約束をこの手に秘めて

 ここは秘密の場所。彼のお気に入り。
 どこを探してもいない時はまず間違いなくここにいる。
 でも、教えてくれたのは最近のこと。拗ねる私に彼はこう言った。
 『だって…あなたも登りたくなるでしょう?』
 当たり前でしょ。彼を半ば脅してその場所へ連れて行ってもらった。
 そして、そこは私のお気に入りの場所になった。

「やっぱりいたわ…」
 いつの間にか一人で登れるようになった私は、彼の姿を見つけ、近付いて行った。でも、彼は反応しない。本を抱えて眠っている。
「もう…こんなところで」
口ではそう言いながら、彼の寝ている姿を見るのは好きだ。私だけに与えられた特権なのだから。とはいっても、いつまでも眺めている訳にはいかない。
「フィン…起きて♪」
耳もとでそっと囁きながら、肩を揺すった。私と違って寝起きのいい彼はそれだけで目をぱっちりと開ける。
「あ…ラケシス様。お迎えに上がるつもりが申し訳ありません」
 一瞬で真面目モードに入るのに苦笑しながら、私は横に腰かけた。そして遠くを眺めた。ここからの景色は本当に美しい。…と和んでる場合じゃない。少し頬を膨らませて、
「ここで寝ないでって言ってるでしょう?落ちたらどうするのよ」
と下を覗き込んだ。ここはセイレーン城で一番高い木の上。城より一段高いところに生えているため、物見の塔より高い。
 高いところは苦手ではないつもりだけど、ここから落ちたら…と思うだけで足がすくむ。それを見ていた彼が可笑しそうにふっと微笑んだ。
「ご心配かけて申し訳ありません。…教練が終わるまで本を読んでお待ちしていようと思っていたのですが、いつの間にか寝てしまっていたのですね…」

「夕べは眠れなかったの?」
「………」
 彼は視線を落とした。言葉を探しているようだったので、私が代わりに口にした。
「…いつ帰るの?」
「どうしてそれを!?」
ハッと顔を上げる。珍しい彼の反応に私は少しだけ気分がよくなった。
「さっきエスリン様とお会いした時、ちょっとご様子が変だったし、あなたの教練は当分ないっておっしゃってたから…きっとそういうことなんだろうって思ってたの」
「ラケシス様…」
彼は本当に辛そうな表情を浮かべている。私も辛い気持ちはあったけど、それ以上に喜びの方が大きな割合を占めていた。…彼は私の答えを知っている。
「いつまでここにいられるの?」
「…一週間後に発つとのことです」
「…そう…」
 冷静でいられることに自分でも驚いた。あらかじめ覚悟していたからか、まだ実感できてないからか…。
「あの…」
彼も驚いたのだろう、恐る恐る声をかけてきた。私はにっこり微笑んだ。
「泣くにしても…まだ早いわよね。時間がもったいないし」
「そうですね」
互いに顔を見合わせ、声を出して笑った。
 そして、夕方になるまで、シレジアの晩秋の景色を眺めた。無口な彼にしては珍しく、故郷の話をしてくれた。秋になると時々トラキアからはぐれ竜が飛んできて大騒ぎになることや、友達と秘密基地を作ったこと。そして家族のこと…。今までこんな話を聞いたことがなかったので驚きながらも、私は話に引き込まれていった。今の彼を育んだもの。それが端々に滲み出る…。

 こんな感じでお互いの手が空いているときは二人で過ごすように心掛けていた。でも、私はマスターナイトの修行があったし、彼は旅の準備があり、そんな時間はわずかだったけど、充実していたことは確かだ。
 帰国すると聞いてから三日ほどたった朝、私はキュアン様から直々に呼び出された。お部屋に入ると渋い表情のキュアン様とエスリン様が私を迎えた。
「…ラケシス、レンスターに一緒に行かないというのは本当か?」
「はい」
すかさず返答した私に、お二人は顔を見合わせ、軽く溜め息を吐かれた。取りなすようにエスリン様が言葉をかけて下さる。
「…遠慮しなくてもいいのよ。すぐに結婚しなくても…その気はあるのでしょう?」
「そうだ。レンスターにはグラーニェやアレス王子もいる。今後のこともあるだろう」
「それはシグルド様の無実を晴らしてからでも遅くはありません。いえ…そうでなければ、アグストリアを取り戻すこともままなりませんわ」
「………」
 私の決心が固いとわかって下さったのだろう、キュアン様は渋い表情のまま、しばらく考え込まれていた。エスリン様はキュアン様を促すような視線で見つめていたが、
「…もしかしたら…もう…会えなくなるかもしれないのよ!」
「エスリン!」
「…ごめんなさい…」
 エスリン様は俯いてしまわれた。ディアドラ様が消息を断ってから、エスリン様は瞳を翳らせ、物思いに耽ることが多くなった。それはみんなも同じだったけど、快活なエスリン様が沈み込まれると城中が重い空気に包まれる。それに気付いたキュアン様がそれとなく気分転換を勧めることで最近はすっかり明るさを取り戻されていた。でも、心の中ではずっと苦しんでおられたのだ。父や兄の悲劇とゲイボルグにまつわる悲しい伝説―それがエスリン様を追い詰めていた。
 エスリン様の不安は今ではよくわかる。私だって、会えなくなったら…そう思うだけで涙が出てくる。…でも…だからこそ…私は…。
「私のなすべきことはまだここにあります。私のことを気にかけて下さるのは本当にありがたいと思っています。それよりも、お義姉様とアレスを…もうしばらくレンスターで預かっていただきたいのですが」
「当たり前だ。グラーニェは嫁いだとはいえ、レンスターの人間だ。アレスにとってももう一つの故郷だ。気にするようなことは何もない」
「ありがとうございます…。安心してシグルド様の戦いに…アグストリアを取り戻す戦いに…臨めます」
「わかったよ…俺達の分までシグルドを守り立ててやってくれ」
「…はい!」
「ラケシス…兄上のこと…よろしくお願いするわね」
「はい。…あの…ところで…」
 私はさっきから気になっていたことを口に出そうとした。すると、その頃にはエスリン様の表情も明るさを取り戻してらして、悪戯っぽい笑みを浮かべておっしゃった。
「ふふふ…フィンなら街に買い物に出ているわ。慌てていたようだったけど、何か予定でもあるの?」
「…え?午後は空けてほしいと言われていましたが…」
「へえ〜。何かしらね。後で教えてね♪」
「………」
余計なことまで突っ込まれてしまった。

 そして、午後になり、私達は街に出ることになった。普段は歩いていくのに、何故か彼は馬を引いてきた。
「あら?…どこへ行くの?」
「少し町外れなので…。二頭出すと目立ってしまいますから、ご一緒に乗って行ってもよろしいですか?」
「ええ♪」
ラッキー♪とばかりに私は大喜びで差し出された手を取り、馬に跨がった。私が馬に乗れるようになってからはとんとご無沙汰だったからだ。
 城を出てしばらくは人通りも多いため、ゆっくり進む。馬の向かう先は私には心当たりがない。
「ねえ…どこへ何しに行くの?」
「…それは…着いてからということで…」
こういう時は何が何でも口を割らない。少し顔色が悪いのが気になったが、これ以上聞くのは諦めた。すると、彼は真面目な口調で、
「ラケシス様…。キュアン様にきちんと説明できませんで、申し訳ありませんでした」
と詫びてきた。朝のことだ。私はくすっと笑った。
「だって、私達ちゃんと話し合った訳じゃないもの…仕方ないわ」
「そういえば…そうでしたね」
その柔らかな声に振り返ると声と同じく彼は柔らかな微笑をたたえていた。
 本当に可笑しくなってきた。私は彼に一緒に行こうとも置いて行くとも言われていないし、私もついて行くとも残るとも一言も言っていないのだ。だけど、私達は同じ気持ちを共有していた。確認しなくてもわかる。それはなによりも嬉しいこと…。これからどんなことが待ち受けていようとも。
「私の方こそキュアン様のご厚意を無にするようで申し訳ないと思っているの。ラケシスが心から感謝していたとあなたからも伝えてくれるかしら」
「はい…承知しております。市街を抜けました。ここから飛ばします」
彼は馬の腹を軽く蹴り、それに応えるように軽く嘶くと馬は一気にスピードを上げた。

 連れられてきたところは、セイレーン城から少し離れた教会だった。小さな教会だが、白亜の建物がとても美しい。何度か側を通ったことはあるけど、立ち寄ったことはなかった。城にも教会はあるし、何といってもエッダの最高司祭クロード様がいらっしゃる。物珍しそうに周囲を見渡す私を、彼は馬から下ろし、手を引いて中へ入った。
「うわぁ…」
 規模にしては素晴らしいステンドグラスに目を奪われてしまった。私は彼に手を引かれるまま聖堂を抜けて、小さな部屋へ通された。そこには白いドレスが一着…。
「フィン…?」
 彼はいつになく緊張した表情で私を見つめていた。しばらく無言だったが、覚悟を決めたように掠れた声で話し始めた。
「…あなたの枷にはなりたくないと思っていました。でも…何か確かなものが欲しいとも思う自分もいます。心の弱さに自分でも情けないと…」
「私だって同じよ!」
 私は思わず彼に抱きついた。…私の苦しみがそっくりそのまま言葉となったのだから。知らないうちに涙が溢れていた。
「今はどうしようもないとわかってはいるけど、それでもこのままお別れするのは…本当は怖かったの…。もし会えなくなったらって思うだけで…」
「ラケシス様…」
彼は私をぎゅっと抱き締めた。そして少し力を弛めてから言葉を続けた。
「本当はキュアン様やシグルド様にもご報告すべきなのでしょうが、それすらできない私をお許し下さい」
「いいの…。あなたがそう思ってくれているだけで嬉しい…」
「ラケシス様…これが確かなものになるのか…本当のところはわかりません。ですが…今できることをしたいのです。…私と結婚して下さいますか」
「はい…」

 私はその部屋で置かれていたドレスに袖を通した。
「急なことだったので、きちんとしたものを用意できなくて申し訳ありません」
彼はそう言っていたが、予想以上に上質なもので、何よりサイズが誂えたようにぴったりだった。私は鏡の前に立ってくるりと回ってみた。
「うふふふ」
 無意識のうちに笑ってしまう。だって…こんなに嬉しいことはないんだもの。黙って式を挙げることには少し罪悪感を感じるけど、誰の祝福もいらない。欲しいのは彼の気持ちだけ…。
 私はもう一度鏡でチェックしてから部屋を出た。そして、外で待っていた彼に首から下げていた指輪を渡した。誕生日に貰ったものだ。あの時はこんなに早く日の目を見るとは思ってなかったけど。彼はにっこり微笑んで受け取り、代わりに小さなブーケを差し出した。私の好きな花ばかりでますます嬉しくなる。
「さあ、行きましょう」
そう言って彼は私の手を取った。
 誰もいない聖堂の中を私達は腕を組んで歩く。あの素敵なステンドグラスが反射して、様々な色の影を落としている。神父様がにこやかに私達を迎えてくれた。
「あ…」
セイレーン城でよくクロード様のお手伝いをされている方だ。そういえば最近彼と一緒のところをよく見かけていた。
「こちらの神父を任されているのです。お二人の大切な日に立ち会えますこと光栄に思っています。そしてお二人の秘密に関われますことも…」
 神父様は一瞬悪戯っぽく笑うとすぐ真面目な顔に戻り、神への祈りを始められた。そして、誓いの言葉を交わし、口付けを…。
「神はお二人を夫婦と認められました。末永くお幸せに…」

 帰りの馬上で私はご機嫌だった。何度も薬指の指輪を見てはうっとりする。しばらくそうしていたけど、私はあることに気付いた。
「ラケシス様…?」
私の様子が変わったのに気付いた彼は心配そうに顔を覗き込んできた。
「私はあなたに何もあげていないわ」
「要らないと言えばお怒りになるでしょうから…」
彼は微笑みながら、膨れっ面になりかけてた私の頬をそっと撫でてから続けた。
「指輪を下げていた鎖を私に下さいませんか?」
そう言って私の首にかかっているネックレスを指差した。
 私の左手の薬指にぴったりの指輪。然るべき時が来るまではめないと決めて、ずっと身につけていたネックレスに通して持っていることにしたのだ。
「どのようないわれがあるのかも知らずに不躾だとは思いますが…その…あなたの肌に…ずっと…触れていたもの…ですから…」
最後の方は少ししどろもどろになった彼。私はくすりと笑うとすぐにそれを外して、彼の首に回した。シンプルなネックレスだし、男性がつけていてもおかしくはない。
「これはね…私が初めて自分で買った物なの。私には大きめだし、あっさりしすぎてるって皆には不評だったけど、一番気に入ってるの。だから、あなたが欲しいって言ってくれてすごく嬉しいわ…」
「ラケシス様…」
 私達はにっこり微笑み合った。
「でも…ってことは指輪ずっとはめててもいいのね♪」
「やはり問題あるでしょうか…?」
ふと口を吐いて出た疑問に彼の表情が翳る。
「まあ…しばらく離れることになるんだもの。寂しいからはめてるんだって思うわよ。きっと」
「そうですよね…」
「そうよ。さあ早く戻りましょう。…あんまり遅くなるとエスリン様に突っ込まれそうだわ」
「それは恐ろしいですね」
 苦笑しながら彼は馬のスピードを上げた。前方にそびえるセイレーン城は夕焼けに染まっていた。

 その日の空の夕焼けはきっと忘れることはないだろう。
 いつか二人でもう一度見られたら…。

Fin

後書き
カウンター7777を踏まれたりあん様から「幸せなフィンラケ」というリクエストをいただきました。本当はもっとほのぼのした話にするつもりだったんですが(どんな話だ^^;)、こんなことに。この話のタイトルはりあん様につけていただきました♪素敵なタイトルありがとうございました。
Youri様がこの小説からイメージして絵を描いて下さいました。悶絶ものです♪…おい。是非ご覧下さい。こちらです。

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