電気製品のお話 

その1 テレビ


 今の若い人たちには信じられないでしょうが、私が生まれた頃には電気製品といえば裸電球とラジオぐらいしか家にありませんでした。(決して田舎だったからではありません、県庁所在地に住んでいたにも関わらずです。たいていの電化製品は私が生まれてから実用化されていくのでした)。
テレビ放送が始まったのが昭和29年頃でしたが、テレビ受像器そのものが車より高かったため、うちにテレビがきたのがそれより5年ほど後でした。(もちろん白黒で、カラーテレビなんて物が実用化されるまでさらに5年かかったのです)。
当時うちは商売をしていたため、一般家庭より早くテレビを買うことができましが、家電製品としては一番高価なものだったため、普段はカバーがかけてあったり、扉を閉めてあったりで子供がさわることは許されなかったのです(そう、その頃のテレビには重厚な扉がある物もあったのです)。
もっとも、テレビ放送そのものが夕方4時ぐらいからしか始まらなかったため、昼間に子供がさわってもなんにもおもしろくなかったですけど。(それ以前に昼間に家にいるような子供なんて病人以外いなかったな)。


さて、その頃のテレビは今のようにIC回路を使った物ではなく、真空管を使っていたので、スィッチを入れてから画像がでるまで10分ほどかかり、番組が始まる10分前にスィッチを入れる必要がありました。さらにスイッチを切るときも、ブーンと音がして画面の真ん中に星のような白い点がいつまでも消えずに残っておりました。それが消えるまでじっと見ていた記憶があります。
 また、最初はVHFしかなく、重たいチャンネルつまみを1から12までがちゃがちゃ回すので、よくつまみが折れてしまい、最後にはペンチで軸をつかんで回していました。
 やがてUHF放送が始まりましたが、テレビ自体に13チャンネル以上はなく、別にUHFのチューナーをテレビの上にのせていたことを覚えています。


 その頃のよく見た番組を思いつくまま並べると
まず日本のアニメ、人形劇などでは
 鉄腕アトム、モーちゃんター坊、鉄人28号、月光仮面、狼少年ケン、宇宙パトロールホッパ、、シャボン玉ホリデー、てなもんや三度笠、スパイキャッチャーJ3、忍者部隊月光、ジェスチャー、4つの扉、私の秘密

で外国アニメ、人形劇などでは
 ポパイ、トムとジェリー、どらねこ大将、宇宙家族、サンダーバード、宇宙家族ロビンソン、ルーシーショー、奥様は魔女、名犬ラッシー、3馬鹿大将、パパは何でも知っている、ローハイド、ライフルマン、スーパーマン、ベンケーシー、コンバット

そして待ちに待った8時の時報、プロレスそしてディズニーランド(たしか1日おきぐらいにどちらかやっていた)。番組の内容については別のページで語ります。このころのテレビはモノクロでしたがやがてカラーの時代へ。
昭和39年、東京オリンピックをテレビで見ていたとき画面のすみに「カラー」の文字が。新聞のテレビ欄にも。思えば、日本で最初のカラーアニメ「ジャングル大帝」も我々貧乏人は白黒でみてたんですね。このにっくき「カラー」の表示は結構後まで続いてたから、かなり長い間悔しい思いを胸に抱き、白黒テレビを見続けたのです。後に再放送で初めてカラーのジャングル大帝をみたときの感動は、今の人たちにはわかりますまい。たしか、最初のカラーテレビは1000CCクラスの乗用車と値段がいっしょぐらいだったよね。いやあ、いい時代になったものだ。34インチでも10万円以下で買えるんだから。

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