解任狂騒曲

Likely 

その日の朝、主君にあらたまって面会を求めたフィンは開口一番、願い出た。
「ラケシス王女の護衛の任を解いてください」

夫妻は顔を見合わせ、同時に少年の顔を見た。
「何故だ。ラケシスと喧嘩でもしたのか」
「………」
思い詰めた目をしてキュアンを見るフィン。
彼の主君はそこに軽い違和感を覚えた。
「………まあ、ここに座れ」
一礼して腰掛ける。
エスリンがさりげない手つきで少年に茶を淹れる。
「恐れ入ります」
「いいのよ。フィンはわたしたちの可愛い弟みたいなものなんだから…だから、何でも言ってちょうだい」
「……」
「今まで、ずっとこんな事は聞かなかった。お前は何でも言ったこと、言われたことはやり通す奴だったもんな。…何か、事情があるんだろう」
「………」
「フィン」
優しい声で夫妻が促す。
「………苦しいんです」
愛弟子の言葉にキュアンが目を動かした。
エスリンがゆったりと問う。
「ラケシス姫が辛く当たるの?」
「あの方を見るだけで…」
少年が目を伏せた。
「…わかった」
キュアンは愛弟子を見やって言った。
「解任のことは考えておく」
「…ありがとうございます」
フィンが一瞬、覗かせた表情を夫妻は見逃さなかった。

フィンの退室後、夫妻の緊急対策会議はそれとなく始まった。
「あれは、恋だな」
「どうしていいか、わからないのね…可哀想なフィン」
「なんとかしてやりたいのは山々だが」
「なんとかしてやりましょうよ」
「本人がああではなぁ…」
「敵前逃亡ね…苦しみから逃げようとしても根本的な解決にはならない」
「脈はないのか」
「…そんなことはないと思うわ。なんのかの言っても姫は側にいるしね」
ちなみに占い爺には個人情報の守秘義務があり、プライバシー保護の観点から本人の同意がない限り、恋愛に関する一切のデータ開示を認めていない。
「フィンの護衛が嫌なら私に直截言うだろうしな」
「変だ、って普通気付くものね。他国の従騎士がいきなりガードに入るなんて。護衛は十分なはずなのに」
「うむ、見込みは十分ある」
「当たって砕ける覚悟さえあれば」
夫妻は顔を見合わせて同時に頷いた。
「フィンの(周囲からの策略ずくの)恋を応援してあげましょう」
会議は閉会した。

半刻後、ラケシス王女が彼を呼び、淑やかに訊ねた。
「フィン、わたしの護衛役の解任をお願いしたんですって?」
「…はい」
どうして筒抜けなのだろう、と訝りつつ、返答する。
「やはり退屈?私は守護するに値しない人間と見なされているのですか」
「いえ」
「では、何故です」
「………」
ラケシス王女の硬い表情が嵐をはらんで険しくなった。
「私には諌言の価値も無いと判断されているのですか、フィン殿」
「そうではありません」
「では何故ご返答くださらないのですか」
「…申し訳ありません」
「何を謝るのですか」
「私の口からはラケシス様に何も申し上げることはできません」
言ってしまえば………どうなるか判らない。
自分も己の道から外れてしまうし、この方も私の気持ちを厭わしくお思いになるだけであろうから。
「……」
ラケシスは唇を強く噛んでフィンを見つめた。
「……行っておしまいなさい」
「失礼いたします」
彼の去ったドアを食い入るように見つめたラケシスの表情をフィンは知るべくもなかった。

その数刻後。
剣の打ち合う金属音が練兵場でこだまする。
打ち合っているのは、熟練者の自由騎士とうら若い王女という奇妙な取り合わせだった。
しかしそれを奇異に思われぬ空気がすでにある。
その姿は一対の剣の師匠と模範的な生徒だった。
当然の事ながら剣の腕では遙かに自由騎士に分がある。
しかし、この生来勝ち気な王女は口だけのなまなかなお姫様では決してなかった。
着々と実力を開花させつつある。
彼女の目標はただひとつ、騎士の中で数多ある階級の上に燦然と輝く最高位「マスターナイト」の称号を手にすること。
最初にこの華奢な姫の口からこの決意を聞かされたときはさすがに剛胆なこの男もあんぐりと口を開け、その無鉄砲さに何も言えないまま、その次に彼女の兄の顔を思い浮かべ、目の前の少女の気性と比較しながら数分間自分の口を閉じることを忘れたものだ。
「…あのな、自分の言ったことがわかっているのか、お姫さま」
お姫さまは昂然と小さな体を反らした。
「もちろんですわ。わたくしはマスターナイトになります。そしてお兄様を悪しき王の手からお救いするのですわ」
「…姫さんの護衛なんかいらなくなっちまうだろうが」
さっと蒼穹下の日輪のような少女の顔が曇った。
「でも、誰かに守られているばかりなのはもう嫌なのです。私は強くなりたい。できうる限り強く…お願いします!私に剣を教えてください」
…トラキアの峻厳な山並みの如き気位の高さで知られるノディオン王女に頭を下げられて請われては、この男もどうにも断りようがない…
しかし、彼女の夢が現実になるのもそう遠い日のことではないようであった。
ただ、今日はいつにも増して、感情の起伏が激しいように、彼女の剣術指南役には感じられた。

「姫さん、だいぶおかんむりだな」
「うるさいわねっっっ!」
おお、恐、と自由騎士は肩をすくめて見せた。
「坊【ぼん】と喧嘩でもしたのか」
「ぼんって誰よ」
王女の手許から強烈な突きが繰り出される。
それを紙一重でかわしつつ、厚顔かつ不敵な傭兵は飄々と言う。
「姫さんが素直に謝った方がいいと思うぜ」
「何でわたしが謝らなきゃいけないのよ!」
「大概原因は姫さんなんだろ」
「わたしが何したって言うのよ」
かろうじて規則正しかった彼女の剣すじが遂に乱れた。
「姫さん」
「本当にわたしが何をしたのよッ……フィンのバカ!!!」
「俺にあたるなよ」
泣きながら剣を振り回すラケシスにさすがの百戦錬磨の剣達者も閉口した。
「今日はこの辺にしとけ…こういうときは部屋に戻って好きなものを腹一杯喰って寝ろ。な?」
珍しく素直にラケシスは頷いた。
その様子を見て、あ、こりゃかなり重症だわ、と自由騎士は心の中で慨嘆した。

その日の午後。
オイフェ少年がフィンに声をかけた。
「フィン殿」
「何です」
槍術の稽古かと気楽に応答する。
少年の剣の相手を務められるほど、剣術には長けていないが、槍術なら指南は出来た。
レンスター生まれであることもさりながら、フィン本人の天性の冴えがあってのことであろう。

しかし、ライトブラウンの髪を波打たせて、弱年ながら聡明さで知られるシアルフィの少年は常になく口ごもった。
「ラケシス王女が貴方の名前を泣き喚きながら罵るお声が王女のお部屋の方から聞こえたのですが……」
蒼髪の従騎士は硬直した。
オイフェの目にある種の疑念がありありと浮かんでいるのがフィンにもはっきりと判る。
「フィン殿…あの…」
「私は何も王女に対して不名誉な行いは絶対に何もしておりません!!偉大なるヘイム神に誓って、守護神ノヴァにも、十二神総ての神々にも誓えますっ!!」
「そうだ。こいつは全くの甲斐性なしだから、そんなことができる意気地なんてありゃあしないさ、なあフィン坊ちゃん」
どこからか口達者な傭兵がさのごとく口を出した。
「………」
さすがに閉口してベオウルフを睨むフィン。
「俺を睨んでいる暇があったら、さっさと姫さんのところへ行って来い」
「早く姫さんの口を押さえないと噂はあっという間に広がっちまうぞ」
慌ててマントを翻しフィンは飛び出した。

「………まあ、もう遅い、っていう話もあるな」
「そうですね、僕が知っているくらいですから」
残った二人は呟いた。

「あ」
「何でい」
「見に行かないんですか」
「俺は先の見えた芝居はすぐに席を蹴って出ていく主義だ」
「はあ」
「坊」
「…僕にはちゃんとオイフェという祖父から付けていただいた名がありますけど」
「しばらく商売あがったりだから、お前さんにも付き合ってやるよ」
「……剣術の稽古でしたら、お願いします」
オイフェは鄭重に頭を下げた。

部屋の中をひときわ豪奢な金色の人形をした暴風雨が吹き荒れる。
「フィンの馬鹿フィンの馬鹿フィンの馬鹿…!!!」
半泣きで喚いているラケシスは怖ろしかった。
気炎に満ちた形相で、常の彫像の如き硬質の美貌が台無しである。
「フィンのバカっ!!!」
「失礼します、ラケシス様」
その口は一瞬にして閉じた。
今更取り澄ましてフィンを迎える。
「あら、何のご用件かしら。フィン殿」
「…先ほどから、私にお怒りのご様子。私に落度があれば何なりとお申し付け下さい」
癇立った顔がプイと横を向いた。
その顔は泣き腫らした後で赤い。
「ラケシス様」
「………どうして、わたしの護衛を辞めたくなったの」
「………」
「わたしのこと、気に入らない?」
「いえ」
「嘘つかないで」
「嘘ではありません…」
「じゃあ、何故……前線で戦いたいから?」
「それもあります」
「他には?」
「………」
フィンの青ざめた顔を見て、ラケシスは何かを悟ったようだった。
「好きなひとがいるの…?」
「………」
さらにフィンの表情が暗くなる。
「そうなのね。そのひとの側に居たいのね」
ラケシスはすっと軽く息を吐いた。
「判ったわ。貴方の護衛の任を解きます」
赤い目のまま、できうるかぎり柔らかくラケシスは微笑んだ。
「そのひとに優しくしてあげて」

ぷつり。
フィンの自制の糸が切れた。
「ラケシス様」
フィンの手が伸びてラケシスの繊手を取った。
「貴女の側に居させて下さい」
少女のヘイゼルの瞳が見開かれる。
「………え」
驚愕に乱れた息をなんとか整える。
「だって、辞めたいって…」
「怖かったんです。貴女を好きになっていくことが」
少年は溜め込んだものを吐き出すように言った。
「でも、もう逃げるのは止めました」
呆然とするラケシスにまっすぐ向かって言う。
「貴女が好きです…自分でもとどめることができないほど、貴女に夢中です」
フィンは笑った。
「ようやくすっきりしました。ちゃんと言えて良かった。これで後悔しなくてすみそうです」
深々と一礼する。
「ご無礼申し上げました」
部屋を出ていこうとするフィンをラケシスが慌てて止める。
「待って!…わたしの返事を聞かないの」
訝しげにフィンは振り返る。
「私を馬鹿と罵っておられたではありませんか」
「…馬鹿」
「ほら」
「そう言う意味じゃないわ…全然わかってないんだから…だから馬鹿って言ったのよ」
意味が分からず目を白黒させるフィンに近づき、
「解任は撤回します」
莞爾と微笑んで彼の胸へ飛び込んだ。
慌てて受け止めるフィン。
「もう、離さないから…貴方がまた辞めたいと思っても絶対に許さない。覚悟しておきなさい」
「…ラケシス様…」
しっかりと抱きすくめてフィンも言った。
「その言葉、しかと胸に留め置きました。もう撤回はできませんよ」
「望むところだわ」
視線が絡み合い、自然と二人の顔が近づいて、重なりあった。

「フィン、ラケシスの護衛役の解任の件だが」
フィンの主君は言い止して、いったん口を閉ざした。
「…その必要はないみたいだな」
キュアンの眼前にはぴったりと寄り添って離れない二人の姿があった。
フィンの顔は以前の死にそうな暗さが嘘のように底抜けに明るい。
人間変われば変わるものだな、と思う。
「今回はエスリンの出番は無かったみたいだな」
「今回はね。雨降って地固まる、それだけ二人の想いが強かったってことなのよね」
くすり、とエスリンは笑う。
「それにしても独り者には目の毒だな…あの光景は」
「前線で戦っている奴らの身にもなってみろって」
「あら、フィンをラケシス姫の護衛につけたのはあなたではなくて、キュアン」
「そりゃ、まあ、そうだが…」
「妬かない妬かない。あなたにはわたしとアルテナがいるじゃない」
「それに自然と恋人の数も増えてくるわ…あの二人の幸せそうな姿を見ればね」
エスリンは夫に片目をつぶって見せた。
「まあ、何より、幸せなのはいいことだ」
キュアンは呟いて、恋人たちの邪魔にならないように妻の肩を抱いて城内へ戻った。

〈END〉

管理人より
Likely様より60000Hitのお祝いに素敵なフィンラケのお話をいただきました。フィンとラケシスが思いを通じる辺りのお話はとても好きなのでわくわくしながら読ませていただきました。エスリン以上に仲人体質なベオウルフも素敵です(笑)。本当にありがとうございました。そして、早くにいただいていたのに作業が遅れてしまい、申し訳ありませんm(_ _)m

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