鈴鹿8時間耐久レース

でてきた、でてきた。本の整理をしていたら8時間耐久のパンフレットが。80年から85年まで毎年ある。84年からコカコーラがスポンサーに付き今のように観客が増えた。
ごめんなさい、うそ書いてました。ガードナーのデビューは81年でした。
著作権に引っかかるかもしれないがこれらをいずれ紹介します。お待ちください。

注 このページは写真ばっかりなのでむちゃくちゃ重いです。回線が速いときにみてください。
マウスを写真の上に載せると説明がでるよう努力しております。


8時間耐久レースの思いで

78年今までいったことなかった鈴鹿に行ったら8時間耐久レースをやっていた。(昔はこうだったんですう。観客もいなかったし。故隅谷守男がCB500で走っていました。古い話です。ただしまだ国際レースではなかったねえ。)
国際格式になったのは80年から。


その1  80年鈴鹿8時間耐久レースを走ったバイクたち


この写真は1980年の鈴鹿8時間耐久レースの写真です。あまりいいカメラを持っていなかったため、とりあえず見れるのはこれだけですが、・・・。
そういや、国際格式レースへの格上げ記念なのか、入場券売場でこんなんもらいました。中身はタイピン。よかろうが。
ちなみにこれは絵じゃなくレリーフ(立体なのだ)です。かなり高いもののような。(鑑定団にだしてみたい)

この年のポールポジションは、ヨシムラRDからゼッケン12のGS1000で出走した、ウェスクーリー、グレームクロスビー(いやあなつかしい名前)のコンビで、タイムは2分17秒62、2位はモリワキカワサキZ1のデビッドアルダナ、デビッドエムデ。タイムは2分17秒69。
3位にやっとでてきたワークスチーム、チームカワサキのZ1。ライダーはなんとデビューしたてのエディーローソン21歳!とグレッグハンスフォード。このカワサキとヨシムラがまれにみる接戦を繰り広げたのだ。あの場にいた人は幸せだったねえ。
おおっと、8位にいるのはフレディスペンサー。この人もデビューしたての18歳だ。
19位に聞き慣れた名前がある。モリワキからZ1で出走。真田哲道。あのドラッグレーサーで有名な親父だよ。
その他懐かしい名前のオンパレード。当時の予選結果を載せる予定です。しばらくお待ちを。スキャナーがうまく取り込んでくれないので。誰か白黒2色原稿の正しいとりこみかた教えて。

オランダホンダ、予選21位、CB900と思われる。どノーマルにしか見えないCB900F。のどかだね。予選52位。チームマックウエスタン。
RCBによくにたCB900Fか。予選37位。ブルーヘルメット。全部アップハンドル。このころのレースが一番よかった。カワサキZ1。予選3位のエディーローソンだあ。今はなき雑誌モトライダー号。予選26位。根本健、山田純チーム。CB900F。この独特のフォームはたぶん根本の親父だモリワキモンスター。ガードナーはまだデビュー前。予選2位のアルダナかこの写真だけ4時間。小川洋子。夫婦で参戦。

1枚目はたぶんCB900Fでしょう。転倒した訳じゃなく、もともとハーフカウル。ワークスでもフルカウルは珍しかった。ダイマグのホイール、ロッキードの1ポッドキャリパー。カウルはCB1100Rみたい。
2枚目はみたまんま。CB900F。どっからみてもドノーマル。いいんかい、こんなの。草レースじゃないんだぞ。
3枚目はご存じRCB風だけどハンドルがアップだ。CB900F?。
4枚目。アップハンドルがいっぱい。この時代のレースが一番おもしろかった。
5枚目。カワサキZ1。Z1000はまだ生まれていない。このバイクと1位になったヨシムラとの差は1分なかった。ピットインのたびに入れ替わる順位に興奮しまくった。結局ブレーキパッドの交換ミスでヨシムラが勝利した。今までで最高のレースだった。
でもこのライダーがあのエディーローソンだったなんて知らなかった。
6枚目。当時あったモトライダーという雑誌のチーム。ピンぼけだが伊多利亜の文字が見える。山田純、根本健のこのコンビ、今じゃ二人とも編集長じゃなかったっけ。
7枚目。モリワキモンスター。このころはヨシムラとともに、むちゃくちゃ強かった。デビッドアルダナ、エムデのコンビ。


81年鈴鹿8時間耐久レース

81年、とんでもない新人が現れた。プライベートチームであるモリワキから出走、2分14秒76というタイムをたたき出し、GPレーサー並のスピードでラップしていく。この記録はしばらくやぶられなかった。それからGPでも暴れまくったワインガードナーである。パンフレットにはこう書いてある。
ゼッケン14、ワインガードナー、ジョンペイス組には注目しなければならない。クロスビーを育て上げた森脇氏がポールポジションと優勝をねらって発掘したオーストラリア人コンビだ。今大会のペースメーカーはこのチームだろう。
いやあこれ書いた人見る目あるわ。ただし、このチームが優勝したかどうか記録が見つからん。
ただし85年、86年と彼はホンダRVFで2年連続優勝している。ということはモリワキで走ったのはこれ1回きり?
あと、この年外人チームは14組しかいない。


82年鈴鹿8時間耐久レース
この年は悲惨だった。台風が直撃し、6時間に短縮されたのだ。(やったということもすごいが)
傘は役に立たず、合羽を着てグランドスタンドでみていた。
目の前のストレートで、アルダナがこけて第一コーナーまで滑っていったことを思い出す。
結局この台風のおかげで日本人が初めて優勝した。
このころは日本人が勝つなんてことは、バリバリ伝説の中だけで許されることだったのだ。
今はそれが実現しちゃったけど。いやあ、長生きしてみるもんだわい。
実は観戦中より帰りが悲劇だったのだ。1号線は大阪方面通行止め。その他の幹線道路も全滅。みんな、2日かけて帰っていった。われわれ名古屋方面も大変な経験をした。途中にある長島スパーランド(遊園地ファンならしってますよね)に入ろうと1号線の下をくぐったら、水しぶきが。オートバイが水没しそうになったのだ。かろうじてキャブレターより水位が低かったため全開でで脱出し事なきを得た。



83年鈴鹿8時間耐久レース

予選3位。ジャンラフォン、パトリックイゴアのKZ1000J当時画期的だったエルフモトに乗ったゼッケン8、デビッドアルダナのつなぎ。インターセプターVF750F。チームブルーヘルメット。アルダナのエルフのようだけど。ご存じモリワキモンスター。八代俊二、三上訓弘のZ1000J。ウィリアムノット、ジョンウルリッチのGS1000日向正篤、角谷幸宏のでたばっかのGSX1000。ジャンラフォン、パトリックイゴアのKZ1000J予選中のピット。59は有馬通正、井形マリのCB900F、53は荘利光、下村勇二のRS1000。デビッドアルダナ、クリスチャンルリアールのホンダエルフモト。片持ちサスペンションを実用化したバイク。ご存じヨシムラGSX1000。グレームクロスビー、ロブフィリス。スズキフランスGS1000RーHBハーベーカラーをまとったもう1台のGS1000R。GSXじゃないことに注目。信頼性に重きを置いたのだ。よくぞ2台もでた。パワーハウスモータークラブのドカティ650SL。後の750F1パンタである。もう一台には根本健が乗る。ゼッケン53はホンダRS1000五味淵安彦、佐藤順造のホンダRS1000。
この年の4時間耐久に有名人が出場している。しかも予選5位。283台のエントリーの中でだ。ホンダCBX400の清水国明である。
ほかにパンフレットのなかの漫画を、二人鷹を連載中の新谷かおる氏が描いている。


84年鈴鹿8時間耐久レース・・・・・しばらくおまちください

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