電気製品のお話

 
その2 冷蔵庫


 私の年代(昭和30年頃生まれた人)の人たちなら、子供の頃、家に電気冷蔵庫なんてもんはなかったのではないでしょうか。
 うちは和菓子屋をやっていたのですが、卵などを保管するため、外が木製、内側が鉄板張りの2段式の箱の上の段に、氷屋さんが届けてくれる氷の固まりを入れ、その冷気で下の段の物を冷やすという形式の冷蔵庫を使っておりました。いや、物を冷やすというより低い温度で保温するといった方がいいぐらいの代物ですね。
 当然、当時はアイスクリームなんぞどこでも売っているという物ではなく、超がつく高級品で、我々の口に入る冷たい物といえば、井戸や川(というより掘ですね)で冷やしたすいかや桃などの果物ぐらいでした。(家の裏がすぐ川になっていて洗い物とかそこでしていた)。
 風邪を引いて熱を出したりしたらもう大変。氷屋さんまで親が走ってくれました。もっとも、うちはとなりが魚屋さんだったので、よくそこで氷をわけてもらってましたけど。魚臭くてやだったなあ。
 だから食べ物は、ほとんどすべてがその日もの。今日食べる分だけを今日買うというのが基本でしたね。町もそういう作りになってたし。歩いていける範囲にほとんどすべての店がありました。そういや、当時の同級生のうちはほとんど、なんかの店屋さんでした。左隣が魚屋、その隣が醤油屋(一升瓶をぶら下げて樽から直接買うんです。)前が米屋さんに、かまぼこやさん、うらが銭湯と鉄工所。写真屋に、駄菓子屋。スーパーの娘もいたっけ。げげー。右隣のうちだけが市役所に勤めてた以外、全員商売人だ。


 冷蔵庫が(冷凍庫が登場するのはずっと後です。)普及するのは、私が小学校へ入ってからだから、昭和40年頃からかな。このころから暑い夏の日にも、子供たちは家で冷たい氷を口にすることができるようになったんです。(もっとも当時の冷蔵庫には鍵がついていて、子供が勝手に開けることができませんでしたけど。)かき氷は駄菓子屋へ行けば食べることができたけどね。
 この頃、まだ缶や瓶の自動販売機はどこにもありません。
 あっ、そういやこの頃から、オレンジジュースの自動販売機が出始めたんだ。ほら、頭にガラスの風船みたいなのがのってて、その中で噴水みたいにジュースを吹き上げてたやつですよ。しかも薄くてオレンジの味がしないの。まだうちで作る粉末ジュースの方がましだったね。


 そう、子供が割と自由に飲めたのが、粉末ジュースでした。渡辺のジュースの素やメロンソーダ、錠剤を水に放り込むとソーダになるやつもあったっけ。この頃、砂糖を使ってなくて、甘味料としてサッカリンやチクロなんてものをつかっていました。チクロは甘味料として体に悪かったらしく、数年後に禁止されて砂糖を使うようになったんだけど、いままで茶さじ1杯でできてたジュースが茶さじ3杯入れても甘くなくなったため、同じ大きさの袋入りジュースで飲める量が一気に減ってしまい、悲しい思いをしたのは私だけではなかったはず。夏はこれを凍らせてしゃぶっているのが最高の贅沢でした。なかでも、ぜんざいを凍らせたものが一番の贅沢品だったなあ。


 あんなに種類のあった粉末ジュースもこのあとカルピスなどの濃縮ジュースにおされ、そのカルピスでさえ缶入りや瓶入りのジュースに押されて衰退していくなんて子供の頃には想像できませんでした。
 夏以外の季節にアイスクリームを食べるようになるなんてこともね。


今わたしんちの冷蔵庫には、100パーセントのジュース、牛乳、バター、チーズ、冷凍のチャーハン、ピザ、アイスクリーム、チョコレートまで入ってます。
 ほんの30年前には考えられなかった、1年中冷たい物が飲める生活。
 こんな豊かな生活ができるのは、冷蔵庫、そして冷凍庫の進歩のおかげですよね。

目次へ戻る