Album

「家……来るか?」
「うん!」
 間髪を入れずに返事をしたあいつはこう付け足した。
「アルバム見せてね♪」
「……憶えてたのか……?」
「当然! ずっと楽しみにしてたんだから」
 あいつの瞳はすっかりキラキラ状態だ。
「……」
「珪くん、どうしたの?」
「いや……何でもない。行くか」
「うん」

 もう今は躊躇う理由などないはずなのに、どこかで怯えている自分に気付く。自分の記憶力にも自信はあるし、あんな体験そうそう他にあるはずがないとわかっているのに、
『違う……』
と言われるのが怖い。
 違っていてもあいつはきっと変わらない。
 俺も変わらないと言い切りたいのに……そんな自分が許せない。

 あいつは今の俺を見て、それでも「好きだ」と言ってくれた。
 俺は?
 ずっとほんの一瞬の記憶に取りつかれていた。あの時の少女だから惹かれたのは事実だ。どんどん魅力を増していくあいつに心奪われていく自分をその記憶のせいにしていた。

「珪くん……?」
「ん?」
「もう着いたんだけど……」
「あ……悪い。今開けるから」
 俺が葛藤していることなどあいつにはわからないだろう。期待に満ちた瞳はらんらんと輝いている。
「楽しみだね〜」
「……そんなに期待するな。ジュース入れてくるから先に行ってろ」
「は〜い。お邪魔します」
 玄関の扉を開けて通すと、あいつは軽い足取りで階段を上っていく。
「……」
 大きく息を吐き出すと俺は台所に入る。いつもならあいつを待たせたくなくて自分でも驚くほど敏捷に動けるのに、今日は身体中が重い。それでも、しょせんはコップ二つに氷を入れてジュースを注ぐだけ。
 覚悟を決めて階段を上る。足跡を立てないようにしている自分が姑息で腹立たしい。
「あ……珪くん。寝ちゃったかと思ったよ」
 あいつはいつもと変わらぬ笑顔で俺を迎え入れてくれた。心がちくりと痛む。
「ちゃぶ台買ったんだね」
「ああ。おまえ呼ぶ時あった方がいいと思って……」
 何もなかった部屋にあいつのためのスペースができている。何となく買ったつもりがそうではなくて……。
「はい、どーぞ。粗ジュースですが」
「いえいえ。お構いなく」
 俺は平静を装ってちゃぶ台の上にトレイを置いた。あいつは俺に調子を合わせてうやうやしくお辞儀をするとコップに口をつけた。
「……で、アルバムは?」
「あ……はいはい。今出す……」
 もう仕方がない。ふらふらと立ち上がると本棚からアルバムを引っ張り出す。
「ほら」
 投げるようにあいつの前にアルバムを置くと、
「見てもいい?」
とあいつは今さらな問いを口にする。『やめた』と言ってしまいたくなる。でも、あいつの顔を見るとそんなこと言えるはずがない。
「そのつもりで来たんだろ?」
「うん。でも一応。……じゃ見せてもらうね」

 アルバムを開いた瞬間、俺はつい目を塞いでしまった。
「わぁ〜、かわいい♪」
 ある意味想像できた反応。そして聞き慣れた言葉。でも、嬉しくなかった言葉があいつの口から出ただけで嬉しいことに気付く。
「……そうか?」
「うんうん。すごく可愛いよ。お父さんもお母さんもやっぱり美形だね。あ……お祖父さんって渋くって素敵♪ 珪くんってホントにお祖父さん似なんだ」
 瞳を輝かせてページをめくるあいつの横顔に見とれながら、祖父さんにすら嫉妬しそうになる。
「あ……」
 あいつの手が止まり、一つの写真から視線が動かなくなった。あの頃に撮ったあの教会の写真。ステンドグラスを前に屈託もなく笑っていた頃の俺。
「本当に綺麗……」
「ん?」
「綺麗すぎて夢だと思ってたの。何度も夢に出てきたから本当に夢なんだって……」
「……」
「あんなに綺麗な男の子、他にはいなかったしね。入学式の時もあの後会えなかったらきっと夢にしてたと思う。いきなり珪くんみたいなかっこいい人とぶつかるなんて考えられないもん」
「あのなあ……」
 半分呆れつつ、何て返したらいいかわからなくて、黙っているとあいつはさらに視線を落とした。
「何度も夢に見たってことは忘れるなってことだったんだよね。ごめんね……思い出せなくて……」
「もういいって言っただろ」
 あいつが本当に辛そうな表情を浮かべるのがたまらなくて、咄嗟に抱き締めた。
「ずっと……忘れてて……いい……」
「珪くん……?」
「おまえがこうして側にいてくれるなら、俺は……」
「珪くん……」
 俺の腕に触れていたあいつの手に力がこもる。
「ありがとう……本当に嬉しい。でもね、思い出せてよかったと思ってる」
「?」
 あいつは俺の腕からするりと抜けると俺を真直ぐ見つめて、
「初めて会ったあの時も……入学式の時も……珪くんはわたしに手を差し伸べてくれた。あの時はその大切さに気が付かなかったけど、今は違う。珪くんは変わらずにいてくれて、約束を守ってくれた……。幸せすぎてそれこそ夢じゃないかって……」
そう言うと、今度は自分から俺に身体を預けた。
「夢じゃない……。夢でも……現実に変えてみせる……」
「……本当はね、人違いだったらどうしようかと思ってたの……」
 思いもかけない言葉があいつの口から飛び出した。俺と同じ不安を抱えていたとは。驚きで言葉が出ない俺が怒っていると思ったんだろう。あいつは身を離そうとした。
「怒らないでね。珪くんにとって大事なのは思い出の女の子なんじゃないかってちょっと不安だったの。もし違ってたら……わたし……」
「絶対に違わないし、違っててもいいんだ……俺が好きなのはおまえなんだから」
 俺はもう離すまいときつく抱き締める。
「正直言うとさっきまで俺も同じこと思ってた。だけど、今はもうそれはどうでもいいことだろ? あの時の子に再会できて……もう一度好きになれて……それでいい」
「……そうだね。でも、やっぱりちょっとだけ気になる」
とあいつは顔を上げると悪戯っぽく笑う。
「……」
 俺は呆れたふりをしてこれ見よがしに大きな溜め息を吐く。そして静かに息を吸い込むとあいつの耳元に口を寄せた。
「何度でも言う。好きだ……愛してる。ずっと側にいてほしい……。いや……もう絶対に離さない……」
「け、珪くんっ……」
 何度も繰り返すうちにあいつの耳朶がどんどん赤く染まり、抱き締めた腕から伝わる……熱。
「…………おまえが……欲しい」
「えっと……アルバムの続きっと」
「逃げるな」
 話題を逸らしつつ、俺から離れようとするあいつをさらにきつく抱き締める。
「……OKだから」
「え?」
 聞こえるか聞こえないかくらいの小声だった。聞き取った内容が一瞬理解できずいたら、すかさずあいつは俺の腕を解いて何事もなかったかのようにアルバムをめくり始めた。
「うわぁ〜、可愛いからどんどんかっこよくなってくね。う〜ん、目の保養になるわ♪」
 若干わざとらしいのが癪に障るが、喜んでいるらしいのでついつい俺も追及を断念してしまう。
 アルバムの中の俺の表情がどんどん沈んでいくのにつれ、写真の数も減っていく。撮られた写真は数えきれないのに……。
「あ……」
「あ〜!!」
 気付いた時にはあいつは最後のページをめくっていた。スタジオで撮ってもらったツーショットの写真。数年ぶりに増えた写真……。
「どうしてこの写真持ってるの?」
「貰った」
「いいなぁ……。わたしも欲しかったのに」
 唇を尖らせるあいつに一瞬妙な衝動が生まれたが、
「ちゃんと二枚くれた……」
ととりあえず、あの人のフォローはしておく。
「えー、だったらわたしにも頂戴♪」
「駄目」
「どうして?」
「他の人に見られたくないから」
「何それ……」
 さらに尖った唇。もう遠慮はしない。
「……!……」
 息苦しそうにあいつが身を捩ったから、仕方なく解放する。
「もう……びっくりした……」
 あいつは不満そうに再び唇を尖らせようとしたが、俺の行動に勘付いたのか口元を押さえた。
「なんだ……つまらない」
「あのねえ……。それはそうとわたしにくれる気はないわけ?」
「ない」
 きっぱり言い切った俺にあいつは、
「ふ〜ん……。じゃあ、文化祭の写真はいらないのかな?」
と急に強気な態度に出る。
「うっ……」
 高校最後の文化祭。いつもなら断るのに、あいつが主役に選ばれたからさりげなく決まりかけてた相手役を奪った。舞台の上のあいつは本当に綺麗で、我を忘れた俺は……笑いを取った。
 後でその時の写真がクラス内外で回っていたが、つまらない意地を張って申し込まなかった。本心はネガごと回収したかった……。
「ほら」
 机の引き出しからもう一枚持ってくるとあいつに差し出した。
「ありがとう♪ 今度持って来るからね」
 あいつは嬉しそうに受け取ると、じっくりと眺める。
「やっぱりプロのカメラマンだね。珪くんはともかく、わたしまでいい感じになってるもん」
 一人悦に入っているのを見ながら、その写真を貰った時のスカウトするだの駄目だのというやり取りを思い出してそっと溜め息を吐いた。
 あいつはそれに気付いたのか、
「珪くんは何てことないんだろうに一人で盛り上がっちゃってごめんね」
と俺を気遣う。
「いや……おまえと写ってるのは俺にも特別」
「ホント? そう言ってくれて嬉しい」
 とびきりの笑顔を俺に向けると少し顔を赤らめてあいつは付け足した。

「これからは一緒に写真増やしていこうね」

 心がじわじわとあったまる。これからはずっと側にいていいんだ……。

「じゃあ……アルバム一つにしような……」
「え? う……うん……」

 すっかり真っ赤になったあいつを今度こそしっかりと抱き締めた。

Fin

あとがき
3回目に家におよばれした時の会話から膨らんだ妄想話です。その時に素直に見せてたら……と思わないではないのですが、そういう訳にもいきませんよね(笑)。葉月くんの記憶力で人間違いなんてことはあり得ないのですが、その頃には主人公にベタ惚れしてるのでいろいろ不安に思うことはあるかなあと……。葉月×主人公のお話は何故か葉月くん視点のネタばかり浮かんでしまいます。男子高校生の気持ちは謎だらけだというのに。

HOME  GS  連絡先