必見の名画 アフガン零年、 モーターサイクル ダイアリーズ

アフガン零年

 映画の質から言えば、「蝶の舌」や「カンダハール」、「ノー・マンズ・ランド」には及ばない。しかし、いずれを見るべきかと問われれば迷わずこれを薦めるだろう。紛れもなくここには、大国の利害に弄ばれたアフガニスタンの、現状の一部が描かれているのだから。残念ながら、一部を描くことで、全部を象徴する域にまでは達していないのだが。
 この映画を作る過程で、監督(セディク・バルマク)も、俳優も、スタッフも皆怒り、泣いている。それが、この映画の強みでもあり、弱さでもある。
 映画は、タリバン政権下のアフガニスタンで、一少女の辿った救いのない運命を描く。その不条理な過酷さの、その責任の一端は、いずれの先進諸国にもある。映画はそれを問うほどの完成度を持たない。見る側が歩み寄って理解しなければならない。
 タリバンが非道な政権であったことは事実である。言うまでもなく、バーミアンの大仏破壊も非常識な行為である。しかし、なぜタリバンのような、宗教に凝り固まった政権が現れたかも考える必要がある。同時に、この政権が倒れた後もなお、なぜ混乱が続いているのかも考えなければならない。
 圧倒的な軍事力でタリバンを制圧したアメリカが、いまだにオマル師も、ビン・ラディンも捕らえきれずにいる事実も考えなければならない。
 引用されたネルソン・マンデラの言葉が重い。
 許そう、しかし忘れまい。 "I can forgive, but I cannot forget." Nelson Mandela
 いつか、この少女が虹の下をくぐり、自由と希望に向かって羽ばたく日が来ることを願って。
(この映画が、福岡のような都会でも、小さな劇場で、一日に一回だけの上映しか出来ないとは…、何という精神の枯渇か? その現実を悲しく思います。)

2004.7.22.記

モーターサイクル ダイアリーズ

 青春は、こんなにも痛く、熱く、輝かしいものだったのか?
 エンディングの音楽を聴きながら、自分の青春はどうだったのかと問い続けていた。
 アルゼンチン、ブルジョワ階級の青年二人が、南米を巡るモーターサイクル旅行に出発する。ときは1951年。
 一人は生科学者のアルベルト、もう一人は医学生のエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。後年、カストロと組んでキューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラである。
 製作総指揮はロバート・レッドフォード。監督は「セントラル・ステーション」のウォルター・サレス。この微妙な題材に取り組んだレッドフォードの心情と背景に、心が騒ぐ。
 しかし、これは革命家を描いた映画ではない。
 映画の冒頭、エルネストのナレーションが語りかける。「これは偉業の物語ではない。同じ大志と夢を持った二つの人生が、しばし併走した物語である」
 映画は、真摯な若者二人が、旅行中にどのような経験を積み、どのように成長して行ったかを、ほとんどドキュメンタリーのようなタッチで描く。それでいながら、ヴィヴィッドなみずみずしさを失っていない。それは、二人の若い俳優が、テクニックではなく共感を持って演じているからだろう。
 旅と、心の成長の軌跡が、鮮やかに描かれている。
 若くして死んだゲバラは、革命の象徴になった。革命「後」の現実に、汚されぬままだった。コンゴをはじめ革命の支援に飛びまわり、ボリビアで死んだ。映画では、はっきりCIAの手でと述べている。
 マチュピチュの遺跡に感動したアルベルトが口走る。「俺はインカ人の子孫と結婚する。インディオ党を結成し、人々に投票を呼びかけトゥパク・アマル革命を再現するんだ」
 「銃なしで? 成功するはずがない」と冷静に答えるエルネストが、自分の24歳の誕生日を祝ってくれた人々に、
 「僕らのような者が皆さんの代弁者にはなれませんが、今回の旅でより強く確信しました。便宜上の国籍により国が分かれていますが、我々、南米諸国は一つの混血民族なのです。ゆえに、偏狭な地方主義を捨ててペルーと統一された南米大陸に乾杯しましょう」と挨拶する。
 すでに、あまりにも危険な理想主義に、彼は足を踏み入れている。
 現実の共産主義が、青年の夢見た理想からいかに遠く、隔たりを持ったものだったか、彼は知ることなく死んでいった。
 いま、共産主義に代わって、イスラム教が最貧国の希望のドグマとなりつつある。しかしそこは、宗教が踏み入ってはならない領域であり、同時に、強国が武力でもって制圧できない領域でもある。
 いや、このような不毛の思考は、この映画を見る上で必要はない。
 誰もが持った青春の輝きを、郷愁と悔恨にチリチリと心をうずかせながら見ればよい映画なのだ。

2004.10.20.記

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