85歳のマイホーム 究極のレストア

裏の山も敷地内です。ここに一人暮らし。贅沢すぎるかな。赤いのが桜の葉。春が楽しみ。

愛知県東加茂郡下山村、木造草葺き、築85年、敷地面積230坪、建坪43坪6LDK、最寄りの交通機関なし、豊田市駅より車で40分、LPガス、簡易水道、中部電力

とまあ、アパートニュース風に書くとこうなります。
今年の3月、いままでオートバイの置き場として借りていたガレージが取り壊されることになり、急遽かわりの置き場を捜すことになりましたが、そう簡単には見つかりません。ちょうどその頃、仕事が忙しく、年収が700万円を超えたのと、貯金がある程度できたので思い切って土地を買ってガレージを立てちまえということになり、あちこちさがしました。毎週終末に入ってくる別荘地の広告をチェックし、実際行ってみてがっかりして帰ってくるということを繰り返し(30坪90万円と書いてあっても、実際見ると垂直面だったり、もう売れたと言って400万円の土地を売りつけられそうになったり)現実の厳しさを思い知らされました。私の貯金(300万円。よくこれで買おうなんて思ったものだ)では、土地なんて買えないっ。それでもしつこく捜しまくり、何軒か目をつけました。
結局候補に残ったのは、

  1. 60坪350万円の造成済み(しかも国道沿い)の土地・・・岐阜県柿野
  2. 60坪450万円の冷泉付きの別荘地・・・岐阜県恵那峡
  3. 40坪200万円のスキーができそうな急斜面・・・岐阜県柿野


1が一番いい土地で、オートバイのツーリング途中で偶然看板を発見。そのまま住宅が建ちます。唯一の欠点が隣の県だということ。前のアパートから車で2時間。会社まで40KM。標高300メーターぐらいの峠にあり、冬はばりばりに凍結します。ただ夏場はすばらしく、いまでも余裕があれば買いたいと思っています。ただ、目の前が工場だから、平日はうるさいだろうなあ。

2は完全な別荘地で、別にアパートを借りる必要があります。ただ景観はすばらしく、目の前に田んぼが広がり、その先に御嶽山と恵那山が鎮座し、ちょっと歩くと(ほんの1分!)恵那峡の渓谷が楽しめるという、別荘としては最高の物件でした。今でも後悔しています(といっても買えるわけなかったんだけど。アパートと2軒分の支払いなんぞできるわけがないし450万円の現金はちょっとね)

3も冷泉がついていて悪くはなかったんだけど、基礎工事が大変そうだったのでパス。

3件とも愛知県じゃないのが最大の欠点。予算が1500万円じゃ(しかも家込みで)しょうがない。でも、心は1の60坪に傾いていました。喫茶店でも出来そうだし。

ゴールデンウィークがせまった4月のある日、小原村にある弟の家でごろごろしてると、「話のねたに見てきたら」と、弟が1枚の広告を目の前につきだしました。
「230坪、43坪の住宅付きで1980万円だってよ」
(ここから日記風に文体が変わります。読みにくかったらごめんなさいです)

 平成9年4月20日快晴
暇だったので、弟のとこにいる愛犬、茶々姫をハイラックスに乗せ、40KM先の下山村へ。
土曜日の広告で、行ったのは日曜日。買う気もお金もないのに、もう売れてるだろうなと思いながら到着すると落語家の笑瓶そっくりな(ほんとにそっくりということで、家族全員の意見が一致した)、あからさまに怪しいおっさんが手招きしてる。
売り出しの旗がさびしそうにはためく中、2人の不動産屋が待ってましたとばかりに寄ってきた。
うーむ、中古住宅だというのは知っていた。しかし、これは・・・。
広告には木造瓦葺きとなっている。
でもこれは、トタン屋根じゃあないか。しかもその中身は、かや葺きだ。
「あ、それ、間違い」。間違いだあ。虚偽広告じゃねーか。
「明治に建ったそうです」。ち・築80年以上・・・・・。

「6LDKって・・・・」。
どう見てもワンルーム。壁がない。
「壁ははずしてあります。」そういや、昔の家は壁じゃなくふすまや障子で仕切ってあったっけ。ただ、あとで気づいたのだが、はずしてあったのにはわけがあった。後で話そう。
ただ、確かに広い。大黒柱なんか30センチくらいある。その上に乗っかってる梁なんか40センチはあるぞ。トイレは水洗に直してある。そして風呂場をのぞくと・・・・。うをー。なんじゃこれは。3人ぐらいいっしょに入れるんじゃないか。普通の浴槽の4倍はあるぞ。1600X1200ってとこか。しかし水道代がすごそう・・・。

「あの、230坪って・・・」。
この家が43坪、庭が60坪、残りは・・・と指差すのは裏の山。
そこには竹林の中に桜の大木が2本あり、家の上に覆い被さっている。あらためて上を見上げると桜が満開ではないか。
ふと足元を見ると、タケノコがくさるほど頭を出している。庭の中に、である。
さらに、その奥には、なんとタラの木が。当然その先っちょにはタラの芽がでてる。
そして庭先を見ると梅の実がたわわに実っている。(しかし、まだ今はよその家である。採るわけにはいかない。ぐっとこらえる。)
さらに、さらに、となりにある約30坪の平地。そこも敷地内だというではないか。ここならガレージが建つじゃあないか。
もう心は決まっていた。ここだあ。ここしかない。ここからなら会社まで40分ぐらいで行ける。(40分、20KMを遠いと感じる方。田舎暮らしには向いてません。今までの町中からの通勤が渋滞の中、10KMで50分かかったことを考えると、こっちのほうがはるかに楽で気持ちいい。今11月12日現在、毎朝紅葉の中を通勤しています。もう最高。車の燃費も上がったし。)
ただ、問題は軍資金。築85年の家に銀行が金を出すわけがない。当然公庫も使えない。頭金として使えるのが、貯金の300万円だけ。残り1680万。予算を500万オーバー。今思えば無茶な状況だったなと思う。だからこの時点ではまだひやかし程度の気持ちだった。母や弟達の反対もあるだろうし。
「1週間考えさせて」
申し込み金3万円を渡し、おみやげにタケノコをもらい(よほどもの欲しそうだったのだろう。それにほっとけば、竹になるだけということでくれた。さすがにタラの芽をくれとは言えなかったが。)その場を離れた。梅の実にも未練を残しながら。

平成9年4月29日晴れ
今回は身内を全員連れて行くことにした。冷静に考えてみれば、買うべきではないと感じたからである。あからさまに怪しい。(一人じゃ断りきれないような気がしたことも確かだ。私は気が弱いのだ。)今回も茶々姫といっしょである。しかしこれが裏目に出た。みんなここが気に入ってしまったのである。しかし、いくら土地が広くても、半分は山。家は傾いているし、雨樋は葉っぱで、ぎっちり詰まっている。屋根もトタンが一部はげかかっているし、風呂釜は凍結してパイプがはじけている。現状渡しで1980万円。どう考えても高い。仲介物件ということで修理等は一切しないというのだ。
普通は買わないだろう。そこへ向かいの家に住んでいる(と言っても100メーターは離れているが)爺さんがきて、弟といろいろ話をしている。屋根の塗り替えを10年ごとにやれば後20年は大丈夫だということ、75歳の自分が生まれたとき、この家がすでにあったこと(なんかすごい物を感じる)、この頃の建築は100年ぐらい持つということ。等々。側で話を聞いてるうち、家がぼろなことがどうでもいいことにおもえてきた。危ない兆候である。そもそも、私は古い物が大好きなのだ。自転車は25年も前のだし、バイクの中でメインになっているのは、15年も前のバイクだ。カメラも10年選手だし、そこにもう一個、しかも85年物が加わるだけだ。えーい買ってしまえ。
結局手数料や測量費用、登録料等いっさいがっさい含めて、1980万円で手を打った。ただまだ迷いがあったので、銀行が金を貸してくれなかったら、契約を白紙撤回するという旨を、契約書に明記した。どちらかというと白紙になるのを、まだ望んでいたのだ。頭金300万円で家が買えるわけがない。

平成9年6月1日雨
なんてこったい。銀行が了承してしまった。現地を見に行ったにもかかわらず、あの土地に2000万円近くを貸すというのである。
結局、なんと頭金たったの100万円で、住宅ローンとして1680万円、通常のローン200万円が貸し出されたのだ。あんたたち頭がおかしいぞ。まるで車を買う感覚じゃあないか。ただ、この200万円が曲者で、最長5年までのローンであるうえ金利が8パーセントと高いため、この分だけで月の支払いが32000円になる。このローンを使うことが銀行から出してきた唯一の条件だった。つまり、余計な借金を背負わされたのである。ちなみに30年払いの住宅ローンの部分は月40000円だから、最初の5年間は月の支払いが72000円になる。ちょっとした家賃程度だ。これなら何とかなるだろう。5年を過ぎれば月40000円だけだし。


平成9年6月20日
今日、本契約だ。この後に及んで、まだだまされているんじゃないかという疑惑が付きまとう。仕事を抜け出し、銀行に行くと、割腹のいい爺さんがいる。この人が売り主だ。書の先生だそうだ。司法書士の立ち会いの元、現金が相手に渡され手数料が目の前で行き来する。手数料はすべて込みということで、私のすることは銀行から受け取った1880万円(頭金として100万円は支払い済み)を相手に渡し、領収書をもらっただけである。いいのか、ほんとにこれでいいのか。すべての手続きが済み、権利書をもらう。こんな紙切れ1枚で、あの土地が自分の物になったということが信じられない。実感のないまま、仕事に戻った。これから引越しという大仕事が控えている。これからかかる修理費用を考え金を節約するため、引越しは自分一人で行うのだ。

この後引越しに3ヶ月かかってしまい、結局アパートの家賃とローンの2重の出費がかさんでしまった。さらに仕事が終わって10km先のアパートに戻り、荷物を積み、20km先の新居に荷物を降ろし、また20km走ってアパートに戻るという生活に疲れてしまった。引越しはプロに任せましょう。(実は私の場合、とても人に見せることができないぐらいひどい部屋だったので、頼むのに躊躇したのである。完全におたくの部屋と化していたから。)

平成9年11月
固定資産税の通知がきた。家の評価額・・・・当然ゼロ。230坪の土地に対し5万円ほどである。(うち山林120坪もただ同然なので残り110坪の宅地に関してのみ支払う形だ)
いまだに当初の目的であるガレージは影も形もない。だからいまだにガレージの家賃を払いつづけている。(実は貸しガレージの解体が延期されたのだ。)今年いっぱいでなんとかするつもりだ。すべて私がグータラなのが原因だ。

そうそう、壁の話がまだだった。さすがに10月を過ぎ寒くなってきたので、ふすまや障子を立てようとしたら、ほとんどすかすか。敷居や鴨居が変形し、すきまだらけなのだ。はずしっぱなしにしてあったはずだ。こんなの見たら、買う気にはならんわな。
もうひとつ困ったのが、わかっていたことだが、風呂である。普通の浴槽が3個ぐらい入るのだ。しかもお湯は大型の湯沸かし器から給湯するので、沸かし直すことができないのである。水道代もたまらない。ここ下山村の水道基本料金は今まですんでいた岡崎市の4倍なのだ。(岡崎は2ヶ月で700円、下山は1ヶ月1100円である。)だから、1日おきにしか沸かせない。
ただ、入るときは天国だ。ちょっとした民宿の風呂よりでかいので、温泉の素を入れ、ゆっくり楽しんでいる。風呂嫌いの私が、毎日でも入りたくなるだけの魅力があるのだ。毎日が旅行気分である。縁側からは紅葉が見れるし。




6畳ほどある玄関を隣の8畳間から見る。
右の障子の向こうがが玄関の扉になる。
正面はかって馬小屋だったと思われる納戸。
(両側の柱に柵の跡がある。)
今はGSXR250の整備小屋と化している。




















台所から奥を見る。手前から8畳、6畳、6畳である。
この左隣に同じ広さの部屋が並んでいて、6部屋になる。
そのまた左が家を貫く縁側だ。
当然のごとく全室和室だ。コンピューターが浮いている。
梁は30センチほどある松。白いのは漆喰塗り。
障子はきれいに見えるが16年前のもの。がたがたである。
敷居や鴨居も傾いている。











我が家の大黒柱。30センチ角ぐらいある。
この家にはなんと、くぎが一本も使われていない。
すべて、差し込んでくさびで止めてあるのだ。
解体が楽だろうなあ。
黄色く見えるのはベニヤである。
いずれはがして、本物の板張りにするつもり。














上の写真の反対側。
40センチはある松の梁。
大黒柱に渡してある。
自転車と比べていただきたい。
その上の梁も25センチはある。
ボロ家だがとうぶん壊れそうもない。
















馬鹿でかい浴槽。満タンにするのに50分かかる。
洗面器が小さいわけじゃない。30センチぐらいの普通サイズだ。
シャンプーも普通サイズである。
178センチの私が足を伸ばしておぼれそうになるため、通常は半分ほどしか入れない。
買った時点で未使用だったようだ。ボイラーもパイプが凍結破損してた。















引越しのとき間仕切りがない状態だった。
柱は目の錯覚ではなく、やや左に傾いでいる。
いずれ倒れるだろうが、その時は私も生きてはいまい。
その時がくるまで、この家を守ろうと思う。














続く

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