必見の映画 キング・罪の王

 人間の心の奥底にある悪魔的な悪意を描いて、まことに秀逸な映画である。最近のベストといって差し支えない。
 舞台はテキサス南部、バイブル・ベルトと呼ばれる地域の中でももっとも宗教的な地域。登場人物の名前は、若者がエルヴィス、予期しない息子の出現に戸惑う父親の名前がディヴィッド。この名前が示すように、この映画は、全てをシンボリックに描こうとする。細かい心理描写は省略し、究極の悪を浮かび上がらせる。
 主演は、「モーターサイクル・ダイアリーズ」で青年期のチェ・ゲバラを魅力的に演じたガエル・ガルシア・ベルナル。
 恐いのは、監督(ジェームズ・マーシュ)と脚本(ミロ・アディカ)の意図である。観客はガエル・ガルシア・ベルナルの魅力に幻惑され、主役の青年に、容易に感情移入してしまう。そして、その青年の虚と極悪の前に戦慄することになる。
 近親相姦、兄弟殺し、神の代理人の偽善…。極めつけは「懺悔して天国へ行きたい(I want to get right with God)」という言葉。
 我々の生活は、多かれ少なかれ、偽善の上に成り立っている。
 しかし、多神教の世界に住む者には、神も、天国も、言葉の上の概念に過ぎない。インテリジェント・デザインなど、非科学的後進性としか考えていない。この曖昧さとは対照的に、一神教の環境に住む者が、確信のもとに神への信仰を表明した場合、彼らは絶対を主張することになる。我々の世界に、そのような絶対はない。映画は、絶対自体を偽善ではないかと告発しているように思える。おそらく、この映画は西欧にとって、我々が思う以上に衝撃的であるに違いない。

2006.12.21.記

必見の映画 善き人のためのソナタ

 ベルリンの壁が崩壊する5年前、監視国家東ドイツが物語の背景である。監視者が、いつのまにか被監視者の自由な世界に惹かれて行く、いい意味でのミイラ取りがミイラになる話である。今年のアカデミー外国映画賞をとった。
 エンディングの後味がいい。
 ハリウッドも気持ちよくアカデミー賞を贈ったことだろう。なにしろ、自由な国から不自由だった国の映画へ、賞を贈るのだから…。皮肉は別にしても、いい映画であることに違いはない。
 それにしても、ドイツ人とは恐るべき几帳面さを持つ民族である。東ドイツ・国家保安省(シュタージ)に残された膨大なファイルが保管されているだけでなく、一般に閲覧が可能であることに驚く。
 ベルンハルト・シュリンクの短編集「逃げてゆく愛」のなかの「脱線」にも、閲覧が可能になったことによる家庭崩壊が描かれていたが、誰が密告者だったか分かる社会というのも少々おぞましいものがある。何ごとにも徹底せずにはいられない国民性の性(さが)が生み出す悲劇とでもいうべきだろう。

2007.03.10.記 


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