Passionate Angel

 そもそもの始まりは、フィンがキュアンのお使いでセイレーンの城下町に出かけたことだった。
 じりじりしながらその帰りを待っていたラケシスがフィンの姿を認めて駆け寄ると、その目に飛び込んできたのは血に染まった左半身。
 盛大なラケシスの悲鳴を聞きつけた者達が何事か、と集まってくる。
 その中にはシグルドやキュアン達の姿もあった。
 主君に心配をかけまいと、こっそりクロード神父にでも治療をしてもらおうと思っていたフィンは、心の中で一つ溜息をついたのだった…

 パァ…っと光が広がり、柔らかく傷口を包んでいく。
 幸い、フィンの怪我はたいしたことがなかった。戦場で負う傷に比べれば、取るに足らないかすり傷だ。
 左腕に負った切り傷から流れ出た血が上着についただけだったが、馬上のフィンを下から見上げたラケシスには一瞬、血だらけに見えただけだったのだ。
「はい。終わったわよ。」
「ありがとうございます、ラケシス様。」
 ライブをかけ終わった腕を軽く動かす。
 かすり傷とはいえ痛みがないわけではない。消えた痛みにホッとした。
「終わったか。では早速何があったか聞かせてもらおうか。」
 この部屋に、ラケシスと二人きりでいるわけではない。
 キュアンとエスリン、ついでにシグルドもいた。
 キュアンは心配で、シグルドは野次馬根性で、エスリンはその半々で。
「実は…」

 そのときフィンはキュアンに言われたものを買い終え、帰途につこうとしていた。
 そのまま城に帰ろうとしたが、シグルド達に比べれば気軽な身分とはいえ、そうそう城下に来る事もない。
 いくら年の割には落ち着いているとはいえ、そこはまだ十代の少年である。レンスターとは趣の違う町並みに好奇心をそそられる。ちょっと寄り道をして帰ることした。
 商店街のある表通りから路地へ入り、住宅地へと馬の歩を進めていると、ふいに男の怒鳴り声が聞こえてきた。
 一軒の家の前に柄の悪い男二人と、その家の住人らしい中年の男、そしてその男の後ろに隠れるようにして少女が立っていた。
 何か揉め事が起こっているのだろう。関わらないほうがいいと判断して馬首を返そうとしたそのとき、状況が変わった。
 中年男に詰め寄っていた柄の悪い男の一人が、少女を捕まえてその喉元にナイフを当てたのだ。
 その少女を人質にして脅しているのは明らかだ。彼らの事情はわからない。それでも、いかなる理由があろうとも、このような卑劣な行為はフィンの最も嫌うところだった。
 見過ごすことが出来ず、馬を下りて近づき声をかけた。
「その娘を放せ。」
「ああ?」
 突然割り込んできた第三者に、その場の者達が訝しげな視線を向ける。
「なんだ、てめえは。」
 当然と言えば当然の反応だな。
 フィンは心の中で軽く笑ったが、表情には出さずに続ける。
「お前達の間に何があるのかは知らない。だが、弱きものを盾にするような卑怯な真似はやめろ。」
「うるせえ!弱いものを盾に取るから効果があるんだよ!関係ないヤツは引っ込んでろ!」
 そう叫んで、ブン、とナイフを振り下ろした。
 斬りつけようと思ったからではなく、追い払おうとしただけだったのだろう。
 だが、フィンは避けなかった。
 それどころか、ナイフの軌道に自ら左腕を差し出した。
 ザクッ。
 一瞬痛みに顔をしかめたが、すぐにまた平然とした表情に戻した。
「な、なんだ、コイツ…」
 二人組が奇異なものを見るような目でフィンを見る。
 だが、ナイフを持っていない方の男があることに気がついた。
 フィンの腰に下がっている、立派な剣。
 マント止めに施された見事な意匠。
 後ろに控えている、見たことがないほど毛並みのいい馬。
 この町で、これほどの装備を整えられるのは…。
 あることに思い当たってサッと青ざめると、未だ娘を捕まえたままの相棒にそっと耳打ちした。
「おい、もしかしてコイツ、セイレーン城のヤツじゃないのか…?」
「なに!?」
 驚いて、改めてまじまじと観察する。
 身なりからして貴族階級であると思われる。
 そして、レヴィン王子もその身を寄せるシグルド軍の貴族に斬りつけたとなると…。
 打ち首。
 二人の頭にその物騒な単語が浮かんだまさにその時。
「その娘を放し、この場から立ち去れ!」
 再び降りかかったフィンの声に弾かれたように飛び上がると、存外小心者らしい二人は脱兎のごとく逃げ出した。

「…というわけです。」
「へ〜、やるじゃない、フィン。」
 そういったのはエスリンだ。続けてシグルドが尋ねる。
「だが、何故わざわざ斬られたんだ?そんなことしなくても追い払えたんじゃないのか?」
「それは…。事情もわからぬまま奴等にケガを負わせては、あの家の者達が仕返しされるのではないかと思いまして…。かと言って言葉で何とかできるようでもありませんでしたし、あれで怯んでくれれば、と。うまくいってよかったです。」
「よかったじゃないわよ!どれだけ私が驚いたと思ってるの!?」
「まあまあ、ラケシス。」
 フィンに詰めよるラケシスをなだめながら、今度はキュアンが尋ねてきた。
「で、結局何をもめてたんだ?」
 すると、とたんにフィンの表情が苦いものに変わる。
「それが、情けない話ですが、腕の傷が痛みまして…その…早く治療をしていただきたくて、何も聞かずにすぐに戻ってきたのです…」
 不甲斐ないことです、と、俯いて恥ずかしげに呟いた。

 が、話はこれでは終わらなかった。
 真の事件は翌日に待ち構えていたのだ。

 いつものごとくシグルドの部屋にキュアン夫妻とラケシス、そしてフィンが集まっているところへ、兵士が一人訪れた。
 応対に出たフィンは当然シグルドに用があるのだろうと思っていたが、その兵士が指名したのは、意外なことに自分であった。
「私に?客?」
「は、はい。いえ、正確にはフィン様らしき人にお客様なのですが…」
「私らしき人?一体どういうことだ?」
「それが、おそらくは町の者と思われる娘がやってきて、『お礼を言いたい騎士様がいる』と…。名前はわからないそうなのですが、聞いた特徴がフィン様に似ているのでお心当たりはないかと思いまして…」
 普段シグルドの部屋を訪ねることなどないのであろうこの兵士がしどろもどろに語る内容に、フィンは思い当たる節があった。
「ああ、それはおそらく私のことだ。ありがとう。」
 そう言ってキュアンを振り返り、退室の許可を取る。
「キュアン様、しばらくお時間を頂いてよろしいでしょうか。」
「そうだな、待たせては悪い。すぐに行くとしよう。」
「は?」
 キュアンが立ち上がるのと同時に、その場にいた者達がみんな一斉に立ち上がった。
「あの、皆様どちらへ…」
「もちろん、見学に決まってるじゃない。」
 とエスリンが言えば、
「フィンが助けたお姫様はどんな子なのかなぁ。」
 とはシグルド。
 ただ一人、ラケシスだけが憮然とした表情をしていた。
 フィンは慌てて皆を止めようとする。
「ちょっと待ってください、皆様がご覧になるようなものでは…」
「あら、私たちが行くとお邪魔なのかしら。」
 言葉の端々にトゲを含んでラケシスが言う。どうやら訪ねてきたのが“娘”という所に敏感に反応したらしい。
 この集団を止めるのは自分には無理だと判断したフィンは、
「では、案内してくれ…」
 諦めたように、おろおろと突っ立っている兵士に言った。

 驚いたのは待っていた娘である。
 てっきり昨日の騎士様が一人で現れると思っていたのに、その後ろからどこからどう見ても高貴な方々がぞろぞろと付いてきているのだ。
 しばし唖然とその光景に見入る。
「すまない、待たせてしまって。」
 フィンの言葉にはっと我に返った。慌てて言葉を紡ぐ。
「い、いえ、私はアンナと申します。あの、昨日はありがとうございました。あの時はろくにお礼も言えなかったので…。あの、怪我の具合はいかがでしょうか…」
「ああ、もう大丈夫だ。治癒の魔法で治してもらったから。」
「そ、そうですか。よかった…。それで、その…」
 チラリ、と後ろを見るアンナに気付いたフィンは安心させるように言った。
「後ろの方々は気にしなくていいよ。なにも見張っておられる訳じゃない。」
 面白がっておられるだけだ、と心の中で呟いて苦笑する。
 そんなフィンにアンナはぽぅっと見とれてしまった。

 先日の事件は、アンナの記憶からすると少々事情が異なる。
 人質にとられ、恐怖に震えている時、どこからともなく青い騎士が現れ、その身を犠牲にして自分を助けてくれた。
 お礼を言い、傷の手当てをしようとするのを制して、『大した事ではない』とばかりに馬にまたがり、颯爽と走り去ってしまった。
 現実とは微妙にずれているが、夢見るお年頃の少女にフィンが“物語から抜け出した勇者様”のように見えてしまっても仕方がないところだろう。

 かくして、苦笑を浮かべたフィンの顔も、彼女にとっては満面の微笑みなのである。
 見とれながらも本題を思い出したアンナは、一つの包みを差し出した。
「あの、これは私が焼いたクッキーです。何かお礼を、と思いましたが、こんなものしか浮かばなくて…。騎士様のお口には合わないかもしれませんが、よ、よろしければ、受け取ってください!」
 真っ赤になって俯き、そのまま固まっている少女の手から、フィンは笑いながらその包みを受け取った。
「別に礼なんてよかったのに…。でもありがとう、頂くよ。」
「あ、ありがとうございます!あの、ではこれで失礼致します…」
 そう言って頭を下げ、アンナはうきうきとした足取りで城を後にした。

 静かにその一部始終を見守っていた一同は、アンナの姿が見えなくなると同時に一斉にフィンに詰め寄った。
「ちょっとちょっと、モテモテじゃない、フィン。」
「手作りクッキーか。青春だな〜。」
「お前、女性の落とし方をレヴィンあたりに習ったのか?」
「そんなんじゃありませんよ!」
 たちまち真っ赤になって反論する。
「照れるなって。よし、そのクッキーを食べながらお茶にしよう!」
「ダ、ダメですよ。これは私が頂きます。では、これで部屋に戻らせていただきますので。失礼いたします!」
 そういうとスタスタと歩き出した。
 その後ろを、タタッとラケシスが追っていく。
 
残された三人も部屋に戻ることにした。
「あーあ。もう少しからかってやろうと思ったんだがな。」
「あ、ねえ。さっきラケシス、妙に静かじゃなかった?」
 そのエスリンの言葉に、三人の足がはた、と止まる。
「そういえば…」
「一言も口をきいてなかったよな…」
 自然とフィン達が消えた方向に顔を向けた。
「まあ、大丈夫だろう…」
「そ、そうだな。」
 ハハ…と乾いた笑い声が廊下に響き渡った。

 早足で自室に戻ってきたフィンは、テーブルにクッキーを置くと疲れたようにソファーに腰掛けた。
「ねえ、フィン。」
「え!」
 驚いてフィンは振り返った。ラケシスが付いて来ている事に、全く気がついていなかったのだ。
「ラケシス様、いらしてたんですか…」
 その言葉にラケシスはムッとする。
「あら。私のことなんて全く目に入っていないようね。」
 プイっと顔をそむけるラケシスの様子に、フィンは苦い顔をした。
 どうやら、そうとう機嫌が悪いらしい。原因は想像がつくが、こうなったラケシスをなだめるのは大変なことなのだ。
 もっとも、実際はラケシスをなだめるのは簡単なのだが、その方法にフィンが気付いていないだけである。
 ともかく機嫌を直さなくては、とばかりに話し掛ける。
「あの、先程のことでしたら、私と彼女の間には何もありませんし…」
「どうかしら。」
 取り付く島もない、とはこのことである。
 そう、今のラケシスは最高潮に機嫌が悪かった。
 何もかもが気に入らなかったのだ。
 フィンを見るアンナの目線も、フィンがクッキーを受け取ったことも。
 フィンが笑いかけた時などは、その間に割り込んでいきたかった。
 そうしなかったのは、偏にプライドのためだ。だが、もう少しあんな光景が繰り広げられていたら我慢できたか分からない。
 憧れだろうとなんだろうと、アンナがフィンに好意を寄せていることを感じ取っていたので尚更だ。
「どうしてそのクッキーを受け取ったの?」
「どうしてって…別に断る理由もないですし…」
「じゃあ、どうしてキュアン様が食べようと仰ったのに、お断りしたの?」
「外部から持ち込まれたものを、そう易々と皆様のお口に入れるわけにはいきませんから。」
「そんなこと言って、本当は独り占めしたかったからじゃないの?」
「どうしたのですか、ラケシス様。たかがこれしきのことで…」
「どうせ、私はクッキーなんて作れないわよ!」
「ちょっと、落ち着いて…」
「何よ、こんなもの!!」
 叫ぶなり、ラケシスはクッキーの包みを掴むと、壁に投げつけた。
 封が外れ、バラバラと中身がこぼれ出る。
 それを見たフィンはつかつかとラケシスに歩み寄り、いきなりパシっとその頬を叩いた。
「え…」
「少し、頭を冷やしなさい。」
 一言言い残し、フィンは部屋を出て行った。

 残されたラケシスは、呆然とその場に立ち尽くしていた。
 フィンに叩かれた…
 このことを、すぐには理解できなかった。
 そして理解したとたん、ポロポロと涙がこぼれてきて、そのままヘタヘタと座り込んだ。
 そっと、叩かれた頬に触れる。
「熱い…」
 それがそのまま、フィンの怒りの大きさのような気がした。
「フィン…」
 あの彼がこんなに怒ったのを見るのは始めてだ。それほどのことを、自分はしてしまったのだ。
 床にこぼれたクッキーを見る。
 一生懸命、名も知らぬ騎士のためにそれを作っている少女の姿が見えたような気がした。
 それを、そんな少女の気持ちを、自分は壁に叩きつけた…。
“たかがこれしきのことで…”
 さっきフィンはそう言った。
 ラケシスも、その通りだと思う。
 なにもフィンがあの少女に心を移したなどと思ったわけではない。
 大した出来事ではないことくらい分かっている。
 それでもこれほどまでに嫉妬に支配されたのは、心のどこかで恐れているからか。
 身分にこだわるフィンが、いつか自分を見限って他の“釣り合う”女性のところに行ってしまうのではないかと…。
「バカね。フィンはそんな男ではないわ。」
 自分に言い聞かせるように呟きのろのろと立ち上がると、ラケシスはクッキーを拾い始めた。

 部屋を飛び出したフィンは行くあてもなく、裏の庭園に続く階段に腰を下ろしていた。
 ただじっと自分の右手を凝視しているその姿は、傍から見たらさぞや奇怪に映っていたことだろう。
(手を上げてしまった…)
 永遠にそんなことはないと思っていたのに。
 自分にぶたれた瞬間に向けられた視線が忘れられない。
 驚きと戸惑いと…さまざまな感情が入り混じったような、何ともいえない瞳。
(私は何てことを…)
 もともと思い込んだら一直線のフィンは、後悔の波に溺れそうになっていた。
 そんな中で、背後に気配を感じて振り向いた。
「ラケシス様…」
 そこに気まずそうに立っていたラケシスは、フィンに気付かれて意を決したように、フィンからちょっと離れたところに腰を下ろした。
 しばらくの間はどちらも口を開かず、静寂があたりを包んでいた。
 先に行動を起こしたのは、ラケシス。
「フィン…あの…これ。」
 そう言って、隠すように後ろ手に持っていたものをフィンに差し出した。
「これは…」
 それは、ラケシスが壁に叩きつけたクッキーだった。包装は元通り、とはいかないが、中身はきちんと入れてあるようだ。
「あなたが拾ってこられたんですか?」
「うん…。ごめんなさい。私、酷い事をしてしまったわ。自分でも、どうしてあんなことをしてしまったのかよく分からないけど、本当にごめんなさい…」
 フィンは傍らに包みを置くと、ラケシスの傍に寄った。そして、赤くなっている頬に触れる。
「痛かった、でしょう?」
 フィンが触れているところに新たな熱を感じながら、ゆっくりとラケシスは頭を振った。
「そのクッキーの痛みに比べれば、全然平気よ。」
「ラケシス様…」
 そっとその頬に口付けると、フィンはぎゅっとその細い体を抱きしめた。
「申し訳ありませんでした。」
 ラケシスも、その背中に手を回す。
「謝らないで。私が悪いんだもの、あなたが謝る必要なんでどこにもないわ。私、我侭を言ってばかりよね。あなたを困らせてばかり…。」
「いいえ。私のほうこそあなたの気持ちも考えず…浅はかでした。」
「でもね、フィン。始めはびっくりしたけど、だんだん、あなたに叩かれたことが嬉しくなってきたのよ。」
「え?」
「なんだか初めて、王女としてではなくあなたの恋人として接してくれたような気がしたから。…可笑しいかしら?」
「いいえ。可笑しくはありませんよ。」
 そして抱きしめていた腕を緩めると、ラケシスの顔を覗き込んだ。
「でも少し心外です。私はいつもあなたには恋人として接してきたつもりなのですが。まあ、言葉遣いはまだ変えることが出来ずにいますが…」
「フィン…。ねえ、私のこと好き?王女でも好き?お料理も何も出来ないけど、それでも好きでいてくれる?」
「今更何を…。私は、あなたを愛しています。あなたが王女でも、王女でなくても、この気持ちに変わりはありません。私が今でも身分を気にするのは男としてのけじめであって、愛する気持ちを封じ込めるためではありません。だから、そんなに不安そうな顔をしないで…」
「フィン…うれしい…ありがとう…」

 空が朱に染まろうとしている庭の片隅に、重なり合った二つの影が伸びていた…

〜fin〜

SPECIAL THANKS! ゆいな様

管理人より
ゆいな様のHPで9999のカウンターを踏みまして地団駄踏んでたら10000の申告者がいらっしゃらなかったのでリクエスト権をいただけることになりました。それでリクエストしたのが「ラケシスに強気なフィン」。
そしたらこんな素敵なお話を下さいました♪ラストの方は頬が緩みっぱなし…ふふふ。可愛いです〜。
やっぱりフィンラケ話はいいなあ…(しみじみ)。背景がベタかも(^^;)でもハート使いたかったので…。
ゆいな様本当にありがとうございました。

ゆいな様の『Fire! Liar!』へ

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