素直になれなくて

Likely 

〜 Chapter1 Yied 〜

彼は黙ってその石像を見つめていた。
言葉にならない無数の想いが彼の胸中を駆け巡る。
彼の目の前で、緑の柔らかい光が溢れ出し、見る間に視界を圧した直後には、それは既に物言わぬ只の石像ではなくなっていた。
「…ラケシス…」
彼は両手を広げ、ようやく、そのひとの名を呼んだ。
目頭が熱い。
この瞬間を長い間、どれほど待ち侘びたことか…。

「フィンのバカ!!!!!」
我知らず、涙が彼の頬を伝う。って、…え…
「なにが『え』よ!どうしてナンナをアレスに嫁がせたのよッ!」
「そ、それは本人の自由意志で私が口を差し挟む問題では…」
「アグストリアには既にデルムッドが広大な領地と強大な権力をこの私から受け継いでいるわ。そこにナンナが王妃として君臨したって意味ないじゃないの」
「し、しかしラケシス様…」
「あの子には新トラキア王妃の座がふさわしかったのに。何のためにリーフ王子の傍らで育てたと思っているの」
彼の目の前で愛妻の形相が変わっていく。
「…しかも許せないのが、私たちの結婚をあの子、アレスの前で否定したのよッ…『私はお母様のような間違いはしない』ですって…一体何をあの子に吹き込んだのよ!!!」
感情を爆発させた後、彼女の目からこぼれるのは涙だった。
「私たちの結婚は実の娘から間違いと言われるようなものだったの…?」
彼は何も答えなかった。
黙ってラケシスの目を拭い、十数年前と変わらない彼女の細い体を抱き寄せる。
ラケシスは安心してふっと力を抜いた…と思いきや、彼の鳩尾に鋭い一撃を叩き込んだ。
「…だまされないわよ…フィン、貴方、私に隠していることがあるでしょう」
彼はうずくまったまま何も答えられない。本当に涙が彼の頬を伝う。
「黙っていたって無駄よ、調べはついているのだから。とっとと白状なさい!」
「…ラ…ケシ…スさ…何を…」
「私の口から言わせたいのね。…貴方、ブリギッド公女と、私がいないのをいいことに…」
「違いますっっっ!!!彼女はエーヴェルといって、」
「別人でもやったことは一緒でしょ!?この浮気者ッ!!!」
かくて彼は愛妻の放ったエルウインドによって、見事に星となった。

…トラキア地方では北西に明るく輝くこの星に、行く先も告げずにあてのない旅に出た「忠義の槍騎士フィン」の道中の加護を新トラキア王から下々に至るまで祈っていたと云う…


「…『ブロンドの長い髪をなびかせて戦場に立つその姿はまるで女神と見まがうほどに美しかった』。そんな台詞、結婚してからこのかた、一度も言ってもらったことなんかないわ。いえ、結婚前だってそんな気の利いたこと言わなかった、あの人は。私だって見事なブロンドの長い髪をもっているのに…私の自慢の一つなのに…」
その狂おしいまでの愛情故に夫を宇宙の果てまで(違)吹っ飛ばしたラケシスはそんなことを呟きながら馬を駆っている。
どうやらナンナとは親子の強い絆によるテレパシーで繋がっていたらしい。だったら、なぜ我が子を思い通りにできなかったのであろうか。
「…『フィンが父親でエーヴェルが母親で』ですって〜、フィンの妻は唯一この私なのよ。フィンの隣にいられるのはこの私だけなのよ。だから、リーフ王子の母親代わりもこの私しかいないはずだわ。こうなったら、リーフ王子の母親代わりとしてレンスター城に乗り込んで新トラキアで権力を欲しいままにしてくれるわ」
一気に決意すると彼女はわき目もふらずレンスターへと馬を飛ばした。


正義の使徒フィンは復活した権力欲の権化ラケシスの前にあっけなく倒れた。
ラケシスの魔手がトラキア半島に伸びる。
危うし、新トラキア王国!!

〜 Chapter2 Lenster 〜

新トラキア王国は賢王リーフの治めるユグドラル大陸南東部の大国である。
リーフ王は中央のグランベル王国の聖王セリスと従兄弟の関係にあり、生死を共にと誓い合った戦友でもあった。その名声はセリス王をも凌ぐと噂され、事実、長年の仇敵であったトラキア王国をもその傘下におさめながら着実にその融和を進めている。南トラキアの領民からも善政を布いていると評価は高い。この国に憂慮すべき問題など皆無に等しいように思われた。
…ただ1つ、王の切ない心の裡を除いては。

「ナンナ様?ナンナ様ではありませんか。こちらにいらっしゃるなんて一体どうしたんですか」
彼女がレンスターの城下町に入って一番最初に会った人物が驚きの声を上げた。
歴戦(自称)の弓騎士ロベルトである。
「!…はっ、そういうことですか。早速陛下にお引き合わせ致します。ささっ、こちらへ」
ラケシスが否定の声を上げるより早く、彼は勝手に早合点して、彼女を引っ張っていった。
そこはレンスター城の一角で女性用の調度品が置かれている部屋であった。
彼女があまりにもスムーズに進んでしまった事の成り行きに呆然としていると、息せき切ってリーフが走ってやってきた。
「ナンナ、やっぱり戻ってきてくれたんだね!やっぱり君の居場所はここしかないよ。君がいつ戻ってきても良いようにって、君の部屋はそのままにしておいたんだ。僕の思ってた通りだった。僕はアレスみたいに君を傷つけたりしないからね。安心してここにいるといいよ…ナンナ、しばらく見ない内に髪を伸ばしたんだ。それもよく似合っているね」
来るが早いか、もどかしそうにまくし立てるリーフにラケシスはふと、微笑を誘われる。
リーフ王子はこんなにもナンナを気遣ってくれている。
私が託しただけのことはある。
ならば、いっそのこと十数年前のままのこの体を武器に、ナンナになりすまして、この国の実権を握ってしまおうか。
ナイスなアイデア(=黒い策謀)がラケシスの頭を回り始めたとき、天窓の上空がキラリと光ったと思うと、ものすごい勢いで何かが落下した。
床に大きく開いた穴からややあって、埃まみれの重臣が這い上がってくるのを、新トラキア王とその想われ人の母が硬直した姿勢のまま見つめる。
頭を2、3度軽く振るとその人物は口を開いた。
「ラケシス、馬鹿なことは止めなさい」
「あ、フィン、おかえり。でも、一体どこまで行ってきたんだ」
「M78星雲でウルトラマンと握手…いやそんなことより、ラケシス」
「…何よ」
「いい加減に目を覚ましなさい。デルムッドやナンナはもう小さな子供ではないのです。いつまでも私たちの掌の中にいません。あの子たちは既に巣立ちをして自分の道を歩んでいる…貴女は十分お分かりのはず…ラケシス…」
「いいえ、いいえ!!…あの子たちはまだ年端の行かない子供たちよ!あの子たちには私が必要なの…デルムッド、可哀想に独りぼっちで…私が迎えにいかなくては…あの子は私を待っているの」
「いや違う!デルムッドは成人した立派な一人前の騎士だ。もう貴女の保護が無くとも自分を御していける。…もう十数年の時が流れているのです。ナンナも貴女の膝の上で眠っていた3歳の幼児ではない。自分で判断して自分の人生を選び取っている…私たちにはそれを見守ることしかできません…正視しがたい事ですが、事実です…このようなことはご存じなのでしょう?ラケシス…」
彼女は急にフィンの胸倉を両手でひっつかんだ。
また新たな一撃を覚悟して彼が心の中で冷汗を流していると、彼女の両手の力が不意に抜け、ラケシスの頭がフィンの胸にぶつかった。
彼女の嗚咽する声がかすかに聞こえる。
フィンはラケシスの髪をそっと撫でてやった。

ラケシスはついに真の帰還を果たした。
この時、ようやく2人の時間が真実、合致したのだ。

その大切なひとときをリーフの一言が破った。
「そんなことより僕、今のラケシスなら全然OKだよ〜」
この言葉を耳にした途端、泣いたカラスがもう笑った。
「ま、私もまだまだ捨てたものではありませんわね。リーフ様。どうぞ私をナンナと呼んで♪」
「お待ちなさい!リーフ様、貴方には離宮にサラ殿、ターラにはリノアン様がいらっしゃるでしょう!!ミランダ姫は行方が分からなくなってしまいましたが」
「あっ、なんでそういうデリケートな話をここで…ラケシス、違うんだ」
「なんですって!?だからナンナは…」
すっくと立ち上がるとラケシスは宣告した。
「新トラキアでの覇権は切り捨てることにいたします。やはり、アグストリアの地盤固めから始めるべきでしたわ。我が子にしっかりとした後見監督をする責任が母たるこの私にはあるのです」
「ああっ、私の言ったことをちっとも聞いておられない…お待ちくださいラケシス様!!」
「もう一度ウルトラマンと握手したい?」
「…」
「ラケシス〜、僕を見捨てるの?」
「フィンに飽きたらいずれお相手して差し上げますわ…待っていなさい、我が故郷アグストリア!!」
かの地の方向に向かって気勢を上げたとき、彼女は既に馬上の人となっていた。


トラキア半島は伝説の勇者フィンの活躍によって平和が守られた。
しかし、ラケシスの紅蓮に燃えさかる野望は完全に潰え去ったわけではない。
次のターゲットは、大陸の反対側に位置する新アグストリア王国!!
彼は再びユグドラル大陸に立ちこめる暗雲を払いのけることができるのか!?

〜 Chapter3 Nodion 〜

大陸西部のアグストリア。
ティルナノグのセリス皇子蜂起から始まったユグドラル解放戦争の後、この地では類い希な才幹と揺らぐ事なき忠誠心を併せ持ちながら、無惨にも非業の死を遂げたノディオン王エルトシャンの実子アレスがアグストリア全体を統括することとなった。人望に優れし獅子王をアグストリアの盟主にとの国民の願いは皮肉な形で叶ったことになる。
アレス王はセリス王やリーフ王とは異なり、独自の股肱となる臣を従えてはいなかった。
それどころか、自らを一介の傭兵となして、解放戦争に参加したのである。
当然、戦争終結後、母国の再建にあたり、今までの気楽な身分ではいられず、人材をかき集めねばならなかった。
ノディオン王族であるラケシスの2人の子も当然ヘッドハンティングの対象となった。
兄の自由騎士デルムッドはセリスから、妹の聖騎士ナンナはリーフから、それぞれトレードされてノディオンに移ってきた。
2人は母から受け継いだ特殊能力「カリスマ」を持っているため、セリスもリーフもいい顔をしなかったが、血族を持ってこられては従わざるを得なかった。
何しろ、人材不足なのである。
有能な部下はいくらでも欲しい。
かくて、アグストリアは完全なノディオン王国一色に固められた。
今では「ノディオンにあらずんば人(※雲上人。すなわち権力の中枢に関わる人の意)にあらず」という様相を呈しつつある。
そして次にノディオン朝アグストリア王国が思い描くものは…


「お兄様、何度言ったらお判りいただけるの」
アグストリア王妃ナンナが実兄デルムッド大公に詰め寄っている。
ここは王城の一角。デルムッドの居室である。
いつもの光景であるらしく、デルムッドは気怠そうに空を仰ごうとする。
「どうしてもアグストリアにはユリア様が必要なの。あの方がお兄様の所へ御降嫁なさればこの国の権威は著しく上昇いたしますわ。何しろセリス様の御妹君にして正当なるナーガの継承者、お兄様もセリス様に貢ぎ物を沢山お贈りして誠意を尽くして御請願なさいませ」
「しかし、セリス様は承諾しては下さるまい」
「何故ですの?お兄様とて歴とした聖戦士の末裔、神器を扱えなくてもヘズルの血を引くアグストリアの王族です。ユリア様をお迎えするのに何の不足があるのですか」
「ユリア…様は御母君の遺志を継いで、シグルド様への償いをなさるとおっしゃった。それに何より、バーハラでの聖戦で受けられた心の傷がまだ癒えられていない」
「お兄様の甲斐性なし」
「…なッ…」
「それではレンスターにおられるお父様と一緒だわ。逃げては駄目」
絶句して言葉を失うデルムッドの目を見据えてナンナはきっぱりと断言した。
「ユリア様はきっとお兄様、貴方を待っていらっしゃる」
ナンナの視線を受け止めつつ、デルムッドは複雑な、何とも形容しがたい顔をした。
「しかし…セリス様はお許し下さらぬ…」
「え…」
「純粋なヘイムの血統の流出を恐れておられるのだ…それに…」
突然、乱暴な音を立ててクローゼットのドアが開いた。
「ああ、なんとまだるっこしい!!アグストリアの、ひいてはデルムッドのためになると言うのなら首根っこ掴んででもその方をお連れしなさい!!!」
「…ナンナが2人…」
歴戦の戦士だけあって、瞬時に動いたデルムッドだが、口をぱくぱく開けて立ちすくむしか術がない。
「ええい、こうなったらこの母がバーハラへ乗り込んで」
「まさか…!」
さすがにナンナも息をのむ。
「お、お待ち下さい、それよりそのお姿は一体どうなって…」
「このノディオン王家にあのヘイムの純正な血が注ぎ込まれる…長年の宿願が今果たされようとしているのですわ、天上の兄上も御照覧あれ!」
「おいデルムッド、ナンナはそこにいるか」
アレスがいつもの調子でデルムッドの居室にやってくる。
「エルト兄様?…見なさい、デルムッド。先王が託宣に現れたわ!これぞ満願成就の証」
「俺を勝手に殺すな!!!ナンナ!!」
アレスが不機嫌きわまりない顔で叔母に怒声を投げつけた。
その直後、勇名比類なきこの国の国王が折檻を受ける、という珍事を彼の従弟妹は目の当たりにすることとなった。

「このかわいいアレスのためにも私がなんとしても光の皇女を」
「いやその、叔母上…いや、義母上のお気持ちはありがたいが…その、何というか、これは国家間の微妙な外交問題でもあって」
力んでいる叔母に、アレスは身体の節々をさすりながら煮え切らない答えを返した。
「そんな大義名分は捨てなさい。要は本人の気持ち。これ1つで押しちゃいなさい」
ラケシスは自分の息子に向き直った。
母との思いがけない対面に緊張しているのか、デルムッドの顔は赤くこわばっている。
「デルムッド、貴方光の皇女が好きなのでしょう」
「…はい」
「ならば、その気持ちを素直に皇女にお伝えしなさい」
母の言葉にデルムッドも襟を正して聞き入る。
「いいこと、真っ直ぐに皇女の御眼を見つめてお伝えするのよ。貴方の気持ちが真実なら必ず皇女の御心に届くはずだから」

ノディオンの城を出たラケシスは目の前に現れた人物に驚き、立ち止まった。
「…フィン」
驚きから立ち直るとゆっくりと歩き出す。
「あの子たちを見ていたら、何も言えなくなったわ。本当は言いたいことが山ほどあったのだけれど」
フィンは当然のようにラケシスのやや斜め左に付き従う。
「貴方の言った通りね。あの子たちは自分の選んだ人生を歩き始めている。…もう私が口出しすることは何もない」
突然、ラケシスはくるりと回るとフィンの正面に身体を向けた。
フィンが軽く目を細める。豪奢な金髪が落陽に乱反射して眩しかったのだ。
「でも、貴方には言いたいことが山ほどあるのよ。これからじっくり聞いてもらいますからね」
「え、まだあるのですか」
蒼い彼が落日の紅い光に浸食されていくのをラケシスは眺めた。
「私がいなかった時間の分はたっぷり聞かせてあげる。…だから、貴方も」
「私も貴女にお聞かせしたいことが山ほどございます。貴女と私が共に過ごせなかった時間の分」
無数の想いがお互いの瞳の中に、在る。
「でも、これからは」
「一緒に生きていく。悲しいときも、嬉しいときも」
「病めるときも、健やかなるときも」
そこで2人は顔を見合わせてどちらからともなく、笑った。
「もう一度、教会に駆け込みましょうか」
「…やめておきましょう。私が世間知らずの貴女をうまく丸め込んで拐かしたと思われてしまう」
くくくっ、とラケシスはさらに喉の奥で笑った。
「…そうね、でも新婚旅行は連れていってくれるんでしょう?」
「ハネムーンではなくて、もうフルムーンですよ」
「どっちだっていいわ。私、グランベルに行こうかな、と思ったの。兄上やキュアン様、エスリン様への御報告は思う存分できたし…あとは」
フィンは妻の意を理解した。
仲間の弔いをしたいのだ。彼らはフィンにとってもかけがえのない仲間であった。
「参りましょう。グランベルへ…その前に、私はエルトシャン様にご挨拶をまだいたしておりません。案内していただけますね」
「ええ、お兄様も貴方を待っている」
彼らの影はノディオンの白亜の城に長く伸びていた。

<END>

SPECIAL THANKS! Likely様

管理人より
Likely様から20000Hitのお祝いに楽しいお話をいただきました。
パワフルなラケシスに翻弄されるフィン…でも、結局はラブラブ〜♪(こいつは…)
ちょっと気になるデルムッドの未来…。デルムッドに幸あれ!(違うだろ^^;)
Likely様、本当にありがとうございました。

宝物庫へ