6月20日(木)晴れ アグラ市内観光。 

 ファテープル・シークリー
〔宮殿〕
世界文化遺産
1986年登録
ムガール王朝第3代のアクバル皇帝は子宝に恵まれなかったが、シークリーに住む聖者〔預言者〕に相談した
結果、子供を授かり都を移した〔1571年〕が水源の確保が難しく14年で再びアグラに遷都した。
赤砂岩が美しい宮殿である。アグラ市内からは南西37Km。

  表:入口道路 裏:入城口

 表:謁見の場 裏::ゲームマス

                        表:ディワニ・アーム 裏:場内の景色

      表:麓からの宮殿外景 裏:ジョダ・バイ宮殿

          表:王座 裏彫刻(動物の頭がない) 

         表:パーチ・マハル〔五重塔〕 裏:?
  
アグラ城 世界文化遺産
1983年登録
1565年から10年かけてアクバル帝によって建てられた要塞。その後第4代、5代皇帝がこの城を拠点と
している。
5代皇帝『シャー・ジャハーン帝』がタージマハルを建設後その散財ぶりを見かねた息子に74歳で亡くなる
まで7年間幽閉され、アグラ城よりタージマハルを見ていたとか…。
アグラ城はヤムナー河に面していて、高さ20mの城壁〔津波対策は万全ですね〕が2.5kmと続いている。
入口を入って左に門がありなだらかな坂〔敵の場合上部より槍で射る…〕ジャハンギール宮殿の前には
ジャハンギール帝が使っていた浴槽が有った〔なんと中には石の階段あり〕。  

  表:正面 裏:左側溝

  表:門 裏:登り坂

                      表:ジャハンギール宮殿 裏:内側

  表:浴槽内 裏:柱

  大理石の象嵌細工他

表:ディワニ・カース〔幽閉場所〕裏:復元された金箔

表:ヤムナー河望む〔左幽閉場所〕 裏:城より
   
 タージ・マハル 世界文化遺産
1983年登録
 第5代皇帝シャー・ジャハーン帝が若くして亡くなった第2妃『ムムダス』の為に、建てた総大理石の霊廟。
ムムダスは14人の子を残して36歳で1632年に亡くなった。亡き愛妃の霊を慰めるため1632年から22年間
の歳月を経て、莫大な費用かけ造営したそうです。
近くには 第一妃、第三妃の霊廟もあるが『タージ・マハル』が象眼細工、左右対称の美しさも、ぴか一である。
詳しいことは判らないが入場口前の道路名は、なんと『DR,MATUKIMIYAZAKI DORA』と命名されている。
調べると、日本人の〔宮崎松記〕医師が、インドのアグラに『らいセンター』を作り、救援活動をされた為だと 
判りました。

    表:入場口 裏:手前の道路名〔宮崎松記道路〕

  表:ヤムナー河から見たタージ・マハールの裏面〔左が迎賓館、右がモスク〕 裏:タージ・マハル入口

        表:正面 裏:迎賓館

  表:夕日 裏:上部飾

 表:入口 裏:大理石装飾

     表:モスク 裏:タージマハル右側面

    表:第一妃の霊廟 裏:第三妃の霊廟  

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