さいとしーいんぐ

 京から戻ってきて数カ月―。
 そんなことが夢だったかのようにあかね達は毎日を送っていた。
 夢ではない証は二つ…共に京に召還された天真の妹、蘭とあかねの最愛の人―源頼久の存在だった。龍神のアフターサービスは万全だったようで、二人はあっさりと現代の世界に受け入れられた。もちろん、あかね達の数カ月の不在も同様に誰からも詮索されることはなかった。
 とはいえ、あかね達の頭脳にその間の授業内容がインプットされたわけでもなく、追試と補習で夏休みの大半が潰れた。詩紋はもともと学業優秀だったため、受験生にもかかわらずダメージは少なかった。その代わりに、二年のブランクのある蘭と二回目の留年リーチの天真に付き合わされてそれなりに悲惨な夏休みとなった。
 他にも異常事態に陥っていると思われる人間は約一名いるが、ラブラブパワーが全ての障害を跳ね返しているため、問題はないらしい。

「おーい、あかね。今帰りか?」
 二学期に入ってまもなくの放課後、靴を履き替えていたあかねは声をかけられた。天真である。京で剣を習い始めてからすっかりはまってしまった天真はそれまでの帰宅部を返上し、剣道部で頭角を現しつつあった。
「あっ、天真君、練習終わったの?あれ、蘭は?」
「あいつは剣道部の女子達とケーキ食いに行った」
 天真は少しむっとした顔で返答した。いわゆるシスコンである彼は、同じクラスになった妹と常に一緒にいたがる。剣道部に入部したのも先に入った妹に変な虫を付けないためと言い張っているが、本当は剣道をしたい兄の気持ちを蘭が汲んだのである。しかし、最近は蘭の方で兄離れが始まっていて、茶道部や華道部など天真が寄り付けないような部活を掛け持ちしている。
「何拗ねてるのよ。…蘭が馴染んできたって証拠じゃない。喜びなさいよ」
「わーってるよ。それよりお前こそ…こんな時間まで残ってるって珍しいじゃん」
 むっとした表情は崩さないが、目だけは笑っている。天真も少しずつ成長しているようだ。
「ははーん。呼び出し食らったか」
「違うよー」
 天真は逆襲しようと普段はHR終了と共に学校を飛び出すあかねを突っ込み始めた。が、ニコニコしているあかねに追求を止めた。とばっちりを受けることを経験的に知っているからだ。
「今日はね…」
「…頼久、迎えに来るんか?」
「へへへ…そうなんだ♪」
「…なんだ。送ってやろうと思ったけど、じゃあ…いいな。俺はもう帰るからな」
 そう言うなり踵を返して歩き出す天真の腕をあかねが引っ張った。八葉を虜にした実績を持つ上目遣いで天真を見つめた。
「えーっ。天真君も一緒に帰ろうよ」
「バーカ。どうせお邪魔虫扱いするくせに」
「今日はしないからさあ。ついでにドーナッツでもおごるよ。…頼久さんが」
「お前なあ…。でもどうしたんだよ?」
「実はね…」
 半ば呆れつつもあかねには逆らえない天真は朝のTVの占いで最悪の運勢だったことを思い出した。あかねは天真を落としたことを確信し、にやりと笑みを浮かべた。

 …しゃらん…しゃらん……。

「…!…」
「どうした、あかね!?」
「すず…鈴の音…」
「鈴って…まさか…おいっ、待てよ!」
 突然顔色を変えて駆け出したあかねを天真はあわてて追いかけた。帰宅部で運動不足なあかねに追い付くのは容易いし、行き先は天真にも簡単に予想がついた。先に行って調べるかあかねの身を守るべきなのかとっさの判断がつかなかったため、二人は並んで走ることになった。
 学校の裏の古井戸―。
 全てはそこから始まり、終わった…はずだった。あかね達も帰ってきてからは寄り付くこともなかった。万が一また異世界に飛ばされないとも限らない。しかし今はそうも言っていられない。あの鈴の音にあかねは逆らうことができないのだから。
「はあ…はあ」
 息を切らして動けなくなったあかねを置いて、天真は古井戸に近寄った。
「…別になんともなさそうだぞ」
「天真君、あんまり近付かないでよ」
いつの間にか天真の背後に来ていたあかねが恐る恐る覗き込んだ。
「ほんとだ…空耳だったのかなあ。でも、呼ばれたような気がしたんだけど…」
「なあ…何にもないってことでそろそろ帰ろうぜ。頼久ももう来てんじゃねえのか?」
「…そうだよねえ。一応見に来たんだし…もういいよね」
 面倒はごめんとばかりに立ち去ろうとするあかねと天真。

 …しゃらん…しゃらん……。

「どうしよう…天真君。また聞こえてきたよお」
「幻聴、幻聴。とっとと行くぞ」
『つれないねえ…』
「げっ…」
 二人は同時に声を上げ、顔を見合わせた後軽く溜め息を吐いて振り返った。古井戸から淡い光が発せられ、それが蓋を押し開ける。その瞬間まばゆい光が放たれた。やがて光は鋭さを失い、消えていった。そして後に残された人影を見て、二人は引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
「ははは…」
「久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「神子、久しぶりだな」
「友雅さん…泰明さん…」
「お前ら何で来たんだよ!?」
「あまり歓迎されてないようだ…悲しいねえ。あちらでは君達のことを折に触れて思い出しては寂しがっているというのに…。ねえ、泰明殿」
「寂しい…あれがそうなのか…」
 インプット作業をしている泰明はさておき、恨めしそうに自分を見る友雅にしばし怯んだ天真であったが、すぐにからかわれていることに気付いた。
「そんなことないけどよ…って、用件によるだろうが!」
「ふふふ…そんなに睨まなくたっていいだろう。向こうも一段楽したから物見遊山と洒落込もうと思ってね」
「物見遊山?」
「要するに観光ってことだよ。天真君」
 国語の成績は決して良くないが、頼久と話しているうちに通訳のスキルが身についたあかねが小声で説明した。天真は呆れた視線を友雅に向ける。
「あのなあ…観光なんかで来んなよ」
「アクラムは京の支配という下らない理由で神子殿を呼んだ。それよりは遥かにましな理由だと思うがねえ…」
 頭を抱えた天真に代わってあかねが質問した。
「ねえ、友雅さん。そんなに簡単に行き来できるものなんですか?」
「泰明殿に相談したらえらく乗り気でね。…よほど神子殿に会いたいと見える」
「神子の住む世界に興味があっただけだ」
 友雅の揶揄を含んだ視線は泰明には通じなかった。友雅は肩を竦めて続けた。
「はいはい…。それで、清明殿や藤姫の力を借りて来てしまったという訳さ」
「そうなんですか…。でも、ちゃんと帰れるのかな?」
「さてね…。別に帰れなければそれでもいいし…」
「友雅さん!」
「一応冗談ということにしておこうか」
「で、これからどうするんだよ」
 やっと気を取り直した天真の問いに友雅は優雅な笑みを浮かべて答えた。
「まさか右も左もわからない私達を見捨てるはずがないよねえ」
「………」
予想通りの答えに天真は天を見上げて大きな溜め息を吐いた。あかねはすでにこの状況を受け入れたのか、携帯電話を取り出した。
「もしもし…私。学校の裏まで回ってくれるかな?…そう…今、古井戸のところにいるの。道狭いけど大丈夫?ゆっくりでいいからね!気を付けて来てね。じゃあね♪」
「お前なあ…ちょっと過保護じゃないのか?」
「そんなことないよー。…来てみればわかるって。でも…ラッキーなのかアンラッキーなのか微妙なところかな」
「???」
 言葉の意味がわからない二人と意味は知ってても理解できない天真は互いに顔を見合わせた。そんな三人に構わずあかねはすたすた歩き出した。
「みんなー。早く行こうよ。裏門乗り越えるんだからね!まだ学校に残ってる人多いから見つからないようにしなくちゃ」
「へいへい。行くぞ」
 天真の後に続きながら友雅は本当に楽しげな笑みを浮かべて泰明に話しかけた。
「何が待っているのか楽しみだねえ…泰明殿」
「…そうだな…しかし役目は果たせよ」
「目的は果たせたし、別にどうでもいいんだが。…まあしばらくは楽しませてもらっても罰は当たらないと思うよ」

 さすがと言おうか、動き辛そうな衣装にもかかわらず、さっそうと友雅と泰明は塀を乗り越えた。天真も然りである。しかし当然のごとくあかねはもたもたしている。腕力がなく上がることができない。
「ったくしょうがないなあ…。友雅は上で引っぱり上げてくれよ」
天真は再び塀をよじ登った。天真の言葉に従って友雅もにこやかに塀に登る。
「神子殿に触れるのも久しぶりだね」
「おいおい…」
「何でもいいから早く〜」
「…頼久には言うなよ」
 天真はあかねを抱きかかえ、あかねは友雅の差し出す手を取った。友雅は足場が悪いにもかかわらず軽々とあかねを引き上げた。
「ありがとう。天真君、友雅さん。」
「いいんだよ。…少し大人になったかな?神子殿は」
「えーっ。そんなことないですよー。な…何言ってるんですかっ」
あかねは真っ赤になり友雅の腕から逃れようとする。友雅はどさくさにまぎれて抱き締めた。
「だめだよ。まだここから下りないといけないからね」
「だーっ。友雅!てめえ何してるんだ!?」
「何って神子殿を下ろして差し上げようと…ね」
 そう言うなりあかねをお姫さまだっこして軽やかに地面に舞い降りた。
「これなら簡単だろう?」
「あ…ありがとうございました。も…もういいですから」
「神子殿はつれないねえ」
友雅は楽しそうにまだ真っ赤になっているあかねをそっと下ろした。あかねはすぐさま三歩の距離を取った。そしてしらじらしく周囲を見渡した。
「よ…頼久さんまだかなあ?」
「もう来てる頃だろう。何してるんだあいつ」
 存在感が薄くなった天真も渋い表情を浮かべている。
「…近いぞ。もうすぐ来る」
泰明が指を差した方向に、二つの光が現れた。それは狭い道をゆっくりとこちらに向かってくる。
「ほんとだ。頼久さーん♪」
光に向かって手を振るあかねを見た天真の顔色が真っ青になった。
「あ…あいつ…免許取ったのか?」
「そうなの。で、練習しようと思ってたんだけど…ちょうどよかったね」
「ふ…二人増えたんだから俺はもういいよな。狭いし…俺は普通に帰る」
と逃げようとしたが、時すでに遅しだった。あかねの腕は天真の腕をしっかりと捕らえていた。その上、よくわからない二人も神子の様子にしっかりと反応して天真を囲んでいる。
「だめだよ〜。いざって時に働いてもらうんだから」
「…私達を見捨てる気かい?」
「しばらく動けなくした方がいいか」
「…いえ…ご一緒させていただきます」

 白い乗用車…それは車とは思えないスピードで近付いてくる。あまりの遅さに天真は苛ついているようだったが、牛車の速度に慣れている友雅と泰明には信じられない速さである。
「へえ〜。馬みたいに速いんだね」
「だが、あの中には頼久しかいないぞ。どうして動くんだ?神子」
「…へ?天真君知ってる?」
「…ガソリンだろ」
「天真君、バイク乗ってるくせに〜。ちゃんと説明してあげなよ」
「がそりん?ばいく?それは何だ?式神の一種か」
「………」
好奇心旺盛な泰明にあかねと天真は先が思いやられた。
『詩紋(君)に任せよう』
それは一瞬のうちに暗黙の了解となった。
「あれ、止まったみたいだけど?」
 興味深く車を見ていた友雅が異変に気付いた。ヘッドライトに照らされて眩しそうに端正な顔を歪めている。すると車のドアが勢いよく開いて頼久が飛び出して来た。しばらく立ちすくんだ後、何度も目を擦った。
「と…友雅殿…泰明殿…」

続いてしまいます(^^;)

まだ終わってないので言い訳(おい)
カウンター10000ニアピンのQou様からリクエストしていただいた「頼久絡みの明るい話」(何か違うぞ)の前編です。
頼久さんの台詞は一言しかないし(^^;)友雅さんと泰明さんを現代に呼んだら話の進まないこと(おい)。
本当は頼久さんの誕生日に間に合わせたかったんですが…。頼久さんは主役を取り返すことができるか?こうご期待(爆)。

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