Love letters

 毎日夕食を作りに彼の部屋を訪れるようになってどれくらい経つだろう……。
 食事を栄養摂取としか捕らえていなかった彼もなんだかんだと喜んでくれてるみたい。最近は一緒に台所にも立つようになったし。あんなに繊細にピアノを弾く指がぎこちなくじゃがいもの皮を剥いてたりするのが、可笑しくもあり可愛くもあり……。

「……ただいま」
 帰宅時間は連絡通り。本当は連絡も要らないほど規則正しい生活だけど、大義名分がないと電話もしてくれないから、帰るコールをルーチンワークに入れてもらっている。それでも、最近は帰ってくる時間がバラバラになって、ちょっと心配したこともあったけど。
「……どうした?」
「ううん。お帰りなさい♪」
「ああ……着替えてくる」
「ちょっと待って!」
 部屋に行こうとした彼の腕を掴み、鞄をひったくる。
「お……おい」
「ふ〜ん……」
 わたしはにやりと彼を見つめた。
「な……何だ?」
 彼は狼狽しつつ、顔を赤らめる。じっと顔を見られると照れるのだそうだ。が、そんなことはこの際どうでもいい。
「これ、な〜に?」
 彼の目の前に鞄を突き付け、ポケットを指差した。
「これは……」
 彼の顔色が一瞬のうちに変わる。彼の持ち物にはあり得ない配色のものがポケットから覗いていたのだ。
「わたしが見ちゃ、まずいよね〜?」
「コホン……私は別に……」
「いいから、着替えてきて。ご飯食べよ」
「……あ……ああ」
 そそくさと台所を出る彼の背中が可愛くて笑いをこらえるのに本当に苦労した。
 でも、笑えたのは友達のおかげ……。

* * * * *

「ねえ、知ってる? 今年の吹奏楽部の新入部員すごい数みたいだよ」
「ホント? 嬉しいなあ。コンクール優勝が効いたんだね」
 元部員として素直に喜んでたら、彼女は呆れてたみたい。
「アンタものんきねえ……。ほとんど女子よ」
「へ?」
「だ・か・らぁ〜、みんなヒムロッチ狙いだって。バイト先に来る子達の話題によくなってるよ」
「は? そんな物好きな……」
「アンタねぇ……一応自覚してるんだ」
「うっ……」
 彼女は大爆笑のあと、穏やかな笑顔でこう付け加えてくれた。
「まあ……最近のヒムロッチはいいと思うよ、実際。弾けどころがわかってるというか……。人気あるのも納得できるもん。でもね……ヒムロッチを変えたのはアンタなんだから、もっと自信持ちなさいよ。アンタがいるからなんだからね!」
「……ありがとう……奈津実ちゃん」

* * * * *

「ねえねえ、返事するの?」
「ごふっ……な……何のことだ」
 何事もなかったようにご飯を食べている彼にさっきの話を戻してみると、咳き込みつつも平静を装おうとしている。でも、耳まで真っ赤。
「……添削ならできるがな」
「そんなことしたらだめだよ〜」
「わかっている」
 絶対以前は添削していただろうと突っ込みたいのを抑えて、
「ねえねえ、わたしが書いてたらどうしてた?」
とテーブルに身を乗り出してじっと彼を見つめた。
「うっ……き、君のはどこにも問題はなかったじゃないか。全くもってあれは素晴らしかった……」
「それは論文でしょう?」
「ほう……違ったのか?」
「え……? えっと、それは……半分はそうだったかも……って何を言わせるの」
 いつの間にか形勢は逆転していた。最近躱し方がずいぶん上手くなったような気がする……。
「論文を誕生日プレゼントにするような生徒は後にも先にも君しかいないだろうな」
「だってそれ以外は受け取ってもらえそうになかったから……。あ、そうだ。今年もそうしようかな」
「おい……コホン。まあ、それも可だが……」
 さすがにこれは効いたみたい。素直に嫌だと言えばいいのに。
「ふふふ……ウソよ。ただでさえレポートいっぱいあるもん。先生には他のをちゃんと考えてあるからお楽しみに♪」
「それはいいが……『先生』は止めろと言っているだろう」
 つい口にしてしまってさりげなくスルーしてしまおうと思ったけど、やっぱり彼はその呼び名に敏感に反応する。
「じゃあ、ヒムロッチ」
「……藤井と会っただろう?」
「うん。今日久しぶりにね。それじゃあ、ゼロワンは?」
「……私にトランペットを吹けと?」
「??? 何それ?」
「……。いや、気にしなくていい……」
 落ち込ませてしまったみたい。こういう時は『節度』が絡んでいるので早くフォローしておくに限る。年の差だとか教え子に手を出したとか今となればどうしようもないことだけど、これからもついて回ることで色々悩んでいるようだし。
「零一さん♪」
 声は明るく、そして高校三年間で完璧にマスターした上目遣いで彼を見つめる。
「な……何だ?」
 早速うろたえだした彼。視線が宙を彷徨う。慣れてほしくもありずっとこのままでいいと思ったり……。
「早く食べないと冷めちゃうよ」
「そ……そうだな。せっかく作ってくれたんだからな」
「……よろしい。ふふふ……わかってきたじゃない」
「あのなあ……。それはそうと、君はきっと書かないと思う」
 彼の呆れ顔がふっと真剣な表情に変わった。
「え?」
「……君は何も求めなかった。だから私は君を求めてしまったのかもしれない」
「そ……そんなことないよ。論文もそうだけど、イベントにかこつけて色々押し付けてたでしょ? 受け取ってほしいって……」
 視線の真剣さにわたしは慌てて茶化してみたけど、無駄だった。
「そうだな……だが、それ以上は望まなかった。だから私は混乱した。君は私に何を求めているのかと……」
「その前にたくさん貰ってたと思う……。今のわたしがあるのは『氷室先生』のおかげだから。最初は追い立てられてて嫌だなって思ってたんだけど、辛くて逃げたくなった時にそっと手を差し伸べてくれてた」
「逃がさないようにしていただけだ」
 照れ隠しか、視線を逸らす。このまま話題も逸らしてしまおうとも思ったけど、今しか言えない気がして続けることにした。
「うん。それもあると思った。憎らしいとも思ったし……でも嬉しかった。達成感っていうのを初めて感じた時、自然と『先生』に感謝したの……」
「……」
「いつの間にか『先生』に喜んでもらいたい、褒めてもらいたいって思うようになって……。それからは『完全な生徒』目指して頑張ってまいりましたが、いかがでしたでしょうか?」
「馬鹿……」
 最後は耐えきれなくなって戯けてみせたら、彼はふっと息を吐くように笑ってテーブル越しにわたしの頭をくしゃっと撫でた。
「君は完全な生徒でい続けてくれたのに、『完全な教師』を捨てたのは俺だ……」
「それを望んだのはわたし……。本当は『完全な生徒』でなんていたくはなかったし。……で、今のあなたは『先生』じゃないんで、どうしたらいいのかな……なんて」
「こうして側にいてくれるだけでいい」
 即座にそう言い切った彼は慌てて付け加えた。
「……コホン……もちろん学生としての本分はだな……」
「わかってま〜す。最近はちゃんとレポートも自力で書いてるでしょ?」
「それは喜ばしいことだが……少々寂しいものが……」
「ふふふ……手に負えない時は頼りにしてるから♪」
「任せなさい」
 最近はあまり見せなくなったこういう不敵な笑みもやっぱり素敵だなあと思いつつ、この間のことだと思っていた高校時代が過去の世界へと過ぎ去っていたことに気付く。

 ハードルだらけのわたし達だけどいつの間にかいくつも飛び越えていたんだね……。

Fin

あとがき
このネタはED見た時にすぐに思いついてしまいました。多分主人公が在学中にはなかったと思うので(ラブレター添削が伝説化・笑)、主人公のおかげで少しは丸くなったのかなと。もしかしたら主人公が睨みをきかせていただけかもしれませんが(葉月くんじゃあるまいし……)。卒業後も敬語を使う主人公も好きなのですが、ここではほぼ対等に会話させてます。その辺りのこともおいおい書いていきたいと思ってます。

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