73年式 HONDA BIALS TL125

1枚目は西湖からみた生まれて初めての富士山。2枚目は競技専用になったバイアルスと弟。このあと私が九州へ2年間行っている間にタンクを残し消え去っていた。何で俺に相談しないんだよお。


AT125でオートバイのおもしろさを知り、山道を走り回っていた頃、世の中にトライアルというものが紹介され始めました。
まっすぐで、幅の広いハンドル、細いタンク、ぎりぎりまで追い込まれたステップ、小さく低いシート。
世はDT1にひっぱられ、オフロードモデルが全盛期。ぎりぎりまでシェイプアップされていたそれらとくらべても、さらに単能化されたのがトライアルモデルでした。
ただ国産モデルはなく、ブルタコ、オッサなどのヨーロッパモデルしかなかった当時、このTL125が発売されました。
イギリスのチャンピオン、サミュエル・ハミルトン・ミラーの開発で生まれたこのバイク、なにもかも新鮮でしたねえ。
まず、エンジンベースがSL90で、ボアアップし125としているため非常にエンジンが小さい。
で、そのエンジン、馬力が8馬力しかない。
AT125が13馬力ですから、約半分。
そのかわり最大トルクを4000回転で発生するため、トップギアでさえアイドリング発進ができるほどでした。
そのミッションは1,2,3速が超ローギアードで、4速、5速はギア比がかなりはなれていて、3速で発進し、5速へ入れればOKという、それまでにないものでした。
タンクは4リッターしかはいらず、細いエンジンがはみ出して見えるほど。
シートはモンキーのそれより小さいときた。
ステップは高く、後ろにあり、高いハンドルとのかねあいで、ライディングポジションは耕耘機のよう。
最高速は約80km。CB50より遅かったねえ。
保安部品はヘッドライトにウィンカー、メーター等が1体化され、簡単に取っ払うことができました。
リアも同様です。
基本的に、コースまで自走していき、保安部品をはずし、競技に出場、終わったらまた自走するというコンセプトで作られています。
競技用を考えてか、チェーンオイルがスゥイングアームにはいっていて、走行中オイルをチェーンに補給できるというおもしろい機構がついてました。
またフロントフォークは当時としては思い切りおごったスプリングのプリロード調整機構が組み込まれていましたねえ。
当時15万2千円。
後5万円出せばCB250が買えたことを思えばずいぶん高いバイクでした。
当時のアルバイトは時給330円の頃で、8時間働いても2500円位しかもらえなかった時代ですので、購入は無理かと思っていたんですが、兄弟3人ともほしいということで意見が一致し、一人8000円ずつ1ヶ月計24000円のローンを組み手に入れました。
よって、このバイクは共同所有です。
そういやヤマハのTY250といい、スズキのRL250といい、カワサキのKT250といい、ホンダのTL250といい、何でトライアル車はあんなにかっこいいんだろう。全部欲しいよお。


ツーリングの思いで


馬力を押さえたため、バイアルスは異常に燃費がいいバイクになりました。
そのため、競技よりツーリングに使うことが多かったのを思い出します。

1975年5月のゴールデンウィーク。生まれて初めて長距離バイクツーリングを経験しました。
ただそこは貧乏学生のこと。
費用は2万円。
このころのメインバイク、TS400はリッター15KMしか走らないため結局バイアルスの出番に。
今だったら長距離には絶対選ばないバイクです。
あのころは尻に肉があったんでしょう。
このTL125、通称バイアルスは1リッター50KMの低燃費で私の期待にこたえたのでした。
ただし犠牲にしたものも多かった。
最高速80KM。
荷物を積めず、リアフェンダーにずたぶくろをくくりつけただけ。(上の写真がフル装備です。去年北海道へ行ったときの10分の1の荷物ですよ)
宿は当時ミーティングを強制されたユースホステルで1泊1200円ぐらいだったなー。
結局6日間のツーリングで使った費用は18000円。
1日3000円で宿泊、燃料、昼食を補ったわけです。
今じゃとてもできない貧乏ツーリングだったけど、このツーリングがすべての始まりだったのでした。


1日目
豊田から1号線を通り、浜松から150号線で御前崎へ。風が強烈で軽いバイアルスは斜めに傾いたまま走ってゆく。
海上を走る大崩海岸に感動。天気も良く最高のツーリングを満喫した。
宿泊は美保の松原YH−5月なのになぜか餅つきをしてて、杵の破片が入って食べられなくなったっけ。

2日目 
美保の松原から1号線に入り、富士山を右手にみながら富士宮道路を北上。富士五湖をめぐり河口湖から御坂峠を越え、甲府へ。
宿泊は甲府YH−カワサキの350SSに乗せてもらった。夜景のきれいなYHでした。

3日目 
甲府から御嵩を巡り、20号線を信州へ。清里をぬけ国鉄最高地点で写真を撮り、八ヶ岳を回り込み今度は国道最高地点である麦草峠へ。
トップギアのまま低速トルクのありがたさを感じつつ(たぶんAT125じゃ3速全開じゃないと上らない)白樺湖へ。
無事諏訪についたのでした。このときはじめてセイコーやオリンパスが諏訪湖のまわりに密集しているのを知りましたとさ。
宿は諏訪YH−諏訪湖のほとりにたつ昔の旅籠をそのまま利用したYHでした。夜のフォークソングコンサートがよかったなあ。(かぐや姫やアリスのメドレーだ。)

4日目
朝起きたら台風がきていた。バイクは情報が少ないからねえ。雨の中カッパを着て出発。塩尻峠を越えて松本、大町へ。
左に美しいアルプスを眺めながら(もし晴れていたらさぞ美しかったでしょうねえ)糸魚川沿いを下る。すさまじい音を発しながら流れる濁流を眺めていたら恐ろしくなってきた。今だったら通行止めだったろう。
無事日本海側へ抜けた頃突然雨がやみ晴れ間が見えてきた。
ふと後ろを振り返ると雪を抱いた立山連邦がくっきりそびえている。神様、ありがとう。
このツーリング2度目の海上道路、親不知、子不知を抜ける頃、また天候が悪化してきた。
どうやらさっきのは台風の目だったらしい。
ここで意外なことに気づいた。強烈な向かい風にも関わらず、最高速は80kmをキープしたまま。トルクの大切さをしみじみ感じました。
宿は富山YH−女の子と話した覚えがあるが、なぜか印象の薄いYH。自転車少年だった斉藤伊織さん(男)元気ですか。

5日目 
台風一過の朝富山駅でマスの寿司を買い41号線を南下。高山の手前で食べた。41号線は今も昔も単調でなんも覚えていない。
宿は木曾のYHだったのだが名前を思い出せない。駒ヶ岳スキー場のすぐ下にあって何とか庵YHとかいってたっけ(旅情庵だったかな。)こちらも昔の建物をそのまま利用したYHでした。いまでもあるのでしょうか。
(追伸 旅情庵はご主人を亡くしながらも、奥様やヘルパーの方に支えられ今も営業していると読者の方から教えていただきました。
ホームページがありますので紹介いたします。旅情庵のホームページへ

6日目 何とか無事帰宅。総走行距離1200KM 費用18000円 6日間

1973年式 HONDA TL125 BIALS 1型 125CC 8PS 92KG 燃費最高50KM/L
兄弟3人で月24000円のローンを組んだ初めての新車。中学卒業してから、こずかいなしだったので、すべてバイトで出しました。免許を取る条件として、すべて自分たちで責任を持つという約束だったので、この後にでてくるバイクたちはもちろん免許さえもすべて自分たちで払ってます。(ただし親父の買ったエルシノアはありがたく自分のものにさせていただきましたが。)
たぶんこの年になってもバイクから離れられないのはそのせいでしょうね。

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