琢州へ
 大樹桜桑村、桃園結義、劉備玄徳生誕地

  西暦184年張角が挙兵して『黄巾の乱』が起きますが劉備玄徳(西暦161年〜223年、63歳没)、張飛、関羽(西暦162年〜219年)3人が兄弟に契りを交わして黄巾軍を破りましたがその、兄弟の契りを結んだ場所(河北省の琢州)を訪れました。まず、張飛廟へ境内には桃の木が沢山植えられており古井戸も昔のままありました。この古井戸の中に張飛が肉を入れ巨石で蓋をして『この蓋をあけた者は中の肉を持って行って良い、金は要らないと…書いていたところ赤ら顔の関羽が持っていきました。それに気付いた張飛が挑発的に関羽に迫り力自慢の二人は殴り合いの喧嘩になりましたがそこに劉備玄徳が仲裁に入り、男たるものは国家の為に力を使うべきだ・・小事に拘るな…言って気付いた二人は名乗あい契りを結んだそうです。生まれは時間は違っても、死ぬ時は3人一緒だ…と。当時の井戸や張飛が曹操に捕まり『関羽の千里行』として言い伝えられているが関羽が劉備に当てた手紙が笹の絵で言葉を表している、その拓本が残っていて見せて頂き感動しました。また、琢州はトウモロコシの産地で道路にトウモロコシを干していてビックリです。劉備玄徳の生誕碑は藪の中で道路もなくて行くのに苦労しました。当時の石畳や石碑が現在も残っているのに、ビックリです。


表:張飛廟  裏:入口

表:桃園結義  裏:桃の木がある庭園

表:古井戸  裏:風呂?近衛兵が壊したとか?

表、裏:壁絵(当時の様子が伺える)

表:張飛の旗 裏:関羽像


表:劉備玄徳の生誕碑 裏:当時の石畳

表:勅権三義宮  裏:関羽の手紙(拓本)

表:桜桑村入口  裏:トウモロコシ道路

周口店の北京原人の遺跡

北京市街から南西に約50Km、46〜23万年前存在していたとされる北京原人や魚の化石が発掘されている。その化石をみて人類の歴史の流れを感じた。人は皆ご先祖様の遺伝子を受け継ぎ発展しているが先をたどれば皆一緒かも知れない。人類や宗派の違いを乗り越え楽しく毎日過ごしたいものだ。

蘆溝橋

昭和12年7月7日夜半、北京の南を流れる蘆溝河にかかる橋を舞台に日中戦争が勃発した。のんびり観光していて遅くなり訪れた時、門は閉まっていた。ガイドさんの交渉で何とか入れて頂き、橋を渡ることが出来たが手探りの訪問となった。もう一度、ゆっくり訪れたいと思う。


表:向こう側が蘆溝橋 裏:欄干

表:? 裏:道路中央のへこみ

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