大地の森 (光と影のラビリンス 3)
Nanase
1
何か悪いことが起りそうでならない。
ヴェルダンで昔感じたあの嫌な予感。
それよりもさらに大きく激しい不安を感じてジャムカは両腕に鳥肌をたてた。
それはこの先の戦いへの不安というのとは少し違う。
それだけなら生まれながら戦士のような気質を持ったジャムカはこれほど動揺はしなかっただろう。
もっと作為的で嫌な何かが……歴史を変えようと渦巻いているような……そんな気がしてジャムカは今度は全身に鳥肌をたてていた。
不吉な予感が肌に絡み付いて、睡魔さえも蹴散らす。
眠ったら最後、底なし沼のように果てのない悪夢に苛まれそうな気がして、ジャムカは薄闇の中、ずっと目を開けていた。
戦いに疲れ果てたエーディンは……その身を寄せるようにして隣でぐっすりと眠っている。
どれほど疲れているか……。ジャムカにはそれがわかっていた。
だから、ジャムカはエーディンを起こさぬよう、そっとその場を離れると、窓に腰掛け空を見上げた。
ここはリュ−ベックの城。
フィノーラを抜け、ヴェルトマーへ向かうには砂漠を越えなければならない。
そのためのつかの間の休息を、シグルドはここリューベックで取ることを決めた。
先のザクソンでの戦いと、ここリュ−ベックの戦いで、皆の疲労はもうピークに達していた。それは肉体という意味でも精神という意味でも。
ザクソンが落ちてすぐに、瀕死の重傷を負いながらシグルドの父、バイロン卿がリュ−ベックから逃走して来、シグルドは誰が本当の裏切り者なのかを知らされた。
父を陥れ、そして死に至らしめた張本人であるランゴバルドに容赦はいらない。それがシグルドの心情だったが、レックスの気持ちを考えると胸は痛んだ。そして、リュ−ベックへと突き進むうち、バイゲリッターを率いて現われたのはブリギットとエーディンの弟アンドレイ。
先へ進めば進むだけ、仲間が骨肉の争いに巻き込まれていく。
だがここで後退するわけにはいかない。すべてを知ったレックスもブリギットもエーディンも……そして、この先で待ち受けるのが父だと知っているティルテュも進むしかないとシグルドに進言した。
その言葉に力を得たシグルドは、父から譲り受けた聖剣ティルフィングを手に怒涛の進撃をし、苦戦の末、リュ−ベックを落としたのだが……実の弟を手にかけたブリギットや、父を見殺しにせねばならなかったレックスの心を思うと、勢いに乗じてこのまま突き進むことはできなかった。
しばしの休息。
それは、すべての仲間に今必要なことだとシグルドには思えた。
もちろん油断はならない。
目の前にはフィノーラが……そして越えなければいけない広大な砂漠が広がっている。
だが、砂漠のおかげでリュ−ベック城からの見通しだけはよかった。
背後にあたるザクソン城からの攻撃はありえないのだから、シグルド達は前方にだけ注意を払い、つかの間の休息を取ることができた。
アズムール王に会い、何としても父の無実と自身の汚名を晴らさねば……。シグルド達にもう他に道はなかったし、騎士としてそれは当然のことだった。
だが、敵を蹴散らせば蹴散らすほど反逆者の汚名は強まっていく。
そのジレンマにシグルド自身も疲れ果てていた。
ぼんやりと月や星を眺めるジャムカの目が闇に慣れた頃、いつの間にか目覚めていたエーディンが窓辺に近づき、そっとジャムカの背中に触れた。
「ジャムカ……休まないと」
「ああ、わかっている。だが眠れないんだ。わけのわからない不安が押し寄せてきて……」
「ええ、わたくしも。あなたが傍にいてくれると少しは紛れるけれど……」
その言葉を聞くとジャムカは苦笑しながらエーディンを抱きあげ、そっと自分の膝に座らせた。窓といってもこの時代、硝子などありはしない。落下の危険を避けるように、腕を絡め、そっと抱きしめると、エーディンはもたれるようにジャムカの胸に顔をうずめた。
弱い月の光がエーディンの金色の髪を照らす。
ここが戦場ではなかったら……。甘い恋人達の時でしかないだろう月夜。
夢を語り合い、愛し合い、そして共に眠る。
そんな時間を優しく見守るような妖しい光を今宵の月は持っていた。
けれど、二人は心のどこかで、この先、共には生きられない未来を感じていもいた。
「レスタ−は侍女達を困らせてはいないかしら?」
その胸にもたれたまま、突然つぶやくように囁いたエーディンにジャムカは苦笑しながら静かに答えた。
「さあ、お前に似ればおとなしい良い子だろうが……俺に似ていればヒネクレ者のへそまがりだろうからな」
「ジャムカったら」
「ふふ」
ラーナ王妃がシレジアで生まれた子供達の面倒は見てくれていた。シグルドはここリュ−ベックでオイフェとシャナンに愛息セリスを預け、イザークへ落ち延びよと命じたけれど……セリスよりも少し幼い他の子供達はシレジア城で保護を受けていた。
あの陽だまりのような時に生まれた幸せな子供達。
ブリギットもアイラも……ラケシスも……シルヴィアも……ティルテュも皆、母となり、しあわせな時を過ごしていたのに。
戦はそんな時を簡単に粉々に打ち砕いてしまった。
「それよりもエーディン、お前の身体の方は……」
絡めていた腕でそっとエーディンのお腹に触れたジャムカは不安気な声になってそう尋ねた。
そう、エーディンの中にはまた新しい命が宿り、その誕生を数ヵ月後に控えていたのだ。
細身のエーディンは初期であれば少しも体型が変わらない。だから、その新しい命の存在を知るのは夫であるジャムカだけだった。
ジャムカはシグルドに懇願し、できればエーディンをシレジア城に置いて来たかったのだが、それだけは絶対に嫌だとその提案をエーディンはどうしても聞き入れなかった。
「だいじょうぶよ。ブリギットお姉様も、ティルテュもフュリーも黙っているけれどわたくしと同じ。戦わなくてはいけない三人の方がよほど大変だと思うわ。レックスやアゼルやレヴィン様がもちろん皆を守るようについてはいるけれど。フュリーなどは初めての懐妊。どんなに不安だか……わかりはしないわ。なのに、そんなことはおくびにも出さず戦っている。だから、わたくしは……わたくしだけが残るなんてことできないって思ったの」
「……………」
確かに……ジャムカはアゼルやレックスの様子がおかしいことに気づいてはいた。自分同様、何か言いたげな顔でシグルドを見ていたことも知っていた。
その理由が今はっきりとわかってジャムカは深いため息をついたが、彼らも同じ気持ちでいることがわかって、これも仕方のないことなのだとあきらめるしかなかった。
ブリギットやティルテュやフュリーは貴重な戦力。三人が抜けたらどれほど戦いが困難になるかなど、言わずとも知れていたし……それはエーディンも同じ。ラケシスだけでは回復魔法にも限りがある。それに……ラケシスは兄エルトシャンから譲り受けた大地の剣を手にしてからは、立派な戦士だった。後方で味方を救助するよりも先陣を切って戦う。再会の約束をし、フィンと別れたラケシスは孤高に……見ようによってはとても刹那的に戦うようになってもいた。だから……。
ジャムカにはエーディンの気持ちもよくわかった。さらに……今の話でまったく動揺を見せないレヴィンの強さにも心を打たれていた。
シレジアの王子。最強の風魔法・フォルセティを継承した次期シレジア王。
彼がシレジアに残ると言っても誰も不満を言いはしなかっただろう。その方が当然で……シグルドの軍に残った方がどうかしていると皆が思ったほどだったのだから。
だが、レヴィンは『シレジアは母ひとりでも立て直せる』と、『母の命を救ってくれたシグルドには恩がある』と、シレジアに残ることを拒否した。
フュリーの夫になったレヴィンが妻の懐妊を知らないわけがない。子が男の子なら……その子は将来シレジアの王となる身分。それがわかっていながら、フュリー共々、シグルドと行動を共にすると決めたレヴィンの底知れない強さに、ジャムカは頭が下がる思いだった。
「明日からまた戦いの日々が始まる。俺の傍を離れるなよ、エーディン」
「ええ、わかっているわ、ジャムカ」
同じ月を見ながら……レックスとブリギットも、アゼルとティルテュも、同じような会話をしているかもと、ジャムカはふと思った。レヴィンだけは……明日のことを考え、無理にでも眠れとフュリーを寝かしつけているだろうとも思えたが。
そう感じたジャムカはエーディンを抱いたまま滑り降りるように窓から離れると、今度はベッドの脇に腰をおろした。
「眠ろう。起こして悪かったな。お前の言う通りだ。休まなければ」
「ええ、ジャムカ。今度はわたくしがあなたを抱いていてあげる。そうすれば……きっと眠れるわ」
「ふふ、そうだな」
エーディンの腕に包まれたジャムカは静かに瞳を閉じた。
何があろうと……エーディンだけは守り抜こうと、さらに強くおのれに誓いながら。
2
次の朝、フィノーラまでの進軍に成功したシグルド達に……哀しい知らせが届いた。
レンスターの小部隊が砂漠でトラキアの部隊に襲われ、全滅したというのだ。その中には女の騎士も混ざっていたという。
「キュアン………エスリン………」
一瞬で顔色を変えたシグルドの前で、ラケシスは泣き崩れた。
フィンも討ち死にしたかもしれない。
いや、そうでなくても……その知らせを聞いたフィンがどれほど嘆き悲しみ絶望し、自分を責めるか……。
常にキュアンと行動を共にしていたフィン。
共に戦い死んでいったと考える方が自然だった。だが、ラケシスの脳裏には……その時、遠く離れたレンスターで同じように訃報を聞くフィンの姿が浮かびあがっていた。
主君の悲報にうち震え、それでも歯を食いしばり、立ち上がり、幼い王子を守りながら戦うフィンの姿が。
フィンは生きている。そして戦っている。どんな強大な敵が相手でも、ただあきらめ降伏したりはしない。主君への忠誠は……主君が亡くなっても変わりはしない。いや、さらに強まったはずだ。
それなら、わたくしも……必ず生きてここを通り抜け、レンスターを守るフィンの手助けをしなくては。
ラケシスはそう感じ、瞳をきつくした。
そして、こぼれた涙を無造作に手の平で拭い去り、はっきりとした口調で言った。
「シグルド様。取り乱して申し訳ありませんでした。エスリンの無念。そしてキュアン様の無念。そしてフィンの無念。口にしたところでどうにもなりません。トラキアへの報復も、シグルド様の汚名を晴らせば叶います。泣いている暇はありません。今すぐに、王都バーハラへ……参りましょう」
「ラケシス……」
大きく頷いたシグルドは動揺を隠せない部隊の面々に厳しい瞳で声をかけた。
「もう引き返せない。とうにそれはわかっていたが、皆、覚悟を決めてくれ。レプトールはトールハンマーを持っている。そして、最強の兵士を配してこの先で我々を待ち受けているだろう。ヴェルトマーへの道は苦戦を強いられることに間違いない。そして……レプトールを討ち果たし、無事ヴェルトマーにたどり着けたとしても……そこでもまた苦しい戦いが待っている」
「シグルド様」
全員の心は一つだった。
実の父とあいたがえなければならないティルテュでさえ、引かないと言い張った。
砂漠を越えてヴェルトマーへ………。
シグルド達の最後の進軍ははじまった。
悲劇へと向かう最後の進軍が。
3
トールハンマーを操るレプトールは思った通り、強敵だった。
彼を守るように配備された兵も、今までの敵とはけた違いに強かった。
だが、シグルド軍がヴェルトマー城に近づくと……思いがけない援軍が現われたのだ。
ヴェルトマー城を守るように配置されたヴェルトマーの兵が……なぜか突然フリージ兵を攻撃しはじめた。思いがけない援軍に戸惑いながらも、シグルドはレプトールめがけて突き進み、父の仇とレプトールを討ち果たした。
そして、不審に思いながらもヴェルトマーを守るアイーダのもとへたどり着いたシグルドは、アイーダの囁く『アルヴィス卿の言葉』を信じバーハラへと向かった。
バイロン卿の無実も、シグルドが反逆者ではないことも、アルヴィスは知っていたというのだ。すべては、ランゴバルドとレプトールの仕組んだ狂言だったと。
謀反人ではなく、謀反人を討ち果たした英雄としてバーハラへ迎えようというアルヴィスの言葉をシグルドはあっさりと信じてしまった。
戦い続きの毎日に疲れ果てていたせいもあったのかもしれない。反逆者という汚名に耐え、戦い続けてきたシグルドには、その言葉は胸を打つものでもあった。それに……なぜだか……シグルドはバーハラにひどく惹かれていた。
まるで何かに呼び寄せられるかのように……シグルドは自軍を率いて無防備にバーハラを訪れた。
そこで待ち受けていたのは……アルヴィスの非道な裏切り。
いや、裏切りではない。初めからアルヴィスはシグルドを丸腰にして始末するつもりだったのだ。
戦略もあっただろう。
自分が皇帝として君臨するには、シグルドは邪魔なだけの存在。
だが、それ以外にもアルヴィスにはシグルドを始末したい理由があった。
初めて恋をした美しい娘・ディアドラ。クルト王子の血を引く娘だと……この娘を妻にすれば王位が簡単に手に入ると……マンフロイは言ったが、マンフロイの思惑などその時、アルヴィスはどうでもよかった。
どうしようもなく惹かれる。
美しく聡明で……誰よりも優しく従順な女。
ディアドラは常に孤独を感じ育ったアルヴィスが、求めていた安らぎそのものを持っていた。
誰にも渡しはしない。
誰にも……。
だが、ディアドラはシグルドの妻。後になってマンフロイにそれを聞かされたアルヴィスは青ざめ震えた。
ディアドラは過去の記憶を無くしていた。そして自分の妻になった。
だが、時折遠い目をして空を見ている。
青い髪の青年を見ると……時折ディアドラがはっとすることもアルヴィスは知っていた。
もしも、ディアドラの記憶が戻ったら……その時、この世にシグルドが存在していたら……ディアドラは……自分を捨て、シグルドのもとへ戻ってしまうかもしれない。
アルヴィスはそう考え怯えてもいた。
昔はともかく、今、ディアドラは自分だけを愛している。そう思いたかったけれど、どうしてもシグルドの影が頭から離れない。ディアドラが本当に愛しているのはシグルド。記憶をなくし困り果てていたディアドラを救ったのが自分だったから、ディアドラは自分の求婚を受け入れてくれたが……それは恋とは別もの。アルヴィスはどこかでそう感じずにいられなかったのだ。
そして、それはアルヴィスの高いプライドをズタズタに切り裂いた。
野心と愛憎。
どちらを取ってもシグルドは目障りな存在でしかない。
だから、アルヴィスはもっとも残酷な方法で、シグルドをこの世から抹殺しようと考え、それを実行した。
王に謁見するのに武器はいらない。
武装して王の前に馳せ参じるのは無礼というもの。
そう仕向けることが、アルヴィスの最後の罠だった。
何も知らないシグルドは、まんまとその罠にはまり、すべての武装を解除して王宮の前に立った。
そのシグルドを、アルヴィスは謀反人として容赦なく攻撃した。
図られたと知ったシグルドはせめて、仲間だけでも逃がそうと考えたが……アルヴィスの妻として現われたディアドラとの哀しい再会は、彼の最後の力をも奪い去っていた。
目の前で抵抗もせずに倒された自軍のリーダーを見て、皆は茫然とした。
至近距離からのアルヴィスのファラフレイムは一瞬でシグルドの息の根を止めていた。
そしてその様子を見、慌てふためくシグルドの軍にニヤリと笑いかけると、アルヴィスは取り囲んでいる兵に処刑という名を借りた、総攻撃を命じた。
「逃げるんだ!エーディン!」
怪我をしたジャムカに取りすがったエーディンをジャムカは叱りつけた。
容赦なく降り注ぐメティオの嵐。素早いジャムカはそれらをすべて難なくかわしていたが、負傷したレックスを癒そうとかがんだエーディンを直撃したメティオを身代わりに受け、苦しそうな表情を浮かべていた。
「ジャムカ!」
「いいから逃げろ。アルヴィスのファラフレイムをくらったら終わりだ」
「ジャムカ!」
「わからないのか?!もうこれまでだ。シグルドは倒れ、俺達も謀反人として処刑される。これは戦いではなく処刑。女、子供とて容赦はない。降伏しても……助からない。逃げるしか……道はないんだ」
武器も持たない瀕死のジャムカを置いて逃げる?
そんなことができるわけがない。
けれど、リザーブにもリライブにも限りはある。ここでそれを使い果たしても無駄なことぐらいエーディンにもわかっていた。けれど……。
たった今、回復させたばかりのレックスは……目の前でメティオの集中攻撃を浴び、また倒れてしまった。男達は女を守るため、あえてその身でメティオを受ける体勢になってしまうのだから、それは無理もないこと。
「レックス!」
叫びながらブリギットもエーディンと同じように膝を着いたが、レックスもやはり「逃げろ!」とブリギットを叱りつけている。
そして………。
倒れたジャムカに取りすがるエーディンを再びメティオが直撃しようとした時、今度はデューがそれをかばってその場に倒れた。
「デュー!!!」
「エーディン……」
「しゃべらないで、デュー……」
身体の小さいデューには体力がない。まともにメティオを食らったデューの命の火はもう消えかけていた。
見る見るうちに青ざめ、息の荒くなったデューは、それでもエーディンの制止を無視して語りかけようとする。
「逃げて……エーディン……。オイラ……知ってるよ……。エーディンのお腹には……赤ん坊がいる……って。女の子だったら……オイラ……お嫁さんにもらいたいなんて……夢見てた…んだ。大好…きな…エーディンと…ジャムカ…の子供。えへへ……おかしいよ…ね、こんな…の。でも……そう思って…た。だから……逃げて……その子の…ために……」
「デュー……」
「それ…に……レスター…だっ…て…孤児じゃ…かわい…そうだ…よ。あんな…思いで……育つ…のは…オイラ…だけ…で…じゅうぶ…ん…」
涙でエーディンにはデューの顔が見えなくなった。
レックスの説得で、先に立ち上がったブリギットがエーディンの腕を掴む。
「行くぞ、エーディン。皆の気持ちを無にしてはならない!ここは逃げるしかないんだ!」
「でも、お姉様……」
その時、フュリーがレヴィンを乗せて飛び立った。
二人の思いも同じ。
無念だが、ここは引くしかないと。いつかきっと……と。
「できる限り、逃げろ」と、瀕死のレヴィンも上空から皆に瞳でそう言っていた。
そして……。
「だいじょうぶだ、デューがいる」
最後の力を振り絞って、ジャムカはデューを抱き寄せ、エーディンに別れを告げた。
「ジャム…カ……」
「バカが……ここまで付き合わなくてもよかったものを」
「へへへ……あったかい……さっき…まで…ものすごく寒かったの…に…あったかい…よ。ジャム…カ。ジャ…ムカ……オ…イ…ラ…ジャムカ…が…大好き…だった…よ…」
それがデューの最後の言葉だった。
デューの最後を感じ取ったジャムカは、半狂乱になって泣くエーディンを強い瞳で見つめて……もう一度冷静に言った。
「行け、エーディン。ブリギット、エーディンを頼んだぞ」
「ああ」
嫌がるエーディンを引きずるように、ブリギットが逃走をはじめた時、さらなるメティオがジャムカとデューの上に降り注いだ。
「ジャムカ……!デュー……!」
エーディンの叫びは爆音に消された。
どこをどう走ったのか……エーディンは覚えてもいない。
ブリギットに手を引かれ、やみくもに走り、追っ手をかわすために川へ飛び込んだことだけはうっすらと覚えてもいたが……。
まるですべてが夢のようで………。
4
それから十年の時が過ぎた頃………。
エーディンは身分も血筋も隠し、ひっそりとイザークの片田舎で暮らしていた。
ブリギットとは……あの川の流れの中で離れ離れになってしまった。
どうかご無事でと……エーディンは毎日祈り続け、あの時、泣き崩れるだけだった自分を励まし、逃がしてくれた姉に今、心から感謝していた。
デューが予言したように……愛くるしい娘が、片時も離れず自分に寄り添うように今、生きている。
それは…ジャムカとデュー。そして、『今は逃げのびることが自分達の使命』だと冷静に判断した姉のおかげだった。
その娘が……デューが顔を見る前から妻にと望んだ娘が……不安気な笑みを浮かべて、つぶやくようにエーディンに言った。
「お母様は再婚なさらないの?教会に礼拝に見える殿方は皆、お母様が目当てだって……牧師様が笑ってらしたけど」
「うふふ、それはお世辞というものよ?ラナ」
言いながら、エーディンはラナの不安を感じ取っていた。
もしも、母が再婚したら。
この年頃の娘にはそれは苦悩でしかない。母のために「いい」と言っても、それは無理をしてというもの。
だが、まだ若く、美しいシスターに求婚者が多いのも無理のないことではあった。
確かに何度かエーディンはそんな話を持ちかけられたことがある。
だが、エーディンにはまったくそんな気はなかった。
エーディンは……あの時、シレジアの教会で言えなかった誓いをずっと忘れてはいなかったから。
そして、それでもまだ不安気なラナを優しく促すと、エーディンはひさしぶりに森を散策しようと、教会を後にした。
イザークの森はヴェルダンともシレジアともどこか違う。
けれど……エーディンには同じに思える。
なぜなら……そこにはジャムカがいるから。
今はこの森がわたくしの安らぎの場。
そう心でつぶやくと、エーディンはその先の小さな砦に集まっているのだろう子供達に思いを馳せた。
レヴィンの指示があったのだろうか……あの時、シレジアで生まれた子供達の何人かは、いつの間にかイザークに集結していた。
近頃ではもう、セリスと共に、シャナンやオイフェから武芸を学び、技を磨こうと皆、鍛錬をはじめたと聞いている。
エーディンの息子、レスターも……父の資質とウルの血を継いだのか、幼いながらも弓の腕では大人顔負けだと評判らしい。アイラが生んだ双子、ラクチェとスカサハは両親のいい所をそっくり受け継いだ生まれながらの剣士だというし、ラケシスの息子、デルムッドは実直で思慮深い騎士だと聞いている。父達の無念を聞いて育った子供達はセリスを中心にまとまりはじめ、じき訪れるだろう戦いに備え確実に成長しているようだった。
戦は嫌いだ。
けれど戦わなければいけない時がある。
それをエーディンは知っていたから、黙って子供達の成長を見守っているのだが、自身はもう戦えないと……自覚してもいた。
あの最後の戦いで、最愛の人を助けられなかった自分はもう戦場には出られない。
だから、こうして……戦いとは離れた場所で、せめて人々の手助けができたらと働いているけれど……。
(それでいいわよね?ジャムカ。それで許してくださる?)
エーディンは森の深い緑に話しかけるようにつぶやいた。
ここに来ればいつでもジャムカに会える。
深い緑に包まれていると……ジャムカの胸に抱かれているような気さえする。
エーディンは……ついて来たラナに微笑みかけるとはにかみながら囁いた。
「わたくしは今でも、あなたのお父様を愛しているの。だから再婚など……考えたこともないわ。あなたのお父様はこの森のような人だった。強くて優しくて暖かくて……。どんな人もあの方の代わりになんてなれないの。この大地がある限り……わたくしは……あの方のものです」
「お母様……」
この母に愛された父に、会ってみたいとラナは思った。
だが、それは言ってはならない願い。
ならば私も感じたい。父を……この森で。
ラナは今……ここで父を感じているのだろう母を見つめながらそう思った。
顔も知らない父。大地の森のような人だと……母が言う人。
いつか自分にも感じられる日が来るだろうか?
ここにこうして立つだけで、その存在を身体いっぱいに。
うっとりと木々を見つめる母の美しい横顔を見ながら、いつか始まるのだろう新たな戦いを予感したラナは……兄達がこの村を飛び出して行く戦いに……母の代わりに必ずついていこうと……その時、決心していた。
End
後書き: 最後なので後書きを書かせていただきます。もっと長くなる予定だったような、もっと短いはずだったような……。どちらにせよ、投稿作品のこんな長い話を、最後まで読んでくださってありがとうございます。ひょんなことから書きはじめ、勢いで書いてしまったところもあります。でも、大好きなジャムカ×エーディンのお話が発表できて、とても幸せです。こころよく掲載してくださった我音さんに心から感謝いたします。
またいつか、ここでお会いできる日が……あるか、ないか(笑)
何しろ、自分の最愛のカップル書いてしまいましたから、燃え尽きちゃった感じ♪
それでは……本当にありがとうございました♪
Nanase
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