モデルウォーク

「あれ? 珪くん、まだいたの……?」
 下校時間……といってももう残っている生徒はほとんどいない。俺は起きたばかりだというように身を起こす。
「ん……寝てた」
「ふふふ……珪くんらしいけど、もう寒くなってきたから風邪引いちゃうよ」
 あいつは笑顔を少し引き締めると心配そうに俺を見つめた。その視線が優しすぎて思わず顔を背ける。
「ああ……気をつける」
 眠くなったら自分でもどうしようもないのにあいつを安心させたかった。それに本当は寝てた訳でもない。
 あいつと帰りたがっているやつが増えている。文化祭を境にその数は激増した。それでも直接声をかけてくるのは数人で、今日は時間も遅いせいか誰も残っていない。待ちくたびれるかと思ったが、その時間さえも楽しいと思う自分に驚く。

「それより……その荷物……何だ?」
「これ? 手芸部今日で終わりなの。それで荷物全部持って帰ろうと思って……」
 抱えていた荷物を机にどさっと置くと、その上に小わきに抱えていた衣装カバーをそっと乗せた。中に入っているのは純白のオーガンジー……。
「それ、ウエディングドレスか?」
 目で衣装カバーを指すとあいつは恥ずかしそうに笑う。今年の文化祭で手芸部はウエディングドレスのファッションショーをしてた……らしい。
「うん。前からちょっとずつ作ってたんだ」
「じゃあ、ファッションショー……出たかったんじゃないのか?」
「ううん」
 あいつは即座に首を振った。
「今年はクラスの方に参加しようって決めてたし、それに珪くんと一緒に主役もさせてもらったし……本当に楽しかったよ。……でも、ちょっとだけ着てみたかった……かな」
と少し寂しそうな笑みを浮かべたが、すぐに浮上する。
「もちろん帰ったら家で見せびらかそうとは思ってるけどね」
「今……着てみろよ」
 思わず口走る。あいつは一瞬固まると、次の瞬間には真っ赤になった。
「え……ここで?」
「そう、ここで。俺が見てやるよ、お前のファッションショー」
 あいつはしばらく固まってたが静かに頷くと、笑顔を取り戻していた。
「じゃ……せっかくだから珪くんにお披露目しちゃおうかな」

* * * * *

 教室を出て着替えるのを待つ。期待と同時に後悔の念が湧きあがる。
 自分が……抑えられない……。
 文化祭の時も走り去るあいつを見た瞬間、劇だというのも忘れて引き止めた。今だって……。我に返るのが段々遅くなっているのも自覚している。いつ今まで抱えてたものを全て吐き出してしまうのか自分でもわからない。

「珪くん、お待たせ」
 教室の扉が少し開いて、あいつが顔だけ覗かせた。
「……? どうしたの?」
「いや……ソワソワしてた」
 持て余していた自分をさっと隠すと、あいつはにっこり微笑んだ。
「『ソワソワ』ね……」
 ずっと前に交わした会話を思い出したのかニヤニヤしている。
「あ、『ニヤニヤ』じゃないよ、『ニコニコ』だからね!」
「あ……ああ……」
 考えてることを言い当てられてどきりとする。でも、とても心地いい。
「さ、早く入って。他の人に見つかったら大変だから」
 そう言うと、あいつは顔を引っ込めた。俺は反射的に開きかけの扉に手をかけると飛び込むように教室に入った。

 カーテンで閉め切られた教室の中、黒板の前にあいつはいた。教卓を移動させていたので、小さな舞台が出来上がっていた。黒板の消し具合が今一つで、掃除当番を少し恨んだ。きっと明日は先生に叱られるだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。
「…………」
 白いドレスに身を包んだあいつは、くるりとスカートを膨らませるように回った。
「どうかな? もうちょっと可愛くしたかったんだけど……」
「似合ってる。綺麗だ……」
「本当? よかった。シンプルにしたからラインにはこだわったんだ……」
 俺の言葉をドレスにだけ向けたものだと誤解したあいつは嬉しそうに製作秘話を語り出す。俺は頭を抱えつつ、つい楽しそうなあいつを見て喜んでしまう。
「それはそうと、ファッションショーだろ? 歩いてみろよ」
 俺が現実に引き戻すと、あいつは恥ずかしそうに俯きながらこっちを見る。
「でも……プロのモデルさんの前で恥ずかしいよ……」
「俺……ウォーキングは習わされたけど、ほとんどショーには出ないから……気にするな」
「う〜ん……どうしようかな」
「去年も一昨年も見てるだろ」
「え? 一昨年も見てくれてたの!?」
「あ……」
 煮え切らないあいつにしびれを切らせて余計なことまで喋ってしまった。一年の時は心を見透かされるようなことを言われたこともあって、あいつとどう接したらいいかわからなくて声をかけられなかった。でも、会場の端であいつが生き生きと舞台を歩いているのを見ていた。俺は一度も楽しいと思ったことがなかったから、余計に眩しかった……。
 そんなことを思い出していると、すっと左腕に温かいものが差し込まれた。あいつはおどけた顔で、
「じゃあ珪くん、エスコートしてくれる? 一人だと恥ずかしいから……」
そう言って俺の顔を覗き込んできた。あいつはいつもこうして俺を救ってくれる。
 俺が頷くと、あいつはぱっと顔を綻ばせた。心から喜んでいるのが腕の熱とともに伝わってきて、くすぐったい気持ちになる。……と同時に我に返って愕然とする。
 求めて止まない花嫁がここにいる。俺のためだけにここにいる。
「やった! こんなチャンス滅多にないもんね。……でも、ちょっと緊張する……」
「二人きりなんだから……緊張するな」
 自分に言い聞かせつつ顔を赤らめたあいつの手を取ると、俺の腕にしっかり掴まらせた。いつかこの指に……。

 夢……なら醒めないでくれと何度願ったことか。このままでいられるのなら何を差し出しても構わない……。
 でも、醒めるから夢……そして、夢ではなくて現実……。嬉しいのか悲しいのか自分でももうわからない。
 あの場所なら全てを叶えてくれそうなのに。

「うわっ、もうこんな時間。そろそろ先生たち見回りに来るよね」
「……そうだな」
 チャイムの音が呆気無く幕を下ろした。背を向けたあいつに手を伸ばしそうになるのをすんでのところで押し止める。
「外で待ってるから……早く着替えろよ」
「は〜い」
 俺は欲望を置き去りにするかのように教室から逃げ出した。それでもどんどん湧いてきて尽きることはなかった。
「……何してるんだろな……俺」
 あいつに再会してから、それまで切り捨ててきた感情が不実を責め立てるように襲ってくる。そいつらを受け入れれば俺はどうなるんだろう……。あいつはそんな俺をどう思うのか……。
 がらがらがら――。
 今度は景気よく音を立てて扉が開く。
「さ、帰ろうか」
 もうカーテンは開けられていて、日没寸前の青みがかった茜色があいつを浮き上がらせる。見慣れた制服なのにいつになく神秘的で、俺はただただ息を飲む。やっぱりあいつそのものが綺麗なんだ……。
「珪くん、どうかした?」
「……いや、それよりその荷物……全部持って帰るのか?」
 気持ちを無理やり切り替えて、あいつの机の上を見る。あいつは俺の視線を追って苦笑いを浮かべた。
「う〜ん……ロッカー狭いからね……。できるだけ持って帰りたいんだけど」
「なら、俺……家まで持ってってやる」
「でも、遠いし、重いよ……?」
「いいもの見せてくれたお礼」
「えっ……。と、とにかく今度コーヒー奢るってことでいいかな?」
「OK」
 互いに少し頬の辺りが赤いのは夕焼けのせい……だろう。

* * * * *

「ありがとう、珪くん。今日は助かりました」
 家の前であいつはペコリと頭を下げた。
「それにすっごく楽しかった。……ちょっと恥ずかしかったけど」
そう付け足して舌を出す。
「俺も……」
 顔を見合わせて笑う。この幸せな気分をぶち壊したくなくて俺は踵を返した。
「じゃあな」
「うん、また明日……」
 一歩を踏み出す前に振り返るとあいつの腕を取り、耳元で囁いた。
「それ着たとこ……誰にも見せるな」
「え?」
 あいつはドレスを大事に抱えたまま首を傾げる。
「本番までとっとけ」
「でも……」
「次も俺のために……」

「おーい、ねえちゃんか?」
「あ、尽だ……」
 二階からあいつの弟が顔を出す。いつもなら邪魔で仕方ないが、今回は助けられたのかもしれない。危うくぶちまけるところだった。残念と思うよりも正直ほっとした。
「……それじゃ、俺帰るから」
「珪くん、気をつけて帰ってね」
「ああ」
 今度こそ背を向けて歩き始めた。あいつはいつも俺が見えなくなるまで門の前で見送ってくれる。あいつの視線を感じながら歩いていると、弟が家から飛び出してきたようだ。
「おかえり、ねえちゃん。おっ、それがウエディングドレスか? 早く着てみせてよ」
「……やめとく」
「え〜っ、なんでだよっ!? 俺、楽しみにしてたんだぜ」
「…………」
 俺は少しスピードを緩めて会話に耳を傾ける。あいつが何と言ったかはもう聞こえなかったが、弟の抗議の声は少し離れた俺にまで十分に届いた。
「ちぇっ……いつになるかもわからないってのにさ。それよりサイズが合わなくなっても知らねえぞ!!」
「尽っ!!」
「うわ〜っ!」
 俺はきっとニヤニヤしてただろう。あの花嫁を俺だけのものにできたのだから。まだ、幻のようなものだが、いつか現実に……。

「サイズか……。変わらないように気をつけてやらないとな……」

Fin

あとがき
3年の文化祭はどっちを取るか悩みますよね。裏方ですら愛おしかったりします。特に手芸部のイベントはスチルイベントに匹敵すると個人的には思ってます。本当は1年の時に『おまじない』してもらって3年のウエディングドレスとフルコースいきたいところですが、ときめき修学旅行もギリギリだったしなあ……。でも、そうなっちゃうとこの話も変わっちゃうんですよね(笑)。それにしてもタイトルが……。
訂正の言い訳
書いている時に没にしたネタがあるのですが(下に置いておきますので興味のある方はご覧下さい)、そのネタに引きずられて続きを書いてしまっていることに気が付きました(何度も読み直したのに脳内で修正していたようです)。遅ればせながら話のつながりが不自然な点を手直しいたしましたので、以前の唐突な展開をご記憶の方は削除していただけると幸いです。

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<ボツネタ>
「一緒なら恥ずかしくないだろ。ほら……手、貸せよ」
 半ば強引に手を取ってしまってから、また我に返る。いや……抱き締めなかっただけでもまだ正気だったのかもしれない。本当はこのまま攫ってしまいたかったから。
 どんどん自分が深みにはまっていくのをどうにかしたくて、自分で自分を茶化す。
「姫……私と踊っていただけませんか?」
「珪くん……いいえ、王子様。喜んで」

実はこっちも捨て難い……かなと。