世界遺産兵馬俑と秦の始皇帝陵〔2019年12月15日(日)曇り〕

  春秋戦国時代の覇権争いを経て、国家統一を成し遂げた秦の始皇帝が眠る始皇帝陵は世界三大陵墓(=エジブトのピラミット、日本の仁徳陵墓)の一つである。一号杭は発掘、整備が最も進んでおり長さ230m×幅62m、兵俑5000体以上、馬俑600体が埋蔵されていると言われて現在1000体余りが発掘されて今も発掘中でした。ほとんどの兵俑が始皇帝陵に背を向けて東を向いていて陵墓を守っているようでした。次に、三号杭は東西16.6m×南北21.4m、軍の司令部の役目をはたしていたとか?。四号杭は未だ発掘されていない。次に向かったのは二号杭は東西124m×南北98m、現在整備中。次に二輌の『銅馬車』を見学した。俑とは墓室内に副葬された様々な人形のこと。始皇帝陵墓は高さ60m深さ50m周囲4kmとか?地下には副葬品が沢山埋められていると言われているが発掘と同時に土偶の色彩が消える等の理由で未発掘のままだそうです。


表:秦の始皇帝像
裏:膝打ち兵士俑

表:武器を持った兵俑
裏:騎馬兵俑

    表:一号杭正面 裏:一号杭側面

表:秦始皇兵馬俑博物館(一号杭入口) 裏:正面

   表:三号杭入口 裏:内部

    一号杭内の修復中の兵俑

   銅馬車が展示してある秦始皇帝陵文物陳列庁

    表:二号杭入口 裏:内部

   表:始皇帝陵墓入口 裏:ガイドさんの説明

  表:世界遺産表示 裏:始皇帝陵墓

          二輌の銅馬車


興慶宮公園(阿倍仲麻呂碑が境内にある)

 唐の7代皇帝、玄宋・楊貴妃の春の離宮跡を利用した約50万㎡ほどの公園。716年第8次遣唐使に選ばれた阿倍仲麻呂は李白と親交を深め、李白を通じて玄宋皇帝と親密になったようです。記念碑の正面左には『天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも』の望郷詩が刻まれていた。学生として唐に渡り、科挙に合格して官僚となり50年余り、日本に帰ることなく中国で骨を埋めたようです。阿倍仲麻呂記念館に入りお茶をご馳走になり、休憩させて頂きました。名のある方々の絵、掛け軸等が販売されていました。上皇后様もお立ち寄りになられたようでした。公園内では音楽をかけて踊る(ウイグル?)の人々を多く見かけました。


表:阿倍仲麻呂記念碑
裏:望郷詩

   阿倍仲麻呂記念館

      表:興慶宮公園 裏:境内見取図

   遣唐使表(18回の年代、船数、人数等)

   境内で踊る人々

   上皇后様の訪問時の写真

   有名な作家の売却用作品が展示


 
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