いつか…あなたに薔薇の花を

 お伽話に出てくる王子様みたいだと思った。
 そして…当然のように対になるお姫様がいた。
 お伽話なら、『王子様とお姫様はずっと幸せに暮らしました』
 ってことになるんだろうけど…。

 王子同士が仲良くなったことがきっかけで、アグストリアとレンスターの関係を強化するために、私はノディオンに嫁いだ。わが王子が、
「無愛想だが、本当にいい奴だ。俺が保証する」
と太鼓判を押して下さったので、さしたる不安も感じることなくノディオンにやって来た。
 まあ、別に結婚相手など誰でもよかった。望む相手など…いないのだから。ましてやレンスターの役に立てるのなら本望だ。本当なら、家を継ぐために適当に婿でももらって…と考えていたから、王妃になることなど想像したこともなかった。父などは故国の王妃にと望んでいたらしく、話もかなり進んでいたらしい。でも、私も王子も全くそんな気などなかった。その話のために私は王子から離れる羽目になり、そして他国の王子の許へ嫁ぐことになったのだから…運命って面白い。
 まさか私が政略結婚の主役になるなんて…。それもかなりの美男子で、分不相応としかいいようがない。その気になれば妃などよりどりみどりだろうに。レンスターにも美姫はたくさんいる。どうして私なんかで妥協されたのか。…レンスターが私を王子から遠ざけるために圧力をかけたのだろうか。
 その理由はじきにわかった。言い様のない不快感で私は王子を初めて…恨んだ。

* * * * *

 ノディオン城に足を踏み入れた瞬間、私は鋭い視線を感じた。その視線は私の頭からつま先まで何度も往復する。殺気とは違う今まで感じたことのない視線に、私は戸惑うだけだった。広間へ通されるまでその視線は付きまとった。そして、その持ち主の表情は広間へ入った途端一変した。
「エルト兄様!」
 その美しさに私も見愡れた。満面の輝く笑顔の美しさはどんな花も太刀打ちできないだろう。その花を受け取った人も柔らかな笑顔で抱き締めていた。
「ラケシス、どこへ行ってたんだ?」
にこやかな表情は、私に向けられた瞬間に冷淡なものに代わった。
「…よく来てくれた。歓迎する」
「ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
 落差の激しさに驚きはしたけど、何も期待していなかったから平気だった。だけど、城の人間は情の強い女だと思ったらしい。瞬く間に私の名より『鉄の女』という渾名が城内はもとより国中に広まった。…この国でもそう呼ばれるのか。嬉しいことだわ。

 結婚式当日。アグストリア風の純白のウエディングドレスを身にまとった私は、鏡の前で立ち尽くした。鏡に映っているのは…喪服に身を包み、デスマスクをつけた私。
「これが…花嫁とは…お可哀想に」
まるで他人事のような言葉。鏡の向こうの私は意地の悪い笑顔でこちらを見ている。
「グラーニェ、入るぞ」
 返事を聞かずに扉を開けるのは王子の悪い癖だ。まあ、声をかけるようになっただけでも成長されたけれど。私は慌てて鏡から離れる。部屋に入って来た王子は私を物珍し気に見つめた。
「…似合ってるぞ」
「私でなければこの衣装も映えるでしょうに」
 本当に美しいドレスなのだ。細かいレースと肌触りのいい生地。素人目にも極上の物だとわかる。他の女性だったら感激するんだろうか…結婚は女の夢らしいから。でも私は一生着ることはないと思っていた。一生着たくはなかった。
「何言ってるんだ。ちゃんと美人に見えるから安心しろよ」
「ふふふ…それなら安心ですわ」
 私は王子の励ましているんだかけなしているんだかわからないような物言いが好きだ。肩の力がすうっと抜けていくのを感じた。やっぱり私も緊張していたのね。ふと鏡に目をやると、私の顔の色が死人のものから生き返っていた。こわばっていた表情も少しは和らいでいるみたい。王子も少し安心したような顔をなさっている。…最初で最後のチャンスだ。私はかねてから疑問に思っていたことを口にした。
「殿下、お聞きしたいことがございます。…何故親友でいらっしゃる方に政略結婚などお勧めになられたのですか?」
 王子は動揺の色を隠さない。私には無駄なことだとご承知だもの。軽く溜め息を吐くと説明して下さった。
「あいつが好きになった女性と結婚するのが一番だけどな。どうも本人にはその気がないらしい。心に秘めた女性がいるのかもしれないが…。あ…こんなことお前じゃないと俺も言わないからな!」
確かにこんなことを聞いては普通はたまったものではないわね。でも、私は平気。むしろ王子が何故私の相手にエルトシャン様を選んだのかよくわかった。
「そのお相手はご存知ないのですか?」
「ああ。あいつの口から色恋沙汰の話がでたことはない。できることなら協力してやりたかったがな。…それでだ、アグストリアの諸公から縁談がいろいろ来たんだが、まあ…その…あいつの妻になるにはちょっと難ありでな。それにエルトシャン以外の諸公は野心家ばかりで、縁組みすると下手に巻き込まれかねん。だから、イムカ王が父上に相談されたんだ。…俺としてはお前を手放すなど考えたこともなかった。でも、エルトシャンに釣り合うのはお前ぐらいしかいないしな…」
 最後の方は少し辛そうにおっしゃった。王子のお心には涙が出そうになる。
「買い被り過ぎですが…そう思っていただけるのはありがたいことですわ。…それにもうレンスターのためにお役には立てないと思っていましたから、私は幸せ者です」
「グラーニェ…」

 その時ノックの音がして、返事をするとフィン様が部屋に入ってこられた。布にくるまれた大きな包みを持っておられる。王子はその包みを受け取るとポンと私に放り投げた。ずっしりとしたそれは形状からも何であるかはすぐにわかった。嬉しくもあり、辛くもあるもの。私は包みをぎゅっと抱き締めた。
「もうお前には不要の物かもしれない。でもお前に持っていてもらいたい。…俺のわがままだ」
「…ありがとうございます。本当に嬉しゅうございます。宝物にさせていただきます」
 王子はほっとした顔をなさった。お心遣いに胸が熱くなる。レンスターを出る最後の最後まで持ってくるかどうか悩んでいたもの。そして出た瞬間に置いて来たことを後悔したもの。それを王子は持って来て下さった。…もう決して手放さない。包みを解くことはもうないだろうけど。
「あの…キュアン様。そろそろお時間ですが」
 遠慮がちにフィン様が声をかけられた。もうあと半刻で式が始まる。王子は少し逡巡なさったけれど、
「じゃあ…式場でな」
軽く手を上げて、振り向くことなく部屋を出ていかれた。後を追おうとなさったフィン様が、私の方に駆け寄ってこられた。
「グラーニェ様…。どうか…お幸せに!」
「ありがとうございます。フィン様…。殿下のことよろしくお願いいたします」
「お任せ下さいとはまだまだ言い切れませんが、グラーニェ様に早く安心していただけるように頑張ります」
「私はもうすっかり安心しておりますわ。フィン様にならお任せできます」
「本当ですか!あ…すぐに伯爵をお呼びして参りますね」
 フィン様は笑顔を残して部屋を出られた。お二人のお気持ちが嬉しくて思わず涙が零れてしまった。もっと泣いていたかったけど、お化粧が取れてしまう。慌ててハンカチで涙を拭っていると父がやって来て、最後の挨拶をした。

 式は滞りなく過ぎていった。エッダから呼ばれた司祭が粛々と神への祝詞を捧げる。私はそれを聞きながら隣にいる人の表情を窺った。ヴェール越しの彼は無表情で前を見つめていた。司祭に促され、私達は向かい合ったが、彼の瞳には私は映っていない。その琥珀色の瞳に映える方はどなたなのだろう。…単なる好奇心のつもりが、自らを苛むことになるなんて。
「永遠の愛を神に誓いますか?」
「…誓います」
 瞳に暗い影を落として彼は誰に永遠の愛を誓ったのだろう。
「誓います」
 私が愛を誓うのは…。それにしても互いに違う相手に愛を誓う結婚式も珍しいと思わず笑みが零れてしまった。声を出して笑いたいけどさすがにそれはできないか。
 教会の通路を腕を組んで歩く。最前列に座っている薔薇の花がふと目に入った。憮然とした顔で私を睨み付けている。そんな顔もお可愛らしい。そして、彼は薔薇の花にも目もくれず、ただ前だけを虚ろな瞳で見つめていらっしゃる。少し違和感を感じた。けれど、それは何故なのか、その時の私にはわからなかった。

* * * * *

 長々と続いた式やら宴やらから解放され、私があてがわれた自室でやっと一息つくことができたのは真夜中近かった。虚構だらけの式の後は披露の宴が催され、さすがの私もこたえた。ずっと笑顔でいなければいけないのだから。隣の彼はひたすらお酒を呷っていた。さしずめやけ酒ね。…できれば私もいただきたかったのだけれど。祝いの席だからと彼から杯を取り上げるどころか、さらに酒が注がれる。主に親友であるシアルフィ公子と王子が彼を煽っている。私の方をご覧になった王子が軽く目配せなさった。私は心からの笑顔で返した。
「今夜はゆっくりできそうね」
 王子の心配りに感謝しながら、床に入った。今日の出来事が頭の中で何度も浮かび上がる。王子の思いやりにフィン様の優しさ…そして夫となった彼。
「どうしてこんなに気になるのかしら…」
 最初から何も期待していないのだから、彼のことなど気にする必要はないのに。彼のように私も突き放すべきなのだろう。王子の親友として敬意を払っていさえすれば問題ないはず。それができないのは…彼の瞳を見たせいだ。あの瞳が輝くのを見てみたい。そう思う理由は自分でもわからないけれど。…私とは違って可能性があるのならば。

 私にとっても最も大きな節目だったようで、その夜はなかなか寝つけなかった。それでもいつの間にかうつらうつらとしていたらしい。扉の開く音が聞こえなかった。私を射るような視線でその気配にようやく気付いた。
「エルトシャン様…」
 私は慌てて居ずまいを正した。その時には彼は窓から月を眺めていた。
「起こしてすまなかった」
そう言って振り返った彼の表情が思いの外優しいのに私は戸惑った。
「いいえ…。先に休んでしまい、申し訳ありませんでした」
私も床から出て、彼の側に近づいた。大きな満月が私達を照らす。その月を見ていると、私の心の鎧も消えてしまいそうになる。清冽でいて妖しげな光…。それを見たことで私達は初めて互いに向き合う気になったのかもしれない。
「いや…。俺の方こそすまなかった。…礼儀だと言われたのでな」
「礼儀ですか…」
 私は思わず笑ってしまった。確かに真面目なのだとこの時初めて実感した。王子のおっしゃる通りのお方だわ。王子の目論見は見事に外れてしまったけど。
「あ…」
口にするべき言葉ではないと気付いたのだろう、少し慌てていらっしゃる。救いになるかわからないけれど…。私は意地の悪い言い方だと思いながら、逃げ道を用意して差し上げた。
「でしたら…私は目覚めない方がよいのでしょうか?…この部屋に来られたのは事実ですし」
 彼は言葉の意味を理解したらしい。少し逡巡して、月を見つめた後、意を決したように私の前に立った。
「来るまではそう思っていた…」

 正直言って驚いた。驚きは彼の方が大きかったようだ。いろいろ経験はあったみたいだけど、あんな結末を迎えるとは思っていなかったらしい。私も初めての行為に恐れを抱いていたが、そんなものは触れ合った一瞬のうちに吹き飛んだ。…要するに私達は肌の相性がよかったのだ。
 その夜以来、私達は毎夜のように求め合った。互いの心の奥底に潜む闇を忘れようと…いいえ、その闇ゆえに私達は貪り合う。しかし、身体がどんなに打ち解けようと、心はなかなかそうはいかない。それがなおさらのめり込む一因でもあった。心だけは…。
 それでも王の毎夜のお渡りに私も王妃として認められるようにはなった。侍女すら連れて来なかったので、孤独な日々が待っていると想像していたが、城の者は常に私を気遣ってくれる。それが彼の王としての器なのだ。だから私は幸せそうに笑っていさえすればいい。

 ただ、少し気にかかるのは妹姫様のこと。未だに一言の言葉も交わしていない。声をかけようとすると巧みにそれを躱される。私を見る目は敵意に満ち溢れている。…お気持ちはわからなくもない。あんなに素敵なお兄様ですもの。憧れずにはいられない。一人占めしてこられたのだろうし、私の存在を認めたくはないはずだ。でも、私はあのようにお可愛らしい姫を義理とはいえ妹と呼べることに喜びを感じていた。だから日中は姫にお返しして、愛らしい笑顔を堪能していた。
「エルト兄様♪」
「ラケシス!」
 アグスティから久しぶりに帰ってきた彼の胸に満面の笑顔で飛び込む姫様。それを受け止める彼の瞳は明るく暗く瞬いた。その光を見て、私は愕然とした。
(この方だったのね…)
 どうして今まで気がつかなかったのだろう。彼があんな笑顔を向けるのはこの方だけだったのに。ただ仲のいい兄妹だと思っていた。…トラキア半島で育った私には想像すらつかなかったのだ。…おぞましい。私は崩れそうになる意識を必死で押しとどめていた。壊れた方が楽なのはわかっている。でも私のせいでレンスターの名を穢す訳にはいかないのだ。

 幸いだったのは、姫様はまだ蕾だということ。…それでもどんな満開の花よりも美しいのだけれど。いくらなんでも大事な蕾を手折るようなことはなさらない。だからこそ…私を求められるのだ。問題はいつ花が開くか…だ。
 それでも…触れられるのは辛かった。身体も拒絶反応を起こしている。全くおかしな話だ。もともと感情など彼と私の関係には存在していないのに。だから、彼が誰を想っていようと問題ないはずだ。確かに彼が禁忌を犯してしまったのならわからないではないのだけど。…そうなったら、私に触れる必要もなくなるのだから、気に病むこともない。でも、そうなるまでに私は聖痕を持つ子供を生まなければならない。王族の義務…覚悟していたとはいえ、私の今後の人生の唯一の存在意義だと思うと、溜め息を吐いてしまった。
「…どうした?」
 私の反応がいつもと違うのにさすがに気が付いたのか、頭を上げて私の顔を覗き込まれた。私は何と応えたらいいのかわからず、ただ無言で彼の瞳を見つめた。
「具合でも悪いのか?」
身体を起こした彼は、手を私の額に乗せた。昔体調を壊していた時期があったので、私は病弱で通っている。普段なら軽く熱を帯びているはずなのに、氷のように冷たいのが自分でもわかる。彼は冷たさにパッと手を離した。
「大丈夫ですわ。きっと…こんなに間が開いたことはございませんでしたでしょう?」
 私は軽く笑みを浮かべて…引きつっていたと思うが、彼に続きを促した。彼は私の答えに納得したかどうかはわからない。それにもともと私のことなどどうでもいいのだ。再び闇の世界へと堕ちていった彼は、もう後戻りすることはなかった。私は…というと、前のようにのめり込むことはなかったが、理性で受け入れることができた。
 私はあまりの快楽に義務だということを忘れていた。だから、一瞬でも不快と感じてしまったのだ。でも…義務ならばどんなことでも耐えられる。そう、子を授かるまでの…花が咲くまでの義務なのだ。

* * * * *

 あっという間に時は過ぎ、私は王妃としての仕事にも少しずつ慣れていった。彼と私は趣味が似ていることがわかり、本等を借りに執務室には自由に出入りできるようになった。彼はノディオン王といっても騎士でもある。だから、私と価値観が近く、互いに親近感を抱くようにはなっていた。もちろん、それ以上のことはないから、私が彼の私室に入ったのは数回しかない。それも彼が風邪を引いて寝込まれた時だけ。看病は姫君がつきっきりでなさっていた。その時も彼の瞳には闇が宿っていた。…夜更けに熱を圧して私の部屋に来られた。
 普段執務室には彼が在室していらっしゃる時だけ入ることにしていたのだが、アグスティにいらして当分帰って来られない。借りていた本の続きがどうしても読みたくなって、侍従長には断ってから入ることにした。
 主のいない部屋に少し気まずさを覚えながら、私は本棚へ借りていた本を戻し、隣の続きを引き出した。本の並べ方にも彼の性格が出ていて面白いと思いながら、本棚の左の端の一番下の段にかなり古い装丁の本を見つけた。『グラン共和国憲法』…レンスターの王宮にもあったこの本を私は読みたくて仕方なかったが、王子の悪戯で修復ができないほど破壊されてしまい、読むことは叶わなかった。せっかくの機会だからと手に取り、ぱらぱらとページをめくる。あるページでそれは止まった。
 誰も興味を示さないはずの本。それでも彼には大切な本だと私にはわかる。だから大切なものをそれに挿んだのだ。
「こんな本を見たがる物好きはいないと思われていたのね…」
ここまで趣味が同じだとは思っていなかったのだろう。それとも…ここに挿んでおいたのをすっかり忘れるくらい夢中になったのかしら。…あの方に。
 私はまじまじと挿んであったものを見た。数年後なら…間違いなく誤解していただろう。そこには美しい花が満開に咲き誇っていた。
「同じだわ…」
私は本を閉じて、あった場所に収めた。この本を読めないのは…もう関わりのなくなった証なのだ。そう自分に言い聞かせて、さっき取った本だけ持って自分の部屋に戻った。

 どうして私達は似ているのかしら。
 ここまで似てくると理解しないわけにはいかない。
 その想いに罪がなかったことも。
 想い続けることは罪だとしても。
 そして…。

 いつか…あなたに薔薇の花を…。

Fin

後書き
内装だけは耽美系(^^;)色ぐらいは変えた方がいいかな?
仮面夫婦誕生のお話です。エルトがどこかおかしいような気もしないではないですが…。
いろいろ謎の部分は残ってますが、いずれまた…ということで(本気か)。

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