YAMAHA SR400 1型


左上は兵庫県関宮町の9号線で生まれてはじめてみたループ橋
下はコミネのカウルをまとった初代SR400
右は、当時の最先端を行くバイクファッション(うそです)。コミネの皮つなぎに980円のダウンベスト、高田のMXブーツ。このつなぎを愛知の実家から福岡まで持ってくるのに、このままのかっこうで飛行機乗ってきたんです。いやー、徹底的に身体検査されました。
今じゃ恥ずかしくてできません。


1976年(だったと思う)、今は亡き、モトライダーという雑誌の4月号にとんでもないスクープが載りました。
当時、オフロード車では国内最大排気量を持ったドライサンプのヤマハXT500のエンジンを、クリップオンハンドル、シングルシートのレーシングマシン然とした車体に積んだ「ロードボンパー」が発表されたのです。
今じゃ信じられませんが、当時、ハンドルを換えただけで違反車両となった時代です。
当然反響はすさまじくヤマハ本社の電話がパンクしたとか。わたしも本気で買おうと考えたんです。
でもこのバイク、バイク史には載ることはありませんでした。
そしてモトライダー誌にはヤマハから抗議が。
そう、実はうそだったんです。
モトライダー誌が、エイプリルフールにひっかけ、でっちあげたバイクだったんですよ、これが。
しかし、モトライダーはえらかった。
このマシン、ただのでっちあげじゃなく、本当に作ってあったんですね。翌年の鈴鹿8耐にもでたし。嶋さんというコンストラクターがきちんとしたレーシングマシンとして設計し、きちんとした工房で作られていたんですよ。
このときのあまりの反響のでかさに、ヤマハが重い腰をあげ1978年発表したのが、現在でも生産され続けているSR400です。
当時単気筒はオフロードマシンしかなく、まさか市場がオンロードマシンを欲しているなんて思いもしなかったのでしょう。ほかのメーカーは静観していました。
遅い、うるさい、振動がすごい(まだXL250Sに始まるバランサー付きのエンジンはなかった)ロードマシンが売れるわけがないと。そんな時代だったんですねー。
ところが私みたいなのがけっこういたわけです。
オフロードのシングルエンジンで4スト単にめざめ、オフ車のハンドルを換えたり、ロードタイヤをはかしてがまんしてたやつらが。(今のスーパーバイカーズのはしりだね)
いままでいろんなバイクを買いましたが、発売が待ちきれず予約したのはこれだけです。
78年3月10日、DT250を3万円で下取りしてもらい、以後2年間、生まれてはじめてのオンロードマシンに酔いしれました。
ちなみにXT500のエンジンをSRに積むに当たり、数カ所変更されています。
まず、6ボルトの電装を12ボルトへ。
クランクウェブの重量とフライホール重量をまし、粘るエンジンへ。(ロードボンパーレーサーは逆にSRのエンジンをベースにXTのクランクを入れ、ピックアップ重視のエンジンになっています。)
カム位置を外から確認できるキックインジケーターを装備。
エンジンの仕上げを耐熱黒塗装からアルミ地バフ仕上げへ。SRにXTのエンジンを積んでみるのもおもしろそう。
私のSRでの初ツーリングはなんと、800KM先の就職先、福岡。
そう、私はSRに乗って上京、じゃなく下福し(こんな言葉あるかっ)学生時代に別れを告げたのでした。初日は愛知から国道23号線(通称名四国道)を西へ。
一号線にはいり当時2車線だった鈴鹿峠を越え、京都へ。京都市内で陸橋をわたると、まわりの車からホーンが鳴らされました。意味がわからないまま通過して振り返ると2輪車通行止めの標識。今もそうなのか。お役所はなに考えてんだ。
福知山から9号線に乗り日本海へ。
初日の泊まりは兵庫の浜坂ユースホステル。
残念ながらYHの名前以外覚えてないけど、この日、生まれてはじめての体験ははっきり覚えてます。
国道9号線、兵庫県関宮町にあるループ橋です。
この後、何カ所か体験したループ橋の第一号です。これ以降ループ橋マニアになりました。
ちなみに、2つめは熊本県人吉市と宮崎県えびの市をむすぶ国道221号。ここは登りと下り、堀切峠をはさんで2カ所ともループというすごい橋です。
3つめは神奈川県伊豆の国道414号線、天城ループ橋。約2回転、小さな半径で回るため気分が悪くなりました。
4つめは北海道。何回か通った道なんだけど、それまではただの峠だったのに、2年前に通ったらループになっていたというところです。場所は小樽から国道5号線を札幌に向かい、朝里というところから右折し、定山渓温泉へぬける朝里峠です。
これを書いているとき弟にループの話をすると長野オリンピックのためつくられたループがあると教えてくれました。よし、夏休みの行き先決まり。ほかに知ってる方がありましたら教えてください。
さて話を戻します。
ここで、SRの弱点を発見。チェーンがやたらのびるんです。
520という当時750しか使ってなかったチェーンを使っているのに、200KMごとに張らないといけない。このころチェーンオイルのスプレーなんてものはなく、ギアオイルを持ち歩いて100KMごとにさしていたにもかかわらずです。
結局10000KM走らないうちに交換しました。
それともうひとつ、燃費が悪い。それまで250CCの単気筒ばかり乗り継いできたので、ならし運転で20KMというのに納得がいきませんでした。
あと音が悪いのにもがっかりしました。パパパというスーパーカブみたいな排気音。もっと、ズドドドというのを期待してたのに。
2日目の宿泊地はたしか島根の浜田YHだったと思う。YH自体はまったく覚えてないけど景色は覚えています。美しい海岸線。青い空。信号の無い国道。(9号線全体でも10回ぐらい信号待ちしただけ。あのころはほんとにのどかだったなあ。)今はどうだろう。
そして3日目。いよいよ海の向こう、九州へ。といっても、まだ関門橋はできたばかりで高速も開通してない。
つまり関門橋は両側ともどこにもつながっていず橋だけがあったわけです。橋をわたるためだけに高速代金を払う金銭的余裕はなかったため、関門橋は下からながめるだけにとどめ、関門トンネルへ。通行料50円を払い海底トンネルを抜けると、そこはなだらかな山並が続く生まれ故郷の九州だあ。
また話がそれますが、このころの高速道路事情はというと、全線開通していたのは東名、名神のみ。
中国自動車道は広島三次まで、山陽自動車道はなく、北陸自動車道もまだ。
九州自動車道は変則開通で、福岡側は古賀ICから関門大橋のあいだは黒崎有料道路経由で迂回してたよな。
古賀から熊本ICまでがあったのみ。長崎自動車道は計画のみ。
あれから20年、これらは、いまじゃすべて全通してるんだもの。歳くうはずだ。いつか全線走破してやる。
さて、またSRの話に戻りましょう。
九州に就職してすぐ、クレーム修理をしました。カムまわりからガチャガチャ音がするんです。どうやら、オイルラインの取り回しが悪く、ロッカーアームが潤滑不足をおこしたらしい。もし初期型を手にいれるのならこの点を注意してください。音がひどかったら買うのをやめた方が無難です。
それ以外はエンジンのかかりが悪い以外、故障らしい故障はありませんでした。
エンジンのかかりが悪いのは初期型の欠点ですが、それがSRだっ、という人もいるから欠点と呼べないかも。私もそのひとりで、SRはオーナーしかエンジンがかけられないということを自慢してました。
ヤマハもこれは最初からわかっていたらしく、カムカバーにあるキックインジケーターや、キャブについた温間時始動補助レバー(確かそんな名前だった)等、シングルマニアにはよけいなお世話だといわれそうな仕掛がしてありました。
ただ、マニアもときには始動に失敗し、50回、100回キックする頃には、SRに悪態をついてましたよ。
私も九州一周ツーリングの途中ガソリンスタンドで50回以上キックした覚えがあります。SRのガソリンコックにはOFFがないため、ガソリンを吸いすぎても、コックを閉めてアクセル全開でキックするという技が使えません。(今なら負圧コックのエアホースをぬけばいいことぐらいわかるけど、当時は負圧コックなんてなかったもの。)。かかったときには右足の感覚がなくなってました。
さてSRは基本的にフルモデルチェンジしてませんが、初期型は、現行SRと何カ所か根本的に違ったところがあります。
  1. 初期型はキャブが強制開閉式のためアクセルコントロールに気を使う。特にあったまると、エンジンがかからなくなる。アクセルをわずかにあけてキックするのだが、加減がむずかしい。素人用に、ボタンを押すとキャブをわずかにあけるという仕掛が標準でついていたが、ほとんど役にたたなかった気がする。(ちなみに中古で買ったときこのボタンの存在を知らないと、アイドリングがさがらない原因がわからないことになるかも。かかったら戻すんですよ。戻してはじめて、キャブが全閉しますからね)フライホイールの重い27馬力のエンジンとこのキャブとの組み合わせは、アクセル開度とエンジン回転との関係がシビア。そのためか燃費が思ったほど良くない。最新型は負圧式になっているためか、エンジンのかかりがいい。しかもピックアップがばつぐんによくなり同じエンジンとは思えないほど速くなったし燃費もいい。                         
  2. フロントホイールが太くて大きい。現行は18インチだが、初期型は3.50の19インチ。だからか、直進性が強く寝にくい。このホイールだけど、2型では大八車とよばれたアルミキャストホイールになったが、これはおそらく国産初。(ホーク2のコムスターホイールを除けば。あれは合わせホイールだ。)だからヤマハは胸を張ってこれに換えたようだけど・・・。結果として完全にそっぽをむかれ、3型でまたスポークホイールに戻す羽目になった。でもこの判断がその後のSRの運命をいい方へ向けたんですよね。                                                                
  3. ブレーキが時代に逆行してドラムとなる。これは賛否両論あっただろうが正解だったかどうかは、結果が物語っている。しかし私は初期型のディスクブレーキのほうがいい。ブレーキは利いてなんぼだ。この時点でSRはスポーツバイクではなくなった。もっともヤマハはSRXがあるから、こんなことができたのね。                                    
  4. 現行SRは基本的にエンジンは変わってないようだけどよくみると、シリンダーフィンの形がまるっこくなってる。カムチェーン調整部のカバーがプラからアルミになっているし。結構金がかかっているようだ。                            
  5.  タンクが上からみると丸く、太くなっている。初期型の方が形がいいと思うが。                           
  6. ステップがアルミになり、位置が高くなり、後ろに移動した。最新型を乗ってみたが、これは改悪だ。ふんばりがきかず、膝が痛くなる。ステップ位置は初期型が一番だと思う。(当時は、ふわふわのラバーマウントが雑誌でこきおろされていたが。)改造はそれぞれ勝手にやればいいのでは。またリアステップはスイングアームについていたため後ろに乗ると足が落ちつかなかった。現行型はフレームにマウントされている。                                            
  7. 仕上げが抜群に良くなった。特にミラクリエイト塗装の外装と、フレームの仕上げがいい。レバー類やトップブリッジのバフ仕上げもGOOD。初期型のおっさんくさいマルーン色は、いやでいやでしょうがなかった。色を塗り替えりゃいいようなもんだけど、当時の車検証には色も書いてあって変更したら改造になったんだよー。今じゃ信じられないけどね。当然車もだ。     
  8. これが一番の進歩だと思うのだが、チェーンがOリングになって、一回り細くなった。520から428へ(だったとおもう)。結果、駆動系が軽くなったためか、えらく速いバイクになった気がする。                                   
以上思いつくままに書いてみたけど、20年生き続けたというのはすごいことだと思う。
最近のSR乗りははっきりいって大嫌いだが、彼らがいなかったらここまで売れてはいまい。(ヘルメットはちゃんとかぶれよなあ。ゴーグルもしろよお。目を痛めるぞ。半ズボンはやめてくれえ。事故ってから後悔するぞ。骨が見えたときは気絶しそうだったぞ。わたしゃ。)
いつかSRが生産中止になったら、初期型をレストアしよう。(免許がある今、当然500の方になるが)
わたしをオフロードからオンロードへといざなったバイクだから。

ヤマハSR400初期型 27馬力/7000回転
最高速度140KM/H(最新型は150KM以上でた)
2年間の平均燃費 20KM/L改造はコミネのカウリングをつけたことぐらい。
2年間で九州までの片道ツーリング、九州一周等20000KM走り、友人のホンダGL400と交換しました。
友人は(今の会社の工場長だ)その後スズキサベージ400をはさみSRを3台乗り継いだSRばか。
初期型2台と、ドラムの初期型。
今はDR250とGSX400E初期型を持っているけど、いつかまたSRに乗ると言ってます。
一度乗った人間の心をつかんではなさない不思議なバイクですねー。

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