眩しい……。
お前に降り注ぐ淡い光……。
浮かび上がるお前の美しさに引き寄せられ、そして撥ね付けられる。
神々しいお前に差し出した自分の手があまりに禍々しくて……。
ならば……お前を闇に閉じ込めれば……触れることができるのだろうか?
窓際に立ち、カーテンに手をかける。突き刺すような、それでいて柔らかい光を身に浴び、思わず空を見上げた。
こんなに眩しいものだったか……?
見るつもりはなかった。見てはならないものだった。……だが、それが目に入った瞬間、身の内で暴れていた狂気は霧散した。
笑うしかなかった。悩むくらいならさっさと消してしまえばよかったのだ。振り返ると、お前の上に俺の影が重なっている。それでも狂気の鼓動は聞こえない……。
影を動かして、お前の頭を撫でる。再び光を浴びたお前は身じろいだが、すぐに安らかな寝息に戻る。やはりお前のあるべき場所は光の世界なのだ。俺の世界では……ない。
* * * * *
毎夜のように通う部屋の扉を今夜も叩く。いつもなら返事と共に開かれる扉が今夜は何の反応もない。
もう寝たか……?
それなら別に構わない。今夜はもう鎮まった。あれに頼る必要もない。
違う……。
頼りたいのだ。そして帰りたいのだ。俺のいるべき世界へ……。
だから別に構わない。
俺は静かに扉を開けた。心地よい暗闇が俺を迎え入れる。目が慣れるのを待つ間でもなくベッドに向かった。が、誰もいないどころか使われた痕跡もない。
明らかに落胆している自分を嘲りたくなるのと同時にあれにどれだけ依存しているかを自覚し、愕然とする。
そんな俺を嘲笑うかのようにすきま風と共にカーテンが翻り、光が差し込んできた。わずかにテラスに通じる窓が開いていた。
窓からテラスを覗き込む。あまり広くはないが、部屋の主の希望でテーブルと椅子が数脚据え付けられている。その椅子の一つにあいつは腰かけていた。こちらに背を向けているので何をしているのかはわからない。
髪を下ろした姿など見慣れているはずなのに、どこかが違う。全てを拒絶するような、それでいて泣いているような背中に、窓を開けようとした手が止まる。
「グラーニェ……」
躊躇いつつもかけた俺の声に振り返ったあいつは、先ほど見たのが幻だったと思わせるほど生気に満ちていた。
「まあ、エルトシャン様……。おいで下さったのに気付かず、申し訳ありません」
あいつは立ち上がると、半開きの窓を開け、俺をテラスに招き入れた。
「何を……していた?」
俺に椅子を勧めると、あいつもそれまで座っていた椅子に腰かける。
「……月見……ですわ」
あいつは俺の質問に答えると上空を見つめた。視線の先には満月が青白い光を放っている。光を受けているはずなのに翳る……瞳。
「月見……?」
「レンスターでは今夜の月は特別なんです」
自分からは故国のことを話さないのに珍しい。表情はにこやかなのに、泣いているようにしか見えない。やはり幻ではなかった……。
「レンスターが懐かしいか?」
だからつい無意味なことを聞いてしまった。一瞬目を宙に彷徨わせた後、あいつは今度こそ本気で笑った。
「月見団子……お菓子のことですけど、それが食べられないのは少々残念ですが……。でも、これがありますし」
そう言ってテーブル上の白い瓶を指し示した。傍らの小振りのグラスには無色透明の液体が入っている。
「月見酒と申しますが……まあ口実ですわね。レンスター酒ですのでお口に合うかわかりませんが、一献いかがですか?」
あいつはくいっとグラスを空けると俺に差し出した。注がれた液体に口をつけると、熱さに喉が焼ける。とてもじゃないが、あいつがしたように一気に飲めるような代物ではなかった。
「ああ……申し訳ありません。これは『ちびちび』飲むものなのですよ」
思わぬ刺激にむせた俺の背をさすりながら詫びているが、どことなく楽しんでいるのがわかる。……が、不思議と不快感はなかった。
「『ちびちび』?」
「ええ。『ちびちび』です。それなりに味わっていただけるかと」
言う通りに『ちびちび』飲んでみた。口の中に芳香が広がる。
「本当だな……旨い」
「それはよろしゅうございました。それでは……何かつまみになるようなものを見つくろってきますわ」
「いや……。あれが肴なのだろう?」
と俺はグラスで頭上の月を指すと、くいっと飲み干して差し出した。
あいつは立ち上がって部屋に入ろうとしていたが、俺の意図を察すると再び腰を下ろし、不敵な笑みを浮かべてグラスを受け取る。
「明日に差し障りのないようにお願いいたします」
「……自信たっぷりだな」
俺は瓶を持ち上げるとあいつに渡したグラスに酒を注いだ。
* * * * *
気が付くと瓶の酒は底をついていた。それまでは一言の言葉も交わさず、グラスだけが二人の間を行き交っていた。俺が飲み始めた時には瓶の八分目ほどに減っていたから、それを考えると隣の女が平然としているのは少々癪に障る。
「まあ……こんなに早く空くとは思ってもみませんでしたわ」
あいつは物足りなそうな顔で瓶の中を覗く。俺は笑っていた……と思う。
「まだ飲み足りないのか……? それならもう一本持ってきてもよいが」
「ふふふ……呆れていらっしゃいますね? 是非……お願いしたいところですが、ずいぶん冷えてまいりました。エルトシャン様はもうお部屋にお戻り下さいませ」
ぶるっと身を震わせ、あいつは自分を抱くように腕を組んだ。いつの間にか風が強くなっている。あいつの言葉に従おうとしたが、どこか引っかかる。
「お前は?」
俺の問いに、あいつは傾き始めた月を見つめたまま、
「ご用がなければ、あの雲がかかるまで見ていようと思っています」
と答えた。
西の方に大きな雲の一群が流れて来ていた。あれがかかると当分月は姿を見せないだろう。
月が隠れる……。
「俺も……付き合ってもいいか?」
何故そんなことを口走ったのか? 月が隠れる前に戻れば今夜はやり過ごせるのはわかっているのに。あいつも驚いたようにこっちを見ている。
「でも……お風邪を召してしまいますわ」
自分もすぐに部屋に入ろうという選択肢はあいつの念頭にはないらしい。端から俺を逃がすつもりだったのか。
「それはお前も同じだろう。こうすれば寒さも和らぐ」
俺はあいつを立たせると後ろから覆い被さる。あいつは一瞬身体を強ばらせたが、
「そうですわね。暖かい……」
と、俺の腕に手を添える。
* * * * *
頭が……重い。
すっかり自分の寝床になってしまっているが、ここは俺の部屋ではない。この部屋にいることにもはや言い訳など必要ではないが、当たり前のように存在している自分にはいまだに違和感を覚える。……いや、これこそが言い訳か。
「もう起きたのか……?」
隣にいるはずの女は姿を消していた。そういえば俺が先に目覚めたことは一度もないような気がする。
ずきずきと軋むこめかみを押さえつつ、ゆっくりと起き上がる。ちょうどその時、音もなく扉が開き、あいつが入って来た。髪を上げ、すっかり身支度を整えている。
「おはようございます。あれから一雨来たようですわ」
あいつはそう言って手にしていたトレイをサイドテーブルに置くと、一気にカーテンを引き、窓を開け放つ。
薄暗かった部屋が一瞬のうちに光に溢れる。外を見ると緑がいつもより明るかった。空気までも洗われたようにすがすがしい。……俺だけが澱んでいる。
「すっかり涼しくなりましたね」
空気を入れ替えた後、持って来たグラスに水を注ぎ、こちらに差し出してきた。
「何が効くかよくわからないのですが……」
「……すまない」
受け取ると一気に喉に流し込む。水が身体に染み込んでいくのが心地よい。俺の中の澱みも流されていく。
グラスを空けると、水指しを持ったあいつと目が合った。あいつは首を傾げ、俺は頷いた。すかさず二杯目を注ぐあいつを見ていると苦笑が浮かぶ。
「……要するにお前は二日酔いになったことがないと言いたいのだな」
「まあ……そういうことですわね」
あいつは悪戯っぽく微笑むと、
「お茶でも入れて参りましょうか?」
と俺の側から離れようとした。咄嗟に俺はあいつの手首を掴んで引き寄せてしまった。
「エルトシャン様……?」
置いていかれる……と思った。
だから何だと自分でも思う。だが、今は一人にはなりたくなかった。無様な姿を晒すことになっても……。
「……」
「……もう少しお休みなさいませ。頃合を見て起こしますから……」
何も言わない俺の耳元にあいつはそう囁きかけると、そのままベッドに俺を沈める。呆然とする俺の瞼に唇を落とし、再び囁く。
「今度よいお酒が手に入ったら……」
「……次は負けない」
あいつはくすりと笑って俺の髪を何度か掻き上げた。それが心地よい刺激となって再び眠りの世界へと落ちる。
あいつは知っている……。
この部屋に入り浸っているのをお前に知られたくないということを。ここでどす黒い欲望を落とし、素知らぬ顔でお前を抱き締めていることを……。
俺は初めて気が付いた……。
俺はずっと孤独だった。今はもう孤独ではない。そして……一人がこんなにも寂しいということに……。
Fin
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