有機に関わって35年あまり。私が思う有機茶について書き記します。
たぶんこうだろうな、というあたりですので、気楽にと思います。
1. 情報は大事ですが振り回されないためのコツ。 善意な人多いので、他の人も善意であると思いがちではないでしょうか。もちろん、そういうやさしい世界を維持していきたいです。しかし、この資材を使うと簡単に収量倍に出来ますとか、これは体に良いとか悪いとか。信じるのは楽ですが、情報の鵜呑みで後悔することないようにしたいものです。
@ 発言の真偽より先に、発言者の立場を見る
何かを推進する立場とか、お金をもらっている関係とかは分かりやすいです。その立場ゆえの発言だから、そう言うし、言わないこともあるわけです。
一般的にはその発言で誰が得をするかという。お金の流れが一番わかりやすいのは、推理小説だけではないようです。
A 断言する場合はちょっと待って
子供の頃は「絶対」があったかもですが、もう子供には戻れません。100%断言できる時は、「ある条件において」の時ですから、その他の条件の自分のところに間に合うかどうかは分からないわけです。とはいえ、自社製品に自信のない営業マンも、それはそれで問題なわけで、まあこれも断言できないわけで。
白黒ではない灰色だって赤緑だってあるよね。教科書が正解なのは学生や資格試験の時だけですから、そろそろ卒業しましょう。
例えば「ファクトチェック」ですが、明らかな誤りを扱っているうちはいいのです。ところが、白黒つけなければならないという「設定」「立場」ゆえに、「設問」「見方」を変えて、無理に白黒つけたりします。
B 費用がかかりすぎるのは無理
どんなに理想的なものでも、かかりすぎた費用は結局誰かに無理がいくことになります。それが時間であったり、環境負荷であったり、労働負荷であったりするわけです。
C 逆にただより高いものはない。
無償でやることは個人的には気持ちが良いので、そんな時は喜んで貰ってくださるとうれしいです。
世の中の一般的には、正当な対価なしでただというのは、どこか別のところで利益を得ている可能性があります。続けることができませんから。例えばタダのアプリは情報を提供していたり。
D 専門家の意見では信頼度はそれなり。
メタアナリシスwiki
E 研究論文に出てましたという時でも。
基本は元の論文にあたります。
論文の出資者。出資者の意思に沿わない結果は破棄されます。産学連携や政府の助成金とか、大学といえど中立性は確保できないと思った方がいいですね。
前提条件。その前提ならそうなるよねとか、前提と結論が違うことがあります。
研究の方法。適切な方法でなければ、おかしな結果が出るわけです。その機器では感度あげても、その検出限界以下は無理だよねとか。
結論の出し方。統計解析の時は係数によって無理をしていることがあります。特に生物相手は、きれいな数字はできにくいので、時に無理していることあります。
F そもそも実は自分の立ち位置から見ているに過ぎない
私も、自分の思いやこうであって欲しいという視点からみているのであって、他の人からは違って見えて当然と思っています。要は見たいように見がちなんですね。
自分がどんな視点で見ているかなというのが分かる(メタ認知)ことが、第一歩かなと思います。他の人の視点を借りると見えることもあります。
癖が一方に寄っていると、見えなくなったり(死角に入る)、極端に見えたりするものなので、自分の癖や立ち位置を知っていて、時には補正することも必要かと思います。
2. 観察も大事です、同時に一体感も大事です。 有機の基本の一つはよく視ることです。環境も違えば土地も違うので、よく観察して自分なりに仮説を立てて実践していきます。
この観察ですが、学校で習うのは、二元論的に客観的に観察することです。もちろん大変有効なのですが、有機の場合はこれにプラスして、分離させないまま、例えれば天地と一体化して分かることもあるのです。
例えば、和歌山でミカン農家を訪ねた時、重なった枝をどちらかを切る時、3日その場にいて、こちらを切ってくれと分かったという話を聴いたことがあります。みかんの気持ちとか対話とか、いろいろな表現がありますが、自然と分かることも大事ということで、これは客観的に分離して観察する癖が、学校で浸み込んでいると、なかなか体得しがたいことです。
感性が大事なのかもと思います。
3. 自然と人間の境はあるかもしれないけど、たぶんない。 人間の細胞を37兆個と言われています。
ところが腸内細菌は100兆個。昔は培養しなければならないために、培地で増えてコロニーをつくる細菌しか認識できませんでした。それが10年ほど前に、DNA分析が出来るようになって、一気に見えるようになったのです。
最近では腸内細菌が出す物質で免疫機能が働いたり、脳に指令を出したりすることが分かっています。腸内細菌が働くおかげでとれる栄養素もあったりします。
さらに、ウィルスは380兆個と見積もられています。多くは、皮膚表面や粘膜や体内の細菌に共生しているそうです。中には脳髄液にいるものも。何もしていないようですし、細菌がいないので増えることができないらしいですが。(日経サイエンス2021.7)
ウィルスは人に悪さをするものもいますが、人の疾病予防の機能をしているものもいるようです。こうした細菌とウィルスと真菌等で、ヒトの半分は出来ているそうです。ヒトバイロームと呼んでいて、共生関係にあるので分離不可能ですから、そういった生物群がヒトという形になっているわけです。ヒトの重さのうち、ヒト由来は半分とか。
そもそも細胞を見ると、ミトコンドリアがありますが、あれってヒトのDNAとは関係ないわけです。生物のかなり初期の頃に細胞に入り込んで共生してきた結果なんですね。
精子もエンジンはミトコンドリアで、鞭毛はまた別らしく、命をつなぐにも、ヒト由来だけでなく共同作業なわけです。
ウィルスは、もともと存在したのではなくて、細胞のDNAから外に出たらしいです。そして、ヒトのDNAにも古い化石といわれる部分があって、それが以前に感染したウィルスのなごりらしいですね。発症する機能はなくなって、共生しているとのこと。
DNAはその種の子孫に引き継がれていきますが(垂直移動)、ウィルスは種を横断してDNAを水平移動させる役割があると言えるそうです(詳しくは日経サイエンス2021.7)。
4. 観察する時は「比較」するけど、他ではしない。 観察して、どういうことか考えたりする時には、「比較」するのは有効なことです。でも、それ以外では「比較」しないほうが賢明だと思います。
小学校以来、競争は良いものという思想の下、ついつい比較してしまうようなテストの点数とか偏差値とか、あたりまえの環境にずっといます。テストなどは、最後の試験は別として、自分の理解度を試す機会や分からないことに気づく機会程度だと思いますが、学校ではそれで優位に立てると錯覚する社会ですから、つい心地よくなるのも仕方ないと思います。
しかもそれは、ちょっと早く覚えたり、知識の記憶量であったり、足の筋肉の種類と量であったり、ある一つの見方のデータに過ぎないわけです。だから、なあーんだ、そういうものかと。優劣や善悪を意識せずにとらえられると良いと思います。
学校は子供の頃の癖ですし、長いから、今でも無意識に比較してしまうことがあるかもしれません。比較して自分の位置を確かめたりする。ありのまま、そのまま、認識する。私は私、あなたはあなた。
例えば、住所は地球上のある位置を示すのに便利です。地球は自転していて、一瞬前と位置はずれます。公転していますからさらにずれます。太陽系はらせんで動くからさらにずれます。同じ位置に見えるのは自分も一緒に動いている視点だからですね。
測量のレベルを測ると、先より何センチ高低があるか分かります。あるいは標高420mの山に住む私より、スカイツリーは高い。それに意味づけするとしたら、それは自分の認識です。
5. 自分なりの価値観、審美眼 自分なりの価値観というのは、個々に特有の経験があって思いがある。多様性があって良いで、いいのではと思います。
学校では、出来たことを評価されるために、出来ないことを恥じるようになって、自分を卑下しがちになりやすいとも言われています。一方、自分はできるという美味しい思いに浸かって、自己愛が強くなっていくこともあります。自信があればいいものではなく、頼りなく思うこともないです。
自分の癖や立ち位置からの考えであるという、自分なりの個性を強さも弱さも分かっていれば、情報を補正することも出来るようになります。
なにしろ農の場合、作物という結果が出ますから、その結果から自分なりに考えられることが、農のセンスの一つだと思います。
なお、審美眼というのは江崎玲於奈氏の受け売りです。詳細は氏の著作にて。