Inside

 このところ、私は機嫌の悪さを自分でも持て余していた。
 原因はわかっている。彼だ。
 別に彼がひどいことをしている訳ではない。…でも無性に腹が立つ。
 そんな自分が嫌でますます苛ついてしまうのだ。

 私は午後の武術の訓練を終え、馬場に向かった。いつもの通り彼はいた。彼女と一緒に…。私は両手をぎゅっと握りしめると、平静を装って声をかけた。
「フィン」
「ラケシス様」
 彼は穏やかな微笑みで私を迎えてくれる。それがまず癪に触るのだ。私の気も知らないで…。だからなおさら意地になる。
「フュリーも一緒にお茶しましょうよ」
「お誘いありがとうございます。ですが、これからシレジアに定期連絡に参りますので」
内心ほっとした。定期連絡なら明後日まで帰って来ない。
「フュリー、気を付けて。それから…」
「任せて。ちゃんと手配しておくわ」
 彼女は笑顔で彼と言葉を交わすと、ペガサスに跨がり空に舞った。彼はしばらく笑顔でそれを見送った後、ようやく私の方に振り返った。
「ラケシス様。お待たせしてしまい申し訳ありません。お茶にしましょうね」
「………」
 さすがに怒りが抑えられなくなり、返事できなかった。どんな言葉が口から出てくるか…自分でも怖かったからだ。
「どうなさいました?」
「…今日はお茶止めておくわ。キュアン様やエスリン様にはお詫びしておいてくれる?」
「ご加減が悪いのですか!?」
心配そうに私を見つめる瞳に少し心が咎めたが、今日は引く気になれない。
「何ともないわ。お茶が終わって…もし手が空いてたら…私の部屋に来てほしいんだけど…」
昂る心を必死に抑えながらゆっくりと口にする。そして、言い終わると返事も聞かず駆け出した。
「ラケシス様!」
もう振り向かなかった…振り向けなかった…。視界の端で…何かが揺れたけど、どうでもよかった。

 自分の部屋に戻った私はベッドに飛び込み、枕に当たり散らした。
「フィンのバカ!」
しばらくして我に返ると放り投げた枕を抱き締めた。
「でも…大好きなの…」
涙がぽたぽた枕に落ちる。枕が濡れるのも構わず、私は枕に顔を埋めた。
(彼女だけ…呼び捨てにしてる…)
 何が嫌だったのかやっとわかった。シグルド様の軍には女性も多くいるが、彼女以外は全て敬称付きで呼んでいる。確かに身分の高い方がほとんどだが、踊り子のシルヴィアにまで(こういう風に思う自分も許せないのだけど)、「さん」付けで呼んでいた。彼はレンスターの騎士で彼女はシレジアの騎士。立場が近い上に同じ槍使い同士。訓練もほとんど一緒だ。親しくなってもおかしくない。だけど…私の立場は?
 考えたくないことが頭の中をぐるぐる回る。どうしようもなく辛くなって、窓から外を眺めると、夕方近くなっているようだ。…彼の用事はとっくに終わってるはず。まだ来れないのか、来たくないのか…。
「ちょっと様子見て来よう…」
 あんなことを言った手前、変なところで出くわしたくないのだけど、もうあれこれ考えるのに疲れ果てていた。単に忙しいだけなのかも知れないし。

* * * * *

「…いない」
 私は途方にくれていた。彼のいそうな場所を何ケ所か回ったのにいない。その都度何て言い訳しようかドキドキしていたので、緊張がやがて怒りに変わってしまった。
「どうして部屋にもいないのよ!」
「あら、ラケシス。どうしたの?」
 心臓が止まりそうだった。私はちょっと気まずいなあと思いながら、振り向いた。
「エスリン様…」
「今日はお茶に来なかったから心配してたのよ。でも元気そうで安心したわ。…ということはフィンと喧嘩でもしたの?」
エスリン様は悪戯っぽく笑いながら声をかけて下さった。心が少しだけ軽くなったような感じがした。
「…私が悪いんです」
理由は言えなかった。俯いて口籠ってる私にエスリン様は、
「いいのよ。何も言わなくても…。でも相談には乗るから、その時は遠慮しないでね」
とおっしゃった。私は本当に嬉しくて泣きそうになるのを必死で堪えた。
「…ありがとうございます…。あの…フィンは?」
「お茶が終わったらあなたの様子を見に行くって言ってたんだけど…来てないの?」
 私は頷いた。やっぱり来てくれるつもりだったんだと嬉しくなったのと同時に心配になった。それにお気付きになったのか、エスリン様も少し心配そうな表情を浮かべられた。
「おかしいわね…。まだ後片付けしてるのかしら?」
「行ってみます!ありがとうございました」
エスリン様への挨拶もそこそこに私は駆け出した。

* * * * *

 全速力で厨房まで走った私は、扉の前で息を整えてからノックしてみた。
「………」
応答はない。半分諦め気味に扉を開ける。
「あ…」
厨房のテーブルに突っ伏している彼。具合が悪いのかと慌てて駆け寄った。
「…よかった…」
 穏やかな寝息を立てている。私は起こさないように隣に腰かけ、彼の寝顔を見つめた。
(結構睫毛長いんだ…)
初めて見る彼の寝顔に興奮していたのかもしれない。私は頬にかかる髪の毛にそっと触れてみた。思ったよりも柔らかく、さらさらしている。
「う…」
彼の反応にパッと手を離し、起きた訳ではないとわかると私は彼に倣ってテーブルにもたれかかった。幸せそうな寝顔を見ていると私まで嬉しくなってくる。
(夢でも見ているのかしら…)
 夢…。その言葉で今朝見た夢を思い出してしまった。悪夢としかいいようのない夢を…。
「ラケシス様…」
 覗き込んでいた彼の瞳が本当に近くにあって心臓が止まりそうになる。
「あっ…あの…え?」
彼の少し冷たい手が頬に触れ、初めて自分が泣いていたことに気づいた。
「ラケシス様、大丈夫ですか?」
 彼は私の具合が悪いと思ったのだろう。心配そうな表情を浮かべている。
「ええ。大丈夫よ。心配しないで」
 私は慌てて笑顔を作った。それでも彼は真剣な瞳で、
「お部屋にお伺いするといっておきながら本当に申し訳ありません…」
と深々と頭を下げた。
 そうだ。来ると言って来なかったんだ。でも今さら怒るのもばつが悪いし、何より、フィンが居眠りしていたことの方が気になっていた。
「もういいわよ…。それよりフィンの方が具合悪いんじゃないの?」
と私は彼の額に手を当てた。…平熱だと思う。
「いえ…夕べあまり眠れなかったもので…。本当に申し訳ありません」
 彼は少し顔を赤らめながら、いつものお決まりの台詞を口にする。『申し訳ございません』からは進歩かもしれないけど、もうちょっと何とかならないものかしら。
「ラケシス様」
そう呼びかけてきた彼の手にはティーカップが二つ。私がぼんやり考えてるうちに彼はお茶を淹れていたのだ。
「外で…といきたいところですが、もう冷えてきたようですね」
 窓から見える空は赤く染まりつつあった。太陽が沈むとシレジアは日中の暖かさが嘘のように冷える。私は彼からティーカップを受け取った。
「ここでいいわ。ちょっと新鮮だし」
「そうですね」
 私達は顔を見合わせて笑った。
「あ…少しお待ち下さい」
彼はそう言うと戸棚からお菓子を出してきた。
「残り物ですが…」
 ちょうどお腹が空いていたので早速いただいた。何故かいつもよりも美味しく感じる。そして、この少しドキドキした感じはどこか懐かしい。そう…これは…。
「つまみ食いしてるみたいでちょっと楽しいわね」
 つい口に出してしまうと、彼は一瞬きょとんとして、
「つまみ食いなさったことあるのですか?」
と聞いてきた。咎めるような口振りだったが、目は笑っていた。
「ノーコメントよ。それよりフィンはどうなの?」
「ノーコメントです」
 後は二人して笑い転げた。

* * * * *

 次の日。
 昨日のことがあったし、機嫌はよかった…はずだった。午後の稽古はなくなったので、いつもより長く一緒にいられると思ったのに、彼の姿がどこにも見当たらない。キュアン様やエスリン様にも尋ねたのにお二人ともご存知なかった。仕方ないので手当たり次第に聞いて回ってもお昼以降彼を見た人はいなかった。
「もう!いったいどこにいるのよ!!」
 今日は素直にいようと思ってたから余計に腹が立って、側にある木を思わず殴りつけてしまった。
「…いけない、私ったら♪」
などと恥じらってみるが空しいだけだった。
「あら…?」
 空から白いものが落ちて来た。
「雪…」
 そっと手で受けると瞬く間に消えた。こんなに早く降るなんて…。故郷から遠く離れているのをこういう時に実感する。こんな時には側にいてほしい…。
「ラケシス様」
「え?」
 思いがけない方向からその声は聞こえた。見上げると私が殴った木のずっと上の方の枝に…彼はいた。
「フィン!」
「すぐに下りますから」
そう言うと彼はするすると木から滑り下りて来た。あんまりびっくりしたのとさっきのことを見られたんじゃないかと思って怒るどころではなかった。…後から考えるとちょっとずるい気がする。
「もう稽古は終わったんですか?」
「え…ええ」
「それでは早速お茶にしましょうね」
「そ…そうね」
 どうしてそんなところにいたのかを聞くことのできないまま(余計なこと突っ込まれたくないし)、いつもの生活パターンに戻った。

* * * * *

 さらに次の日。
 今日は槍を練習する日なので、朝からずっと彼と一緒にいられて嬉しい。…だけど、彼はどこか上の空。いつもなら私の攻撃を憎らしいほど難なく躱すのに、何度も槍を落としていた。
「………」
「…申し訳ありません」
そう言いながらばつが悪そうに槍を拾い上げる彼。顔色があまり良くない。
「フィン、どうしたの?いつものあなたじゃないわ。やっぱり風邪でも引いたんじゃ…」
「いいえ。何でもありません。ご心配おかけして申し訳ありません」
 妙にきっぱりした彼の言葉に何故か疎外感を感じてしまう。
「でも…」
気のせいだと自分に言い聞かせたくて、訓練を再開しようと間合いを取るために背を向けた彼に話しかけようとしたその時だった。
 後ろで何かが羽ばたく音が聞こえたと思った瞬間、彼は振り向き近くの窓へと駆け寄った。そして、窓の向こうに大きな白い翼が見えた。

 どうしてここにいるのかわからない…。
 私は昨日殴りつけた木の幹に寄りかかり、ただじっと空を見上げていた。何も考えていなかった訳ではなかったと思う。きっと考えていた内容を意識したくないのだろう。ひたすら空に意識を集中させていた。いつの間にかシレジアの空は秋の抜けるような青空から冬の灰色がかった青へと変化していた。
「ラ…ラケシス様…」
 視界の中に一際鮮やかな青が飛び込んで来た。やっぱりこの色が好きだなあとしみじみ実感してから数拍後、やっと状況を把握した。目の前に息を切らせた彼が…いる。
「こちらにいらしたのですか…」
「…何か用?」
 私は彼から目を離し、空を見据えながらつっけんどんに応えた。ここで怒り狂うのは嫉妬しているのを認めるようで悔しかったからだ。
「あの…これを…」
彼はそう言うと、私の目を見つめ、小箱を差し出した。
「こ…これが何よ…」
 再び目を背けようとした時、箱が開けられた。彼の髪からこぼれ落ちた雫(実際はそんなことはあり得ないのだけれど)がきらきらと光っていた。
「綺麗…」
思わず見とれてしまった私の手を取った彼は、指にその雫を落とす。
「え?」
 それは左手の薬指。これって…。
「ぴったりでよかった。合うかどうか心配だったのですが…」
「フィン…?」
「お気に召しませんでしたか?」
 安堵の表情を浮かべていた彼は私が呆然としているのを誤解し、瞳を曇らせた。私は慌てて首を振る。
「ううん。とっても素敵よ。デザインも上品でとても好き…」
「本当ですか?」
 子供のように目を輝かせる彼に圧倒されながら改めて指輪を見る。青い石の周りには銀の蔦が取り巻いていた。
「私が描いた絵以上に仕上げてもらえてよかったです」
「…ってフィンがデザインしたの!?」
「ええ。石は持っていたので、フュリーにシレジアの彫金師を紹介してもらいました。発注したのはいいものの、お気に召さなければどうしようと…何よりどう言ってお渡しすればいいのかと…不安で…」
「………」
 私はへたり込んでしまった。すかさず彼に支えられる。
「ラケシス様、大丈夫ですか?」
「え…ええ…でも、こんなに綺麗な指輪…私が貰っていいの?」
「そのために作っていただいたので…どうかお受け取り下さい」
「…ありがとう…フィン。大切にするわ」
指輪を包んだ右手の上に彼がそっと手を添えてくれた。

* * * * *

「レヴィン様、ご報告がありますのでどうか話をお聞き下さい」
「…別に俺には興味ない。適当にやっといてくれ。それに用事があると言ってるだろう」
「レヴィン様…」
 二人で部屋に戻る途中、渡り廊下でそっぽを向いたレヴィン様と困り果てた表情のフュリーと出くわした。それはさっきまでの私…。
「わかりました。では後ほど参りますので…」
 レヴィンに礼を取ってから踵を返したフュリーは私達の方にやって来た。少しばつが悪そうに微笑を浮かべた彼女は私の指を見て、表情が明るくなった。
「まあ、ラケシス様。とてもお似合いです」
「ありがとう、フュリー…。あなたにもお世話になったみたいで感謝しています」
「いいえ。シレジアへ行くついでですから…。とても珍しい石だそうですね。彫金師も張り切っておりました」
「本当にいい仕事をしてもらったよ。紹介してくれてありがとう」
「こっちの方こそお役に立てて嬉しいわ」
 あんなに心がささくれだった二人の会話も当然のことだが笑って聞いていられる。我ながら調子いいとは思うけれど。
「そういえばラケシス様に内緒にするって言ってたけどどうやってサイズ測ったの?」
「そんなもん、サイズなんて大体何号かぐらい簡単にわかるだろうが」
 いつの間にかレヴィン様が会話に加わって来られた。心なしか喜んでおられるような気がした。
「確かにレヴィン様なら指輪のサイズぐらいすぐにおわかりになるのでしょう。さぞかしたくさんの女性にお贈りになられたのでしょうね…」
「うっ…。それならお前にもやるよ」
「え…レヴィン様…?」
「セイレーンでいいだろ。さっさとついて来い」
 レヴィン様はフュリーの手を引いて早足で去っていった。すれ違う時に見えたレヴィン様の顔が真っ赤で…レヴィン様も私と同じだったのだ…きっと。

「レヴィン様、本当に指輪買ったのかしら…?」
 その後、彼はキュアン様から夕方までお休みをいただいたので、私の部屋でのんびりお茶をしていた。
「………」
「ねえ、フィンったら」
返事がなく、むっとした私は怒鳴ろうと思って彼の方を見たら…幸せそうな顔で眠っていた。
「寝ちゃったのね…」
 指輪のことであまり寝ていないと言ってたし、許してあげようか。
 風邪を引くといけないから毛布を掛けようとした時、物音も立ててないのに、ぱちりと彼の目が開いた。その瞬間、ノックの音がして、
「ごめんね、フィンいるかしら?」
とエスリン様の声。彼はすぐさま扉を開ける。
「エスリン様、どうかなさいましたか?」
「あのね、これからキュアンとお兄様はレヴィン様を肴に飲むことになったから、今日はラケシスとゆっくりしててね♪」
「ですが…」
「私もご相伴に与るから気にしないで。じゃあ、二人とも仲良くね♪」
 エスリン様は私にウインクして部屋を出られた。
「それが一番心配なんですが…」
彼の呟きが本当に実感こもってて思わず吹き出してしまった。
「ふふふ…フィンったら」
「あ…失礼いたしました。それから…眠ってしまい申し訳ありませんでした」
 いつもは見せない子供っぽい笑顔を一瞬浮かべるとすぐに真顔で謝ってきた。
「いいのよ。だってフィンの寝顔って可愛いんだもの」
「ラ、ラケシス様…」
本気で焦る彼の姿はきっと他の誰も見ることはないだろう。そして、寝顔も…。

 私には無防備でいてくれる。私の心が呼んだ時には応えてくれる。
 呼び捨てにしてくれなくても、その方がずっと重要で幸せなことなんだわ…。

FIN

後書き
キリ番で5ポイント貯めて下さったゆいな様からのリクエストです。お題は「やきもちを焼くラケシス」。私の中ではフィンはモテモテなので(笑)、やきもちの焼きどころはたっぷりあるためにネタばかりが浮かび(それも暴走コメディーばかり)、思いの外時間がかかってしまいました。それからこの話の中ではフィンにフュリーを呼び捨てにさせましたが、実際はそんなことないのかも…。ただ、女性陣の中では一番立場が近いということで違和感感じられた方も見逃してやって下さい。
そして何より本当に遅くなってしまって申し訳ありませんでしたm(_ _)m

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