必見の映画 蝶の舌 、 カンダハール 、 ノー・マンズ・ランド

 蝶の舌
 これは感動的であると同時に恐い映画である。映画はスペイン内戦直前、教師と少年の心の交流や、少年の兄の切ない恋心などを、北西部の美しい自然の中に描き出していく。フランコ政権が倒れたから作れたとも言えるが、一夜明けたらフランコ派の町と化す恐ろしさも簡潔に語られる。
 「地獄などない。憎しみと残酷さ、それが地獄の元となる。人間が地獄を作るのだ」と老教師に語らせた後、宗教が果たした役割を、映画は淡々と描く。不信心者は、ここでも魔女扱いされる。
 映画のラストは、もっと厳しい。母に命じられた少年は、「アテオ(不信心者)!アカ!」と叫び、石を投げる。そして、贖罪のように「蝶の舌」と叫ぶ。
 果たして、その贖罪の言葉は老教師の耳にとどいただろうか。昨日まで親しかった友人たちの裏切りにあい、心を許した少年から石を投げられた老教師の心の闇は深い。
 九歳のときに終戦を迎えた私は、戦前教育の恐ろしさを身にしみて知っている。当時、軍国少年・少女でなかった人がいたらお目にかかりたい。それほど、思想人格は教育で作られる。
 イタリアには、ロッセリーニの「ドイツ零年」という傑作があった。スペインにはこの「蝶の舌」がある。果たして、日本にこのような、世界に発信した自戒の映画があっただろうか。

2001.8.27記

カンダハール
 イランの映画監督モフセン・マフマルバフ氏が、タリバン治下のアフガニスタンを、静かに、象徴的に描き、無為の我々に「なにかなすべきことはないか」と問いかけてくる。
 20世紀最後の皆既日食の日に自殺するという、妹からの手紙を受け取った女主人公が、その命を救うべくカンダハールへ向けて旅を続ける…というストーリ自体が象徴的だが、それぞれの登場人物がアフガニスタンの現状を代表しており、それぞれのメッセージを静かに発信している。
 なかでも、ソ連と戦うためにアメリカから来たという黒人の医師に、監督の心情がこもっている。
 彼は語る…ソ連に勝ったときから神をめぐる戦争が始まり、パシュトゥンも、タジクも「神は我々の味方だ」といった。ある日、路傍で死にかけた二人の子供にあった。パシュトゥン人とタジク人だった。その日から、私は兵士から医者になったと。
 その彼が最後に残すメッセージは、「人には生きるための理由が要る、厳しい状況下では”希望”がその理由だ。渇いた人には水が、飢えた人にはパンが、孤独な人には愛が、全身を布で覆った女性にはいつか人に姿を見せる日が希望になる」というもの。
 2002年1月16日放送のNHK「クローズアップ現代」で、インタビューを受けたマフマルバフ監督は、こう語っていた。もし爆弾のかわりに教科書をばらまいていたら、地雷のかわりに麦を蒔いていたら、アフガニスタンはこうはならなかった…。
 映画は、ブルカを通して見る日の光に希望を託して終る。

2002.3.15記

ノー・マンズ・ランド
 この映画は、バルカン半島で起きたボスニア紛争を、象徴的なシチュエーションを設定することにより、戦争の空しさを描ききって秀逸である。
 互いに争うボスニアとセルビア陣営の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)の塹壕に取り残されたボスニア兵チキとセルビア兵ニノ。塹壕を出ると、どちらかの陣営から攻撃されてしまう。互いに憎みあいながら、同じ言葉を話し、共通の記憶もある。この緊迫した状況の中、横で死んでいるとばかり思っていたボスニア兵ツェラがうめき声をあげた。しかし、彼の体の下には、動けば爆発してしまう地雷が仕掛けられていた。
 彼らは、国連防護軍の介入を求めるしかない。両陣営も同じような考えだが、肝心の国連防護軍は不介入を決め込もうとする。無線を傍受したマスコミに嗅ぎつけられ、やむを得ず仲介に乗り出すが、 ツェラに仕掛けられた地雷の不発処理は不可能。身動きできないツェラは、この紛争におけるボスニアの運命を象徴している。
 この映画は、事件の円満な決着をつけることなく、大きな宿題を観客に与えて終わる。
 象徴的な言葉の幾つか…、
「悲観論者は今を最悪と思い、楽天家は次を最悪と思う」
「殺戮に直面したらー傍観も加勢と同じだ」
 この映画自体、ボスニア人の監督、フランス、イタリア、ベルギー、イギリス、スロヴェニアが製作に関与するという、多くの国の協力で完成されたことも意味深い。
 おりしも、わが国では平和ボケして、有事法案をああでもないこうでもないと果てのない議論を交わしている最中。落差の大きさを幸せと思うべきか。

2002.7.3記

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