、自分に合う色を見つけるのがむずかしく、模様がないだけに着付けのアラも目立つなどの特徴があるのだそうで、ここで和泉屋の女房が着ている着物がどんな印象かはおおよその見当はつく。ぜんぜん似合っていない変な薄い色の紋付きをだらしなく着て、ぐらいな感じではなかろうか。

 3番目が、新妻たるお作。これが冴えない。「見栄えのしない小躯(こがら)のお作が、ひょッこりと降りる」と露骨である。これじゃ、「天から舞い降りる」どころではない。

 4番目が、お作の叔父の女房で、これが着ている「吾妻コート」というのは、「女性用和装防寒服の一種で、1886年東京の白木屋呉服店が考案発売したもの。それまでの女性の防寒服は合羽 (かっぱ) から分離して発達した被布 (ひふ) であった。被布は高級織物の袷仕立てか、綿入れ仕立てであったが,白木屋では保温や防雨、防寒を考えてラシャ地を使用、襟にもへちま襟や角型の道行き襟にするなど従来にない新工夫を凝らし、名称も吾妻コートとした。斬新さが受けて流行し、大正期まで続いたが、現在の雨コートの台頭によって次第にすたれた。」(ブリタニカ国際大百科事典)とのこと。まあ、こういう流行のものを着て、シャキシャキと「軽い東京弁」で若い衆に声をかけながら降りてくる女は、杉村春子にやらせたらピッタリだ。

 そして最後にお作の兄が降りるところまで、キチンと描き切っている。

 さて、いよいよ婚礼が始まる。

 

 和泉屋は小野と二人で、一同を席へ就かせた。
 気爽(きさく)らしい叔母はちょッと垢脱(あかぬ)けのした女であった。眉の薄い目尻の下った、ボチャボチャした色白の顔で、愛嬌のある口元から金歯の光が洩れていた。
「ハイ、これは初めまして……私(わたくし)はこれの叔父の家内でございまして、実はこれのお袋があいにく二、三日加減が悪いとか申しまして、それで今日は私が出ましたようなわけで、どうかまあ何分よろしく……。このたびはまた不束(ふつつか)な者を差し上げまして……。」とだらだらと叔母が口誼(こうぎ)を述べると、続いて兄もキュウクツ張った調子で挨拶を済ました。
 後はしばらく森(しん)として、蒼い莨の煙が、人々の目の前を漂うた。正面の右に坐った新吉は、テラテラした頭に血の気の美しい顔、目のうちにも優しい潤みをもって、腕組みしたまま、堅くなっていた。お作は薄化粧した顔をボッと紅くして、うつむいていた。坐った膝も詰り、肩や胸のあたりもスッとした方ではなかった。結立ての島田や櫛笄(くしこうがい)も、ひしゃげたような頭には何だか、持って来て載せたようにも見えた。でも、取り澄ました気振りは少しも見えず、折々表情のない目を挙げて、どこを見るともなく瞶(みつ)めると、目眩(まぶ)しそうにまた伏せていた。

 

 ため息が出るほど見事な描写だ。叔母なんぞは、ますます若い頃の杉村春子を思わせる。兄の窮屈な挨拶が終わったあとの、何とも間の持たないしらけた雰囲気が実に見事に描かれている。静まった部屋に流れる紫煙。こんな舞台を見た記憶がある。

 新吉の若々しい色気に満ちた表情とはうらはらに、お作の、どこか寸詰まりで、正装もしっくりこない、それでいて、やはり新妻らしい緊張をたたえた様子が、対照的であると同時にほのかな新婚の共通点を持っているのが、憎らしいほどうまく書かれている。

 

 和泉屋と小野は、袴をシュッシュッ言わせながら、狭い座敷を出たり入ったりしていたが、するうち銚子や盃が運ばれて、手軽な三々九度の儀式が済むと、赤い盃が二側(ふたかわ)に居並んだ人々の手へ順々に廻された。
「おめでとう。」という声と一緒に、多勢が一斉にお辞儀をし合った。
 新吉とお作の顔は、一様に熱(ほて)って、目が美しく輝いていた。
 盃が一順廻った時分に、小野がどこからか引っ張って来た若い謡謳(うたうた)いが、末座に坐って、いきなり突拍子な大声を張り揚げて、高砂を謳い出した。同時にお作が次の間へ着換えに起って、人々の前には膳が運ばれ、陽気な笑い声や、話し声が一時に入り乱れて、猪口が盛んにそちこちへ飛んだ。
「サア、お役は済んだ。これから飲むんだ。」和泉屋が言い出した。

 

 これが当時の「婚礼」である。仲人も神主もいない。今でいえば「人前結婚式」だ。「披露宴」にしても、下手な謡ひとつで済んでしまう。あとは飲むだけ。

 考えてみれば、これでいいのかもしれない。昨今の派手な結婚式や披露宴が、昔からあった「伝統」などではないことは分かり切ったことだが、こういう当時の婚礼の描写を読むと、なにか新鮮な感じがする。

 「サア、お役は済んだ。これから飲むんだ。」と勇む和泉屋。ああ、これが彼の目的だったのかと納得だ。飲んべえにとっては、結婚式だろうが葬式だろうが、飲めればそれでいいのである。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 8 下品でしたたかな人たち   2019.2.3

 

 「サア、お役は済んだ。これから飲むんだ。」という和泉屋の声に、座も盛り上がり、新吉も挨拶にまわる。

 

 新吉も席を離れて、「私(あっし)のとこもまだ真(ほん)の取着き身上で、御馳走と言っちゃ何もありませんが、酒だけアたくさんありますから、どうかマア御ゆっくり。」
「イヤなかなか御丁重な御馳走で……。」と兄貴は大きい掌に猪口を載せて、莫迦叮寧なお辞儀をして、新吉に差した。「私(わたし)は田舎者で、何にも知らねえもんでござえますが、何分どうぞよろしく。」
「イヤ私(あっし)こそ。」と新吉は押し戴いて、「何(なん)しろまだ世帯を持ったばかりでして……それに私アこっちには親戚(みより)と言っては一人もねえもんですから、これでなかなか心細いです。マア一つ皆さんのお心添えで、一人前の商人になるまでは、真黒になって稼ぐつもりです。」
「とんでもないこって……。」と兄貴は返盃を両手に受け取って、「こちとらと違えまして、伎倆(はたらき)がおありなさるから……。」
「オイ新さん、そう銭儲けの話ばかりしていねえで、ちょっとお飲(や)りよ。」と小野は向う側から高調子で声かけた。
 新吉は罰が悪そうに振り顧(む)いて、淋しい顔に笑みを浮べた。「笑談(じょうだん)じゃねえ。明日から頭数が一人殖えるんだ。うっかりしちゃいらんねえ。」と低声(こごえ)で言った。
「イヤ、世帯持ちはその心がけが肝腎です。」と和泉屋は、叔母とシミジミ何やら、談(はな)していたが、この時口を容れた。「ここの家へ来た嫁さんは何しろ幸せですよ。男ッぷりはよし、伎倆はあるしね。」
「そうでございますとも。」と叔母は楊枝で金歯を弄(せせ)りながら、愛想笑いをした。
「これでお内儀さんを可愛がれア申し分なしだ。」と誰やらが混ぜッ交した。
 銚子が後から後からと運ばれた。話し声がいよいよ高調子になって、狭い座敷には、酒の香と莨の煙とが、一杯に漂うた。
「花嫁さんはどうしたどうした。」と誰やらが不平そうに喚(わめ)いた。
 和泉屋が次の間へ行って見た。お作は何やら糸織りの小袖に着換えて、派手な花簪を挿し、長火鉢の前に、灯影に背いて、うつむいたままぽつねんと坐っていた。
「サアお作さん、あすこへ出てお酌しなけアいけない。」
 お作は顔を赧(あか)らめ、締りのない口元に皺を寄せて笑った。
 小野が少し食べ酔って管を捲いたくらいで、九時過ぎに一同無事に引き揚げた。叔母と兄貴とは、紛擾(ごたごた)のなかで、長たらしく挨拶していたが、出る時兄貴の足はふらついていた。新吉側の友人は、ひとしきり飲み直してから暇を告げた。

 

 お作の兄や叔母は、とにかく新吉の「伎倆(はたらき)」があることが気に入っていることが露骨に分かる。新吉も、ひたすら自分がまだ「取着き身上」に過ぎないから、とにかく「真黒になって稼ぐ」ことを約束するのだが、そんな新吉と親戚のやりとりを耳にした小野は、「オイ新さん、そう銭儲けの話ばかりしていねえで、ちょっとお飲(や)りよ。」と「高調子」で声をかける。新吉はムッとして、「笑談(じょうだん)じゃねえ。」と呟く。

 この辺のやりとりは、真に迫っている。新吉は、別に「銭儲け」の話をしているつもりはない。新しい世帯を持ったのだから、これまで以上に働かねばならないと思っているだけだ。それを小野は「銭儲けの話」だという。カチンときた新吉が、「低声(こごえ)」で呟くあたりに、新吉の短気な気性があらわれている。胸のあたりにキラリと刃物が光るような危険な感じがある。新吉の「男っぷり」がいいだけに余計にその危険度が鋭く感じられる。映画でいえば、この新吉は、若いころの中村錦之助にやらせたい。ちょっと男っぷりがよすぎるけど。

 このままでは一触即発、喧嘩になりかねない。そこで、和泉屋が割って入る。叔母も応じる。この叔母も「楊枝で金歯を弄(せせ)りながら、愛想笑い」をするあたり、なんとも、下品なしたたかさを感じさせる女である。(やっぱり杉村春子だね。)

 ぼくは昔からこの「楊枝で歯をせせる」という所作が嫌いでならない。ぼくだって、歯にものが挟まったときは、楊枝を使うこともあるけれど、ランチなんぞを食べたサラリーマンのオヤジが、店から楊枝をくわえて出てくるのを見ると、なんとも嫌な気分になる。ほとんど嫌悪を感じる。それはそういう所作が汚らしいと感じるためでもあるが、「ああオレは今ものを食って満足だ」という自足の気分に浸っているオヤジが、どうにも我慢がならないゆえでもある。どうしてそういう風に感じるのか、自分でも分からない。何か、過去にあったのだろうか。

 そう思って幼いころを思い出すと、ぼくの育った横浜の下町には、こういう下品でしたたかなオバサンやらオジサンやらがあふれかえっていたなあと思い当たる。自分の家だって上品からはほど遠い職人の家だったけれど、それでも、そうした周囲の人たちとはどこかが違っていたように思う。どこが違っていたのかはっきりとは分からないのだが。

 「これでお内儀さんを可愛がれア申し分なしだ。」なんていう下卑たセリフに座が乱れ、「花嫁さんはどうしたどうした。」と花嫁にお酌を迫る者もいる。猥雑な庶民の婚礼の風景だ。

 そんな宴席の喧噪を避けて、「何やら糸織りの小袖に着換えて、派手な花簪を挿し、長火鉢の前に、灯影に背いて、うつむいたままぽつねんと坐ってい」るお作の姿は印象的だ。花嫁こそ主人公のはずなのに、誰もそんなふうには思っていない。親戚は、お作が「稼ぎのある」男に嫁いだことが嬉しくてならない。できれば、自分たちもお相伴にあずかりたいといった魂胆がみえみえだ。小野やら、和泉屋らは、飲むことしか考えていない。あげくに、花嫁の「酌」を要求する始末だ。

 要するに私利私欲だけがここにはあって、誰一人、お作の幸せを、心から祝福する人間はいないのだ。

 

 

 

徳田秋声『新所帯』 9 外面(そとづら)のいい男   2019.2.6

 

 友人たちも皆帰った。新吉はグッタリである。新婚初夜のときめきもない。

 

「アア、人の婚礼でああ騒ぐ奴の気が知れねえ。」というように、新吉は酔(え)いの退(ひ)いた蒼い顔をしてグッタリと床に就いた。
 明朝(あした)目を覚ますと、お作はもう起きていた。枕頭(まくらもと)には綺麗に火入れの灰を均(なら)した莨盆と、折り目の崩れぬ新聞が置いてあった。暁からやや雨が降ったと見えて、軽い雨滴の音が、眠りを貪った頭に心持よく聞えた。豆屋の鈴の音も湿り気を含んでいた。
 何だか今朝から不時な荷物を背負わされたような心持もするが、店を持った時も同じ不安のあったことを思うと、ただ先が少し暗いばかりで、暗い中にも光明はあった。床を離れて茶の間へ出ようとすると、ひょっこりお作と出会った。お作は瓦斯糸織(ガスいとお)りの不断着に赤い襷をかけて、顔は下手につけた白粉が斑づくっていた。
「オヤ。」と言って赤い顔をうつむいてしまったが、新吉はにっこりともしないで、そのまま店へ出た。店には近所の貧乏町から女の子供が一人、赤子を負(おぶ)った四十ばかりの萎(しな)びた爺(おやじ)が一人、炭や味噌を買いに来ていた。
 新吉は小僧と一緒に、打って変った愛想のよい顔をして元気よく商いをした。

 

 明朝の描写は趣深い。莨盆と新聞には、お作の心遣いがみえる。「豆屋の鈴の音も湿り気を含んでいた。」も、いい。どんな鈴の音だったのか想像できないが、この当時は朝夕にいろいろな物売りがいろいろな声や音を町中に響かせていたことだろう。落語を聞いていると、そのいくつかを実演してくれる。

 そういえばぼくの幼い頃も、納豆売り、棹竹売り、金魚売りなどの声をよく聞いたものだ。特に金魚屋のオヤジは粋だったなあと懐かしく思い出す。明治から昭和へと時代は移ったけれど、そしてその間に大きな戦争もあったけれど、庶民の生活はそれほど大きく変わったわけではない。変わったのは、ここ数十年の間だ。

 「瓦斯糸織」というの初めて見る言葉。「ガス糸」とは、「ガスの炎の中を高速度で通過させ、糸の表面の毛羽を焼き光沢を与えた糸。主に綿糸の双糸(そうし)に施す。」(日本国語大辞典)だそうで、その糸で織った織物のことを「瓦斯糸織」というとのこと。「日本国語大辞典」の「ガス糸織」の項目には、例文として、『新所帯』のこの部分が採られている。「ガス糸」の用例も、尾崎紅葉の『多情多恨』や、長塚節の『土』などからも採られており、当時はよく使われていた言葉だったことがうかがわれる。要は、安い布地の普段着ということだろう。その着物に赤い襷というのは、かいがいしいが、白粉は「斑」である。

 新吉の気分は、「不時な荷物を背負わされたような心持」で、どこか不安だ。けれども「ただ先が少し暗いばかりで、暗い中にも光明はあった。」というわけで、お作との「新所帯」に、かすかな希望も感じていたのだ。

 けれども床から出てお作と顔を合わせると、お作は、「『オヤ。』と言って赤い顔をうつむいてしまった」と、新妻らしい恥じらいをみせるのに、新吉は「にっこりともしないで、そのまま店へ出」てしまう。ただ照れくさいからなのか、それとも床の中で感じた不安がまだ払拭されていないからなのか分からないが、お作の気持ちを考えると気の毒になる。

 店に来る客に「赤子を負(おぶ)った四十ばかりの萎(しな)びた爺(おやじ)」がいたとあるが、この辺はまさに「隔世の感」がある。たった40歳前後の男が「萎びたオヤジ」と表現されるなんて、いくらなんでもかわいそうだが、しかし、明治末期の年齢感覚はこんなものだったのだろう。

 店に出た新吉は「打って変った愛想のよい顔をして元気よく商いをした」。外面のいい男の典型だろう。家庭内ではシンネリムッツリなのに、外へ出るとやたら愛想がいい男。お作の行く末が案じられる。

 

 朝飯の時、初めてお作の顔を熟視することが出来た。狭い食卓に、昨夜(ゆうべ)の残りの御馳走などをならべて、差し向いで箸を取ったが、お作は折々目をあげて新吉の顔を見た。新吉も飯を盛る横顔をじっと瞶(みつ)めた。寸法の詰った丸味のある、鼻の小さい顔で額も迫っていた。指節の短い手に何やら石入りの指環を嵌(は)めていた。飯が済むと、新吉は急に気忙しそうな様子で、二、三服莨を吸っていたが、やがて台所口で飯を食っている傭い婆さんに大声で口を利き出した。
「婆さん、この間から話しておいたようなわけなんだから、私(あっし)のところはもういいよ。婆さんの都合で、暇を取るのはいつでもかまわねえから……。」
 婆さんは味噌汁の椀を下に置くと、「ハイハイ。」と二度ばかり頷いた。
「でも今日はまあ、何や彼や後片づけもございますし、あなたもおいでになった早々から水弄(みずいじ)りも何でしょうからね……。」とお作に笑顔を向けた。
「己(おれ)ンとこアそんなこと言ってる身分じゃねえ。今日からでも働いてもらわなけれアなんねえ。」と新吉は愛想もなく言った。
「ハアどうぞ!」とお作は低声(こごえ)で言った。
「オイ増蔵、何をぼんやり見ているんだ。サッサと飯を食っちまいねえ。」と新吉はプイと起った。

 

 朝飯は、一仕事終えてからだ。お作の「飯を盛る横顔」をじっと見つめる新吉の目は冷たい。新吉はまだ、このお作の顔をじっくりと見たことはなかったのだ。しげしげ見れば、寸詰まりの丸顔で、鼻も小さく、額も狭い。手の指も短い。美人というのが、面長で、鼻もちょっと高くて、額も広いとすれば、その反対である。新吉はお作の容貌が気に入らないのだ。

 だから不機嫌になる。莨をせわしなく吸って、急に大声だして傭い婆さんに話しかける。もう来なくていい、嫁が来たんだから、というのだ。婆さんは、まあそういわずに、今日ぐらいはお嫁さんに水仕事をさせるのはかわいそうですよ、というのだが、新吉はうちはそんなご身分じゃねえ、嫁には今日からでも働いてもらわなくっちゃ困るんだと言うのだ。

 お作は、「『ハアどうぞ!』とお作は低声(こごえ)で言った。」とあるように、はっきりしない。新吉がシャキシャキ動き、ものを言うのに対して、お作は、グズグズして、ちっともはっきりしない。ここにもう、二人の決定的な溝が見える。新吉はますます苛立ち、使用人の増蔵に八つ当たりするのだ。

 こうして読んでくると、やはり秋声はうまいなあと感心してしまう。新婚の朝のほんの一コマなのだが、そこに、二人の性格の違い、そして二人の将来までもが、見事に描きだされている。


 

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