SUZUKI GSX400E−U

アフロヘアーができた時期もあったんだなあ。いまじゃ髪が少なくて・・・。びちびちのジーパンは当時のはやりです。たまたまが痛かった。東福寺選手(しらねえだろうなあ)のサイン入りメッシュジャージの上に腹を冷やさないようにベストを着ている。だっせー。
今から、兄弟3人で八ヶ岳登山に行くところ。はじめてペンションに泊まった。恥ずかしかった。だって、清里にほど近いペンションだぜ。女の子ばっかのところに野郎3人連れだもんなー。




悪夢のような1日が始まろうとはこの時は思いもしなかった。
通称鬼押し出しハイウェイでの記念写真。
よく見ると霊のようなものが。(本文参照)






















笑ってやってください。今見ると大笑いなこのかっこ。当時はかっこいいと信じておりました。コミネのWBジャンバー、ウベックスのジェットヘル、ゴトーのトライアルブーツ、コロナのタンクバック、USアーミーの振り分けバッグ。22歳の頃(髪の毛が多いなー。ふうー・・・。)の青春の1ページです。





今は亡き堀ひろこさん(ひろこのの社長さん)が4時間耐久にヨシムラのGSX400Eで出場したときの写真です。
女性として私が唯一尊敬する人でした。この時もらったサインが最後になるなんて思いもしませんでした。
モーターサイクリストの表紙で、サイドカーのパッセンジャーとして、路面にヘルメットをこすり付けるように前を見詰めていたのが今でも強烈に印象に残ってます。どなたかこの本をお持ちの方譲ってください。


20歳の時SR400を買い、2年乗った後、もっと速いバイクが欲しくなりました。それまで、オフロードバイクしか興味がなかった私も、SRですっかりオンロードの楽しみを知ってしまったのです。ちょうどバイクが2気筒から4気筒へと移行していった時代で、スズキも4発のGSX400FWやインパルスを出していました。販売店へ行き、スズキのGSXちょうだいと申しましたところ、「ちょうど入ってきたばかりのがあるよ」と紹介されたのが、青白のインパルス(もちろん4気筒)。
「あのー2気筒の方がいいんだけど。」
あの時の白い空気は今でも忘れません。
はっきり言ってぶさいくな、スズキらしいデザイン。前に行くにつれて細くなる変なタンクをはじめとして、タンクと同じ高さのシート、メッキのFフェンダー、とってつけたようなテールカウル。今見るとかっこいいと思いますが当時はダサダサの代表だったのです。
どうして私がこれを選んだのか。
当時、万沢康夫氏が執筆した、「マイディア・バイク」という単行本が年に1度発行され、その年のバイクを試乗し紹介していました。そのなかで、著者がもっとも推していたのがこのバイクだったのです。
4気筒をすすめるバイク屋を説得し、XT250を下取ってもらい、発注して2週間。(もう生産してなかったため、注文販売になっていました)
結論。・・・・このバイクを選んだことはまちがっていませんでした。


このGSXは2型になります。1型との違いはFディスクが2枚になったこと。(たぶんそれだけ)
このバイクのいいところ。それはエンジンにつきます。
44馬力/9500回転。当時最速の400ccだったホークUの40馬力を抜き、一躍400cc最速を誇ったエンジンは、3千回転を過ぎたあたりから、ドルルルという排気音が、ルルルだけになり、高回転ではパルーというはじけた音になります。低回転から高回転までよどみなく、しかもDOHC4バルブだっ、と主張するかのごとく、トルクを上乗せしながら吹けきるエンジン。はっきり言って、今まで乗ってきた48台のバイクの中では、ベストエンジンといってもいいでしょう。
一番驚いたのは燃費でした。SRでさえ最高25kmぐらいだったのに、慣らし中は30km、その後でも27kmを切ったことはありません。ガソリンを完全にエネルギーに換えているという感じでした。


車体周りもすばらしく、おそらく、750ccのパワーでも受け止めることができる作りのフレーム、アンチノーズダイブを採用したFフォーク、剛性感のあるダブルディスク等の優秀さは、当時の鈴鹿4時間で吉村チューンを施し、上位入賞を果たしたことが証明しています。タンクシートをはずすと、まるっきりレーサーのシルエットなのに、つけるとなぜあんなにかっこわるくなるんだろうね。


ほかに目に付くのがメーター周り。GT380で採用されたギアポジションインジケーターのおかげで、当時珍しかった6速ミッションを有効に使えました。(なにせ、振動もなく、よく回るエンジンでしたので、6速からもう1速かき上げてしまうのです。)
ニュートラルを出すのも楽でしたねー。


実を言うと、私の身近に1台あるんです。1型(シングルディスク)ですけど。走行3000kmのまま、車屋のガレージに眠っていたやつで、さびていたこと以外、新車同然のやつが。ほんとうは、わたしが2万円で買う予定だったんですが、横取りされたんです。うちの工場長に。
1ヶ月かけてさびを落とし、固着していたアンチノーズダイブと,FブレーキをOHしただけで、車検に通りました。さすがにブレーキはきかなかったので、ステンメッシュのホースを特注し、オイル類は入れ替えましたけど。
久しぶりに乗って感動しました。リッターバイクまで乗ってしまったため、パワーは物足りなく感じましたが、吹けきるエンジン、気持ちにのいいエンジンは当時のままでした。
私のではないため、一覧からははずしましたが、いずれ私のガレージに来るでしょう。
その日が楽しみです。(え、譲る気はない?そんなこと言わないで・・・・)


写真の時は、BEETのバックステップをつけ、シングルシート風に改造してあります。ノーマルだとクランクケースのすぐ後ろぐらいにステップがきます。ハンドルはノーマルをそのまま使用してます。
もし機会があれば乗ってみてください。たぶん、400Eカタナなら結構手にはいると思いますので。
GS400よりいいとおもうんだけどなあ。


ツーリングの思い出


忘れもしない、雨の振る中テントとシュラフを積み走った、軽井沢ツーリング。
浅間山のふもとの鬼押し出しハイウェイでの出来事でした。
料金所を過ぎ、約10km走ったところでパンク。途方にくれてしまったのです。(上の写真をとって乗ろうとしたらペッタンコ)
地図を見ると、ここはちょうど有料道路のど真ん中。どっちへ行っても人家すらない。
押しました。
荷物満載のGSXを。
ただ、そこはなだらかな高原とはいえ、平地がない。
10km押すのに5時間ほどかかりました。
そのころはホームセンターに勤めていたため、休みは平日。当然その日もひとかげまばら、というより雨のため誰もいない。
意外だったのは、暴走族風の兄ちゃん達が何台も声をかけてくれたこと。なんにもできなくてごめんな、と言って去って行きましたけどね。
時折通りかかる家族づれのファミリーカーは、汚いものを見るように大きくよけていったのに。
そして、5時ごろ、SR400とGB250のアベックがとまってくれました。
でもパンク修理剤はないとのことで、丁寧に御礼を言い、別れました。
そして1時間後、疲れ果て寝る場所を探しているとSRのエンジン音が。
「パンク修理剤探してきたぞ。ふもとのスタンドに1本だけあったから買ってきた。」
胸がいっぱいになりました。
御礼をしようと3000円ほどを渡すと、「代金の1000円だけもらっとくね。もし誰か困っている人いたら、今度はその人助けてやって。お互い様だから。」といって、受け取ってもらえませんでした。
彼女をどっかに待たせておいてきたはずです。
このアベックのおかげでツーリングを続けることができました。
私が今でもオートバイから降りることができないのは、こんなことがいっぱいあったからでしょうね。

さて、いい話はここまで、今度はいやな思い出を。
先のSR氏に言われた、困っている人がいたらってやつを実践したときのお話です。
上のアフロヘアーの写真の時、XL250Sと、XT250Tと3台で八ヶ岳に行ったんですが、国鉄最高地点で若い子に、パンクしたから助けて、と言われペンションにおいてきたパンク修理剤(あれ以来必ず持っていた)を取りに行き戻ってみると、もうすでに直っているじゃないですか。
別の人にも声かけまくっていたんですよ。私に頼んだ後。
しかもお礼もなく、
「ああ、別の人に頼みましたからもういいです」だと。
あんたのせいで、困った人を見たら・・・以下省略ってやつを続ける意欲がくじけそうになったんだぞ。
みなさん、助けてもらったら、だけじゃなく、助けを求めた人、助けてくれようとした人にも御礼は言おうね。


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98/07/14 23:04