はじめてのぼうけん

 魔の森と呼ばれる森の中、二人の少年が手を取り合って心細そうに歩いている。不安が頂点に達したのか少年の一人が立ち止まってしまった。
「リ…リーフ様…やっぱり帰りましょう。僕達だけでは無理ですって」
「ダメだよ。絶対に行くんだ。アスベル、恐いんだったら帰っていいよ。僕一人で行くから」
言葉だけは元気だが、瞳は不安な色を浮かべている。アスベルは本当は帰りたかったが、リーフを置いて行く訳にも行かない。リーフは道を知らないし、何よりリーフにあのことを教えてしまったのは自分なのだ。アスベルは諦めて再び歩き出した。
 魔の森はフレストの教会領で司祭達が魔法の修行のために入る以外は人の出入りはほとんどない。大して深い森ではないのだが、「魔の森」という名が人を遠ざけていた。そのため、道と呼べるようなものはなく、司祭達がつけた目印を辿るより目的の場所へ行く術はない。そしてその目印は容易には見つけられない。アスベルは祖父に連れられて何度も通ったことがあるため、目印の場所も意味も大体は知っているのだ。
 それでも何度か迷いながらようやく目的地に到着した。森の最深部で小さな滝がある。水飛沫が太陽の光を浴びて虹を浮かび上がらせている。しばらくその光景に見とれていた少年達であったが、滝が目的ではない。滝の横に周囲の木々より少し高い木があった。リーフはその木に近付き、梢を見上げた。一度深呼吸して幹に手を掛ける。
「じゃあ、行ってくるから。アスベルはここで待ってて」
「リーフ様、本当に大丈夫ですか…」
心配そうに見つめるアスベルの視線を背に受けながら、リーフは木を登り始めた。
 しばらくは快調に進んでいたが、だんだん腕が疲れてきた。下から見た時はすぐに登れると思っていたのに、今はゴールが果てしなく遠く感じる…。挫けそうになったが、昨日のナンナとの会話を思い出し、力を振り絞って登り続けた。

 少し前にフレストの教会で行われた結婚式以来、ナンナの口癖となった言葉があった。
「わたし、おおきくなったらおとうさまとけっこんするの」
「フィンとは親子なんだから結婚できないよ」
あんまり何回も聞かされるものだから、少しむっとしたリーフはわざと意地の悪い言い方をする。それを聞いたナンナは泣き出してしまった。
「わーん…いやよ。ナンナはぜったいにおとうさまのおよめさんになるんだから!」
ナンナに泣かれるとどうしても立場が弱くなる。リーフは今度は言い聞かせるように、
「フィンのお嫁さんはラケシスだよ。ナンナがお嫁さんになったらラケシスは帰って来れないよ」
『ラケシス』という名にぴくりと反応したナンナは泣き止んだ。
「じゃあ、ナンナ、もうおよめさんになれなくてもいい…」
その答えに慌てたのはリーフである。
「だ…ダメだよ。フィンのお嫁さんになれないだけなんだから。ね、僕の…」
リーフの言葉を最後まで聞かず、ナンナは平然と言い放った。
「わたしはおとうさまのようなひとでないとけっこんしないわ!」

 フィンは昨日からリーフが反抗的なのにほとほと困り果てていた。ろくに口も聞かず、フィンをずっと睨み付けていたのだ。何か機嫌を損ねることがあったのかと必死に考えるのだが、全く心当たりがない。仕方なく今日はリーフと少し距離を置くことにした。いつもリーフとナンナはアスベルと大聖堂の中庭で遊んでいる。…はずだったのだが、朝食が終わってしばらく後、ナンナが一人で仕事をしていたフィンの許にやってきた。花の冠や首飾りをフィンに掛けては楽しそうに笑っている。それにも飽きたのかフィンにまとわりついて、
「おとうさま、ナンナとあそんで」
とねだった。そういえば最近子供達と遊んでいない。たまにはいいかとフィンは腰を上げる。
「リーフ様とアスベルはどうしたんだ?」
「まのもりへいっちゃった」
「…!…ええっ!?」
父がリーフがいないことで急に慌て出したのがナンナには不満らしく、むくれてしまった。フィンは膝をついてナンナと視線を合わせた。そしてナンナを抱き締め、頭を撫でながらあやすように優しく問いかける。
「ナンナ。リーフ様達も一緒に遊んだら楽しいだろう?」
「おとうさまといっしょだったらナンナはたのしいもん」
「…リーフ様がいなくなってもいいのか?私はリーフ様もナンナもどっちがいなくなってもさびしいぞ」
「ナンナもいや…」
「じゃあ、探さないとな。それでリーフ様とアスベルはどうして森に行ったんだ?」
「よくわかんない」
「…じゃあ、リーフ様とどんな話をしていたか教えてくれる?」
「いいよ」
ナンナの話を聞き終えたフィンは深い溜め息を吐いた。

 何回も休憩しながらではあったが、リーフは何とか木のてっぺん近くまで辿り着いた。そして枝の先にある鳥の巣に手を伸ばした。既に巣立ちが済んでいるので、卵も雛も親鳥もなく、抜け落ちた羽根が残っているだけである。リーフは瞳を輝かせながら、
「あった!」
大振りで綺麗な羽根を数枚選んでベルトに差した。白い鷲の羽根である。全身が白い羽根で覆われている鷲は珍しく、トラキア半島では神の使いとして崇められていた。その羽根を持つ者は幸せになれるといわれ、取ってきた者は英雄とされた。というのは、この鳥は標高の高い場所に生息し、それも断崖絶壁に営巣するからである。それが何故かフレストで巣を作っていたのだ。そのことをアスベルが口にしたためにあんな事態を招くことになった。

 ナンナの「お父様としか結婚しない」発言を聞いてからリーフはすっかり落ち込んでしまった。フィンには対抗意識を見せてはいたが。リーフの落ち込みようにアスベルは慌てふためいた。いろいろ気を紛らわせようとするのだが、結局同じ話題に辿り着く。
「どうやったらフィンみたいになれるのかな?」
「リーフ様だったら将来はきっと…」
「今じゃないとダメなんだ!そうじゃないとナンナを誰かに取られちゃうよ」
「…フィンさんみたいって、リーフ様はどんなふうになりたいんですか?」
「えーと…。フィンみたいに強くなりたい!…かな?」
「それは訓練するしかないじゃないですか!」
「剣の練習はちゃんとしてるよ。でもすぐには強くなれないじゃないか」
「当たり前ですよ」
「そりゃあそうだけど…」
がっくりと肩を落とすリーフについアスベルも同情してしまった。
「リーフ様、白鷲って知ってます?」
「ああ、羽根持ってると幸せになれるっていう?」
「その白鷲が近くの魔の森で巣を作ってたんですよ。もう巣立った頃だし、羽根落ちてるかもしれません」
「それがどうしたの?…あっ!そうか!あの羽根取って来れるってことは強いってことなんだ。じゃあこれから取りに行こう!」
「え…本気ですか?」
「この辺りの森はあんまり危なくないし、二人でも大丈夫だよ。ね、行こうよ」
「ねえ、どこかいくの?ナンナもつれてって」
二人はぎくりとして顔を見合わせた。ナンナがいつからいたのかわからない。どう話を逸らそうか必死に考える。…が一向に思い付かない。ナンナは焦れったそうに二人を急かす。
「ねえねえ。はやくいきましょうよ」
「ナンナ。フィンみたいな人としか結婚しないんだよね?」
「ええ。おとうさまみたいにつよくてかっこよくって…」
「…わかった。アスベル、行くぞ!」
「ナンナは?」
「今日はフィンと遊んでて。そのかわりお土産持って帰るから」
「ほんと?じゃあおとうさまとあそんでる」

 リーフは任務が済んでほっとしたのか、休憩がてら周囲を見渡す。滝から吹くそよ風は水飛沫と共に汗ばんだ身体を心地よく冷ましていく。そしてそろそろ下りようと下を向いた瞬間、リーフは凍り付いてしまった。
 余りの高さにすっかり目が眩んでいた。がくがくと足が震えて枝を踏み外しそうな気がする。恐怖から身動きがとれなくなった。リーフがなかなか下りてこないので、アスベルは心配になって声をかける。
「リーフ様、どうしたんですか?」
「…下りられなくなっちゃった…」
アスベルの顔から一気に血の気が引いた。リーフを助けようと幹に手を伸ばすが、力に自信がないのと、もし登ることができても助ける術がなかった。仕方ないので助けを呼びにフレストへ戻ることにした。
「リーフ様、僕戻って助けを呼んできます。ですからちょっと待ってて下さい」
「…でもフィンには内緒にしてよ。他の人呼んできて」
「そんなこといわれても…」
やれやれと思いながら駆け出したアスベルは急に立ち止まった。
「残念でしたね」
前方に現れた人物を見てアスベルはほっとしたが、すぐに気まずそうな表情に変わる。
「あ…あの…」
現れたのは、フィンと道案内の司祭、そしてピクニック気分のナンナだった。ナンナだけが機嫌よさそうににこにこ笑っている。
「アスベル、どうしますか?」
「…お願いします。フィンさん。それからリーフ様をそそのかしたのは僕です。リーフ様は悪くありません。本当にごめんなさい」
とアスベルは深く頭を下げた。それを聞いたフィンは微笑んでアスベルの頭をくしゃっと撫でてリーフがいる木へ近付いた。

 木の上から様子を見ていたリーフは、複雑な心境だった。最も心強く、最も気まずい相手が現れたからだ。それに何より無様な姿を見られたくない存在もいる。リーフは内心の葛藤を隠すかのように不機嫌な表情を浮かべ、フィンを睨んでいた。フィンは微笑みを絶やさず、リーフに問いかけた。
「リーフ様、そちらへ行ってもいいですか?」
「来たいなら来れば」
リーフはまだ強情を張っている。フィンは苦笑しながらあっという間にリーフがいるところへ登っていった。
「なかなか見晴しがよろしいですねえ」
「フィン…怒ってないのか?」
「それは怒ってますよ。黙って出られたことについてはね」
「…ごめん…」
「もう二度とこのようなことはなさらないと約束して下さいますね?」
「…うん」
「それならもう何も申しません」
フィンが微笑みかけるとそれにつられてリーフも笑顔を見せた。
「フィン、心配かけて本当にすまない」
「いいえ、それよりナンナも待ちくたびれてます。下りましょうか。お手伝いしますから、ご自分で下りれますね?」
「うん!頑張ってみる」
おんぶで下ろされるという屈辱的な扱いを受けると思っていたリーフは瞳を輝かせた。フィンが見守ってくれている―それだけでリーフは安心できた。時折フィンの手助けを受けながらではあったが、何とか自力で地上に下り立つことができた。
 着地したリーフとフィンにナンナとアスベルが駆け寄る。
「リーフ様…よかったですね」
「アスベル、いろいろ迷惑かけてごめん」
「僕の方こそ…」
父に抱き着いていたナンナがリーフのベルトに差してある羽根に気付いた。
「それなあに?きれいね」
「これはね、白い鷲の羽根なんだよ。これ持ってると幸せになれるんだって。ナンナにあげるよ」
「ほんとにくれるの?ありがとう。リーフ、だいすき」
笑顔で白い羽根を受け取ったナンナはリーフの頬にキスをした。リーフは真っ赤になって照れている。フィンは少し複雑な表情でそれを眺めていた。

* * * * *

 ナンナは頭の羽飾りを手に取って考え込んでいた。それを見ていたリーフが声を掛ける。
「だいぶ傷んできたね」
「戦闘中もつけていたものですから…外しておけばよかったです。申し訳ありません」
「だめだよ。お守りみたいなもんなんだから。それに僕はずっとナンナが身につけてくれる方が嬉しいよ。でも新しいのに替えなきゃね」
「いいえ。どんなに古くなろうともこの羽根がいいんです。幼いリーフ様が一生懸命取って下さったんですもの」
「…あの時は木から下りられなくて本当に恥ずかしかった。フィンが来てくれなかったらどうなってたことか。それにこの羽根を頭につけられるように細工してくれたのもフィンだし…本当にフィンには敵わないよ」
「そんなことありませんわ。リーフ様はもうお父様以上にお強くなられました」
ナンナはほんのり顔を赤らめて続けた。
「それにお父様と同じくらいお優しいし…」
そう言ってにっこりリーフに微笑みかけた。リーフは、
(こういう顔はラケシスよりフィンに似ているな…綺麗なのには変わりないけど)
と思いながら羽飾りをナンナの頭につけてやった。

Fin

後書き
カウンター776を踏んで下さったひびらん様からのリクエストは「幼い頃のナンナ」だったんですが…。
なぜかメインはリーフ君。フィンとリーフがナンナに振り回される様子を描きたかったんですが、リーフだけに…(そうでもないか)。でも恐るべき遺伝子(苦笑)。どこかで聞いた台詞ですね。
ひびらん様、こんなのになってしまいました。イメージと合わなかったらごめんなさい。

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