旦那から見た出産記録(前編)
この記録は,山本夫婦が迎えた初出産の模様を私(旦那)の目で捕らえたドキュメントです。
それは、平成7年6月初旬のこと・・・

●予定日の1週間前

自分らの親なんかが(張り切って)揃えてくれるもの(布オムツ等)や、借り物は揃っているけど、自分たちで買うものは、何も買っていな〜い。(妻はほとんど動けないから、私の仕事なんだけど、私は追い込まれないと何もしないタイプなのさ。)
出産後の1週間の入院中は何にも必要ないから、まあ、なんとかなるっしょ!!

一応、出産予定日が近づいてきたので、緊急の連絡先をまとめた表を作成して、見やすい所に貼っておいた。同じものを自分と妻の両親の所(市内に住んでいるから)にも送っておいて準備を進める。

ところで、出産する当の本人は何をやってたのか記憶に無いなあ。
たぶん心の準備を整えていたと思う。

●予定日の3日前

仕事から帰ると腹が痛いと言っている。
どうやら、陣痛が始まったようである。
時間を計るとまだ間隔が10分近くある。まだまだである。

とりあえず、陣痛が始まった旨を書いたメモボードを持たせて写真を撮る。夕食を食べ終わり、破水もしていないので風呂に入って様子を見ることにする。
このまま進行すると、でかい腹も見納めになるので、これも写真に撮る。(前後と側面)
大イベントの始まりは写真に残しておきたい。(趣味として・・・)

夜中の12時になって陣痛が7分置きになる。
もういいだろうと思って病院に電話をかけてみると、「5分置きになったら来なさい」と言われてしまった。「なんか呑気な病院だなあ〜」と思ったものだが、今思えば焦らなくてもぜんぜん平気だった。

確かに、妻にはまだ余裕がある。

●病院に出発

1時30分になって、5分置きになった。
病院に電話をかけて、いざ出発。・・・と、
その前に出発前の写真を撮る。
支度はほとんど済んでいるのでほどなく出発、2時頃病院に到着。分娩待機室に入る。
ここで一応、親に電話で知らせる。

検査を終えて、「このまま陣痛が進めば、朝までに生まれるでしょう。」と説明されるが、「なんだ、まだなのか」と思った。

分娩待機室には、他に4人ほど居たが、付き添いもなく、まだまだという人ばかりだった。
変な待機室・・・

●分娩待機室(夜〜朝)

陣痛の間隔を計ってみるが、5分から6分の間で変化が無い。
この陣痛の間隔は、数時間置きに看護婦さんに聞かれるので、しっかり計っておきたい。
これは、付き添いの仕事になる。メモ帳に書き留めておいたが、後で見て面白かった。

まだ、妻に余裕があるのでちょいと仮眠をとることができた。
陣痛が進まないまま朝を迎える。朝に生まれるということは、なくなったようである。
朝食が運ばれてきたが、妻は食欲が無い。代わりに私が平らげた。病院食なので「オイシイ〜」という感動は無い。

●一般病棟(昼)

あまりに陣痛が進まないので、子宮口を柔らかくする薬というのを投与される。
同時に一般病棟に移される。(分娩待機室から一歩後退)

進まない症状とはうらはらに妻の余裕が無くなってきた。
6分置きの30秒〜1分間の陣痛の間、腰をさすり続けないとならない。
だんだん、気も立ってきたようである。要求も言葉もきつくなってきた。
(まあ、本当に辛そうなので、腹は立たないが・・・ものすごい形相)

午後になって、妻のお母さんが来てくれたので、腰のさすり係を一時交代して、有料駐車場に置いてある自動車を家に戻し、夕刻バイクで病院に戻る。
この間、仮眠もちょっととる。
ちなみに仕事は有給休暇を頂いて、この一大イベントに臨んでいる。

病院に戻ると、またもや分娩待機室に移動していた。
「夜あたりに生まれるのでは?」とのことである。

●分娩待機室(夜)

陣痛はなかなか進まない。
・・・が、辛さは、だいぶ増しているようである。
腰をさする役が自分の母親の時は、遠慮無く文句を言っていたようである。
「ちがう!!下手!!」とね・・・
さすがに遠慮がある私の母親に腰をさすられている時は、陣痛の痛みと文句をぶつけられない苦悶の表情を浮かべていた。その表情や、徹夜も2日目を迎え、ボロボロになりつつある夫婦の写真を深夜に撮影する。後で見ると本当にボロボロだ。
分娩待機室と扉の開いていた分娩室の中の写真も記録として撮っておく。

陣痛の時に、何か手に持っていないと、頭とかをかきむしってしまいそうだった、と妻は後日語っている。その時はベッドの手すり部分をギュットと握っていたので、耐えられたそうだ。
手近に握るものが無い場合には、考慮が必要だ。

6分置きに腰をさすらないといけないので、6分間に自分のことをしなければならない。
それは、トイレだ。
分娩室近辺には男トイレが無く、チョット離れた病棟のトイレに文字通り駆け込んだ。
そして、腕時計とにらめっこで用を済ませる。まったくもって落着かない。
この6分間に仮眠もとる。自分は痛いわけではないので眠気が容赦無く襲ってくる。これには参った。

夜中に検査をした結果、「朝以降だろう」とのこと。まだか〜

●分娩室(出産)

夜が明けて9時、ようやく分娩室に入る。
「立ち会うか?」の問いにもちろん「YES!!」。一生にそう何度もあるものじゃないし、見ておかなければ損だ。・・・といっても、立ち会う人は珍しいそうだ。
そういえば、前日の夜に生まれた子どものお父さんは分娩待機室でじーっと待ってたな〜(待ってるくらいなら立ち会えばいいのにね)

ちょっと待たされて、分娩室に私も白衣を着て入る。ストロー付きの飲み物とタオルとカメラを持参した。
分娩台に乗っかった妻の写真を撮る。ピースサインで応じる。様子からすると、分娩室に入ったものの、まだまだ先は長いようである。
先が長い事を示すように、助産婦さんが、研修の看護婦さんを一人残して部屋を出ていってしまった。
この時は妻はすごい不安だったそうで、「助産婦さんを呼んできて!!」とものすごくうるさかった。

本格的に分娩が始まったのは、部屋に入ってから、2時間くらい経ってからである。
呼吸法と力の入れ方をレクチャーされて、分娩に臨む。事前に勉強したことはまったく頭に浮かばな刈ったので、その場のレクチャーがすべてである。(本人はどうか知らん)
力の入れ方がさまになるのに時間がかかった。旦那が立ち会う時には、旦那が声をかけて導く。
なぜか、自分も力が入ってしまった。

力むと産道に赤ん坊の頭がギューと押し込まれる為、一時酸欠ぎみになるそうで、子どもの心音が弱まるのを見て、妻に酸素吸入が指示される。母親がいっぱい酸素を吸うことで、赤ん坊に酸素をたっぷりと与えることができるそうである。
この酸素吸入の装置(?)は鼻にチューブを突っ込む方式で、すぐに鼻から抜けてしまう。これは機器の改善が必要だね。
この時、へその緒が首にまかさっているかもしれない、と心配になるようなことを言われたが、結果的には大丈夫だった。

頭が見えてきたということで、覗いてみると髪の毛が見えた。「おー、もうすぐですね。」というと、「まだ頭の半分も見えていないよ」と言われ、「そんな大きいものが本当に出るんかいな?」と思ったが、あたりまえのことだが、実際に出てしまうのだからビックリ!!

13時、ようやく誕生!!
助産婦さんに「ほら泣け」と足の裏を指でたたかれて、産声をあげた。
やはり感動する。
妻もほっとした様子である。助産婦さんに取り上げられたばかりの血まみれ状態の我が子の写真を撮る。だれも気味悪がって見ないが記念の1枚だ。

しかし、長かった。疲れた。

続く


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