微笑みを君に

 初めて会った時から嫌な感じがしていた。この感覚はもう二度と味わいたくなかった。
 それならば放っておけばいい―それができるならこの嫌な感覚が蘇ることなどない。
 だからあいつが去った時、心の底から安堵した。
 そしてあの嫌な感覚は消えることはなかった…。

「…まただ…」
 飛び起きたシヴァは頭を抱え、苦悩の表情を浮かべている。苦悩を振り払うかのように何度も激しく頭を振るが、飛び散るのは汗だけである。
(夢だとわかっているのに―)
何故苦しんでしまうのか。何故夢から覚めることができないのか。せめて自分の夢ならば―結末を変えてしまいたい…。
 まだ起きるには早い時間だが、シヴァは床を出、表で剣の素振りをする。こんな生活に彼はすでに慣れてしまっていた。ここしばらくずっと同じことの繰り返しだったからだ。
何もかも忘れようと必死に剣を振るう。何回振ったことだろう。いつの間にか心を占めていた苦悩は奥底に沈んでいった。そして冷酷な傭兵の表情を取り戻した。

 リフィス団は壊滅し、次の雇い主を探していたシヴァは言いがかりを付けてきたマンスター近くのならず者達の首領を倒し、そのまま首領の座に納まることになった。とはいえ、別に何をするという訳でもなく、部下の略奪行為の邪魔が入ればそれを倒すといった程度のものでリフィス団にいた時とあまり代わり映えのない生活だった。
 ある日、部下が高額な賞金首の情報を仕入れてきた。シヴァはそのリーフという名の賞金首に聞き覚えがあったが、戦いに飢えていたシヴァは迷わず飛びついた。
(少しは腕の立つ者がいるだろう…)
今の自分を救ってくれるのは戦いのみ―そんな思いがシヴァを駆り立てていた。
 しかし、マンスターの賞金首への追跡は厳しく、トラキアとの国境線だというのに大部隊を繰り出している。このままでは自分達も攻撃を受けかねない。仕方なくミーズ側へ後退し様子を見ることにした。退屈でイライラし出した頃、部下の一人が慌てふためいてシヴァの許へやってきた。
「騎士とシスターの二人連れを見つけたんですが、捕まえようとした連中がやられてしまいました」
「騎士か…俺の相手になるかもしれん。向こうは時間がかかりそうだし、ちょうどいい。行くぞ」
 その時である。聞き覚えのある―もう聞きたくない―声がシヴァの耳に届いた。
「私達は急いでいるのです。お願いですから通して下さい」
(賞金首はリーフ王子だったな…そういうことか)
シヴァは剣を鞘から抜き、部下を下がらせた。顔を見れば剣を抜けなくなるのはわかっていたからだ。シスターとは目を合わさぬよう、騎士を睨み付けながら口を開いた。
「その騎士が俺を倒せるのなら通してやってもいいがな」
その言葉に反応して、騎士は槍を持ち直し、シスターを下がらせようとした。しかし、シスターは首を振り、シヴァの目を真直ぐに見つめた。シヴァに再び悪夢が襲いかかった。

* * * * *

 とにかくよく笑う女だった。傭兵団に一人だけいる踊り子。数十人の荒くれ男に囲まれながらも臆することなくクルクルとよく働き回っていた。シヴァは彼女が苦手だった。シヴァの知っている踊り子は娼婦と同義だった。しかし彼女はまったくそういうことはしない。最初の頃はリーダーの愛人かと思ったが、それも違うらしい。色気がないかといえば全く逆で、十人すれ違ったら十人全て振り返る、そんな女だった。しかし、一度舞い始めれば今度は神々しいという形容に変わる。どれが本当の彼女の姿なのか必死で背伸びしているその頃のシヴァにはわかるはずもなく、ましてや常に笑顔を絶やさぬ人間など理解の範疇を超えていた。理解できないものにはただ不快感しか残らない。
 苦手なものの相手をするのは苦痛で仕方なかった。ただでさえ、腕を振るいたくてたまらないのに仕事さえもさせてもらえない。シヴァは彼女の存在が疎ましかった。彼女さえいなければ自分も戦場に出られるのに。その思いがシヴァを頑なにさせる。作戦の変更が決まってより激しい戦場へ移ることになった時、シヴァ以外の傭兵は一様に彼女の身を案じた。それが何より気に入らなかった。
(自分の身も守れないのなら戦場に首を突っ込むな)
 新入りでまだ若いシヴァに彼女の護衛のお鉢が回ってきたのだ。天幕の中で膝を抱えてうずくまるシヴァをよそに彼女はニコニコと繕い物をしている。時折鼻歌も聞こえてきて、とうとうシヴァは我慢の限界に達した。
「おい!あんた!他の連中は皆戦っているんだぞ」
「それがどうしたの?あなたは仲間が皆踊り子だったら一緒に踊ってくれるの?」
「………」
あまりの馬鹿らしさにシヴァは言葉を失ってしまった。話しかけた自分が馬鹿だったんだとくるりと背を向けた。それを見た踊り子は肩をすくめたが、せっかくシヴァが初めて話しかけてきたのだからと話を続けた。
「ねえ、どうしてあなたはいつもつまらなそうな顔をしているの?」
「…それはこっちが聞きたい。何であんたはいつも笑っていられるんだ?」
「私が笑っていれば皆が笑えるわ」
「自信過剰だな」
「…そうかもね。でも少なくともここの皆に関してはそうだもの…あなた以外はね。私が辛い顔をしたら皆心配してくれる。それだけで私は笑っていられるわ」
「…何で踊り子なんかやってる?」
「なんかっていうのは気に入らないなあ。でも身寄りのない女には貴重な選択肢の一つよ。それに私は踊り子であることに誇りを持ってる。昔は踊りって神様に捧げるものだったんですって。今でも祈りを込めて踊っていればちゃんと神様に届くとも教えてくれた…」
 彼女の目に光るものが見えた。シヴァの慌てように踊り子はふっと微笑んだ。
「あなたも私が笑ってた方がいい?」
無言でシヴァは頷いた。仲間の気持ちが少しだけわかったような気がした。
「ごめんなさいね。護衛なんかしてもらう人間じゃないって言ったんだけど、皆心配しちゃって…。一応色んな戦場経験してるから身を守ることぐらいはできるんだけど」
「馬鹿!ここがどれだけ危険かわからないのか?だからリーダーも…」
この台詞に一番驚いたのはシヴァだったかもしれない。わずかに顔を赤らめぷいと横を向いた。踊り子は本当に嬉しそうな顔をした。
「年下の男の子に馬鹿と言われるとはね。…でも本当にありがとう」
そう言って差し伸ばされた手は驚くほど冷たかった。思わず踊り子の顔を見た。笑顔を浮かべていた踊り子の表情は一瞬で今まで見たこともない真剣な表情に変わった。
「どうした?」
「シヴァ、ここを出ましょう。何か来る」
 天幕を出てしばらく後、二人は見晴しのいい丘に辿り着いた。そこから見えた光景は悲惨極まりないものだった。死体が累々と横たわっている。敵味方の区別など最早不要であった。そこに存在していたものは全て過去にしか存在し得ないものだから。言葉を無くし立ちすくむシヴァに、踊り子は行動を促した。
「急いで逃げましょう。あれは暗黒教団の仕業だわ」
「暗黒教団?」
噂では今各地で起きている戦乱を影で操っているという。滅多に表に顔を出すことはなく、年齢にしては多くの戦場を渡り歩いているシヴァにも実際に戦ったことはなかった。得体の知れない敵に対するわずかな恐怖とどんどん大きくなる好奇心。
(闇魔法とはどれほどのものか…面白い)
シヴァは手を引いて逃げようとする踊り子の手を払った。
「俺は残る。あんたは逃げな」
「馬鹿!」
同時に平手が飛んだ。踊り子は流れ落ちる涙を拭おうともせずに、シヴァを睨んでいる。
「あいつらの恐ろしさを知らないのは仕方ないけど、今の状況を冷静に判断できないのなら傭兵なんてやめてしまいなさい!」
「…!」
あまりの屈辱にすぐに言葉の出ないシヴァを後目に踊り子は握りしめていた細みの剣を鞘から抜いた。刀身の美しさにシヴァは思わず見とれた。
(手入れが行き届いている…誰にもあの剣を触わらせてないのに)
自分がそんなことを知っているほど彼女を見ていたことに初めて気付いた。呆然とするシヴァにしびれをきらした踊り子は鋭い声で、
「来るわよ!早く構えて!」
その声で現実に引き戻されたシヴァは慌てて剣を抜いた。しかし、敵の存在はない。
「どこにいるって…」
言葉が終わらぬうちに目の前に一条の光が現れ、光の中から暗黒の僧衣に身を包んだ男が現れた。男の目つきは尋常ではない。シヴァは初めて戦慄を覚えた。男が無言で手を上げると掌に妖しい光を帯びた靄のようなものが集まり、見る間に大きくなる。そして頭ほどの大きさになった時、それはまっすぐシヴァの許へ飛んできた。シヴァは紙一重でかわした。シヴァのいた場所は焦げ、異臭が漂っている。
 それが合図だったのだろう。次々と光が現れ、暗黒魔道士がワープしてきた。あっという間にシヴァ達は囲まれてしまった。暗黒魔道士達は無気味な笑みを浮かべながら攻撃を続け、二人に休む間も与えない。始めは軽々と魔法を躱し、敵を三人にまで減らすことができた。しかし、残った三人は必死に攻撃を繰り出す。敵を全滅させるどころか疲労のために徐々に動きが鈍くなる。最初に餌食になったのはシヴァだった。少しくらい擦っても大したことはないだろうと油断していたのは確かである。そしてそれが大きな過ちだったことを身をもって知った。視界が歪み立っていられない。思わず膝をついた。
「くそ…」
シヴァが魔法を受けたことを知り、踊り子は駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「俺のことに構わず逃げろ」
 踊り子はシヴァを見つめ、ふっと微笑んだ。シヴァの心を見透かすような感じがしたが不快ではなかった。シヴァの心の中の恐怖や屈辱、意地でしかないプライド…そういうものが全て溶けていく…そんな感じがした。シヴァも知らぬ間に微笑んでいた。踊り子は一層笑顔を輝かせるとくるりと背を向け、剣を持ち直した。
「毒が回るから動かないで」
シヴァを背にして暗黒魔道士達の前に立ち塞がる。暗黒魔道士は下卑た笑いを浮かべ、
「お前が相手してくれるのなら、この坊主の命も助けてやってもいいぞ」
「それならまずはダンスのお相手をしてもらおうかしら」
その言葉とともに敵の一人めがけて走り出した。まるで剣舞のようだった。華麗な動きで相手を封じ、ダメージを与えていく。しかし、力がなく致命傷とまではいかない。それでも踊り子は必死に剣を振るい続ける。そしてとうとう一人は絶命した。踊り子相手と高を括っていた暗黒魔道士達は不快な笑みを一変させて襲いかかってきた。
「危ない!」
 シヴァの声で一撃目は躱せたものの、やはり疲れていたのだろう。二人目の放った魔法が直撃した。倒れ込む踊り子を見た瞬間、シヴァは叫び声を上げて無我夢中で敵に斬り付けた。あっという間に暗黒魔道士達は崩れ落ちた。毒が回って体力が落ちていたはずなのに、剣を振るう度に身体に力が漲るのを感じる。
(これが『太陽剣』?)
一族に伝わるこの技が使えないためにシヴァは故郷を離れることになった。運命の皮肉を感じる間もなくシヴァは踊り子の側へ駆け寄った。
「おい!大丈夫か?…何で俺なんかを…」
踊り子は荒い息をしていたが、シヴァを見つめながら微笑んだ。
「目の前に溺れている…子供がいたら…助けるでしょ?…ふふふ…喩えが悪いわ…ね…」
「だからって自分を犠牲にしてどうするんだ!?」
「あら…私…死ぬ…気なんて…ないわ…よ」
シヴァから視線を外し、遠くを見つめ、手を差し伸べた。
「だって…子供…達にお土産…買って帰るって…やくそ…」
がくんと手が落ち、踊り子の身体が崩れた。シヴァは慌てて抱き起こす。
「おい!おい!しっかりしろ!…頼むから…もう一回笑ってくれよ…」

「おい!シヴァ!無事か!」
 リーダーが現れた。彼もあちこち怪我をしているようで、足を引き摺っている。無言のシヴァとその腕の中の踊り子を見て、リーダーは状況を察した。膝をついて踊り子の顔にかかっている若葉のような髪をかきあげる。
「…すまない…あんただけでも帰しておけばよかったな…」
「…俺が…俺が…」
シヴァは自分が泣いているのにさえ気付いていない。ひたすら自分を責めている。シヴァの傷跡を見たリーダーは懐から毒消しを取り出した。
「あいつらの魔法をくらったな?早いとここれを飲んどけ」
「俺なんか生きててもしょうがないんだ。傭兵っていってもたった一人さえも守れない…ただいきがってただけなんだ…もう放っといてくれ」
「何だと!」
リーダーはシヴァの襟首を掴み、立ち上がらせた。そして拳をシヴァの頬へ打ち込んだ。
「馬鹿野郎!それがわかってるんならちゃんと生きてみせろ!彼女はお前が死んでも帰ってはこない…」
「………」
「おい、仕事をやるぞ。彼女の今回の仕事料だ。これを子供達に届けてくれ。俺は他の連中の様子を見に行かないと…」
二人で踊り子の躯を丘の上に葬った後、それぞれ別の方向に向かって歩き出した。

* * * * *

 「…シスターはあの小僧のために命を捨てると言うのか?」
 「はい。お望みならば!」
 『死ぬ気なんてないわよ』 

 「シスター、一つ聞いてもいいか?お前の望みは何だ?どうすればお前は明るく笑えるのだ?」
 「私の望みは人々が皆、幸せになることです。皆が笑えば、私も笑えます」
 『私が笑っていれば皆も笑えるわ』

(言ってることが正反対だろう。なのに何故…同じ瞳をしているんだ?)
(同じだ…それならば…守るべきものを俺が守ってやればいい。命を差し出さずにすむように)

「俺はサバンのシヴァだ。お前の名は?」
「サフィ。ターラのサフィです」

 お前が笑うその時まで…。

FIN

後書き
2222のカウンターを踏んで下さったNanase様からシヴァをリクエストしていただきました。
フィンが関わってない作品は初めてなので、フィンがちょっと出てきたところでは主役交代しないように踏ん張るのに苦労しました(おいおい)。シヴァが仲間になる辺りを書くつもりでしたが、ここまで訳がわからなくなるとは(^^;)
登場人物にピンと来られた方もあるかもしれませんね。こういうのもありだと思って下さるとありがたいです(冷汗)。
それにしてもやっぱりタイトルが(号泣)。

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