「ごちそうさま」
いつになく早いペースで朝食を終えたリーフは、追いつこうと慌ててパンを口に運んでいるナンナを制した。
「ナンナは急がなくていいよ。僕はちょっと用事があるんだ」
そう言って立ち上がると、リーフは自分の使った食器を片付け始めた。
「あ、私が下げますから……」
「いいよ。これくらい自分でできるから。じゃあナンナ、後でね」
「リーフ様……」
どことなく素っ気ないリーフに首を傾げながらもナンナは食事を再開した。大きなテーブルで一人で食べるのも味気ないと思い周囲を見渡すと、食堂には既に誰もいなかった。
「え……今日は何か予定があったかしら?」
いくら頭をひねっても思い当たることはない。しかし、不安は募る。よほど朝食を残そうかと思ったが、緊急事態でもないのに貴重な食べ物を粗末にするのはナンナには許し難いことだった。
「とりあえず……早く食べましょう」
朝食を終えたナンナはリーフを探したが、行く先々で、
「さっきまでおられたのですが……」
の連続だった。再び首を傾げながらも、そろそろ一息つくだろうとお茶の用意をしようと厨房に向かった。が、扉を開けた時だった。何者かが飛び出し、一瞬のうちに扉が閉められた。
「マリータ!?」
「ナ、ナンナ様、何かご用ですか?」
マリータも珍しく慌てている。しかし、マリータの突然の登場に驚いてしまったナンナにはその状況が不自然であることにその時は気付かなかった。
「あ、リーフ様にお茶を淹れようと思って……」
「それならリーフ様は急な会議に入られました。大事な議題だから邪魔するなと……」
「そう……。今日はお忙しいのかしら……」
「さあ……そこまではわかりませんが……」
「ところで、マリータは何をしているの? 私も手伝うわ」
「あ……でも、大したことはしてないので……」
「そう……」
ナンナの表情は変わらなかったが、明らかにがっかりしているのが見て取れたので、マリータは慌てて話題を変えようとする。
「あ、そうだ、ナンナ様。おじさまは?」
「お父様? お父様も会議じゃないの?」
「……。えっと、おじさまは今日はお休みだそうで……」
「ええっ! お父様が!?」
ナンナは青ざめた顔で駆け出した。
「あっ、ナンナ様! ……嘘じゃないし、いいよね。さ、急がなきゃ」
* * * * *
「お父様!!」
ノックもせずにフィンの部屋に飛び込んだナンナは、しばらく言葉が出て来なかった。
「え……」
「いきなりどうしたんだ?」
父は読書をしていた。具合が悪そうには見えない。
「お父様……お身体は……?」
「身体? 別に何ともないが」
「休んでおられると聞いたので……」
ナンナはすっかり混乱している。フィンは複雑な表情で娘に事情を説明した。
「ああ、お前もリーフ様から何も聞いていないのか。今朝いきなり『休める時は休め』とおっしゃられてな……。とりあえず今日は部屋から出るなと」
「そうだったのですか……。でも、確かにお部屋を出てしまうとお父様働いてしまいますもの」
ほっとしたのか、ナンナは不服そうな表情の父に追い討ちをかけた。
「だが……」
「リーフ様も心配なさっているのです。せめて攻撃のない時は……」
「……わかった」
娘の瞳がどんどん真剣になっていくのを見て、フィンも頷かざるを得なかった。ありがたいと思いつつ、少し軽くなった肩が寂しいとも感じていた。
「お父様、お茶でも淹れてきましょうか?」
「……あ、ああ」
安心したナンナが部屋を出ようとするとノックの音が聞こえてきた。フィンが返事をすると、マリータとサラがトレイを持って現れた。
「お昼ごはんの配達で〜す」
「マリータ!」
「私、ちゃんと説明しようと思ってたんですよ。でも言う前に走って行かれて……」
ナンナと目が合うと、マリータはばつが悪そうに弁明した。
「もう、私びっくり……」
「後で取りに来るから」
ナンナの言葉を遮るように、サラは机の上にトレイを置いた。マリータもそれに従うと、
「それではごゆっくり。ナンナ様もおじさまのことしっかり見張っててて下さいね」
と言い残し二人は部屋を出た。
「完全に軟禁されたようだな……」
溜め息混じりのフィンの言葉にナンナはにっこりと頷いた。
「そのようですわ。今日は諦めてゆっくりお休み下さい。……私がいるとお邪魔ですか?」
「そんなわけないだろう。せっかく持って来てくれた料理が冷めないうちにいただこう」
「はい!」
* * * * *
昼食をすませて早一時間。食器を取りに来ると言っていたのにマリータもサラもまだ来ていない。ナンナは何度も持って行こうかと思ったが、マリータはともかくサラが怒り出しそうなのでずっと待っていた。しかし、いつまでも放置しておくのはナンナもフィンも性分に合わない。
「やっぱり持って行きますわ。お父様はここで待っていて下さいね」
「ああ」
使命を忘れない娘を苦笑を浮かべて見送るフィン。
「どうも引っかかるんだが……何か忘れているような…… 」
食器を運んで、厨房の前に立ったナンナの目の前に突然光の玉が出現し、それは大きさも輝きもどんどん増していく。
「リワープ!?」
咄嗟に身構えたナンナはその光の中から現れた人物を見て、へなへなと座り込んだ。
「サラ……」
「もう! 取りに行くって言ってたのに」
サラが放心状態のナンナからトレイを奪い取ると同時に厨房の扉が開き、マリータが出て来た。
「あら、ナンナ様……。サラ、ちょっと脅かしすぎじゃない?」
「だって、来るなって言うのに来るんだもん。それより用意できたんでしょ?」
「ええ、ちょっと待ってて」
マリータはナンナを助け起こすと厨房の中に駆け戻った。立ったせいかナンナはようやく我に返った。
「リワープを城の中で使ったらもったいないじゃない」
「……リーフ様から一回は使っていいって言われてるもん。それにナンナが部屋で大人しくしててくれれば使わなくてすんだのに」
「だって……。あ……サラ、鼻の頭に粉がついてる」
「えっ、やだ」
サラは慌てて袖で顔を拭った。その仕種が愛らしくて、ついナンナは笑顔を零した。
「何笑ってるのよ?」
憮然とした表情のサラだったが、すっかり余裕を取り戻したナンナは、
「ねえ、中で何してるの?」
と追求し始めた。しかし、漂っている匂いで大体のことは察していた。
「別に何でもいいでしょ! マリータ、まだ?」
サラに八つ当たりされたマリータは苦笑を浮かべて新たなトレイを持って出て来た。その上にはティーポットとクッキーが乗っていた。マリータから受け取ったナンナは、そのクッキーがまだ温かいのに気が付いた。
「これは……?」
「今日のおやつはサラが作りたいって言うから一緒に作ってたんです。失敗したら嫌だから黙っててくれって……」
「マリータ!」
サラの尖った声が廊下に響く。真っ赤な顔でそっぽを向いている。
「サラが作ってくれたのね……。ありがとう」
「いいから早く持って行って!」
ますます顔を赤らめながら、今度は自分の足でサラは厨房の中に消えた。
「うふふ……」
ナンナとマリータは顔を見合わせて微笑んだ。
「サラったら……」
「さあ、ナンナ様。冷めないうちにおじさまとどうぞ」
「せっかくだからみんなと一緒の方が……」
「『今日は』お二人で召し上がって下さい」
マリータの口調にナンナはまたもや首を傾げた。
「? でも……」
「リーフ様のご指示ですから」
後は何を言ってもその言葉ではねつけられ、仕方なくナンナはフィンの部屋に戻った。
「そうか……」
ナンナから話を聞いたフィンはしばらく無言で俯いていた。
「お父様?」
心配そうに覗き込んだ娘にそっと微笑むと、紅茶をすすると口を開いた。
「今日は『父の日』……か」
「『父の日』?」
「レンスターの慣習だ。その日には息子は父親の仕事をし、娘はお菓子を作って父親と水入らずで食べる……。すっかり忘れていたな」
フィンの脳裏には幼い頃の父にくっついて馬の世話をした光景が浮かび、しばらく故郷に思いを馳せた。
「そうだったのですか……」
ようやくナンナにも今日のリーフたちの行動が理解できた。みんながフィンを父と慕ってくれているのが嬉しいのと同時に、二人きりの時間を実の娘であるナンナに与えてくれたことに心から感謝した。
「ナンナも軟禁されていたのだな」
「え? ……ふふふ、そうですね」
父の笑顔がいつになく明るいような気がしてナンナはますます胸を熱くした。
「これを食べ終わるまではお言葉に甘えようか」
「はい」
父と二人きりなのを改めて意識するとなかなか会話にならなかったが、それでもナンナにとっては幸せな時間だった。
「お父様、『母の日』もあるんですか?」
(あ……)
何とはなしに思いついた質問だったが、口にした瞬間、ナンナは後悔したのと同時になぜ自分がこの習慣を知らなかったのか思い至った。
「……ああ」
「あの……」
「今年の『母の日』はもう終わってしまったが、今後のために教えておこう。カーネーションを贈るんだ。そして子供達は家事を一手に引き受ける……」
「お父様……」
ナンナの後悔はたちまち大きな喜びに代わった。
(お父様は諦めていない……)
「ナンナ、これを片付けるついでにノヴァ廟に私の代わりに詣ってきてくれないか」
二人のお茶会が終わりに近づいた時、フィンが切り出してきた。
「それは構いませんが……」
レンスターに帰って来てから毎日欠かさず通っていたので、またしてもナンナは首を傾げた。
「まだ私が部屋から出ていいという許可を得ていないのでな」
苦笑を浮かべながらのフィンの説明に、
「それならリーフ様にお許しをいただいてきましょうか?」
とナンナは申し出たが、フィンは静かに首を振った。
「いや……。『今日は』ナンナに任せよう」
* * * * *
父にとって重要な日課を任されたことは不思議ではあったが、ナンナには嬉しいことでもあった。軽い足取りで王家の墓であるノヴァ廟に向かったナンナの耳に、聞き間違えようのない声が入ってきた。そっと扉をあけるとわずかな光の中、頭を垂れて祈っている人物がいた。
「……リーフ様……」
「ナンナ……」
リーフの驚きの表情はたちまち苦笑いに代わっていく。
「今日はありがとうございました」
「ううん。僕もフィンの代わりに色々なことができて勉強になったよ。で、父上の方を忘れてて慌てて掃除にきたんだ」
リーフは照れ隠しに持っていた布で祭壇を拭いた。ナンナはにこりと微笑むと、
「では、お手伝いします」
そう言ってリーフの側に転がっているほうきを手に取った。
「え、いいよ。フィンと一緒にゆっくりしてなよ」
ナンナからほうきを取ろうとしたリーフの手はナンナに躱された。
「お父様は今はマリータやサラ達とお茶していますわ」
「ナンナ……」
「お父様に任されたこともありますが、私自身もお掃除させていただきたいんです。お邪魔……ですか?」
「そんなことないよ! ……ありがとう。本当に嬉しいよ。それにナンナと一緒の方がきっと父上達も喜んでくれると思うしね」
リーフは慌てて否定すると心の中でフィンにも感謝しながらナンナの手を取った。
「さあ、夕飯までに綺麗にしないとね」
「はい! リーフ様」
ナンナは一生懸命清掃に励むリーフの後ろ姿を見つめながら、そっと目の前のノヴァの碑に祈りをを捧げた。
どうかリーフ様の願いが叶いますように……。
Fin
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