三題噺

(1985年7月、社内報に寄稿した雑文)

求む!異能人

 いまどき、珍しい人種に入るかもしれないが、月に一度くらい、金を払って映画を見に行く。
 そこで変なことに気がついた。
 映画俳優が概して美男美女でなくなったということである。
 かつても、そういうスターはいた。例えば、ハンフリー・ボガートやスペンサー・トレーシーのように。
 だが、やはりスターは美男美女だった。
 最近でも、ポール・ニユーマンやロバート・レッドフオードぐらいまでは、かつてのクーパーやゲーブルの雰囲気を持っていた。
 ところが、いまや、強烈個性派まっさかりである。
 いい例が、「コツトン・クラブ」のリチヤード・ギアであり、「目撃者」のハリソン・フオードで、一昔前なら脇役的キヤラクターである。
 夢を売る映画でさえ、個性なき者は去れということか。
 我々をとりまく現実の世界はどうだろう。
 いまほど異能人が求められている時代はない。
 自戒と反省、さらに願望をこめて、そんなことを考えている。

行ってみたい国

 フインランドに行って、白夜を見たいと思う。
 スカンジナビア半島、北端の国である。
 「森と湖の国」という観光ポスターに魅せられたせいもある。
 シベリウスの音楽が好きで、一時期レコードを集めたせいもある。
 ワルシヤワ条約機構の一員ではないが、長い国境線のせいで、政治的にはソビエトの属国に近い。
 ミサイル誤射で、領空侵犯されながら、一言も文句を言えなかった。
 口惜しくない筈はない。
 それは、シベリウスが「フインランデイア」を作曲した時代から(当時の相手は帝政ロシア)変わることがないように思う。
 行ってみたい理由の一つに、この国固有の神話が好きなせいもある。
 神話とか、古謡は、どこの国でも残酷なものだが、この国の「カレワラ」という伝承物語だけは、例外的に平和で牧歌的である。
 同じ北欧の神話でも、ゲルマン民族系の「サガ」は、暗く、血なまぐさく、最後には主神のオーデインさえも滅亡してしまう。「神々の黄昏」の悲劇としてその名も高い。
 日本の神話も、「古事記」の「撃ちてし止まむ」という言葉に代表されるように、結構切ったはったの世界である。
 第二次世界大戦をひもじさで記憶している世代の一人として、平和という言葉の響きは、いつまでも魅力を失わないようだ。
 このような神話を持つ国へ、一度行ってみたいと思う。

サバイバル・ゲーム

 一時期貸しレコード屋が繁盛した。著作権問題で高速ダビングが禁止される前のことである。
 レコードを買うほどでもないが...といったとき実に便利な存在で、ものの十分もあればカセットの両面にダビングできた。いまは、面倒でも一晩借りて、自宅でダビングしなければならない。
 貸しレコード屋がつぶれて、今度は貸しビデオ屋だが、音楽のように「ながら族」で聞くわけにもいかず、見るとしても時間を占領されるし、商売としても投資額(一本当り一万円以上)が馬鹿にならず、雨後の筍のようには普及していないようだ。
 貸しおむつ屋が、紙おむつの出現で商売にならなくなる。
 建設機械の業界も、ユーザーが自分の機械を持つか、借りて使うかの岐路にたっている。
 まさにサバイバル・ゲームの時代である。
 月に一度NHKが古い映画を放映している。
 ひさしぶりに「カサブランカ」を見た。
 そのなかで、男につれなくされた女が相手をなじる。
女「ゆうべはどこにいたの?(Where were you last night?)」
男「そんな昔のことは憶えていない(That's so long ago. I don't remember.)」
女「今夜逢ってくれる?(Will I see you tonight?)」
男「そんな先のことは分からない(I never plan that far ahead.)」
 映画を見ながら下らないことを考えた。
 女の台詞を銀行におきかえて、
「前月の預金残高は?」
「今月の残高予定は?」
ときかれたときに答える台詞としてはどうだろうと。
 映画だから許される台詞も、現実にはクビがとぶ。
 冗談は抜きにしても、これでは生き残れない。
 儒学に五経というのがあるそうだが、それにちなんで「きょう」を五つならべると、
   興(なにごとにも興味を持ち)
   行(試行、実行し)
   経(原価意識と)
   協(協調性を身につけ)
   強(健康で、精神的にも強い人)
ということになって、これを兼ね備えた人を会社はもとめている…と思う。
 もっとも、自分を顧みて、いつになったらその域に達し得るのかと思うと、恥ずかしさが先にたつ。
 今後の総務部のあるべき姿として、理想を言えば、「原則を曲げない融通性」ということになろうか。
 営業部門の方々が、総務を、経費的に軽く感じ、精神的には心強く思って頂けるときがきたら、理想に近づいたと言えるのかもしれない。
 そして、そのときは、わが社がサバイバル・ゲームの勝者になっていると思う。

(その後の感想)
 もう、ソビエトは存在しません。このあいだ(1996.10.4)、ヘルシンキ交響楽団の演奏会に行き、シベリウスをたっぷり聞きました。まさにカサブランカの主題歌「As Time Goes By…時の過ぎ行くまま」の思いでした。
 ビデオ屋は思ったよりも流行りました。少々見通しを誤りました。


もとに戻ります。