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ケナフ栽培へ挑戦

 先頃、160万人を動員し盛況のうちに終了した「うつくしま未来博」
 私たちも行って来たのですが、暑い7月8月を避けて9月に入ってからでしたが、何と5万人も入った日で会場に入っても何もできず、ゴンドラに乗っててっぺんから降りてきただけ。どこの会場も満杯でした。何ともトホホ見学でした。

 さて、その啓蒙行事に参加という形で、このケナフの栽培に挑戦したのでした。 
 2000年博報堂の恩田プロデューサーから、ケナフの種を10粒いただいてきました。さて、うまく育つでしょうか?と言ったのが、6月でした。早いもので、霜の降りる前に収穫を終えました。毎週楽しんで観察できたことは、我がファミリーにとって楽しいことでありました。自然とのふれあいというのは、何も遠くへ出かけなくても、すぐ近くの小川でも、家庭菜園にやってくるテントウムシやきれいな色の蛾でも楽しく事はできます。
自然の中での出来事というと、私が野山で育った時代は、昭和40年代です。
 ガキ大将リーダーの指示で、竹藪の中や、稲刈りを終えた田んぼに中に、「秘密の隠れ家」を作りました。三角ベースのソフトボール、凧揚げは全て田んぼの中です。子どもはやっぱり自然の中で、大いに遊んで育って欲しいと思っています。
 最近自然を語ろうとすると、「ビオトープ」云々などと難しく考えがちですが、もっとリラックスしてみませんか。ちょっとだけ早起きして、近くの小川に足を運んでみませんか?
 それから、それから。私の育ったこの時期は、給食にはスキムミルクが牛乳の代わりだったのです。ホットミルクってこういう味なんだ、と密かに楽しんでいたものでした。だってそれまでは、山羊の乳を飲んでいましたので、牛乳って知らなかったのです。暖めてもにおいの弱いスキムミルクは勝手に文化の味と思っておりました。
この頃、狂牛病の問題が取りざたされますが、肉と言えばなじみだったのは、家で飼っていたウサギや鶏でした。あ、それから、鯨の肉。ニンニクたっぷりの刺身や焼き鯨。これはおいしかった。
 豚肉を食べたのは、小学校高学年になってから。これもまたおいしいかった。これは別の世界の食べ物と思いました。弁当のおかずに入っていたのでした。
 牛肉に至っては、ついこの20年くらい前からだったかな?会社の近くにステーキハウスができて、そこで出てきたのは醤油と大根おろしベースの「あのたれ」です。今ではスーパーにもありますね。

 先日、秋祭りがありまして、6歳になった娘が自分のお小遣いで金魚すくいに挑戦しました。一匹すくっておまけでもう一匹もらってきました。これって300円が数千円になってしまいます。というのも、金魚飼育初心者セットなるものを買わなければいけなくなります。最低でも飼育ケースとエアポンプ。そしてヒーター。
 娘がまだ1歳にならない頃私も金魚すくいをして、その経験をしました。すぐにその金魚たちは死んでしまい、代わりに熱帯魚を入れました。そのために様々な付属品を購入し1万円をゆうに超えた出費となって、現在では60センチ水槽になっております。
 昨日、我が家は2つ目の水槽が設置されました。
 今日はヘチマ水をとりながら、ヘチマの実をとるつもりです。
                              (2001年 10月) 

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