砂の鎖

1.引力

 おじいさまのうそつき。

 おじいさまの行くところなんか退屈なところばかりだってわかってた。でも、同じくらいの年の女の子がいるって言うからついて来たのに……。着いてすぐに、コノートで何か起きたみたいでおじいさまは行ってしまったわ。
 だから独りで女の子に会いに行ったら、話しかけたところで今度は私が体よく閉じ込められた。あの子はあたしを羨ましいと思ったみたいだけど、おじいさまがいないとあたしは独り。みんな気味悪がって誰も寄って来ない。あたしだって心の声が聞こえてこないように……聞かないようにしてるのに。
 それに羨ましいのはあたしの方。だってあの子のこと、呼んでる声があるから……。

 おじいさま用の大きな部屋にあたし独り。おじいさまの帰りを待っていろと言われても何もすることがない。
「あ〜あ。ほんとに退屈。やっぱり来るんじゃなかった」
 わざと口に出して部屋の中をぐるぐると歩き回る。本当に何もない部屋。もうどうしようもなくなって、窓から外を見る。
「……木ばっかり」
 神殿から見える砂の山よりはずっとましだけど……それでも気晴らしになんかなるはずない。カーテンを何度か閉めたり開けたりして、すぐ飽きて、昼寝でもしようとソファに向かう。
「あれ?」
 足にこつんと当たったのはテーブルの下に落ちていた杖だった。そういえば、おじいさまが出かける時に新しいのに替えてたっけ……。拾い上げるとほのかに石が光った。
「まだ……使える?」

* * * * *

 その時は神殿に帰るつもりだった。逃げられる訳ないって思い込んでたから……。

 隣の部屋で控えていた見張り役を呼んで、杖を渡した。
「あたし帰る。それで神殿に戻して」
「しかし……」
「おじいさまがいつ帰ってくるなんてわからないじゃない。こんなとこで待ってるなんて絶対に嫌!」
 見張り役はここの人としばらく話をしてたけど、顔を見合わせて頷き合うと、
「わかりました。コノートの方も大変らしいですから先にお戻り下さい。私もすぐに戻りますから」
とあたしが見つけた杖を構えた。 

 いつもならすぐに神殿に着くのに、いつまでたっても暗闇の中。窓から見ていた深い森は『迷いの森』っていうらしいけど、もしかしてそれに引っかかっちゃった……?

 怖い……。
 でも、このまま出れなくてもいい。……出ない方がいい。
 だって、あたしなんて誰も必要としないから。
 おじいさまだって、あたしを愛してるんじゃないから。おじいさまが欲しいのはあたしの力だけ。
 だから……このまま……。

『た……すけて……。だれか……たすけて……』
 このまま闇に囚われようとした時だった。どこからか声が聞こえてくる。
『助けて……。誰か……』
 とてもきれいな声だったけど、あたしには何もできない。必死で耳を塞ぐ。
 小さい時からずっと誰かの助けを呼ぶ声をたくさん聞いてきた。どうすることもできなくて、その声が段々絶望に変わっていって、そのうち……。
 だから誰の心の声も聞きたくないの。
『どうすればいい……? どうすれば助けられる? 絶対に助けるんだ!!』
「え……?」
 最初は弱々しい声だったのに段々強くなって、閉じようとするあたしの心をこじ開ける。
『強くなりたい……。もっと、もっと……!!』
 あたしも……と思った瞬間、目の前が真っ白になった。

* * * * *

「ここ……どこ?」
 気が付くと目の前には荒れ地が広がっていた。これじゃ砂漠と大して変わらない。とりあえずここから離れたいけど杖はないし、それ以前にあたしには転移の魔法はまだ使えない。
「何だったの? ……一体」
 何かが変わりそうな予感が一気に萎んじゃって、体中から力が抜けてそのまま座り込んだ。
「どう……しよう……」
 そう言ってはみたけど、もう何もする気なんかなかった。

 膝を抱えて空を見上げると、雲がゆっくりと流れて行った。ここでは太陽の光さえとても優しい。あたしの知ってる太陽は突き刺すように肌を焼き、ほんのわずかな水さえも奪い去ってしまうのに。
 そう、ここは砂の監獄じゃないんだ……。

 このまま誰にも見つからなかったら、あたしは自由?
 ……ううん。あたしには何もできない。だから、どうせそのうち……。
 だったら束の間でも、偽りでも自由を満喫したい。
 やっとおじいさまから解放されたんだから……。

 命と引き換えにしかできない思っていたことが現実になっている。後で引き換えるのだとしても……それでもいい。ずっと怖がっていたことだけど、今では怖がっていたこと自体が不思議に思えてくる。知らないうちに自分を見えない鎖でつないでたんだ。

 あたしは立ち上がると大きく息を吸って、改めて自由を味わった。そして何度も深呼吸して身体中の空気を入れ替える。澱んだ空気を出し切ったと思うだけで、身も心も軽くなったような気がする。
「どうしたのかね?」
 突然後ろから声をかけられて、びっくりして振り返った。誰かの気配に気付かないなんて初めてだった。
「おやおや……そんなに怯えずともよい。わしは向こうに見える教会の司祭じゃ」
 おじいさまより年を取ってそうに見えるその人は膝をついて、遠くを指差した。指の先に小さな建物が見える。
 おじいさんの方を向くと、優しい笑顔であたしを見てる。あたしが怖くないのかな。
「ねえ、あたしを呼んだのはあなた……?」
「何のことじゃ?」
 あの声はもっと若かったから違うってわかってるのに、つい聞いてしまった。あたしにこんな優しい笑顔を向ける人なんて今まで……いなかったから。
「まあいい。それよりももうすぐ近くで戦が始まるから早く避難しなさい」
「え……?」
 おじいさんの声にわずかに喜びが混じっていて、変だなと思ってつい心を覗いてしまった。
 戦に対する恐怖、人が死んでいくことの嘆き、絶望への諦め、そして抑えきれない希望……。希望の名は……。
「リーフ……?」
 思わず口に出してしまってまずいと思ったけど、おじいさんは大きく頷いて話を続けた。やっぱり少し興奮してるみたい。
「そう、リーフ王子がお帰りになられたのじゃ。レンスターを取り戻すために。ずっと待ち望んでいた……」
 おじいさんの心の中で『リーフ』という名と同時に溢れ出す光。あたしの心まであったかくなるような……。
「おお、それどころではなかったな。とにかく教会においで。ここも戦場になるかもしれん」
 話が長くなってきたのに気付いたおじいさんは立ち上がると、あたしに手を差し出してきた。
「……いいの?」
 その手を取ってもいいかわからなかったから聞いてみると、おじいさんはすぐに、
「もちろんじゃ。」
と言ってくれた。
「名前を聞いていなかった。教えてくれるかの?」
「サラ……」
 名前と一緒にあたしは手を差し出した。
「いい名じゃ……。さあ、行こう」

* * * * *

 ずっとここにいられたらいいのに……。

 連れて来られた教会は古くて小さくて何にもなかったけど、あったかかった。
「どうしてあんなところにいたんじゃ?」
「呼ばれたの……」
「誰に?」
「わかんない」
「…………」
 おじいさんは大きく溜め息を吐いた後、それっきりあたしのことは聞かなかった。おじいさんには悪いと思うけど、あたしだってどうしてなのか、どうしたらいいのかわからない……。それにおじいさまのことは言える訳ない。
「……まあよい。今は戦況を見守るしかないのだからな。ただ、万一の時は……あの杖はまだあったかの?」
 そう言って奥の部屋に入って行ったおじいさんの背中を見てると、ついおじいさまのことを考えてしまう。

 嫌い。怖い。
 でも、おじいさまがいないとあたしは独り……。
 あたしには名前も要らない。『マンフロイの孫』で十分だから。

「サラ」
 いつの間にか俯いてたあたしは、その声で顔を上げた。おじいさんは小脇に古ぼけたワープの杖を抱えてて、両手には湯気の立ったカップが二つ。
「さあ、飲みなさい」
 カップの中身はミルクだった。あんまり好きじゃなかったけど、喉が渇いてたから口を付けると、ほんのりと甘かった。それは今まで食べてきたどんなお菓子よりも美味しかった。
「おいし……」
 おじいさんの方を見ると、やっぱり優しく微笑んでた。
「やっと笑ったな……」
「あたしが……笑ってる……?」
 本当にびっくりした。やっとのことでそれだけ言うと、おじいさんは声を出して笑った。
「ああ、そうしている方がずっと可愛らしい」
「…………」
 何て応えたらいいかわからなくて黙ってたら、おじいさんの笑い声はもっと大きくなった。

* * * * *

「あ……」
 突然、頭の中にたくさんの人の声が飛び込んできた。色んな声が混じってて何を言ってるのかよくわかんない。
「サラ、どうしたんじゃ?」
「誰か……来るよ」
「こんな時にこんなところへ誰も来るはずがない」
とおじいさんは最初は信じてくれなかったけど、あたしの顔をしばらく見てから、そろりと立ち上がった。
 外の様子を見てきたおじいさんは厳しい顔をしてた。持ってた杖を構えてあたしを手招きした。
「サラ、わしの側から離れるでないぞ」
 あたしをローブの中に隠して祭壇の方に歩いて行くおじいさん。
『この子だけは……』
 何かわからないけど、あたしの心はあったかい水でいっぱいになった。

 祭壇の前に着いた時、教会の扉がぎいっと開いた。
「リーフ王子の解放軍です! 怪我人を預かって下さいませんか!?」
 あたしとあまり変わらないくらいの女の子だった。おじいさんはほっとしたように全身の力を抜いてあたしをローブから出し、扉に近付いて行った。
「解放軍の方じゃったか……。ライブをかけるくらいしかできんが、奥へ運んで下され」
「ありがとうございます!」
 女の子は嬉しそうに外に戻ると、女の人を抱えて教会の中に入ってきた。おじいさんは女の人を運ぶのを手伝いながら、
「リーフ王子はご無事ですかな?」
と女の子に聞いた。
「はい、戦況はかなり厳しいのですが……リーフ王子は諦めておられません」
「そうですか……」
 おじいさんの心の中にまた光が灯った。そして、女の子の心から聞こえてきたのは……あの声だった。あたしを呼んだ声……。

 連れてきた女の人をベッドに寝かせた後、おじいさんはライブをかけた。女の人は苦しそうな息をしていたけど、穏やかな寝息に変わった。女の子はほっとした顔で、
「ありがとうございました。その人を死なせたくなかったんです……。あっ、看護班は迂回していますのでまもなく到着すると思います。そちらの方もよろしくお願いします」
と頭を下げた。
「わかりました。どうか……王子のことを……」
「はい。必ず」
 女の子は真剣な表情に戻って、駆け出そうとした。
「待って」
 あたしは女の子の腕を掴んでた。
「え……なあに?」
「これ、サラ。邪魔をしてはいかん」
 おじいさんはあたしを止めようとしたけど、あたしは手を離さなかった。
「これは申し訳ない。この子はちと不思議なところのある子でな……お気になさらんで下され」
「行く……。この人と一緒に行くわ……」
「え!?」
「な……何を言っておるのじゃ!」
 女の子とおじいさんは同時に声を上げた。
「一緒にと言うてもこの方は軍隊の方じゃ。サラには……」
「あたし魔法使えるから」
「サラ、待ちなさい!」
 おじいさんがあたしのこと心配してくれてるのが声を聞かなくても伝わってくる。でも、あたしは行かなくちゃ……。
「あたしを連れてって……」
「で……でも」
 女の子はあたしとおじいさんの顔を代わる代わる見てて、本当に困ってるみたいだった。
「少し待って下さるかな?」
 おじいさんは奥の部屋に行き、すぐに戻ってきた。あたしがまだ女の子の腕から離れていなかったので、呆れたように溜め息を吐いた。
「サラ、これが使えるか?」
 おじいさんはさっきのとは別の杖を持ってきていた。
「サイレス……。これなら使える」
「そうか……」
 おじいさんはまた小さく溜め息を吐くと、その杖をあたしに差し出した。
「サラ、持って行きなさい」
「……いいの……?」
 おじいさんは何も言わずにあたしに杖を握らせた。それから、女の子の方を向いて頭を下げた。
「この子を連れて行ってやってはくれませんか? この子の不思議な力がお役に立てるやもしれん」
 女の子はしばらく考えてたけど、頷くとあたしに笑いかけてくれた。
「じゃあ、行こう! ペガサスに乗るけど……怖くない?」
「うん!!」

つづく

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