映画「牛泥棒」の文明論
敬虔な信者ブッシュ大統領、元ナチ青年隊の新法王

 最近、日本で未公開の、古い西部劇DVD、「牛泥棒」 Ox-Bow Incident を買いました。
 第二次大戦直後、戦時中見ることの出来なかった欧米の映画が、洪水のように輸入されました。文化に飢えていた我々は、ない金をやりくりして劇場に日参したものです。一番館は料金が高いので、格安の二番館三番館へ…。
 いまの若い人々には想像できないでしょうが、映画の輸入はGHQ(日本占領軍のトップ)の統制下にありました。そのため、アメリカの恥部にふれるような映画は輸入されませんでした。南北戦争が背景の「風と共に去りぬ」、騎兵隊が全滅する「アパッチ砦」、政治の内幕を暴いた「オール・ザ・キングスメン」等々…そのような下らないことが理由で、長い間、これらは幻の名画でした。「牛泥棒」も、GHQが許可しないままタイミングを失し、日本では未公開に終わったのでしょう。
 ブッシュ大統領は、この「牛泥棒」を見たことがあるのでしょうか。少なくとも、イラク侵攻前に見ておくべきだったのでしょうに。
 映画は…
 牧場主が殺され、牛を奪われたとの報が町に届く。自警団が組織され、彼らは、やがて三人の疑わしいグループを捕える。多数決の結果、彼らは三人を処刑してしまうが、その後、真犯人が発見され…というものです。
 劇中、私刑にあう男が死の直前に書いた妻への手紙に、次のような文面があります。
A man just can't take the law into his own handes and hang people without hurting everybody in the world because then he's not just breaking one law, but all laws. …omission…
(人が誰かに私刑を行うとき、世界中の皆が傷つく。全ての法を破るからだ。)  …中略…
There can't be any such thing as civilization unless people have a conscience because if people touch God anywhere …where is it except through their conscience? And what is anybody's conscience except a little piece of the conscience of all men that ever lived ?
(人々が良心を持たないと文明は成立しない。人々は良心を通じてのみ、神に触れることができる。先人の良心を否定して、何が良心と言える?) …字幕の翻訳は東野 聡氏。
 事実を知った保安官は、処刑に参加した者が多人数だったため、やむを得ず全員の罪を不問に付してしまいます。
 内容が内容だけに、当時のGHQが公開を許可しなかった筈です。
 イラクの前大統領フセインは、忌むべき独裁者でしたが、少なくとも大量破壊兵器や生物化学兵器に関する限り無実でした。テロ・グループとの繋がりなどもともとありませんでした。アメリカのやったことは、私刑に等しくないでしょうか。罪が不問に付されている状態も、映画と同じです。
 問題は、ブッシュ大統領に、「人が誰かに私刑を行うとき、世界中の皆が傷つく。全ての法を破るからだ」と厳しく自己批判しているか、「人々が良心を持たないと文明は成立しない。人々は良心を通じてのみ、神に触れることができる」と感じるほどの謙虚さと敬虔さをもっているか、ということでしょう。分かりきっていますが、そんなことは望むべくもありません。
 軽々しく神の名を口にし、敬虔な信者ぶるのを見ると虫唾の走る思いがします。
 イラク戦争に反対した法王パウロ2世が亡くなり、ドイツ出身のラツィンガー(ベネディクト16世)さんが新法王になりました。彼がヒトラー青年隊のメンバーだった事実が明るみに出て、ちょっとした話題になっています。次の法王の席を狙う枢機卿たちが、78歳と高齢のラツィンガーさんを選んだのでしょうが、疑問符なしとはいえません。
 第二次世界大戦当時、日本の若者たちは愛国心を刷り込まれました。国に尽くして死ぬのが当然という世相の中で育ちました。ドイツでも同様だったろうと、新法王に同情したい気持ちはあります。ですが、10億を越すキリスト教信者の指導者としてふさわしい経歴でしょうか。
 「良心を通じてのみ、神に触れることができる」法王として、今後の活動が答を出してくれるでしょう。いい答えであることを、心から期待しています。
 たかが映画、されど映画。未見の方は、是非ご覧になってください。

2005.4.22.記 


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