Strawberry Kiss

 気が付いた時はどうしようもない嫌悪感に襲われて、触れられるのも嫌だった。私が生まれ育った国では決して許されないこと―他所の国では許されることもあると知った時も驚いたけど、それを実際に目にできるとは…。なんて今では他人事のように言えるけど、私も彼と同じだって気付くまでは辛くてたまらなかった。気付いてからは…。

「どうしたのだ?具合でも悪いのか?」
 夫の優し気な問いかけに、私も笑顔で返す。
「いいえ。もうつわりも落ち着きましたから…。ご心配をかけて申し訳ありません」
「…俺にまで気を遣ってどうする」
本当に辛そうな表情をなさる。彼の優しさは故郷を離れて一人で嫁いだ私には何よりの救いだ。夫は気を取り直して、持っていた篭を私の目の前に持ち上げた。
「初物の苺だ。食べてみるか?」
苺の爽やかな春の香り。子を授かってから今まで感じたことのない香りがわかるようになった。…もっとも酷い臭いに苦しまされる方が多いのだけれど。
「…やはり無理か…」
落胆した夫は篭を持つ手を下げた。私は慌ててその手を取った。
「申し訳ありません。余りにも良い香りにうっとりしておりました。是非いただきとうございます」
夫の顔がぱあっと明るくなる。こういうところはとても可愛らしい…口にするとご機嫌を損ねるかしら。そんなことを考えているうちに夫は部屋を出ようとしていた。
「では、洗ってこよう」
「そのようなこと…誰かを呼びましょう」
「いや…これくらい俺でもできる。それに他に任せたらせっかくの苺が台なしになる」
それだけ言って夫はドアを閉めた。私は思わず笑ってしまった。
「こういう価値観は似ているのよね…」
(そしてこういうところはあの方とは違う…)
楽しくてつい口に出しそうになって、慌てて口を手で塞いだ。唯一あの方に対して感じる優越感なんだもの…大事にしなくては。他の人に聞かせるなんてもったいない。

 しばらくして、夫が水滴を落としながら部屋に入ってきた。
(篭にそのまま入れてしまわれたのね…)
私はきっと苦笑を浮かべていただろう。だってその篭はあの方のものなのに。私が謝るより彼の言葉の方がいいわよね。きっとあの方は彼にこんなことさせる私をよく思わないだろうけど。でもあの方は決してそれを口に出すことはないし、私が完璧に立ち回っても気分は悪いだろうし。それなら私は楽にさせてもらいましょう。
「すまん…」
夫は私が床に落ちた水滴を気にしていると思ったのだろう、恐縮という言葉通りの表情をしている。私は立ち上がり、夫から篭を受け取った。
「別によろしいのですよ。この篭を濡らしてしまってよかったのかと気になったのです」
夫ははっとした表情を一瞬浮かべた。でもすぐに隠す。少しは上達されたのね。それならもう一つ…。
「ラケシス様もご一緒されないかしら?」
これには少しこたえたらしい。少し後ろめたい表情を浮かべられた。いくら私でもそれくらいはわかるのですよ。ご一緒に苺摘みされたことくらい…。
「あいつはこういう食べ方せんからな」
少し寂しそうにおっしゃるのも仕方ないわね…。ある意味私の存在価値でもあるのだから。意地悪はこの辺にしておきましょうか。
「せっかくエルトシャン様が摘んで下さったのですもの。早くいただきましょう」
夫をソファに誘う。座った夫は私をじっと見つめる。期待半分不安半分のその表情に私もリアクションが取り難い。
「…じっと見られていては食べられません」
「あっ…すまん」
と顔は逸らすものの、視線は私の口許に集中している。まあ仕方ないでしょう。
(ここ数日食事もろくに摂れなかったものね。心配していただけるだけありがたいわ)
みずみずしい苺を一粒つまみ口に運ぶ。口から全身に苺の香りが広がる感じがする。少し酸っぱいが、それが胃のむかつきを和らげてくれる。私は心から微笑んだ。
「本当に美味しゅうございますわ」
「そうか!」
夫は本当に嬉しそうに笑ってくれた。彼の笑顔を見ると今の自分の立場などどうでもよくなる。彼が私を案ずるのはお腹の中の子のお陰。その子が夫の跡継ぎの証を持つかどうかで私の将来も決まる。体調が悪いのは多分、その不安のせいでもあるのだろう。
 夫は私と同じように苺をつまんで口へ放り込んだ。酸っぱさに口を尖らせながら、
「まだ早かったかな。でもやはり苺はこうやって食べないとな」
と悦に入っている。私も本当に楽しくなってくる。
「そうですわね。手を加えるのも美味しゅうございますが、このまま食べるのが一番ですわ。…それにしてもそんなに酸っぱいですか?私にはちょうどよいのですが」
その言葉に夫はますます嬉しそうな顔をする。
「妊娠したら酸っぱいものが食べたくなるというが…。本当にこの中に俺の子がいるのだな」
と私の横に移動し、お腹を優しく摩ってくれた。私はその手に自分の手を重ねた。
「そうですわ。エルトシャン様に似ているとよろしいのですが」
「どっちでもいいではないか。お前に似た方が美しくなる…それより、もう動いたりするのか?」
端から見ればお熱い夫婦の会話なんだろうが、そうではないところが、悲しかったり、楽しかったり…。
「まだ動くのは感じませんが…。もしそうなったら、ご報告しますわ」
にっこりと微笑みかけると、夫は抱き寄せて…お腹が当たらないように…口付けしてくれた。とても爽やかな苺の香りがした。
(少しくらい私も幸せを感じてもいいわよね…この方も…そしてあの方も…)

Fin


後書き
相変わらず安直なタイトルの決め方(号泣)。少し大人向けのお話です(冷汗)。ある仮面夫婦のラブラブ(?)な一日です(おいおい)。グラーニェのイメージと違うって方も多いでしょうが、寛容なお心で読んでいただけるとありがたいです。このシリーズはもしかしたら増えるかもしれません(^^;)よろしければお付き合い下さい。

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